昭和レトロ・幻想の武藤富男

昭和レトロ・幻想の武藤富男

(これは書籍なので、常に編集します)

杉山勝己著

1941年生まれ

明治学院大学文学部卒

日活、創元設計勤務の後

現在ブロガー

 

2024/04/16・火曜日

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ウィーンで実写

僕もいよいよ、「イデオロギーの時代」かと思うようになった。

 

理由は簡単で、今までは、明治学院のクリスチャンの僕に、厳密な意味のイデオロギーはなく、キリスト教信仰があっただけである。

 

ところで、イデオロギーとは何であるか、早速wikiすると次のように出る。イデオロギー(: Ideologie, : ideology)とは、観念 (idea) と思想 (logos) を組み合わせた言葉であり[1]観念形態である。思想形態とも呼ばれる。文脈によりその意味するところは異なり、主に以下のような意味で使用される。意味内容の詳細については定義と特徴を参照。

通常は政治宗教における観念を指しており、政治的意味や宗教的意味が含まれている。

  • 世界観のような物事に対する包括的な観念。
  • 日常生活における哲学的根拠。ただ日常的な文脈で用いる場合、「イデオロギー的である」という定義はある事柄への認識に対して事実を歪めるような虚偽あるいは欺瞞を含んでいるとほのめかすこともあり、マイナスの評価を含むこともある。
  • 主に社会科学の用法として、社会に支配的な集団によって提示される観念。

 

で、結構な定義である。

 

まーこんなところであろう。大学は文学部で、散々聞かされた言葉、分かったようなよくはわからなかった概念だった、で当たっているようだ。今は八十二歳の落ち葉掃きの老人に過ぎないが、このイデオロギーが気になり始めた。

 

僕は文学部であるが学科は社会学科で、なかなか難しい学科だったと今頃理解している。その僕が一生、キリスト教研究で過ごしてしまった。特に無教会の研究に達していたが、今のキリスト教的立場は、無教会的教会派だと言っていいだろう。教会を否定しているわけではない。

 

この辺りがイデオロギーなのかと今朝思って、マンションの外の落ち葉を掃いた。

 

 

2024/04/15

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僕の時代の学院長

今日はのっけから小説家長谷川伸関係のwiki。

僕は10年間、小説家長谷川伸の自宅を見続けて明治学院に通学していた。というのが、理由。正門の道を隔てた向こう側の崖の上にある家が、長谷川の自宅だった。

 


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



『瞼の母』(まぶたのはは)は、長谷川伸戯曲1930年騒人』3・4月号掲載。

あらすじ

〔序幕〕
嘉永元年の春、若き博徒、金町の半次郎は下総の飯岡の親分を襲撃したあと母と妹のいる武蔵国南葛飾郡の実家に逃れていた。そこへ飯岡の子分、突き膝の喜八と宮の七五郎が敵討ちにやってくる。
半次郎を気にかけ、後を追ってきた旅の博徒番場の忠太郎が二人を斬り倒す。常陸の叔父のもとへ旅立つ半次郎に忠太郎は堅気になれと見送り、自身は生き別れた母を捜しに江戸へ向かう。
江戸では息子と生き別れたという三味線弾きの老婆と出会うが人違いだった。忠太郎は母親を背負って歩く男とすれ違い、うらやましく思う。
〔大詰〕
嘉永二年の秋、柳橋の料理茶屋「水熊」の前では無頼漢、素盲の金五郎が後家のおかみの婿に入って「水熊」を乗っ取ろうとたくらんでいた。店から元夜鷹の老婆おとらが叩きだされるのを見た忠太郎は声をかけ、店のおかみが江州に子を置いてきたと聞き出す。
「水熊」のおかみおはまの居間では娘のお登世が着物を着替え客の前に出て行くところ。店のおかみに会いたがる男と板前が喧嘩している声がおはまの耳に入る。強情な男を追い出してやろうとおはまは男を部屋に入れる。
おはまと対面した忠太郎は、江州阪田郡醒が井磨針峠(すりはりとうげ)の宿場番場のおきなが屋忠兵衛という旅籠屋について尋ねる。おはまはそこへ嫁いでいたこと、息子の忠太郎が五つの時に家を出たことを認めるが、息子は九つで死んだと言ってきかない。
金目当てだと疑うおはまに、忠太郎はもし母親が困窮していた時のために貯めていたという金百両を胴巻から出すが、おはまの冷たい態度は変わらない。忠太郎は落胆して店を去る。
すれ違いにおはまの元へ戻ってきたお登世はおはまを説得、おはまは娘可愛さに邪険にしたことを後悔して泣き出す。素盲の金五郎が恩を売るため浪人の鳥羽田要助と忠太郎を追ったと聞いたおはまとお登世は駕籠で追いかける。
夜明けの荒川堤、忠太郎は鳥羽田に襲撃されるが斬り倒す。おはまとお登世が忠太郎の名を呼び探すが忠太郎は返事をしない。二人があきらめて去ったあと忠太郎は反対方向に歩き出す。「俺あ、こう上下の瞼を合せ、じいッと考えてりゃあ、逢わねえ昔のおッかさんのおもかげが出てくるんだ――それでいいんだ。逢いたくなったら俺あ、眼をつぶろうよ。」忍び寄ってきた金五郎を斬り倒し、忠太郎は再び旅に出る。

登場人物

番場の忠太郎(ばんばのちゅうたろう)
旅姿の博徒。30歳すぎ。番場の旅籠屋「おきなが屋忠兵衛」に生まれるが5歳で母のおはまと別れ、12歳で父も死去。以後やくざの世界に生きるが、母恋しさにばくちで貯めた百両を懐に江戸へ行く。
おはま
料理茶屋「水熊」の女主人。52歳だが年より若く見える。忠太郎とお登世の母。
お登世(おとせ)
おはまの娘。18,9歳。
素盲の金五郎(すめくらのきんごろう)
30代の無頼漢。
鳥羽田要助(とばたようすけ)
武芸の心得はあるが、酒毒で顔に赤い斑がある浪人
おとら
50過ぎの老婆。若いころはおはまと仲がよかったが、今は邪魔者扱いされている。
金町の半次郎
若い博徒。忠太郎の助太刀でやくざから足を洗う。

出版書誌

演劇

映像化作品

映画

テレビドラマ

漫画化作品

楽曲化作品

浪曲

歌謡曲

銅像等

滋賀県米原市番場の国道21号沿いには主人公の「番場の忠太郎」の銅像(高さ1.75m、幅70cm)があった[1]。飲食店「忠太郎食堂」経営者が設置したもので、閉店後行方不明になっていたが、2022年3月に長浜市で発見され、番場史蹟顕彰会により番場のシンボルとして現地に戻される計画である[1]

また、米原市の蓮華寺には長谷川伸と地元住民らにより1958年に建立された「忠太郎地蔵尊」がある[1]。蓮華寺では夏に「忠太郎地蔵まつり」が開催されている[1]

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僕の学校・明治学院礼拝堂

2024/04/13

諸君は所詮「内村祐之」などという人物を知らない。

 

みすず書房から1968年に初めて出版され、僕が結婚した1971年では、第五版である本の著者、その第五版を僕は持っている。

 

この本は、僕の本読み人生では全く珍しく、今僕が持つその本は鉛筆線引きがしっかりしていて、全部隅から隅まで読んだ、という証になっている。

 

その線を毎日消しゴムで消しながら、よく読んだものだと、我ながら感心している。人生で、実務的にも難しい時期であり、僕はこの本で、社会の荒波を必死で泳いでいたとわかる。

今の、八十二歳の僕の人生の本だったと、今更ながら思うので、wikiの内村祐之を転載したい。

実に、素晴らしい人だと推薦できる。一言で言えば優秀な精神科医で、日本のプロ野球を作った人である。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

内村祐之(1934年)

内村 祐之(うちむら ゆうし、1897年11月12日 - 1980年9月17日)は、日本医学者精神科医。専攻は臨床精神医学神経病理学東京大学名誉教授日本学士院会員。プロ野球コミッショナー

来歴・人物

初期

1897年(明治30年)11月に、キリスト教思想家として著名な内村鑑三を父、内村の4度目の妻内村静子を母として、東京府に誕生する。

 

祖父宜之と父鑑三と共に、7歳(1905年1月)の時の記念撮影

12歳頃(1910年頃)の内村と家族

学生時代

獨逸学協会学校中等部から第一高等学校東京帝国大学に進む。学生野球界では特に一高時代に、早稲田慶應義塾を久しぶりに撃破するなど名だたる左腕投手として名を馳せた。1918年には15年ぶりの全国制覇を果たした。藤本定義は自分が見た中で五指に入る左腕投手として、谷口五郎小川正太郎金田正一江夏豊と共に内村を挙げている[1]

1919年4月初めの、一高と三高の試合はマスコミに派手に取り上げられた[2]

1921年4月7日に東京帝国大学3年生の時に東京ステーションホテル久須美美代子と婚約をする。仲人は父鑑三の先輩伊藤一隆だった。内村はスター選手だったので、マスコミに取り上げられて波紋を呼んだ[3]

1923年春に、東京帝国大学を卒業、精神科を志望して東大医局に入局した。しかし、約一ヵ月後に、呉教授に申し出て、東京府立松沢病院の医員になった。父の鑑三は祐之にヴァルター・シュピールマイヤー英語版)の『精神系の組織病理学』を卒業記念に贈った[4]。 それと平行して、学生野球の指導も行っていた。

 

 

結婚直後の27歳の内村と妻美代子と父鑑三と母静子、1924年12月

1924年11月29日伊藤一隆の媒介と大島正健の司式の元で、東京ステーションホテルで久須美美代子と結婚式を挙げる。

その後、北海道大学から招聘があったが、北海道大学には精神科講座の準備が整っていなかったので、1925年から文部省の海外研究員として2年間ドイツのミュンヘンに留学する。カイゼル・ウィルヘルム研究所(マックスプランク研究所)でシュピールマイヤーに師事する[5]。 その際クレペリンクレッチマーなどとも交流をもった。内村の留学中の1926年妻・美代子は長女・正子を出産する。

大学教授・病院長時代

1927年にドイツ留学から帰国し、同年9月に北海道に渡る。1928年に北海道帝国大学教授に就任。 1928年7月13日に次女・桂子が生まれる。その直後7月27日に内村鑑三夫妻が札幌に来る。札幌独立教会の牧会を行う。 1930年3月には、父の危篤に際し一家で上京し、父の臨終についての詳細な記録を記した。それらは「父の臨終の記」として残されている[6]。 また、3月28日に父内村鑑三が死去すると、内村の希望で東大医学部で偉業を達成した人物の脳の研究のため鑑三の解剖を行う。

その後1936年に東京帝国大学医学部教授(1949年まで東京都立松沢病院院長兼任、学部長も務める)となる。

東大在職中に財団法人神経研究所を設立。偉業を達成した人物の脳の研究や双生児の研究で多くの業績を残した。定年退官後は国立精神衛生研究所長などを務める。

戦争中には軍部の要請でソロモン群島に派遣され、戦地の精神医療体制についてアドバイスを与えた。また、空襲で松沢病院が焼失して、患者にも犠牲者を出す。1945年終戦の年に母静子が亡くなる。

その一方1939年から1943年までは東大野球部長、1943年六大学野球連盟理事長として戦時下の学生野球の対応に尽力する。

戦後

戦後は、東京裁判A級戦犯になった大川周明の精神鑑定と治療を行う。内村は大川を梅毒性精神障害と診断した[7]。 また、帝銀事件平沢貞通や、婦女連続殺人事件の小平義雄などの精神鑑定を行った[8]

1949年に法律改正により東京大学教授と松沢病院院長を兼任できなくなったので、松沢病院を退職し1951年に晴和病院を開設した。さらに、1958年に東京大学教授を退職した後、神経研究所の創設に努力した。

野球人生

一方野球では、混乱の続くプロ野球界で最高委員を務めるなど、野球界にも多大な影響を与え、いわゆるV9巨人黄金時代の川上哲治監督に大きな影響を与えたといわれるアル・キャンパニスの『ドジャースの戦法』を翻訳したのも内村である。

1962年5月、日米の野球に精通した人物として内村は日本野球機構第3代コミッショナーに就任。サンフランシスコ・ジャイアンツへ野球留学中にメジャー出場した南海ホークス村上雅則の保有権を南海・ジャイアンツ両球団が争った際には1965年シーズン終了を以て南海に復帰させるという妥協案を提示して解決された。第1期の任期満了間近の1965年4月、内村は札束競争にまみれてプロ野球界に入ってくる新人選手をうれい、新人研修制度を行おうと提案したが、オーナー陣の激しい抵抗にあい、自らコミッショナーの職を降りた。おおむねコミッショナーはオーナー側寄りであると批判されている中、オーナー側と対立してコミッショナー職を辞したのは内村1人である。このとき、「どんな医者でも完治の見込みがなければ患者を見放すものだよ」とコメントし、自分を推薦しておきながらその提案を飲まないオーナー陣を痛烈に批判した。

後にコミッショナーを務めた下田武三によると、コミッショナーの職を辞した後は一度たりとも球場に足を踏み入れず、存命中は特別表彰による殿堂入りも拒否したという。

このように、コミッショナーとしては思うように手腕を発揮できなかったが、日米の野球に精通した知識人として日本の野球の近代化に貢献した点が評価され、没後3年を経過した1983年、特別表彰として野球殿堂入りした。墓所は多磨霊園

家族・親族

内村家

義父・内村鑑三の弟子で、鑑三の英文著作『余は如何にしてキリスト信徒となりしか』の邦訳(角川文庫)や、鑑三選集の編纂、また『晩年の父内村鑑三』(教文館)の著作がある。

著書

  • 『時局性アンモン角変化の病因に就て』 1929 - 東京帝国大学が受理した学位論文 [10]
  • 『主要精神疾患の原因と臨床』(南山堂書店) 1948
  • 『世界最強チームアメリカ野球物語』(羽田書店) 1949
  • 『精神医学者の摘想』(同盟出版社) 1950、のち中公文庫 1984
  • 『精神鑑定』(創元社) 1952
  • 『天才と狂気』(創元社) 1952
  • 『わが歩みし精神医学の道』(みすず書房) 1968
  • 『精神医学の基本問題』(医学書院) 1972、のち創造出版 2009
  • 『鑑三・野球・精神医学』(日本経済新聞社) 1973
  • 『アメリカ野球物語』(ベースボール・マガジン社) 1978

共著・編著

  • 『内村鑑三追憶文集』(編、聖書研究社) 1931
  • 『傑出人脳の研究』(長与又郎, 西丸四方共著、岩波書店) 1939
  • 『双生児の研究 : 双生児研究班報告』全3集(編、日本学術振興会) 1954 - 1962
  • 『精神医学最近の進歩』(島崎敏樹, 笠松章共編、医歯薬出版) 1957
  • 『日本の精神鑑定』(監修、みすず書房) 1973、新版 2018

翻訳

  • 『天才人』(エルンスト・クレッチュメル、岩波書店) 1932
  • 『天才の心理學』(エルンスト・クレッチュマー、岩波書店) 1953
  • 『天才の心理学』(エルンスト・クレッチマー、岩波文庫) 1982
  • 『精神病理学総論』上・中・下(カルル・ヤスペルス、西丸四方, 島崎敏樹, 岡田敬蔵共訳、岩波書店) 1952 - 1956

メジャーリーグ関連

  • ドジャースの戦法』(アル・キャンパニスベースボール・マガジン社) 1957、新版 1990
  • 『高校生のためのウイニングベースボール』(ジェームス・スミルゴフ、ベースボール・マガジン社) 1961、新版 1981
  • 『大リーグのバッティングの秘訣』(ハアヴェイ・キューン, ジェームス・スミルゴフ共著、ベースボール・マガジン社) 1962、新版 1981
  • 『野球王タイ・カップ自伝』(タイ・カップ、ベースボール・マガジン社) 1963、新版 1977
  • 『個人プレーとティーム・プレー』(ジョン・W・クームス、ベースボール・マガジン社) 1964
  • 『最新野球戦術』(ポール・リチャーズ、ベースボール・マガジン社) 1976
  • 『大リーグ生活66年 - コニー・マック自伝』(コニー・マック、ベースボール・マガジン社) 1978
  • ヤンキースのバット・ボーイ』(ジョー・カリアリ, サンダー・ホランダー共著、ベースボール・マガジン社) 1978
  • スタン・ミュージアル伝 大リーグ最高のプレーヤー』(ジーン・スコアー、ベースボール・マガジン社) 1978
  • ジョー・ディマジオ自伝 ヤンキースの華』(ベースボール・マガジン社) 1978
  • 『ボブ・フェラーのピッチング』(ボブ・フェラー、ベースボール・マガジン社) 1981

 

 

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ここに出てくる熱海城(あくまでも小説の中の城の、僕の推定に過ぎないが)

は、父の設計だといつも思っている。

2024年4月10日(水)

 

大野武男氏は1942年生まれ、僕より一つ歳下だ。

 

経歴は、上智大学文学部出身で、その後、ドイツの僕などが名も知らぬ大学院を出て、立派に博士になった人だ。いまだドイツに住んでいるらしい。

 

氏をWikiで見て、氏の本で僕の持っている「ユダヤ人とローマ帝国」(講談社現代新書1572・2001年)を読んでいると、つくづくいい学者だと思う。

 

現在もご健在と、wikiで推定できるものの、僕らの年代になるといささかそれも怪しくなる年齢である。氏が、さらに長生きをして、一段といい本を書いてもらいたいと期待している。

それにしても、こんなことを書くのは、いうまでももなく本のテーマである紛争地帯で、今も相変わらずイスラエルが戦争状態にあるとは、あきれたもので、世界のお荷物だ。

いつもこの紛争が世界に拡大する。

特に、これが近代世界史のパターンで、僕などがいうと、つい人間の罪が原因なのであろうと言いたくなる。

 

このざっとした、二千年ぐらいの歴史や人間問題は、僕らのようなプロテスタントでも、よくわからない。これを、神学的考察と副題をつけたパネンベルク(ドイツ人)の、「人間学」(教文館・佐々木勝彦訳・2008年)で読み、人間論的紛争の治らない世界の中心地を、毎日ハラハラしながら見ているのは、辛いものだ。

ともかく、困ったのである。

 

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僕の銀座個展

2024年4月9日(火)

2008年佐々木勝彦氏が訳した、「人間学・神学的考察」(教文館・人間とは何か)を、少し読めるようになったと今朝思った。

 

ともかく超難しい本。

 

書いた人はパネンベルグという人である。

ここで僕がいくら書いても全然理解されないだろうから、wikiを少し転載してお茶を濁すことにする。

 

ヴォルフハルト・パネンベルク(ドイツ語: Wolfhart Pannenberg, 1928年10月2日 - 2014年9月5日)は、ドイツ神学者ルター派出身で、エーバーハルト・ユンゲルユルゲン・モルトマンとともに、カール・バルトルドルフ・カール・ブルトマン以後の世代を代表する。希望の神学の流れを汲みつつ、独自の歴史神学を展開した。

 

で、興味のある人はさらにwikiをご覧ください。

 

僕は、もっぱら、この人の描いた人間学を読むが。、すごく難しい。しかし、「人間」というものが、そんな簡単にわかるものではないとも僕は思っている。

 

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僕の水彩画

2024年4月8日(月)

「イエス・キリストは実在したか❓」レザー・アスラン、白須英子訳、文春文庫を読みながら、下記の記事を読む朝は、ホッとする。そんな僕は、八十二歳のクリスチャンに過ぎない。ただし、今や教会に行って献金を出すほどの金は持っていない、稼いでいないからである。

 

【エルサレム時事】イスラエル軍報道官は7日、イスラム組織ハマスとの戦闘が続くパレスチナ自治区ガザの南部から地上部隊を撤収したと明らかにした。

【ひと目でわかる】イスラエル軍の作戦エリアと侵入したとされるエリア

ロイター通信が伝えた。ガザを南北に分断する回廊の安全確保を担う1個旅団だけが残るという。イスラエルはハマス壊滅を目的に、ガザ最南部ラファへの地上侵攻の準備を進めてきたが、作戦計画に変更があった可能性もある。カービー米大統領補佐官は7日の米ABCテレビで、「部隊の休養と修復であり、次の作戦を示しているわけではない」と語った。地元紙ハーレツ(電子版)によると、軍当局者は「ガザ南部で積極的に活動している部隊はいない」と説明。南部ハンユニスでハマス掃討の戦果を挙げ「できることは達成した。必要ならいつでも作戦を行うが、とどまる必要はない」と強調した。

ーーー

お前はメシアかと、イエスが直接質問を受ける場面は、新約聖書の圧巻である。「メシア」をwikiで調べると、以下wikiから、メシアの到来を信ずることはユダヤ各時代にメシアを称した者(保守派や、大多数の者からは「偽メシア」ということになる)は、当然ユダヤ教内部でも解釈が分かれ、分派を形成した。

また、これに賛同したキリスト教徒・イスラム教徒もいた。

また、こちらも当然ながらユダヤ教からは、イエスは偽メシアとして見られている。メシアのギリシャ語訳がクリストス(Χριστός)で、「キリスト」はその日本語的表記である。キリスト教徒ナザレのイエスがそのメシアであると考えている。

 

と、僕は若い時から読んでいて、これを信じているのやら、いないのやら、毎朝の祈りや、寝る前の祈りは欠かしたことがない。が、本当に信じているのやら、いないのやら。こんな程度の僕なのであると、驚いてはいない。要するに、日本人の普通の信者は、こんな程度であるよ。世界でも、普通の信者もこんな程度が限界、別に驚くに当たらない。

 

要するに、明確には神はとらえれれない、これで十分だと思っている。

 

 

 

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カルヴァンの教会・実写

2024/4月7日(日)

今朝の毎日新聞トップは「オカルト」である。

 

それも本場英国を書いている。

僕はクリスチャンで今の教会席は聖公会、いわば英国流のキリスト教である。が、もともと僕は明治学院だから、長老派のプロテスタント、いわばアメリカ流だ、などと描くとは思わなかった。八十二歳の僕にはどうでもいいが、今読む本は、「イエス・キリストは実在したのか❓」である。

 

実に面白い。

自分でこんなことを書いている暇があるなら、それを読んでいる方が、時間に無駄がないと思うほどの入れ込み。

題名は日本風に訳されたもので、実際の英語の題名は「ZEALOT」。意味はイマイチわからないが、英語の副題がthe life and times of jesus of nazareth でいわば歴史ものである。決して、日本語の表題通りではない。

書いた人はアメリカに亡命した、イラン人のレザー・アスランという人、宗教学者と認められている。決して、日本語表題通りだけの問題を扱ってはいない。

 

なかなかよく書けている。イラン人の書いた本は初め読むが、何人であろうと、きっちりした学者の書いたものは読み応えがある。

アメリカではベストセラーだったようだ。

そんな中の毎日新聞オカルト記事。

 

あまり気にしない方がいいが、世界の今の戦争状態は、人々に不安を与える。

世界の超紛争地帯が、またまた紛争になってしまった。今の、発達した明確映像で毎日見る映像は、まさに「絶望的光景」に過ぎない。

 

要は、人間が相変わらずsexに興味を持ち、かつ戦争もするという、人間パターンに過ぎないが、これから人生を送らんとする人たちには、絶望的に映るであろう。とはいえ、かつての日本(大日本帝国)も戦争をして、原爆をかっくらってへたりこんだ経験の歴史を持つ。

人が傷つけあって歴史を作る人類史は、いつも同じことが起こる。

 

ただ、人を傷つけて、いい社会は作れないということだけは、僕は八十二歳で経験的によくわかっている。しかし、人が戦争を避けられないという現実も、人間関係の個人的レベルを超える戦争の恐ろしさで、僕は僕なりに、第二次世界大戦で多少共経験した。

 

悲劇は幸福の裏地であるということを知って、自分をつねって、いかに痛いかを知るのはいいことであるが、自分を傷みつけても平然と嘘をつくのも人間であると思う。解決法として、結局法律を整備し、社会を保持することが大切であるという、平凡な結論としたい。

 

国際警察や国際平和軍隊は、僕の明治学院青年時代の理想だったが、もはや機能しないことも人生で学んだ。

 

これを、ストレスの多い社会というのであろう。

僕はクリスチャンだが、今や、教会に行かないクリスチャン。こんなクリスチャンも日本にはいるが、少数派のさらに希少派クリスチャンで、もはやクリスチャンともいえないかもしれない。

僕は武藤富男が先生、彼は明治学院院長と満州国高官のという意味の超秀才クリスチャンである。今や歴史上の人物となった、「岸信介」が満州での上司だった。

 

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僕の抽象画

                              

2024/04/06

「夜と霧」の彼方へ

「夜と霧・ドイツ強制収容所の体験記録」(フランクル著・霜山徳爾訳・みすず書房・1961年初版)は僕が明治学院大学一年の時に出版された本。

 

今も書店に並んでいると、僕は思っている。

 

今日の毎日新聞朝刊一面第一主題記事「イスラエル支援変更警告、米、ガザ人道対応要求・北部検問所開放へ」とは、僕の中で一気にある本と緊結された。

 

ドイツの「ユダヤ人迫害」という、世界史の事実は覆い隠せない。が、どこで誰が再び、それをやりかねない政治情勢は深刻である。理性の国ドイツに起こった恐るべき人道破壊は、いまだに歴史の謎である。

プロテスタント発祥の地、ルターのドイツに起こったあの世界的事件は、ミッションスクール大学一年の僕の若い脳天を打って、僕の読書人生は出発した。

 

僕は、今もその本を大切に持っているが、その本にみすず書房は、次のように書いた。「評する言葉もないほどの感動・と絶賛(朝日新聞)された史上最大の地獄の体験の報告。人間の偉大と悲惨を静かに描く。」が、再び起こらないと誰が保証するのであるか。

 

僕はこの本を何度も読んだが、すでに八十二歳。そうはこの世に長くはいない。みなさん、決して油断してはいけません。

しっかり人間の世界史を見つめてゆくことが大切だと、余計なことを書いてしまった。なお今では、当時の僕の明治学院院長、武藤富男氏もこの本を読んだと想像している。

 

この本は、彼が深く関わった「満州国」の経験と合わせて、彼の著述に大きな影響を与えたに違いない、と今頃僕は推定している。

 

 

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僕の田舎・信州・戦後すぐ

2024/04/05

 

僕が「概念」の不正確を持って、一生を誤った概念に「ポピュリスト」という概念がある。

 

これほど厳く間違って覚えた概念も珍しく、それを今のwikiであらためて確認すると下記のように出る。

 

Will Brettがポピュリズムを「乱用と誤用によって形が崩れた、引き伸ばされた概念の典型的な例」と表現したように、「ポピュリズムという概念には明断な定義が存在しない」と批判されることが多い。政治シリーズ記事からの派生ウォール街を占拠せよ運動で掲げられた「1%」(エリート)に対する「99%」(人々)という意味の看板(所謂We are the 99%の主張)。ポピュリズム(: populism)とは、政治変革を目指す勢力が、既成の権力構造やエリート層を批判し、人民に訴えて、その主張の実現を目指す運動である。日本では、「固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイル」という意味で使用されることが多い。

有権者へ政治への参加を促したり、政治の大きな変動をもたらすこともあり、民主主義にとって有益な一面もある[4]。一方で、大衆の利益を安易に追求することで社会的弱者の人権が侵されたり、社会的分断を招く危険性がある。

アメリカなどでは肯定的に使われる一方、日本、欧州では否定的な意味で用いられることが多い。

また、同様の思想を持つとされる人物や集団をポピュリスト(: populist)と言う。

 

 

2024/04/04

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僕が今朝一番に読む本は、高井有一著「この国の空」新潮文庫・平成27年だ。

 

この本は、僕の特段のもので、要するに第二次世界大戦での、東京の空襲を書いている。僕は、この本が手放せない。

 

いつも持って、その小さな本が、どこかに行かないように(僕はものすごく本を持っているので)常に警戒をしている。

 

僕らの家が空襲で焼ける。

空から下を見れば(米軍のB29爆撃機)、僕の家など米粒の大きさもないだろう。

 

そこえ、パラパラと小気味よく、弾倉から爆弾を落としながら、ジミーは鼻歌を歌っていた、と僕は想像できる。

それが何が悪いと今の僕は思うが、当時は僕の頭の中は防空壕に逃げるのに一生懸命で、親の言うことを聞いて僕は、薄っくらい酢得た匂いのする防空壕に入る。すると僕は、夢のように何もない時間を過ごし、何が何やら、どうもB29は去っていったらしいと、大人が言っていて、僕らはゾロゾロと防空壕をでるのである。

 

周りを見回すと美しい野原がひろがり、千曲川が見える。

キラキラと、どこかに流れているらしい美しい姿は、僕の憧れとなる。近所で、蜂を追っていると、夜中に襲われて耳の中に入られ、寝ている僕に、ものすごい恐怖が僕を襲った。それでも僕は、学校に行かねばならず、僕の妄想は終わるのだ。

 

母が、隣の家の牛小屋の火事で、必死に家財道具を出すのを僕は、手伝いもせず、母も手伝ってという時間を惜しんで、火事から家財を守っていた。

 

 

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2024/04/03

僕は、いささか目が衰えて、メガネは結局四、五本、ないし個(メガネの数え方はこれでいいのか、わからない)持っているが、ともかく苦労しながら、僕は今、レザー・アスランを読んでいる。

 

出版したのが「文藝春秋社」なので、僕が父の代から、また僕の学生時代から信頼し愛読している、菊池寛創設の出版社のもので、書いた人がなんと1972年生まれのイラン人。

 

馴染みのない人で、イラン人の本を買ったのは初めてで、ともかくいまいち、キリスト教的信頼関係が僕にも成り立っていないが、ともかく買ったのはかなり前。それを今の僕の目が、若い時のようにしゃっきとしていない82の僕が、読み始めた。

 

本の題名は長く、「人類はなぜ神を生み出したのか❓」である。

出版は2020年で僕はすぐ買って読んだ。

 

ところが、これが難解で、クリスチャンの僕は心が乱れ、うまく読書処理できなかった。それを最近ふと本箱整理で、もう一度挑戦ということになり、たちまち虜になった。訳した方は、白須英子さん。

引っ掛かりの少ない見事な名訳である。

 

難しいのは本の初めの出だしだ。

その時は、論法が普通ではないと思った。以前は、それに引っ掛かり撤退していたが、最近は目が悪いので適当に飛ばし読みしている。すると、だんだんその真髄が、ただならない論法で形成されていると分かり始めた。

 

どちらにしても、出版社が文芸春秋社という、僕の絶対信頼する出版社なので、中央公論が廃刊した今、たった一つ、僕に残った月刊誌「文芸春秋」は僕のアイドルである。

これで、人生最後の楽しみを獲得し、人生を終わりたいと決心した。

僕は、さすが「文芸春秋社」だなと思った本であると、今朝は書いて嬉しい朝となったが、これは文芸春秋社のひっかけ広告ではないと、強調しておく。

 

僕も明治学院文学部出身なので、大いにプライドがあり、そんなせこいことはしない。まして八十二歳も本当である。

 

2024/04/01

僕がごく最近気づいたことは、思想的な意味の、自然主義と非自然主義である。

 

昨日、僕の学校明治学院の、ある地域の同窓会があった。

周辺は、遅くなっている桜がちらほらの公園で、集合者は20名弱か。僕は同窓会副会長ともっぱら話をして過ごし、飲み慣れない晴天の公園ビールで、いい気になりベラベラ喋り、副会長に迷惑をかけた。

僕は早々家に帰り、そこでこそ、先輩の島崎藤村やその友人の北村透谷を考えて、自然主義対非自然主義の本質的な問題に達し得たと感謝している。

あの頃の日本人は、いわば本物の自然主義者でまだ「江戸の人」なのである。神道も仏教も真正な自然主義宗教で、僕ら明治学院のキリスト教は反自然主義宗教である、という認識が僕に初めてできた。

 

この問題は意外に大きな問題で、未だ変わらない日本人の自然主義的風景が展開されている公園で、思いついたわけだ。この、思想的発想は明治学院同窓会のおかげである。要するにキリスト教ぐらい不自然な宗教はなく、いかにも人工的で凄まじいものであると僕は思う。

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この凄まじさは、僕が子供の頃から日曜学校に通い、その上明治学院にも10年通ったし、母がクリスチャンだったから、僕はそこにある西洋的な不自然主義に、長い間気づかなかったのである。

 

要は、僕は日本人でありながら、キリスト教徒的不自然主義者だったのである。それは僕が、わからないキリスト教の研究を、一生かけてやって、僕の一生だったと初めてわかった。

昨日の公園の同窓会花見で気がついたわけであるが僕は、同窓生には申し訳ないが、挨拶もせず途中でただただ家に帰り、いまさらながら、つくづく、キリスト教の「反自然主義」に驚き、藤村や透谷を偲んでいる。

 

2024/03/30

 


島田 清次郎


誕生


1899年2月26日

石川県石川郡美川町(現白山市


死没


1930年4月29日(31歳没)

東京都豊島区巣鴨にあった精神病院で死亡


墓地


美川墓地公苑(石川県白山市)


職業


小説家

   
   

最終学歴


野町小学校尋常科卒業

金沢第二中学校中退

明治学院普通部中退

金沢商業学校本科中退

   

代表作


『地上』


デビュー作


『死を超ゆる』

(青空文庫6章のごく一部を転載)

「しかし、これは学校ばかりではない。この人生、この地球がまた大きい一つの古臭いいじけた陰険な、啀み合いの絶えない球塊で あるのではないか? 自分もまた無数の生まれては死に生まれては死んだ人間のように自分の一生をこうした啀み合いをして終らな くてはならないのだろうか。そうだとは信じられない。どうしたって信じられない。せめては自分一人でもがこの人生を生き生きし た美しい悦びに充ちた人生であるようにしようとの意思を抱いてはならないのであろうか? それは出来ないことかも知れない。し かし出来ないことだとは言えまい。出来ることかも知れないではないか? そうです、出来ることです。きっと自分がやってみせま す。死んでもやってみせます――ああ」と彼は深碧の大空を仰いで、「やらして下さい」と何かに祈るように跪いた。「使命」の感 が彼に燃えたのである。 

ーーーーー

彼がこれを書き上げた時は、大正8年で二十歳の1919年、死ぬ前の10年前である。

これだけでは、いうまでもないが「島田清次郎」は理解できないのは言うまでもない。ただ、このごろ僕は、島田先輩を研究したいのである。

 

明治学院の100年史にも、かなり詳しく書かれているが、難しい人でその人生もただならない。

 

しかし、僕の経験から言って、若くしてあのような文章を書けると言うことは、一体何か興味が湧く。要するに才能のある古い日本人が、モロにキリスト教と出会う物語だと思う。小説としてでなく、一種の精神的記録本なのではないか。小説となってはいるが、フィクッションではないノンフィクッションであると僕は思う。

 

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意外なことが起こった。

 

突然、今朝僕は「藤原義江」の本を棚から取り出して読み出した。

「歌に生き恋に生き」(文藝春秋・藤原義江著・昭和42年・1967年)で、かなり前から持っている。

 

「藤原義江」などという人を、今の人が知るわけもないが、この人は女(おんな)名であるが立派な男で、有名なオペラ歌手である。

 

僕は明治学院のキャンバスで、学生の頃見かけたことがある。

学園祭の時で、誰か知らないが、この有名人を先輩としてご招待したのであろう。当時彼は、帝国ホテルを常宿にしていた。

ちらりと僕と目があったが、大した印象は残っていない。有名人の割に別に迫力がある人ではない、という印象である。

僕が最近書いている「武藤富男」も学院長だったので、会ったことがある。しかし、彼もその著書から感じる、凄まじい人生を感じなかった。彼の人生を今も「私と満州国」で読むが、その強烈な人生は本物の人物の感じとは全く乖離している。

藤原義江もそんな人で、特に世間の評判ほど強烈ではない。

 

そういう点で、書物とは恐ろしいもので、読む人や時代にによって、全然印象が違うというのが書物の実態であろう。

 

しかし当人(著者)と会ったことがあるというのは、独特の印象が形成され、その本を一段と面白くする。特に第二次世界大戦の戦争中の物語は、凄まじいとしか言いようのない日本人の、経験談として、非常に歴史的であるのはいうまでもない。

 

僕は、昨日ある人とコーヒー雑談をしたが、彼の父上が大日本帝国陸軍の最後の軍人で、彼の父上こそが士官学校の最後の人なのである。

彼とコーヒーを飲んで昔話をしていて、その影響で僕は、悲劇のテナー歌手、僕の先輩の「藤原義江」を読むことになった。

 

 


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今朝の毎日新聞朝刊一面。

その広告欄には「キリスト教思想史の諸時代」が出ていた。

 

いよいよ、金子晴勇氏著作集が大成し出版されたようだ。そこで氏をウィキする。僕より十歳も上で、すごい人である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

金子 晴勇(かねこ はるお、1932年2月26日 - )は、日本倫理学者岡山大学聖学院大学名誉教授。専門はキリスト教思想史。

静岡県出身。京都大学文学部卒。1962年同大学院博士課程修了。立教大学助教授国立音楽大学音楽部、岡山大学文学部教授、75年「ルターの人間学」で京都大学より文学博士の学位を取得、76年同書で日本学士院賞受賞。1990年静岡大学教授。96年定年退官、聖学院大学教授。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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 僕の絵

 

しかし僕は、ほとほとキリスト教に疲れ果てている八十二歳。

 

購買心は動くが、いまさら先生の本を買う気はさらさらない。

先生は京都大学文学部の出身、僕が明治学院文学部の出身。比較にならないが、僕は学者ではない。ただのブログ物書きに過ぎない僕は、いまさらながら、同じ明治学院の法律学科出身の作家、松井浩章(HIROAKI)を読んで、感心している。

 

先日も電話をかけて嫌がられたが、彼の住んでいる熊本の家をネットで見ることができるので、それをのぞいて。彼の家を見て、そこがいかにも田舎らしい場所であると、分かった。

松井氏もきっと、僕の東京の住所を知っているから、僕の今の洒落たマンションの玄関入り口を見たことだろう。

どうも今は、こんなことができることが、実に鬱陶しい。

 

要するに外形にこだわる時代だ。

見えるので仕方がないが、外形がなんであるか。

 

僕は信州で10年過ごした幼児期を持っていて、そこは佐久市の中でも田舎だ。ただただ、懐かしい。

 

松井氏が進呈してくれた「極北の革命兵士」(2024年・熊日出版)の副題は「大逆事件と連合赤軍」で、氏の本から、連合赤軍が蜂起しようとしたのが実は佐久市だった知った時は、僕もびっくり、さもあらん。あそこは浅間の見える、一種の左翼農村地帯である。

 

僕は60年代安保に参加はしたが、過激派ではない。

しかし、外形はすごかったのか、その過激の沈めに現れたのが超天才と僕が呼ぶ、武藤富男。本来なら戦後、岸信介とともに混乱の日本民主政治を担ったはずの、旧帝大出の満州国高官の一人。岸と一緒に活躍した人である。

 

彼が院長として現れてのちは、僕は文学部だったのですっかり本読み青春に入り、せっせと教会に通い、主に「島崎藤村の研究」をしていた。

 

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北村透谷を「武藤富男」が読んだ、という痕跡の文献はない。

 

透谷が歩んだ道は、僕らの想像が及ばないほどキリスト教的で、透明で遮るものがない。それに比べ僕もキリスト教徒であるが、戦後、藤村の学校(明治学院)で10年も学んだくせに、長い間透谷を理解するにはいたらなかった。

 

透谷はその名の通り、有楽町の、美しい今なき川のほとりに生きた人で、渓谷美が彼の名の由来なのである。藤村がそこに寄り添い、彼と共に、青春の苦悩と肉欲との葛藤に生きたことは、いまだ僕らの実存の形式と変わるものではない。

 

もはや渓谷(けいこく)は消えて透谷が残り、彼の本(全集・岩波書店・昭和39年)三冊が僕の右にある。

 

僕はこれらの本を古本で買い、あまりにも高い精神にいささか食傷気味だ。

僕などは昭和16年生まれ、その年日本は戦争を本格的に始め、大日本帝国は塗炭の苦しみを国民にもたらした。空襲は、名作「君の名は」を世に送り出し、あの時の二人の恋が、敗戦で立ち尽くしなす術を全て失った僕ら日本人を元気づけた。

 

それが今の「有楽町」、透谷の生まれ育った場所、僕の藤村のいわば兄貴分が北村透谷である。

 

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武藤富男が政治家を諦める場面が、「私と満州国」(武藤富男著・文藝春秋・1988年)に描かれている。

 

相手は岸信介、いうまでもないが戦後最大の政治家との会話である。

 

別に岸が武藤を諦めさせたわけではない。岸が政治には金がかかるが、その金はしっかり浄化されたものでなければならない、と訓示した。武藤は推定すると、それはできないのではないか。少なくともそれはクリスチャンの自分には「できない」と、理論的にも直感的にも悟ったのであろう。

悟った場所は満州国政治中枢機関での話である。

 

戦後、岸が武藤に一緒に政治をやろうと誘った時、彼はそれを断り、敗戦日本でまず英会話学校を作り、教文館を建て直し、明治学院の院長になったのである、と知った。僕が明治学院大学の学生の頃の武藤は、そんな人物だというまでもないが、僕は全く知らなかった。

 

 

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我々(人類)が文字通り「呪縛」から自由であるなら、僕らはいたって平和に暮らせるだろう。

 

しかし、古代から続く呪縛は、人間知の発達以来いまだに我々を苦しめている。近代の知識の合理性は、我々からそれをカットしたと、近代社会に生きる我々も一時は錯覚したが、古代から続く呪縛が、僕は老人となり、それが人間の実態の中にしっかり根を下ろしていると思われるので、その呪縛の原始性は、そう簡単に我々から去ってはくれないのであろう。

 

至って不合理な部分がある人間の生命は(知識はその一部に過ぎない)、その不合理故に、いまだ戦争状態が世界に続き、言うまでもなくウクライナロシア間には戦争が起こり、相変わらずアラブ民族とイスラエル民族は、悲惨な殺し合いを「合理的」な説明でカバーしながら、戦闘を継続している。

 

せっかくの汗の結晶である、多くの高層マンションは無惨に破壊され、その無様な爆撃後の姿は、僕などが若い時に考えさせられた第二次世界大戦の惨禍(核爆発)の結論と、たいしてかわるものではない。

あの時子供だった僕は今八十二歳、1941年生まれたが、生まれて1ヶ月後に、大日本帝国はアメリカに宣戦布告もせずに、真珠湾を攻撃したらしい、と後で知った。

その戦争理解は、どうも戦勝国アメリカの捏造が大きく作用したらしいが、敗戦国の日本に、その歴史的事実の異論がそう簡単には許されなかった、のではないかと僕は最近思っている。

太平洋戦争という歴史的事件の原因が重層階に重なって、簡単には解き明かせるものではないが、ただしその根本理由は、人間の不合理性にあると僕はこの頃思っている。不合理性(合理的説明が不可能なもの)をこのように合理化するだけでは当然済むものではないが、年齢を重ねると少し頭が緩くなるので、こうなるのかもしれないのは、やはり人間には引退が必要なのであろう。

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生と死は、生物万般の運命であるが、人間のそれだけは一番厄介な世界の大問題なのであろう。僕もやっと今朝から、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(岩波文庫・1989年改訳第1刷・大塚久雄訳)に立ち返り、それを読み直している。

 

 

ところで、「生と死」の運命のもとにある我々に、果たして自己主権は存在するのだろうか、という命題が僕を襲った。僕らの自己主権は実は「生」にのみあるもので、「死」にあるものではないのではないか。こういった考えは、最近僕に出てきたもので、自己主権とは生の主権であって、自己の死には及ぶものではない、と感じ始めた。この生と死という全く次元の違うものを、並べていかにも重要なものと扱うのは、僕らの間違いではないかと思うのである。要するに死と生は全く別物で、同一次元で語ってはいけないのではないかと思ったのである。いうまでもなく生は死ではない。これは状態の問題であるが、しかし生物は死を含む、あるいは死を予定された生き物で、生である時にも、実は死を持って生きていると解釈する必要があるので、あるかと僕は不安になった。しかし、死ぬことはわかっていても死んでいるわけではない。しかし、死ぬことは予定されている、とすれば、死は予定にすぎないのではないか。僕らは友達と気楽に約束をする。どこで会うとか、どこでコーヒーでも飲もうや、とか約束は生的である。死は考えられていない。が、死が内在する人間性は、約束がその死によって、破られる可能性があることも確かである。

こういった考えは、僕が八十二歳の老人であるから、至って平凡な考えであり、常識の域をでない論理なのであるが、これを哲学に置き換えると、そう簡単でないのはいうまでもない。

 

 

 

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全面講和をなし、最も理想的に言えば「永世中立」をか ちとり、そうでなくとも、「中立」をかちとるべきでしたと書いたのは、武藤富男で、僕の明治学院大学の院長である。

この旧制帝大法学部の天才が、明治学院に現れたのは1960年であると思う。僕が安保反対闘争に参加した後の話で、学生の僕はそれほどの意味は感じなかった。

僕は明治学院に中学から入り、高校も明治学院、いわば10年を通した学生なのである。明治学院は別に10年学校ではないが、10年その学校に居続けるのは容易ではない、月謝が高いからである。よく僕の親も頑張ったもので、その上弟も中学高校とやらしてもらい、日大の理工学部に抜けていった。

 

これからの文章は全て、武藤の文章のほんの一部で、「再軍備を憤る」から転載している、ぜひ読んでもらいたい。

 

彼がいかに戦後、勝利者としての連合軍と全面講和を望んでいたかがわかるもので、「天才」と彼のことを言うのは、「八十二歳の僕」がここにこそ、彼の天才的先見性を感じるからだと強く思うからである。

 

全面講和を主張するため、占領が二年や三年のびても、日本の頑張りが原因をなして米ソ両國の歩みよりによって世界平和が成立すれば、 それこそ日本のためばかりでなく、全世界のためにどんなに仕合せかわかりません。 地上だけでなく、天にての喜びは大いなりです。

 

しかし何年待つても全面講和が出来ない時はどうなるでし よう。

それは第三次大戦が始まることを意味します 。

ポツダム宣言によって連 合軍が日本を占領中に米ツが戦争を始めたらどうなるでしよう 。 その時は極東委員会も対日理事会もなくなり連合軍総司令官は存在しなく なりますから、日本の主権は従属する相手がなくなり 、自動的に回復し、 日本は完全な自主独立となるのです 。 そして完全な主権をもつ国として旧交戦国と講和をなし得るのです。

 

こういうことを言うのは既に手おくれかも知れませんが、最善と信ず ることをトコトンまで考えつめて言ってしまうことは、日本民族の將末のためになると思いますから、私の考えを述べさせて頂いたわけです 。もし今度の條約調印の間違いが政治家にも大衆にもよくわかり 、 それが批准に対する「 ノ ー 」となつて現われれば幸です 。 しかし不幸にして二つの僚約が今のまんの状態に於て批准さ、、(以下次回)

 

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僕が「武藤富男」や「三島由紀夫」を書いていると、自分までおかしくなるが、幸いに僕は非才、武藤や三島とは比べ物にならないから、腹まで切るような度胸はない。

 

それでだけでなく、僕は無教会主義のクリスチャン。今や「教会」を放棄しているが、他意はなく、ただ日曜日ごとに面倒なクリスチャンの真似事をする気はない。

 

洗礼を受けたのは明治学院高校のころ。

今もクリスチャンだと自分では思っているが、教会に行かないクリスチャンだ。日曜日、10時ごろから毎週教会に行くほど、僕はお人よしではない。教会に行かなくなってからすでに二、三十年は経っている。

 

それまでは明治学院中、高、大学文学部から日活など経て、建築設計事務所を卒業し、年金積み時代のかなりの後半で、教会を離れられた。今日の毎日新聞川柳「ノアがまた 方舟作って いるらしい」は、作者は僕のこのブログを読んでいる人ではないかと疑っている。

 

別にいいのであるが、あまりキリスト教などは書かない方がいいのではないか。

 

で、武藤富男は明治学院の僕の学生時代の院長で、かつて満州国で高官をしていた人。三島と同じ旧帝国大学法学部の出身だ。直に少し口を聞いたこともある。

 

ところで、このあたりをアカデミックに書いたのが、中島耕二さん、「近代日本の外交と宣教師」2012年刊行・吉川弘文館出版という権威ある本である。

中島さんは1947年生まれ、僕より若い人だが、ともに明治学院大学の出身で、一度お目にかかりたいものである。

ともかくいい本であると絶賛したい。

 

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(再び・ネットからコピー)

古代ローマのタシタスは、その 時代の八十数年間に渡る現代史を書いた。そして、史学に新生面を開いた。「 満 洲 史 」 は 、 生 き た 国 家 の 興 亡 史 で あ る 。 満 洲 史 は 小 説 以 上 の ロ マ ン ス で も あ る。 個 人 心 理 と 民 族 心理、経済機構と侵略主義、智課と野心、情然と聖済が織りまじり、日本の滅亡の大事な中幕と成った。

私は、この生きた歴史の側面をよく知っている友人武藤富 男氏に促して、彼の記憶のまだ生々しい間に、善いことも悪いことも悉く気の附くままに書き残しておいて欲 しいと要求した。そして彼は多忙な、時間の無いその中を、彼の劇的な観察 で、満洲史の断面を画き出してくれた。彼は正直に、世界史 的 視 野 に 立 ち 、 日 本 の 敗北 史 の 一 断 面 を 画 き 出 す 意 味 に 於 て 、 満 洲 史 の 一 側 面 を 画 い て く れ た 。この生きた歴史を喜ぶ人もあろうが彼 と共に悲しむ人もあろう。だが、既に下った神の審判の前に、私 は襟を正 してこの書を再読静思するものである。私は旧約聖書の歴代史略の続備と、新約黙示録の現代版を一緒に読む気持で、この書を赤々しくおし頂く ものである。一九五六・七・二八・賀川豊彦(満州国の断面・武藤富男著・序文から転載)

 

次は、「再軍備を憤る」武藤富男著・昭和26年、の一部のコピーです。武藤富男は、僕の明治学院の学生時代の院長で、旧制東京帝国大学法学部出身の天才で、小説家三島由紀夫の先輩です。

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(以下本文一部著者訂正推敲)

結成問題で時の商工大臣岸信介は私に向つて「裸にすれば東條は橋欣(人名の省略)以下さ」と言つた言葉を、私は今でも覚えています。

 

岸信介の評徴によれば、東條英機は能力や知性に於て橋本欣五郎以下だったようです。 私は橋本欣五郎とは二 度しか話したことがないので 、 残念ながらこの両者を比較する資格がありません。

しかし私は、東條の絞首刑を向う側から見ずに、こちら側から見て來ま した 。みんなが向う側にいて、縛られた東條に鞭を加え、死刑とな って散らされてしまつた彼の屍をはずかしめている時 、 私はジッとこちら側から見ていたのです。

そしてこちら側から見た後、一段高いところに立つてもう一度、絞首刑の意味を考えてみたのです。それを皆さんに語りたいと思います。しかし順序として私は東條とどの程度開係があつたかを先ず告白しま しょう 。

 

昭和十二 年の春でした。私(私の明治学院時代の院長武藤富男)が、満洲國政府の法制局参事官であつた時、私は人を介して東條勝子夫人から国防婦入会の歌を作ることを頼まれました。

 

 或る夕方その歌のことで彼の官邸(満州の) で、 私が夫人と話 して いた時 、和服を着た彼は孫を抱いて現れ、私が立つて挨拶するや、にとッと微笑して私に会釈しました。それが彼との初對面で した 。彼が第一次近衛内閣の陸軍次官となつて新京を発つ時、私も日満官僚の後から、、、、(以下略)。

 

 

「辻政信政がえがいた波紋」を書き始める、明治学院院長武藤富男は僕の学生時代の院長で、僕も少し話したことがある。

 

その彼が、「満州国の断面・甘粕正彦の生涯」を描いたのは、昭和31年1956年だから、僕が明治学院高校の頃だと思う。その本の「大達茂雄関東軍と衝突す ること」の中の、「甘粕正彦 協和会に現われること」のごく一部をご紹介しよう。

 

「 人殺しが 、 満洲国の政治に関係するとは何といういやなことであ ろう」と私は思った。

(時は)満州暦康徳四年 (昭和十二年)四月、甘粕正彦が満洲帝国協和 会の総務部長として乗りこんで来たというニュースが伝わったのである。その時分、私(武藤富男)は、国務院法制処(法制局)の参事官をしていた。

 

話は前にもどるが、 前の年の十二月十日の午後 、 新建築が出来上っ たばかりの国務院庁舎の三階廊下を、企画処に向って歩いていると、総務庁長(総務長官)大達茂雄 が、ズボンのポケットに両手を入れて、 にこにこしながら反対側からやって来た。 何処へ行くかというから企 画処の会議へと答えると 、

「会議はさぼってしまいなさい、官邸に行って碁を打とう」と言う。そこで大達に連れられて長官官邸に行った。

 

官邸は落成が済んだばかりで、結構調度は豪勢なものであった。引越して間もない大達は私を案内して各部屋を示し、「どうです、立派なものでしょう。こういうところに入りたいとあなたは思いませんか、、、。(こここそ、満州国のどまん真ん中の、東京帝大での天才日本人官僚だと思って、もう一度読むと、ぐっと興が湧きます。きっと満州が好きになるでしょう。)

 

Wikiで「辻政信」をサービスで転載しておきます。

辻 政信(つじ まさのぶ、1902年明治35年)10月11日 - 1961年昭和36年)以降消息不明)は、日本陸軍軍人政治家陸士36期首席・陸大43期恩賜。軍人としての最終階級陸軍大佐ノモンハン事件太平洋戦争中のマレー作戦ポートモレスビー作戦ガダルカナル島の戦いなどを参謀として指導した。 軍事作戦指導では「作戦の神様」「軍の神様」と讃えられた。その一方で、非人道的残虐事件を巻き起こした指揮系統を無視した現場での独善的な指導[5]、部下への責任押し付け、自決の強要、戦後の戦犯追及からの逃亡などについて批判がある[。敗戦後は数年間を国内外で潜伏したのち戦記を上梓し、ベストセラーとなった。反共、反米、自衛独立を唱える政治団体の自衛同盟を結成後に、政治家に転身し衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)を歴任した。参議院議員在任中の1961年(昭和36年)4月に視察先のラオスジャール平原で行方不明となり、1968年(昭和43年)7月20日に死亡宣告がなされた。

 

 

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以下、僕の学生時代の、明治学院院長武藤富男の本の序文の部分を転載している。

 

古代ローマのタシタスは、その 時代の八十数年間に渡る現代史を書いた。そして、史学に新生面を開いた。「 満 洲 史 」 は 、 生 き た 国 家 の 興 亡 史 で あ る 。 満 洲 史 は 小 説 以 上 の ロ マ ン ス で も あ る。 個 人 心 理 と 民 族 心理、経済機構と侵略主義、知謀と野心、情然と聖済が織りまじり、日本の滅亡の大事な中幕と成った。私は、この生きた歴史の側面をよく知っている友人武藤富 男氏に促して、彼の記憶のまだ生々しい間に、善いことも悪いことも悉く気の附くままに書き残しておいて欲 しいと要求した。そして彼は多忙な、時間の無いその中を、彼の劇的な観察 で、満洲史の断面を画き出してくれた。彼は正直に、世界史 的 視 野 に 立 ち 、 日 本 の 敗北 史 の 一 断 面 を 画 き 出 す 意 味 に 於 て 、 満 洲 史 の 一 側 面 を 画 い て く れ た 。この生きた歴史を喜ぶ人もあろうが彼 と共に悲しむ人もあろう。だが、既に下った神の審判の前に、私 は襟を正 してこの書を再読静思するものである。私は旧約聖書の歴代史略の続備と、新約黙示録の現代版を一緒に読む気持で、この書を赤々しくおし頂く ものである。

一九五六・七・二八

 

そこで僕は、三島由紀夫の小説「鏡子の家」新潮文庫・昭和39年初版を読み始めた。そこには、同じような時期の「1954年」の風景がある。

書き出されたその頃の月島は、まだ勝鬨橋が上がるもので、いうまでもないが今は上がらずの勝鬨橋、バンザイのない時代である。

 

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僕と同じ歳の英才を紹介したい。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石浜 みかる(いしはまみかる、女性、1941年- )は、日本のノンフィクション作家翻訳家神奈川県藤沢市在住。

人物

神戸市生まれ。戦時中、キリスト教を信仰していた父親が治安維持法違反で投獄された経験を持つ。

1965年神戸女学院大学卒。在学中イスラエルを訪れキブツに暮らす。卒業後は出版社勤務、英語教師、専門学校教師などのかたわら文筆活動を行う。

1966年当時映画監督高橋治と結婚、二児を儲ける。子は文月涼。

著書

  • 『シャローム(こんにちは)イスラエル』(オリオン社) 1965
  • 『まだ見ぬあなた』(オリオン出版社) 1968、のち角川文庫
  • 『カリフォルニアの素敵な学校』(新潮社) 1982、のち文庫
  • 『七転八倒ああ子ども』(弥生書房) 1985
  • 『ひかり輝く季節に』(国土社、青春ノート) 1985
  • 『あの戦争のなかにぼくもいた』(国土社、ベスト・セレクション) 1992
  • 『紅葉の影に ある牧師の戦時下の軌跡』(日本基督教団出版局) 1999
  • 「父から聞いた原爆の話 - 広島刑務所で被曝して」(女子パウロ会編、『原子野からの旅立ち』) 2005
  • 『変わっていくこの国で 戦争期を生きたキリスト者たち』(日本基督教団出版局) 2007

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「再軍備を憤る」武藤富男著は凄まじい形相である。

 

彼は、僕の明治学院の学生だった時の院長。

 

恐るべき歴史的人物、天才である。

と、僕は描くのに精一杯。

今朝の毎日新聞朝刊一面トップ「戦闘機輸出自公が合意」とある。何をか言わんや。五〇十年かけてやはり、日本も元の木阿弥か、何をか言わんや。但し、AIは戦争を選ばず、平和を選択するようにプログラミングされている、に希望を繋いで。「平和」こそ、人間の努力の絶対目標である。

三島由紀夫の小説「宴のあと」は、明治学院のごく近くの般若園という料亭が舞台。僕の院長、武藤富男もそこに行った。三島が切腹したのは、僕が結婚をした頃の出来事。

僕は歴史の証人となったのか、どうかわからないが八十二歳だーーーー。僕らの院長武藤富男も帝大法学部、三島も同じだ。ともかく秀才のやることは桁違いだと、言わざるを得ない。

 

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三島由紀夫「宴のあと」は、僕の妄想の圧巻で、それを読むととても僕などでは、いくら明治学院の文学部で勉強した僕でも、小説を書けるわけがないと思う。宴のあとは、明治学院の前あたりにあった、料亭「般若苑」が舞台である。今は壊されてない。

 

僕は明治学院を卒業すると、映画会社日活に就職した。

この会社も今は亡きに等しく一部再上場を果たせないまま、存在はしているが、昔の面影はない。僕は日活に就職し、行ってくれと言われたところが天城日活ホテル、要するに映画ではない。

 

この辺りが僕の人生のミスで、僕はホテルマンになった。

そこは当時、片田舎のホテルで、名称は「天城日活ホテル」と言った。それもすでになく、それでも周辺のゴルフ場だけは残り、今は別の人が経営している。

 

これを、三島小説と同じく、「宴のあと」と名づければ、これに勝るネーミングはない。昔ついでにいうと、三島の小説「宴のあと」には、古い手紙(恋文)が描いてある。その圧巻は「候」文で、ごく一部を書いてみよう。

「1日も早き、又のお目もじを生甲斐にいたしおり候。かしこ、で、これは女性の手紙、男のようであるから、帰って色気がある。実に素晴らしい、僕はさらに三島の本「鏡子の家」をAmazonで買った。

 

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時間というものは恐ろしいものである、と82の僕はこの頃感じる。

つくづく、というのが実感で、しみじみではない。

 

僕は明治学院の、ある支部の同窓会の誘いを断った。

一度は出席しようと思ったが、中止したのは僕が昔の幻想を語ると「きり」がなくなり、その会合に水をさすと思ったからである。三島由紀夫だの武藤富男だのを出すに決まっている、これが僕の必然で。今の人には、なんのことやらさっぱりわからないであろうと推定がつくようになった。いい爺さんが決して、でかい顔をして顔を出すのではないが、あまりに年上では、そう思われても仕方がない、と悟った。

 

その代わり僕の自己主張には、このブログがある。

 

今や誰も読まないが構うことはない、僕だけの世界をこうやって書いているのである。「勝手にしやがれ文章」を読む人はいないが、僕は書くぞ、自分の金を使い、勝手なことを書く。

ますますなんの役にも立たないが、書く書き続ける。僕は明治学院大学文学部の出身で、明治学院には中学生の時から10年も世話になった。その大学の時の院長が「武藤富男」、この人を描くのは彼が天才だからである。僕はこの天才と一度だけ口を聞いたことがある、ただし僕はその時何にも感じなかった。

 

 

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盗聴告発教授の解雇は「無効」、改めて問われる明学の体質祖父ネット注・明学とは明治学院のこと

『日刊ゲンダイ』(2018年7月4日)

 

盗聴告発教授の解雇は「無効」 改めて問われる明学の体質

 

 明治学院大学が揺れている。大学当局が教授に無断で授業を録音し、それを告発した教授が解雇され、その無効を争った裁判の判決が先月28日に下された。東京地裁は「教授の解雇は無効である」と判断した。
 3日、原告の寄川条路教授と太期宗平弁護士、法学者の小林節慶大名誉教授が司法記者クラブで会見を行った。
 寄川教授の担当は倫理学。盗聴が行われたのは、2015年4月の授業で、300人の学生を相手に行われたものだった。
 寄川教授によると明治学院大学では大学組織を守るために、授業の盗聴が慣例として行われており、今回とは別の教員も授業を盗聴されて解雇されたという。
 大学に批判的な教員を選別して盗聴している可能性が高い。小林氏はこう言う。
「学者は個性的で、それをお互いに許容し合って、歴史のなかで評価が定まってくるもの。個性を尊重しない多数決で押さえ込もうということが日本中で起きている」
 大学側は判決について同日付の文書で、解雇理由は録音を告発したことではなく、原告の「不適切な言動」と説明。具体的な内容については、係争中の事柄につきコメントを控えるとし、控訴を予定している。
 学問の自由がどこまで守られるのか注目が集まる。



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僕のような1941年生まれのものが、一番苦しんだのはいうまでもなく太平洋戦争である。

 

僕は全く戦後の中、高、大が明治学院で、そこはいわば名だたるミッションスクールだから、60年代に文学部にいた僕は、知らず知らず大変な思想的文学的経験をしなければならなかった、のだと最近やっと気づいた。

 

そのきっかけは、前々から研究している、三島由紀夫の「宴のあと」という小説で。

読み切ろうと思い何度も挑戦している作品ではあるが、全く歯が立たなかった苦い経験がある。そのうち、三島の割腹事件があり、それを理解することはまさに至難の業だった。

 

今それを読みなおし、少しわかりかけている。

 

 

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「私と満州国」の著者武藤富男が、最近こんなにも自分に訴えてくるとは驚きである。

 

武藤は、僕が明治学院の学生時の院長で、旧帝大出の秀才だった。

 

戦後政治を担った岸信介が、敗戦時「武藤君、お国のために一緒にやらないか」と、彼を誘った。武藤はキリスト教界に行きたいので、と政治を断った。60年安保が終わった時で、武藤は掃き溜めに鶴のように、そこに降り立った。太宰治の娘治子も明治学院で、僕とほぼ同じ頃の人。治子は多分武藤と院長にわざわざ呼ばれ、とどこかに書いてあったと思う。太田をwikiで、太田 治子(おおた はるこ、1947年11月12日 - )は、日本作家神奈川県小田原市生まれ[1]日本ペンクラブ会員。

経歴

父は太宰治、母は太宰の代表作「斜陽」の主人公「かず子」のモデルとなった太田静子[1][2]。当時妻子のいた太宰は文学を志す静子との関係が生じ、生まれてきた娘に、「治」の一字を与えて認知した[要出典]。翌年、太宰は玉川上水で自殺し、以後は炊事婦や寮母など働きづめで生計を立ててくれた静子や静子の兄弟らの愛情・支援のもと育つ[要出典]。私立青葉女子学園高等学校[3](東京都世田谷区世田谷。1988年頃に廃校)を経て明治学院大学文学部(英米文学)卒業[1]

1967年、紀行文『津軽』で婦人公論読者賞を受賞[4]。その後刊行した『手記』は、吉永小百合主演でラジオ化、映画化された(『斜陽のおもかげ』)。1972年、110枚の小説「私のハムレット」を『新潮』に載せたが、一行の批評も出なかった(『心映えの記』)。

幼い頃から静子の影響で絵画に親しみ、それが元で1976年からNHK『日曜美術館』の初代アシスタントを3年間務める[1]。美術に造詣が深く、多くの美術書やエッセイ、フィクションを著する。 

1982年11月24日、母・静子が死去(享年69)。1986年、母の思い出をつづった『心映えの記』で第1回坪田譲治文学賞受賞[1][5]。同作品で、直木賞の候補にもなった[6]

私生活では長く独身を通していたが、これは太田自身の出生の経緯や母・静子の肝臓癌発覚による看護・死去による[要出典]。30代後半に編集者である知人の紹介で見合い結婚をし、1987年に女児(万里子)を出産したが2004年に離婚[要出典]。これに伴い、現在は文筆業を中心に再び盛んに活動している。

 

 

 

 

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「満州」というかつての大国家が消えたのは、第二次世界大戦終了後である。

 

この消えた国家を盛んに研究してみたが、いまいちわからなかった。

 

1941年の生まれの僕には、とてもわかるような話ではなかったのである。とはいえ、僕はこの話から結局離れられない。その理由は、少しだけ最近になって、その実体が、敗戦で日本の植民地が消えたためで、その日本史の実感が、八十二歳の僕にもわからないからである、とわかりかけてきた。

 

この満州問題は、僕のような歳のものもこんな実態だから、若い人にわかるわけはない、と思っている。満州は単純な歴史ではない。しかし、僕には一人だけ、この不明な実態をつなぐ人物がいる。それが、武藤富男だ。

 

僕はこの人と大学時代言葉を交わしたことがある。

僕らの明治学院大学の院長だったからである。それは60年安保闘争の後で、僕は大した参加者ではないが、一応それに積極的に参加していた。

それが終わり、学園に一種の虚脱感が流れていた。その時に、忽然と現れたのが、武藤である。

僕と同じ小柄で、おとなしい人だというのが、第一印象である。その時の僕の話が、あまりにもつまらないもので、僕は今も恥じているがなんとも幼い思い出である。とはいえ、話したことは確かで、その後僕はやっと卒業し、映画会社日活にホテルマンとして就職した。

この辺りも僕は間が抜けているが、映画はもちろん全盛とはいえ、もはや全盛期は過ぎて衰退していく産業だった。だから、映画会社の日活は持っているホテルで、会社を盛り立てていこうという時代なのだ。ところが僕は、これが理解できなかった。僕は一年で日活を辞めてしまった。少々の義理があるのに、若い僕は平然と退職したのである。

 

当時日活には、植民地国家満州からいわば逃げてきた映画人がいっぱいいた。

映画人の満州からの逃避は必死で、新たな日本の再興のために、闇雲に働いた人たちであったとは、僕は知らなかった。

 

僕は、僕らの院長武藤富男の著書「私と満州国」をもう一度真剣に読むつもりで、古書をAmazonに申し込んだ。今は至って安い本になっている。しかし僕にとってはさらなる大切な本だと心から思って、真剣に今度は読むつもりでいる。

 

 

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今日は、お雛様という節目、季節や人生の分岐点である。

 

色々な変化がある。

 

この現在の時間(6時半ごろ)のマックワープロベースは、白に変化している、という経験も初めて。考えてみると、僕がこのブログ本を書いているときは、夜中の四時から五時にかけてが多い。だから、このマック原稿がいつもなんと「真っ黒」ベース。気分のいいものではないが、考えてみると早朝も早朝から、バカな原稿を書くなどというのは、いかにも老人的で若々しくない。

昔の原稿書きで飯を食った人には、あるいはいるかもしれないが、今の若いものが、こんな早くから起きて原稿を書くなどとは、要は昼間寝ている原稿書きなのであろう。いかにも贅沢だが、異常であるから、いい原稿など書けるわけもない、と僕は思う。がどっこい、僕が寝るのは、おおむね午後七時半だから、早く起きられるという理由だ。夜のテレビ番組など観たこともない、という爺ちゃんである。なんとかNHKのニュースを見るのが習慣で、女房は面倒くさがるのも当然で。昼間、早くからどんどんニュースだけはちゃんとみて、本を読んでいるから呆れた話なのである。女房はいよいやそれに付き合ってくれている。これで、この老人、ちゃんと健康も維持している。

 

昨日読んでいたものは、佐木隆三氏の「小説大逆事件」と水上勉氏の「古川力作の生涯」だから、中身は同じものでも水上氏が書くと、女が色っぽすぎて、スケベー極まりない。その人が、売るために「菅野菅子」を書くので、書き過ぎであると二度読みの僕などは、思う。

二人ともすでに死んでいるが、今生きていたらきっと「杉山くん、これが僕らの時代の女の書き方さ」などと嘯くに違いない。

僕は若い時に読んだのであるが、全然そんなふうに感じなかった。僕が、古川力作が住んだ滝野川に住んでいる頃なので、その辺りを観察して一人悦に入っていたという、若い時の思いでである。

 

今はそれが、二人とも死んで僕が生き残り、それも八十二歳でしばらで死ぬことになるが、あの大事件(明治・大逆事件)で人など一人も殺していないのが犯人たちで、ただ軽率な明治的大言壮語は時代の流れの大言壮語。で、政府(権力)が緊張のあまり、さっさと犯人を、はじめは二十四人死刑、恩赦して十二人を柱にぶら下げてしまったのは、日本史の中の、権力政治の明確な人権侵害事件の法的横暴として、永遠に日本史に残すべき事件であると、思う。

 

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「第一回日青協日中友好青年の船第十三班記録」(1976年・昭和51年11月7日、を僕が書いたのは、70年代後半ということになる。

僕は1971年に結婚したので、まだ新婚気分の抜けない時だと今はわかる。船名は耀華号10000トンの豪華船、船籍は中華人民共和国。当時の読売新聞は(昭和51年9月9日)、読売の8日夕刊8面に出た、僕が帰国後に見たもので1日ずれている。妻が読んだ新聞である。

 

記事は、「訪中友好の船出発・四百五十三人の勤労者青年乗せて」が見出しである。僕もその中にいるが、会社員三十五歳男子となっていて、どうも余計なことも書いてあって、これは書けない。

十三班は19名、大体東京出身者で占められていた。

ざっと予定を書くと次のようになる。箇条書きは長くなるので、適当に書くと、結団式9・7。

8日晴海埠頭出発、9日神戸港、10日神戸港・毛沢東主席他界・台風十七号接近、11日神戸港、12日神戸港、13日神戸港出港、14日洋上、15日洋上、16日大連港着・毛沢東弔問式参列、中国本土滞在、帰国の途につく。9月24日洋上お別れ会、25日解団式、神戸港解散。

 

と、なんとすごい中国旅行になった。

今は中国旅行など書いても仕方がないほど、平凡極まりないが、上の日程はまさにスリリングの連続だった。そんな中、僕は、「秘録・大観園の解剖」を、国会図書館デジタルで少しづつ読む。

すごいとしか、言いようがない。若い時にも読んで入るが、まだまだ未熟だった。

老年で読むと、中国旅行と大観園とが連動し、いかに中国の歴史が悲劇的だったか、とわかるには、おおむね50年の歳月が僕にも必要だったと思っている。

毛沢東がいかに偉大であったかも、わかる。単なるイデオロギーだけの問題ではない。中国問題は、人間問題であると思う。

 

 

 

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この書籍という位置付けの、僕の「妄想街道」の原稿を書いていて不快なのは、このマック自体で。

 

原稿は、黒い紙の上に白い字で書くという、嫌な環境が押し付けられているということである。それでも我慢していると、いつかは白い紙の上に黒い字で書くという自動化が働くが、どうも納得できない。

 

要するに朝が早いので、六時は画面は黒いのか、まだ暗い外を暗示している画面であるか、どうか。余計なおせっかいであるが、我慢して書いている。書いているといつの間に黒い紙(画面のこと)は、白くなって、いわゆる普通の紙に書いているらしい気分になるが、ともかく余計なことであると言っておく。

 

が、しかし。

紙が黒いということは僕の誤解で、早朝の五時は真っ暗な夜なので、マックの紙(画面)も黒い紙になり、ワープロの字などは白で表現されるという、マックの粋な計らいだと、知る今は朝の八時七分。つまり、普通に戻っている現在である、オドロイタ。

 

僕が黒い紙に白い字で書いたのは、林房雄の「大東亜戦争・肯定論」(中公文庫)で、この本は実に難しく、昔の初版の頃一生懸命読んだ、が、全然歯が立たなかった。

再度僕は、僕自身が八十二歳でも、1941年11月2日生まれの僕は、太平洋戦争1ヶ月前に生まれているので、ますます読書ファイトが刺激されるのは、やむを得ない。

 

ガラリと余計を書くと、この下の人が僕の明治学院中学校の音楽の教師です。などと言わざるを得ない。

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小泉 洽
コイズミ ヒロシ

昭和期の音楽学者

生年明治27(1894)年5月24日

没年昭和46(1971)年12月2日

出生地神奈川県横浜市

学歴〔年〕同志社大学神学部〔大正10年〕卒

経歴東京女子音楽学校、帝国女子専門学校、明治学院専門学校各教授を歴任。在学中から神学研究の傍ら音楽美学を中心に広く音楽の研究に没頭、また雑誌「音楽界」「音楽評論」などを編集、後年中世音楽の研究に専心した。著書に「楽典十講」「新音楽文化」「聴覚教育の新研究」「音楽辞典」「現代音楽の主潮」などがある。

 

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島崎藤村

いよいよ「幻想街道」も、僕の意識の中で本格的な出発をしている。

 

僕のそれを、ブログ祖父ネットの中で発酵させていると、左腕に痛みが出た。要するにワープロのやりすぎである。

 

痛みが出るほどやっているとは思えないが、痛いことは痛い。とその根拠を医者に指摘されてみると、なるほどそれに違いない、いわば名誉の負傷だ。そこまでして書いても仕方がないが、と思いつつ老人の「妄想」は膨らむばかり。

 

自分の頭の中に、次々に湧き上がる思い出に過ぎないが、昨日も赤坂離宮の宮殿を見学し、終わって地下別棟のコーヒーを飲みながら、妻の提案で見学した赤坂離宮の建築的豪華に驚くしかなかった。

何度も塀の外からは見ているものの、中に入ったのは初めて。これ以上の妄想はない。

 

僕の父は、戦前の宮内省旧匠寮で働いた人だ。多分、当時の赤坂離宮には関わっている。

 

第二次世界大戦以前の話で、匠寮とはわかりやすくいえば営繕課である。あまり深く僕に話さなかったのは、戦後意識に汚染された息子の僕は、戦後の反皇室派になっていたからで。父もそんな息子の気持ちを批判することは全くなかったが、戦前と戦後はそれほど隔絶していたからで、言っても無駄だと諦めていたのであろう。

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左は高校の時の教師、伊藤虎丸のもの、右は僕ら教会青年が作った「永遠の生命」

と僕は気がついて、唖然として帰宅した。

家に帰ってしばらくして、佐木隆三「小説大逆事件」を読んでみた。

昔から僕は大逆事件を研究している。それこそ、高校の頃の先輩に、その事件の関係者の師弟がいたと言いう時代だ。今更ながら読むと、僕の心は本当に暗くなるが、仕方がない。決して明るい話ではないのである。

 

僕の結婚のお見合いの相手(現在の妻)を紹介してくれたのが、大逆事件の関係者の人で、Fさんは新宮の出身である。僕はおばさんと呼んでいて、頻繁にFさんの軽井沢の隠れ里を訪問したものだ。

 

今の星野温泉のそばで、そこは今ではいたって懐かしい場所である。

 

 

 

「幻想街道」という題名は、文字通りであるが、その実体は僕の「本箱」にある。

なぜかといえば、僕の本箱にある本の大半、九分九厘はすでに死んだ人の著作であるからだ。

 

聖書などは、数千年も昔の古い事で、などというまでもないが。結局そこに帰結していく、が、それこそが僕の「幻想街道」の原点であり終点でもある。

 

それに比べれば、僕の学校の先輩島崎藤村の小説、「夜明け前」など、ごくごく新しいのもので、最近である、と、僕などは思う歳(八十二歳)である。つまり人生時間がなくなると、僕は冥界を彷徨う様ように、自分の本箱の死んだ人の本に囲まれて、未だ四苦八苦である。

 

しかし、その中でも数冊、生きている人の本がある。

その代表が松井浩章氏の本で、最近彼から寄贈された「極北の革命兵士」を読んでいる。

 

万難を排し読んでいるが、これが大逆事件と連合赤軍の問題。

どちらかというと、大逆事件は僕の得意分野。しかし、連合赤軍はどうも僕の手に負えないが、僕が結婚後すぐにあった事件。当時は僕も真面目で真剣な生活者として、夢中で社会で生きていた頃を思い出した。

 

新婚家庭は千葉北小金、新妻は目黒から一歩も出たことのない戦後派(団塊の世代)だった。

 

僕は逆で、ともかく彷徨い人。

僕が生まれてすぐ1ヶ月後、大日本帝国は真珠湾を奇襲した。住むところの定まらない、明日のない戦争時代だ。それからの4、5年、日本の地獄が待っていたというわけである。

 

その僕が、新生日本に生を受けた素晴らしい女性と結婚した。

しかし僕には、その組み合わせと、歴史的出会いの意味が、今まで全くわからなかった。

が、少し最近、その謎が解け始めた。

 

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このブログ・祖父ネットが本(書籍)という想定なので、作者が明確でなければならないと思う。そこで僕は、そういう意識を持って、あるいは持てたので僕の略歴を公開する。

 

僕が生まれたのは大阪・天王寺「聖バルナバ病院」、父は広吉母は絹子である。この結婚は母の父、僕の祖父の影響が強く滲み出ている。祖父はクリスチャン(聖公会)で、住友本店の営繕部(臨時建築部)のサラリーマン、花屋敷から通っていた。今や、住友本社営繕部は伝説の会社だ。今、世界最大の設計事務所「日建設計」が、これである。ここから、今でいう日本の「建築設計業」が発祥していく。

父は東京神田の生まれ、家業は左官業だった。今は名称が変わったが、古くは豊島町である。その次男だった父は、そこから築地の居留地にできた、工手学校建築科に通った。東京帝国大学でいえば造家科だ。下駄で通ったと自慢していた。いわば国家が作った帝国大学の下請け学校といった形、当時多くは、職人の息子が勉強し、先生は造家科の卒業生が多い、と父は言っていた。

 

さて、父がやっと十七歳の頃か、ドッカと来たのが大地震である。築地居留地は完全に灰燼に帰したらしい。

この時、明治学院もそこにあった教会も消えた。この居留地はじめは御多分に洩れず横浜にあった。場所は、今フェイリス女学院のある下のあたり、そこが徳川幕府が許可した外人居留地で、そこから外人が出ることは「罷りならぬ」という次第だった。いよいよ、日本の近代社会の始まりである。

 

 

僕の学歴は、明治学院大学・文学部社会学科卒業で、生まれは1941年11月2日だ。現在、八十二歳。明治学院に10年在学、すなわち中高そして大学と、白金台の明治学院キャンバスで過ごした(過ごせた)。

 

明治学院は紹介するまでもなく、お坊ちゃま学校だと当時から言われていたが、この世間的評価は今も変わらず、呑気なおぼっちゃま扱いは今も変わっていない、らしいが最近は知らない。要するに、学歴社会の上位を目指すものが、ターゲットにする学校ではない。普通の滑り止め学校である。当時は牧師の息子などは授業料が無料、だったのではないか。よくは知らない。

 

僕が中学に入学した頃は、いうのも嫌などさくさ戦後で、区立の出来立て小学校から、金のかかる学校に行ったのは二人だけ。一人は有名秀才校開成で、おぼっちゃま学校の明治学院の僕だけ。近所の医者の娘さえ、区立の出来立て中学校に行く時代だ。

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僕と渥美清。偽の合成画面。

こう書くとつくづく自分が嫌になるが、仕方がない。

 

卒業後の就職先はまだ元気だった映画会社日活で、一部上場企業だった。戦後を代表する日活ビルも出来立てであったが、今はビルも会社も壊されて、別のビルが建っている。

今の映画会社日活は上場会社ではない。映画会社なのに僕の職種はホテルだった。

 

その就職先が定まった頃、みんなで就職先を紹介し合った。僕が、自分の会社を紹介すると、みんなドット笑ってくれた。僕はすごく深く傷ついた、と言っておこう。

 

マー僕の紹介は、こんな程度でいいのではないか、ともかく先がを急ぎたい。

 

 

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池井戸潤さんを読んでいると(空飛ぶタイヤ・講談社文庫・2009)、頭のいい人だと言いたくなる。

 

緩急凄まじく展開する物語で、よくこのような面倒なことを書けるものだ。筋を通しやすい経済小説の成果なのであろう。

 

彼は、1963年生まれで、僕が明治学院の四年ごろ生まれた人。

僕はちょうど卒業年度で、何かと就職のことを考えていた。が、全然自分が何をやりたいのか、どうするのか見当もつかないでいた。

就職部の、企業張り紙を見ながら、パイロットになろうと思ったが、背が低くて受験するらできない。

そこでなんやかやと漁っていると、TBSが目についた。そこで、さらに読んでびっくりした、なんと受験場所が東大である。それでも受けて受からなかった。

実は内心鼻ツからダメだと思い、散々迷い、あるつてで映画会社の日活を受けた。

 

 

 

僕は、「空飛ぶタイヤ」池井戸潤著(講談社文庫)を読みながら、池井戸さんが慶應大学・文学部出身であるということに着目した

 

ともかくすごい、という言葉に尽きるのは、僕も文学部出身で、恐ろしくキリスト教的人間なのだ。

 

彼には売れるような、本当の文学を書くことができない自分を発見させられる。

僕はキリスト教に汚染されているので、裸の人間が描けない。もっといえば、裸の日本人を描けない。

この池井戸さんの本も、同じ慶應大学経済学部出身の、ある秀才にもらったもので。上下きっちりと読み終わってから、コーヒーでも飲もうと思って、今も下巻を読んでいる。

 

下はおまけの情報。

 

沖野岩三郎の童話教育論「日本の児童と芸術教育」を中心に, 岩井保久志, 研究実践紀要, 8, , 1985, ケ00192, 近代文学, 児童文学

 

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82の僕が書くと、恐ろしく難しいことを書くような気がする。

自分でも嫌になるが、八十二なので現代むきの面白いことなど書けない。

書く気もない。ただ、忘れないうちにしっかり書いておきたいこと、この「幻想街道」の基盤は、忘れないように書いておくと、ともかく「両親を奪われた年代」と規定しておく。それに比べ僕の妻の年代(戦後生まれ、団塊の世代)は、その両親を「奪い返した年代」である。

これが今の僕ら夫婦のプラスとマイナスとなって、火花を散らす生きる老年エネルギーになっている。

 

 

誰も読まないこのブログを、ワザワザ書くのも馬鹿げているし、ブログなどネット上で無数にある時代、馬鹿げているが、僕には僕の文章を本にできる技量がない。

 

これでは、ネット屋さんが儲かるだけで、僕の収入にはならない。

それを承知で書くと。

そこでここで僕は結局、キリスト教の救いを描くしかないのだ。これが、「幻想街道」である。

ずいぶんと希望のない救いで、これが僕の出身した学校の、僕の時代の文学部の大先輩「島崎藤村」に連動させてみたいのだ。キリスト教の救いは本来無料の救いである。神は自分が与える救いに、料金を要求しない。

 

料金を要求するのは、その設備を整える「教会」である。

但し、無料ほど高いものもない、というのは人生訓である。結局、大層な教会堂をまず建設し、それで人に経費を要求する。それが、「献金」である。とは、若い時にはわからなかった。実はこれが一番、経費が安い。

 

などと書くとしらけるので、八十二歳の僕は結局過去の幻想しか描けない。

 

 

池井戸潤さんの「空飛ぶタイヤ」(講談社文庫・2017年)と、神学者ブルンナーの「我等の信仰」(1958年・新教出版社)をあわせ読むなど、こんな読み方をするのは83の僕だけで、何の役にも立たない。

 

池井戸さんは1963年生まれ、僕が10年学校明治学院で大体、大学三年生の頃に生まれた人だ。

 

池井戸さんの「空飛ぶタイヤ」は名作、映画にもなった。

この本、僕の古い友人で、慶應大学や青山学院で学生時代を過ごした人が、僕にわざわざくれた。僕は長く手付かずで読めなかったが、女房がさっと読んで面白かったというので、僕も読み始めた。

 

少し読んで、要するに、ある日本の大企業中の大企業の系列自動車会社の、ある時代の事件を描いた実話。

200億円の追加融資を行うか否か、という場面を読んでいる。実際に必要な金は2000億、こんなもんで我等の会社は潰れないよ、という実話である。

 

あの頃の日本経済は、いろいろあるが。

一方で僕と同い年とも言える、あのダイソーの創業者も最近なくなるなど、ともかく僕らの時代は「すごい戦後」だった。ダイソーの創業者もあれで、中央大学の理工学部土木工学部の出身。すごい人だが、僕より二年歳下だと新聞で知った。

 

など、普通の日本人が、「ブルンナー」など勉強していないのに、僕は今も座右の銘として、ブルンナーに人生を任せている。

読む箇所はその本の31章、「未来」。

 

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笑っちゃうのであるが、感傷街道もどうも出発したようである。

 

人生で、一冊ぐらいまともな本を出したいと思うと、何となく腰が引けるけれど、最後だもの明治学院大学文学部出身の八十二歳の僕も、少しは人に嫌がられる学院特有の宗教的くささを克服し、「島崎藤村」の向こうを張るぐらいな、文学的元気は出ないものかね、などと自分を叱咤激励している。

 

今まで、我慢に我慢を重ね、キリスト教の難しさに辟易したが、マーその研究もこれぐらいにして、文学に移れないか思案中である。幸いに僕のハニーは文学好きで、学校も国文学に長けた学校で勉強していた。やっと彼女に追いついたわけではないが、おかげで少し文学に開眼してきたのである。

明治学院文学部はキリスト教からの棄教者が多い。

その数無数、僕は中、高、大と10年通し、挙げ句の果て映画の日活に入社したものの、勤め口たるや何とホテルである。

 

あの頃の日活はまだ一部上場企業、その翳りの日活を小説にしたのが、高井有一さんである。

「高らかな晩歌」(新潮社・1999年)。その小説を今つくづくその本を見ると「純文学書き下ろし特別作品」となっている。

僕が日活に入る時あたりが書かれていて、僕は明治学院を卒業する前に、すでに研修と称し、勤務地と決められた修善寺に、人生の一歩を踏み出した。

 

 

 

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2023.09.27

カルヴァンの「キリスト教綱要」研究で、僕の老人神学を書く

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」とマックス・ウェバーをもとに書く

 

2024/02/23

 

僕は、「空飛ぶタイヤ」池井戸潤著(講談社文庫)を読みながら、池井戸さんが慶應大学・文学部出身であるということに着目している。

 

ともかくすごい、という言葉に尽きるのは、僕もある大学の文学部出身で、恐ろしくキリスト教的人間だとわかる。

彼などはそれで、本当の文学を書くことができない自分を発見させられる。僕はキリスト教に影響されているので、裸の人間が描けない。もっといえば、裸の日本人を描けないのである。

 

で、この池井戸さんの本も、慶應大学経済学部出身の、ある秀才に紹介してもらったもので、上下きっちりと読み終わってから、感想を言いながらコーヒーでも飲もうと思い、今も懸命に下巻を読んでいる。

 

 

 

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82の僕が書くと、恐ろしく難しいことを書くような気がする。

自分でも嫌になるが、八十二なので現代むきの面白いことなど、書けないし書く気もない。

 

誰も読まないこのブログを、またワザワザ書くのも馬鹿げているが、ブログなどネット上で無数にある。

それで、ネット屋さんが儲かるだけで、僕の収入にはならないのは、いうまでもない。それを承知で書くと。そこでここで僕は結局、キリスト教の救いを描くしかない。ずいぶんと希望のない救いで、一種の虚無主義である。これが解脱なのであろう。

 

キリスト教の救いは本来無料の救いである。

神は自分が与える救いに、料金を要求しない。

 

料金を要求するのは、その設備を整える「教会」である。但し、無料ほど怖いものもない。結局、そこで大層な教会堂をまず建設し、それで人に経費を要求する。それが、「献金」である。とは、若い時にはわからなかった。

 

などと書くとしらけるので、八十二歳の僕は結局引退しかない。単なる余計者のクリスチャンである、としかいえない今の僕である。多分、あくどく長く稼いだ統一教会も、解散命令が出ることだろうと期待している。慶賀。

 

 

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祖父ネットを今朝も書く気になったのは、池井戸潤さんの「空飛ぶタイヤ」(講談社文庫・2017年)と、神学者ブルンナーの「我等の信仰」(1958年・新教出版社)をあわせ読むからで、こんな読み方をするのは83の僕だけで、何の役にも立たない、と思う。

 

池井戸さんは1963年生まれ、僕が10年学校明治学院で大体、大学三年生の頃に生まれた人。池井戸さんの小説「空飛ぶタイヤ」は名作である。映画にもなった。

 

この本、僕の古い友人で、慶應大学や青山学院で学生時代を過ごした人が、僕にわざわざくれた本である。僕は長く手付かずで読めなかったが、女房がさっと読んで面白かったというので、僕も読み始めた。

 

少し読んで、要するに、ある日本の大企業中の大企業の系列自動車会社の、ある時代の苦悩を描いた実話に僕は思える。

銀行が、200億円の追加融資を行うか否か、という場面を読んでいる(上の中頃)。

 

あの頃の日本経済の状況は、いろいろあるが、一方で僕と同い年とも言える、あのダイソーの創業者も最近なくなるなど、ともかく僕らの時代は「すごい戦後」だった。ダイソーの創業者もあれで、中央大学の理工学部土木工学科の出身で(Wiki情報)、すごい人だが、僕より二年歳下だと新聞で知った。

 

など、普通の日本人がブルンナーなど勉強していないのに、僕は今も座右の銘として、ブルンナーに人生を任せている。

読む箇所はその本の31章、「未来」である。が、ここに描いても意味がないので書かない。

 

 

 

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ミッションスクール10年学校の、高校の頃の教科書が「我等の信仰」(新教出版社・1958年・昭和33年・豊沢登訳)である。

 

書いたのは、ブルンナーというスイスの神学者。82歳の今も持っていて、時々読むが実に難しい。が、その中でも、最も難しいのは32章「未来」である。

 

ブルンナーという神学者は、今でこそ影が薄いが当時は世界的神学者。

 

それが未来を描くから、凄く難しいことを書いていると思う。

あの時、若い僕らの生きた世界は、戦争(第二次世界大戦)の悪で汚れ切って、どうしても未来にしか希望が持てなかった。そんな時代である。

幸いに若い僕はそんな時代に、ブルンナー神学を読んで青年期を乗り切った。しかし、老人になって、本当に今度は、自己の未来を失う時に読むと、一段とその凄さがわかる、と書いて今日は終わりたい。

 

 

 

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先日、首切り役人「山田浅右衛門」の墓のある祥雲寺(池袋)を描いた。

 

そこで、山田浅右衛門斬日譚「絆」(鳥羽亮、幻冬文庫・平成21年)を買ってきて読んでいる。滅多に読まない本であるが、縁である。

 

但し、78ページまで読んで、気の弱い僕は一旦中止の休憩である。とても凄くて凄くて読めない。

鳥羽さんの、短く、くどくど書かない文章は、まるで名刀の切れ味の如く身に迫ってくる。

 

キリスト教の愛の本ばかり読む僕には、最近にないショック。

 

文学とは、こんなこともできるのか。

それなら、聖書もあながち嘘ではないと、思おうから僕も幸せ者である。

 

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結局こんなことを書きながら、池袋の「寺街」を散歩した。

 

で、日本の古い伝統的寺院を中心にした、日本人の、僕の長年の感じ方に僕自身違和感を感じた。

 

そこで、徳川末期とはいえ、明治維新の前に、単独でキリスト教と接触した「新島襄」を、もう一度深く研究してみたくなった。自分ではかなり研究したつもりであったが、どうしても違和感が残る。要は、僕のその感じ方が、キリスト教に偏りすぎていたと思う。

 

池袋の寺街散歩は、僕を江戸時代に着実に導いてくれた。キリスト教に偏りすぎる僕が、ショックだったのは祥雲寺である。そこには江戸時代の首切り役人と言われる、山田浅右衛門代々の墓がある。その歴史をネットで読ん、僕は急に江戸時代の厳しい現実と向かい合った。

 

要するに、山田浅右衛門一族が、代々切った夥しい罪人の中に必ず、禁教キリスト教信者がいたはずだと、推定した。江戸時代の日本文化の華には及ぶべくもない、当時の些細なキリスト教で、とても日本史は語れないと僕は反省している。

 

僕はすでに82歳、いい歳をして、やっと江戸時代や日本文化を語れるとほくそ笑んでいる。

 

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腹の底から笑いたくなるが、2003年度第十二回山本七平賞受賞作「マックスウェーバーの犯罪」(ミネルヴァ書房・2002・羽入辰郎著)が面白くなるとは、僕も腹の底から笑いたくなる現象である。

 

説明はしたくないが、要するにやっと読めるようになった本で、実に面白い。82の僕にもやっと、春が来たのだと思ったので、今朝はこれを書いて終わりたい。実に真面目で素晴らしい本である。

 

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大オーケストラの指揮者、小澤征爾さんに死なれてみるとやはり、ウィーンの旅を思い出す。

 

若い時、夫婦でそこを旅した、いい思い出である。

 

ある日、「ヴェートーヴェンの森」を彷徨っていた時、日本の音大生の団体に出会った。僕らはその森に、何の深い知識も持たなかったから、ズースーしく付いていった。当然、引率する先生の説明がある。僕らもそれを聞き聞き、結局、ヴェートーヴェン家に着いた。

 

ヴェートーヴェンが生きた家はまことに小さく、暖房費の節約で極端い小さく作られ、要するに小人の国の家である。大ベートーベンの家とはとても思えないものだった。

 

いつの間にか、僕らは音大生の団体にはぐれ。

仕方なくその森をさらに彷徨い、やっと見つけた市電に乗って、自分の、市内にあるホテルまで戻った。

 

小沢さんと僕は、それほど歳の違いはないが、今朝新聞で知った大指揮者の死はやはりまことに悲しい。

イカラテン語翻訳で、馬鹿げているが。

 

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今朝の毎日新聞トップ、「韓国の消滅」。

 

ショック。

 

宜なるかな。元々あそこに「朝鮮」はあったが、韓国は最近である。

朝鮮とは、朝爽やかと言う意味、こちらの方が歴史が古い。などと言っては、怒られるかもしれないが、人のせいにするのが韓国のお国事情である。

それでは、いつまで経っても国は継続しない。その歴史は悲惨で、荒らされっぱなしのお国事情などと、今更言うまでもない。

もちろん他人事ではないが、もっともな理由をつけても解決は無理。

褌を締め直しもう一度、国際社会で生き残る方策を考えるべし。

日本は、これであれだけの戦争をした国。いい悪いは別にして、その潜在力はいったいどこからきているのか。要は、韓国が民族主義を忘れ、キリスト教をやり過ぎたのである。

 

キリスト教は結局、国際主義である。ここを忘れてそれと取り組むと自己喪失する。

 

韓国の失敗はキリスト教受容の失敗であると、僕は思う。キリスト教は非国境主義で恐ろしい宗教。その中心に人間愛をすえる、本物の救い主である、ととりあえず書いておく。

 

人間ヨーロッパはこれで苦しんだとわかる必要が、ある。言うまでもなく元々そこは戦争のるつぼ。今も盛んにウクライナでやっているではないか。

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「桐島聡」名乗った男の遺体を火葬 遺族は引き取りを拒否。

桐島は僕と同じ明治学院なので、少しは同情してで転載する。但し、僕は10年組、彼は大学の中退らしい。

キリスト教は簡単ではないと思う。

朝日新聞デジタル

コメント1451件

 神奈川県鎌倉市は7日、1974、75年に起きた連続企業爆破事件で指名手配された桐島聡容疑者(70)を名乗った男=1月29日に死亡=の遺体を県警藤沢署から引き渡され、同県逗子市内の火葬場で火葬した。


 

 

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教文館ビル

1933(昭和8)年

設計 : A.レーモンド

施工 : 清水組

東京都中央区銀座4-5-1

撮影 : 2013.12.8

教文館ビル

1933(昭和8)年

設計 : A.レーモンド

施工 : 清水組

 

建築設計は社会に対し、大いに責任がある。

 

特に日本の近代建築家群像をヴォーリズ、ライト、レーモンド、西村伊作、坂倉準三などと並べてみると、今更ながら恐ろしくなる。

 

僕もやっとこの頃、長く関心を寄せたこの問題の決着を書ける、かなと言うところまできた。

僕の老人神学も、僕らしく描けるようになったので、僕の中に眠っていた膨大な建築設計情報が、突然この頃頭に浮かぶのだから仕方がない。

 

この文章の冒頭に書いた教文館ビルは、銀座通りに今もあるキリスト教書店で、銀座四丁目交差点に近い。

 

この設計が、真のクリスチャンと言われるのレーモンドで、帝国ホテルの設計者はライトで、彼は実はクリスチャンらしいキリスト教徒で、真のクリスチャンではないと僕が書くのだから。

 

やはり僕のキリスト教も、やっとこの歳で真に達し始めたわけである。

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僕は昨日、昔の仁科研(仁科芳雄研究室・今は記念館)の前を通った。

 

駒込にちょっとした用があり、帰路回り道をし、そこだけは意識してその前を通った。駒込は僕の成長した故郷で、その仁科研のごく近くが僕の実家。保阪正康(ワープロでピッしゃと出ない)は僕より二つ歳上で、まさに84歳。1939年生まれの人である。

 

太平洋戦争より2年前、僕は1941年太平洋戦争開始時期の生まれ。

この2年間の差は実に大きいと思う。

彼は、彼の主著「日本の原爆・その開発と挫折の道程」(新潮社・2012)で、日本の敗戦まじか、日本軍が負けを意識し大量兵器(原爆製造・アメリカは成功している)に本格的に頼ろうと、そこで(仁科研)開発を急がせる場面が圧巻である。

 

その本の震源地のそこは、今や僕の故郷。

今更何をか言わんや、僕は巣鴨のBECK’S COFFE SHOP でコヒーを飲んで家に帰った。

これは、別に意識したわけではない、単なる老人散歩である。

ところで改めて、核兵器不拡散条約(以下、「NPT」という。) において「核兵器国」とさ れ核兵器保有が認められている国①は、米国、ロシア、イギリス、フラ ンス、中国です。 それ以外に(NPTの枠外で)核兵器を保有している②のがイ ンド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮です。(ネット転載)

 

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カルヴィニストだと、自分がわかった82歳の僕は今朝のことに過ぎない。と、書いて僕のような老人が、やっとこさっとこ「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」マックス・ウィバー著、大塚久雄訳に関心し、納得したのは、今朝に過ぎない。

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僕は今まで、メンソレータム(現在のメンタム)の創業者ヴォーリズと、明治学院の創立者ヘボンとの関係に思い至ったことは一度もなかった。

 

これは驚くべきことで、僕のように昭和16年・1941年の日米戦(太平洋戦争)の、たった1ヶ月前に生まれたものは、戦後の日米関係が歪んで見えることもなかった。それは歴史的事実であって、決して虚実では計れない、日本史の事実なのである。

但し、日米関係のごく初めでは、明治維新前の日本にヘボンが現れ、明治38年ヴォーリズが日本に出現したから、この二人の出現が、実は非常に多きな意味で重なりあい、僕らの日本史を形成したと今朝気がついた。

 

この瞬間の直感は僕を慌てさせた。

 

そこで、僕は今後最後の書きとして、これを毎朝書くことになろうと僕自身を励ましている。

 

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まず「キリスト教綱要」(カルヴァン著)を書く

 

老人の切迫神学」を書く予定としての、キリスト教綱要がやっと読めるようになった。実に人生の書である。

 

 

過ぎた人生時間を考えていると、生きてきた、その生命の膨大さに今更ながら驚かざるを得ない。

 

特に個人の思い出でしかないものであるとしても、それを説明できないのはもちろん、僕はその時間の銀行は、神にこそあるという考え方である。言うまでもなく、キリスト教の神であるが。

 

生まれて今82歳に至る、本当の人生時間はしかしこれからが本番。

 

自分の中にある時間は、今まさに徐々に脳内で消えつつある。こんな時、僕はこうやって祖父ネットを書くが、消えたと思われる時間こそ、神にそれはあると考えるのは、この歳になると他に方法もないからで、僕には妥当であると思える。

 

いうまでもなく、この方法は科学的に何の根拠もない。しかし、神という概念を使えば、少しはそれがゼロではないということ、いや全時間はここにあると、神は言うのではないかと、最近思うのである。

 

 

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僕の若い時・狭山湖で

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まさにさらに老人神学を書く。

 

1905(明治38)~ 1997.3.6(平成9)に生きた、

昭和・平成期の宗教学者、哲学者は宮本武之助である。下の記載は彼のWikipediaからで、僕の師の山永武雄の同労者である。僕はこのあありからキリスト教徒で、今もキリスト教徒だが82歳。とんでもない老人で、何の魅力もない。まして宮本武之助など知る人は誰もいないし、まして「山永武雄」など誰がしろう。その宮本の埋葬場所が下記の通りとwikiにあるから書き始めると。

 

埋葬場所: 11区 1種 16側 17番

(信濃町教会員墓)

 宮城県仙台出身。弟は東京女子大学教授や宗教部長を務めた宮本信之助。
 東京帝国大学哲学科卒業。高倉徳太郎(同墓)が牧した信濃町教会の会員で、高倉が校長をしていた日本神学校で宗教哲学を教えた。以来、東京神学大学で長く宗教哲学を講じた。後に第6代 東京神学大学理事長に就任した。
 '42、'43 戦時中のYMCAの学生たちの夏季学校に聖書研究の講師を務める。'46 戦後間もない時期に東山荘で開催された「全国学生基督者協議会」(第55回夏季学校)でも聖書研究を担当した。'47 東山荘で毎年春秋2回主事養成講習会が開かれるようになり、宮本はそのキリスト教科目の講師のひとりとなった。'49 陣容を整えた学生部常務委員会では副委員長に選ばれた(委員長は湯浅八郎)。'53 日本YMCA研究所が設立され研究所委員となり、キリスト教倫理を担当。60年代、70年代の東山荘委員も務めた。
 1969(S44)東京女子大学学長に就任。その後、フェリス女学院院長を歴任した。
 著書は多数あり、『基督教叢書』(1934)、『基督教倫理学の根本問題』(1939)、『宗教哲学』(1942)、『象徴としての哲学』(1948)、『福音の真理:新しき世代のために』(1952)、『現代キリスト教人間像:人間の自己疎外の問題』(1958)、『聖書は何を語るか』(1961)、『大学と人間』(1961)、『波多野精一』(1966)、『宗教哲学の根本問題』(1968)、『聖書のことば』(1977)などがあり、翻訳書も多数刊行している。『宮本武之助著作集(上・下巻)』(1992)にまとめられた。自伝『私のキリスト教』(1983)。「キリスト教と文化」を生涯追究したテーマとして取り組んだ。享年92歳。

<日本YMCA事典>
<著者略歴など>

 

冒頭に書いた山永武雄はWikipediaがあるから何とも言葉がないが、転載する。この人が、僕の師であるなどと言うのは、恐れ多いことだと今更ながら思うのである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

山永 武雄(やまなが たけお、1903年7月25日 - 1965年9月5日)は、日本基督教団牧師フェリス女学院院長。東京神学大学などで教鞭をとる。

日本基督教団の外にあって改革派教会を名乗る教会は、分派的少数派であると主張して日本キリスト改革派教会の離脱を非難した。[1]

日本キリスト教協議会(NCC)の『キリスト教大事典』(1963年)の「異端」等を執筆。異端の項目ではローマ教会が教皇制度によって一分派となり、彼らがプロテスタントを異端視することによって、ローマ教会が異端的になってしまったのであり、他を異端視することこそ異端的な精神であるとしている。

脚注

  1. ^ 小野静雄著『日本プロテスタント教会史』聖恵授産所出版部

訳書

  • 『キリスト信仰の真理性:附・基督教的神信仰の特質』シュタンゲ著 長崎書店 1937年

参考文献

  • 「白金」日本基督教団白金教会

 

 

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老人神学の精髄は「復活」に他ならないと気づいた。

 

この意識は、あるいは概念構築は言うまでもなく容易ではない。人類に全てが、復活を希求しているわけではない。この世からあるいは人間から去るために自殺する方も多い。しかし、復活によって死は人間の最終手段ではないとするなら、自殺にも多いに問題がある。果たして人間は、人間から逃亡できるのか、これが復活の要点となるのではないか。

 

今日はこれまで、あまりにも恐ろしいので今日はこれまで。

 

 

 

もちろん昨日の祖父ネットのテーマ、「老人神学」を諦めたわけではない。しかし今日は、激変の社会情勢(一月一日能登地震、羽田航空機事故、田中邸消失、ウクライナ・イスラエル戦争など)が忙しいので、目先がコロコロ変わる。とんでもない正月で、老人の僕の心中も穏やかではない。

この頃のテレビの映像は精細で、それらを見るに忍びないのは、僕が画業で眼力が鋭く、この凄惨に耐えられないからである。その中で僕は、僕の一生の画業を仕上げるために、来年の秋銀座で人生最後の個展をする。そこで、真剣に新年早々その制作を始めることにした途端、急に気になったのが銀座出身の片目の女流画家「小嶋久子」である。

 

僕のモチーフが概ね「銀座」で、その銀座一丁目出身の彼女は、頌栄女学校(今の正式名称は頌栄女子学院)の出身である。僕は明治学院の出身で、島崎藤村が先輩である。頌栄と明治学院は地理的にもごく近く、同じミッションスクールでもありキリスト教の仲間である。

 

藤村は彼の私小説「桜の実の熟する時」(岩波文庫)で、頌栄女学院の女生徒と、男子校生徒(当時)明治学院生徒島崎藤村との、ほのかな青春の恋を物語る。

 

と書いて、頌栄女学校の現在のWikipediaを転載したい。

本学院の前身は1884年(明治17年)12月8日に開校した頌栄学校です。この時代はいわゆる明治の開化期で、制度的には女子教育は未整備の時代であって、数少ない女学校の一つとして知られていました。
1920年(大正9年)には高等女学校に昇格し、生徒数も500名、750名と次第に増加しました。1964年(昭和39年)には校名を現在の頌栄女子学院中学校・高等学校に改称し、1994年(平成6年)以降は高等学校の生徒募集を中止して、名実ともに中高一貫の教育体制を確立しました。現在は全校生徒数約1400名に達し、2004年には創立120周年を迎えました。この間、南志賀高原の山荘や軽井沢の学荘など、校外施設もつぎつぎに完成し、さらに1982年(昭和57年)9月には英国に、英国学校法人Winchester Shoei Collegeが開学されました。

 

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世界の歴史 5 <中公文庫 S22-5> 初版

「ギリシアとローマ」

樺山紘一, 礪波護, 山内昌之 編、中央公論新社、2010.4

549p 16cm

978-4-12-205312-0

上の本は古書にも新刊にもない、ギリシャとローマ史で、2010年版。僕が面白がって読むのは1974年版の同名の書物、実に面白い。それは、いいのであるが、古い僕の読む本と最近の表現はどのように変わったかを確認したくなったのが、最近版を調べた。

上の本すら、僕の持つものより新しいが、古書ネットにもない、と知った。多分、書き方として、あるいは時代の変遷で、歴史書きも大いに変わるだろうと言うのが、僕の見通しで。

老人のいささかの僻みなのであろうと、思っている。

 

 

 

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老人神学を書く

 

神学(しんがく、英語:theology、ドイツ語:Theologie、ラテン語:theologia)は、信仰を前提とした上で、をはじめとする宗教概念についての理論的考察を行う学問である。と、Wikipediaにはある。

 

そこで僕は、自分自身が老人であるという事実から、老人神学概論を書いてみたいと思うようになった。もちろんいい加減なもので、ますます祖父ネットは読まれまいと期待しながら書いている。

僕のような老人ブログは、読む人もいないのは当然であるが、まして僕のようにくどい老人のブログ老人は、ごく少数者だと認識した初めての僕の経験で、我ながらびっくりしている。

 

有史以来この世に、「老人神学」など今まで書かれたためしはない。と、思うと気が重くなるが、英語でオールド・セオロジーとすれば「古い神学」になるので、ここは英語で「オールドマン神学」だと主張することから始めたいと思う。

 

いわば人間が神学をするときの最終版であると勝手に思っている。

 

 

 

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ベルン・スイス(宗教改革の国)

 

 

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近くの公園・実写

 

 

 

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スイスアルプスで僕

 

 

 

 

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僕の実写のアイガー・スイス。宿の目の前の山とは、若い時にすごい旅行を僕もしたものだと思う。

 

 

 

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ローマ・油彩・

 

 

 

 

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ローマ・ヴァチカンの回廊。実写。

 

 

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僕の時代の学院長が武藤富男氏

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僕のアトリエの画塾の生徒。

 

 

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僕の油彩・銀山平か越後駒ヶ岳、

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パリで実写したものを帰国後スケッチとした。

 

 

 

 

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僕がやっと手に入れたライカ。

そのライカを僕は無くして、ガックリしていた。

他人にはわからない、僕の宝物だった。

ただしおかげで代わりに買った、僕が今持つソニーカメラの方が優れていると思う。

無くしたおかげで、最高にいいものを手に入れたと思っている。

 

 

 

 

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この本が当時世界でキリスト教界を震撼させた。僕も読んだ。

 

 

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僕のvideoから写真にしたもの。実写。

ウイーンのシュテファン教会、

日本語ではステパノ教会というらしい。

第二次世界大戦の大火災にあったが、復興したとされる。

 

 

 

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石垣島の僕の友人の家にお世話なった時のもの。

 

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僕が好きな作家、故人。

 

 

 

 

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キリスト教に衝撃になったニーチェ。

確かにすごい人である。

待ったの当然のことを、西洋で堂々と発言した勇気の人。

 

 

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僕はこれでも、消えた映画会社「日活」の社員だったことがある。

 

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僕のお世話になった学校は、明治学院。10年通った。

 

 

 

 

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明治学院の先輩小説家。

 

 

 

 

 

 

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僕の個展を設営中の佐々木氏夫妻。

 

 

 

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僕が「示現会」に出品していた頃の会場風景、上野。

 

 

 

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僕の師、山永武雄牧師。僕の先輩でもある。

 

 

 

 

 

 

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この僕の持っていた建築設計の建築家たちの道具類を世界堂に持ち込み、そこにいた画家筒井友美が額装してくださったもの。この作品は、徳が関係している創元設計のどこかに今もあると信じているが、時に全てキャドというおよそ人的製図道具を捨てる時代のものだと、ここで書くことは、やはり時代なのだと思う。

 

 

 

 

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マイヨール・実写・ウイーン。

 

 

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僕の個展・銀座ギャラリー惣。

 

 

 

 

 

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僕のスケッチ。パステル。

 

 

 

 

 

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僕の絵・80号油彩。

 

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ヴェニス・水彩。

 

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この2枚のローマの門は、上が僕の実写。下の水彩画が、明治学院の先輩画家三宅克己のもの。

 

 

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僕の描いた浅間山。油彩100号。

 

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2020.05.24

永遠の生命と、人間存在の希望の研究(347)5月24日、日曜日(千日祈願)

世界がネットで一体化する、と同時に。コロナで分裂する、という手品を。深く理解することができない、まま。「私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した」(原書房・2000年・刊行)というおよそ、原題とは違ったタイトルをつけられた、チャールズ・W・スウィニーさんの。本を読んでいた。原題は、WOR′S END に過ぎないが。初めを少し読んだだけで引き込まれるが、翻訳タイトルより。原題の方が的確であると思う、ようになったが。翻訳部本体自身は、素晴らしい翻訳である。英語で原本を、アマゾンですでに申し込んであるから、いづれ手元に来るとは思うのであるが。果たして、原文はどうなっているか。楽しみなのは、日本に原爆を落としたB-29の、操縦者としてのスウィニーさんの。その名機(B-29、正確にはボーイング-29型、だと思う)との出会い部分が、昨日の主な読み、となった。で、僕は別に少し、マタイ伝の英語聖書と、日本語聖書を、対訳で照らし合わせながら。英語の、主語と動詞に構造を作り上げる、その鬱陶しさと、その単純なやり方に。改めて感動しながら。中学生で英語に接触したのであるが。それまでは一切、野球のベースボールさえ、なんのことやらわからなかった。ベースボールがラジオから聞こえてきたのは。信州の今なら佐久市の。ある一集落で。近くに小諸に行く、煙を吐く小海線が走っていた。ラジオから、なんやら聞こえてくるベースボールを。何か、理解できなかった僕は。それが、なんであるかを聞く友人も持っていなかった。日頃、村の他の子供たちが。そのラジオを聞いていて、お互いに何やら面白げに言っていても、それがなにであるかを僕に。教えてくれる友達は全くいなかったが。今ならそれが、野球中継の戦後の始めであると、知るのである。そのうち同じラジオで聞いたのは、落語と講談(主に寅三の、清水の次郎長)。で、面白くって、面白くってラジオにかじりつて聞いていたが。まさか、それから数年。親父が僕を。上野の鈴本に連れて行ってくれて。一番前で大口を開けてげらげら笑っている僕が。有名になったことがある(その後、何度か連れて行ってもらい)。このおぼっちゃまのように笑ってくれると、商売が繁盛して嬉しいとかなんとか。高座から言われた僕は。落語家になる気持ちは全くなかったが。そのころの少年の楽しみは、その程度の。はかないものであった。が、僕は。当然、今の落語などチャンちゃらおかしくて、聞いていられるものではない。で、原爆本の著者が、飛行機に乗りたくて乗りたくて。努力に努力を重ね。重ねして。やっと操縦士になり、B-29に初めて出会う記事は本当に。人間の真剣さが、彼をして結局。ヒロシマ長崎に原爆を落とす自分を作っていく、まともで真摯な勉強家の、青年の冒険心に富んだ。真面目な青年の、大空の人生が。なんとも強く深い悲しみとして、僕を打ったのが。昨日の読書で。空は曇っていたのである。が、今日は晴れとの予報がある。

 

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ima kakitsutsu aru pari eotorannze

 

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 筒井友美・「帰る場所」

 go honnin no kyodaku wo e te, keisai shite imasu

 

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

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2019.09.24

永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(165)

僕も、現代人であるから、文化と人間の深い闇が見える。のは、日常で年金暮らしをしていると、金に追われない生活であるものの、思想に追われる生活になる。からであろう。思想が、少々わかりすぎて、僕の思想が追いつかない思いがある。ここ祖父ネットで、頼りにしている神学者は、バルトとブルンナーである。昨日は、少し嵐のような風を気にしならがら、いつものようにアンテンドゥで読書をした。本は、ブルンナーの「基督教のつまづき」(日本基督教団出版部)である。久しぶりで、彼のこの本に接し。以前読んだ時と違い、かなりブルンナーに近づけたと思う。彼のような、スイスの神学者(バルトも同じ)は、やはり本場の人であるだけに、基督教そのものに悩む深刻度は異常に高い。ということがわかる。彼が死んだのは77歳で、今の僕と、同じ年齢だ。この年齢になって、やっと僕が。ブルンナーを分かり始めた(明治学院高校の教科書から始まって)、というのも(そう思うのも)当然なのだと思う。彼がその本を書くときは、1946年(昭和21年)で、57歳。壮年期である。人生の一番特に学者にとって、充実期の初めの頃。そこで、彼は。戦後の日本に来たとき。その本が、日本で出版されるとき(それは昭和30年1955年、本には本自体の序がある)以前に、日本にいた彼は、わざわざ日本との決別の辞を書く。本自体は、欧米人に向かって書かれたもの。1946年の彼の講演をまとめたもので。その本が、日本で出版されるので、決別の辞を書いた。その場所は、国際基督教大学となっていて彼は程なく、スイスに帰って行く。その決別の序文の中で、おそらく日本は。キリスト教化されない、あるいはされる、と書いて。日本と基督教の関係を必ずしも、明確には予想していない。その彼の意識を、僕なりに解釈すると。要するに、基督教にある「普遍」としての世界思想(意識)に、彼が引っかかっていると感じる。そこで、彼は。それを回避するために。日本は「基督教」に関わりすぎて、「イエスキリスト」を語らなすぎると、喝破する。その彼の意識は。長年のヨーロッパキリスト教の、あまりにも複雑に積み重ねられた鬱陶しいキリスト教史に。こだわらないで、という意味であろうと推察する。それよりも何より、イエスその人を見つめて行こうよ、という、常にフレッシュな意識を強調したのだと思う。第二次世界大戦は、ヨーロッパの矛盾を、一気に解決せんとして始まったもので。結果は、いうまでもなく悲惨だ。その本質は、人間の腐敗から生じたものだと、彼はキリスト教的に思想していると思える。で、彼は、それに巻き込まれた日本は、戦後のこととは言え(日本に居る、彼の意識の現在性として)、日本はキリスト教の歴史が少ないのだから、イエスキリストその人に注目して。あまりキリスト教(具体的にはキリスト教史)にこだわらないでください、と言ったのだと。この歳になって、解釈する僕であると、我ながら感心している。と、今日は書いて終わりたい。少し、時系列の流れが、ややこしいので、理解できないと推定する。

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 筒井友美作品

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

難しいことをいつもより深く書いたので、今日のカットは優しくややこしくなくポピーで。実写。

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2019.09.19

永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(160)

昨夜、突然。ある古書がついた。普通、ネットの申し込みでは、前払いですとか後払いですとか。いろいろルールがやり取りされて、それで。本が送られてくるのが普通だ。しかし、その前。あるいは同時、と思えるほど鮮やかに。その本はついた。本しか入っていない。後払いでは、振込票が入っているのが普通である。なのに。で、本は「歌に生き恋に生き(藤原義江著・文藝春秋・昭和42年・1967年・第1刷)である。表紙のイラストを見て唖然とした。佐野繁次郎が描いたもの。当時有名な、僕などが影響された画家だ。昔親父の友人で銀座建設という立派な、驚くべき商標権を持つ会社があった(倒産した)。僕は、その会社の社長の横村性蔵という、珍しい名前の人が、僕の父の学校。築地工手学校の同級生であることを知ったのは、かなり後である。息子も、僕と同時で明治学院中学校に入った。どういう関係で、僕が。明治学院に入ったかは、これで大体見当はつくが、ともかくその銀座建設の看板文字は、佐野繁次郎が描い。で、僕は父に言われて、絵の勉強を、働きながら夜学で勉強していた時。親父に佐野先生のところに行くかと、問われて。瞬間に断った人だ。怖気付いたのである。で、僕は着いた本で、一瞬奇異の感じに打たれた。七十七歳だもの。その本を書いた主人公藤原義江。は、超有名人で今更いうこともない。僕は、なんとも記憶が定かではないが、一度この本を読んだことがある。多分父は読書家で、文芸春秋社の本をよく読んでいた。から、それで読んだのではないか、と思う。その藤原を僕が、明治学院のキャンバスで見たのは、学園祭の時である。中国語研究会の机の前で番をしていた時に、前を通る藤原と目があった。それだけのことであるが、噂通りかなりの美男子だった。なりは、あまり大きいとは思わなかった。僕は小柄だから、などは関係ないが。で、かなり後で、色々調べてよく知っているのである。であるが、先日縁があって、知り合いの、美人の奥さんのソプラノが、亭主がバスでリサイタルを開くので、と切符を買った。そのバスが藤原歌劇団で。急に昔を思い出して、古書で、その本を買った、のである。本には明治学院時代の藤原が、学帽をかぶって写っている。が、特に若い時に持った印象と、今から見る印象とでは、彼の特殊性には全然刺激がない。のは、時代であろう。が、中身には泣かされる。実にあの頃のあいの子(ハーフ)の人生は悲惨。明治31年生まれ。僕の父より十歳年上である。古い話ではるが人間ドラマで、とてつもなく興味のある内容である。700円では安い。だが、当時の本の値段は460円、嬉しいインフレである。彼は、一時明治学院に在校したが、ある事件で放校になり、世界をさまよう成功者になった。のは、放校のおかげであると、思う。彼のガンガン変わる奉公もまたよし、というべきか。世界をさまよう彼は、健気に生きていく日本人で。英国人が、日本の芸者に産ませた私生児である(認知せず放り出した)。それもまた、よし。何も少しばかりのことで、しょうげることはないと先輩に教わった。彼は今の僕と同い年、77歳で死んだ。で、僕の人生もそろそろ終わりで、バルトを書くのも必然。もはや、これまで。永遠の生命しか、ない。と、思いつつ藤原本の方を読んでしまう。僕である。

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 筒井友美作品

「帰る場所」

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やはり、日本人なので。明覚を。実写。

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下は、佐野繁次郎。ネットから拝借。

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2019.09.16

永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(156)

有効であるかどうか僕にはわからない。と前回は終わって。書くことは、辛いことをさらに今日は(敬老の日なのに)書く。要するに、千葉である。TVで上空からのブルーシートを見ていると、ゾッとする。のだ。僕は、年金積みを、建築設計で完成した人間である。自分は建築家ではないが。建築家稼業が三代目で、散々苦労した。が、これは、正直まずい、と思って書き始めた。あのように風で屋根が、あまりにも大量に飛ぶと、建築基準法の、風圧係数を、一気に訂正する必要があるのは、目に見えている。しかし。それに要する膨大な手間は計り知れない。単に、係数を上げれば済む話ではない。大島では、ある高校(RC)の窓ガラスが一切割れてしまったのだから、窓ガラスの耐圧係数も、いうまでもなく上げる必要が、ある。など。倒木は数知れず。電柱が倒壊した本数たるや、その電柱の耐風係数も上げなければ、済まなくなる。となると、全国の電信柱の再構築をしなければならない。のか。家は意外に倒れないでいたのは、屋根が飛んだことで、家屋の風圧が少し緩んだせいであるが、ともあれ。家屋の倒壊は、たったの数件でしかない。不思議な光景を不気味に感じている。実に、意表を突かれた被害となった。と書いて、この深刻さは、言葉にならない、と言っておかなければ、どうも気持ちが治らない。のである。一体、どうなっていくのであるか。神に祈るのみ。なのだ。なんだ、今日は敬老の日だと、ちゃんちゃらおかしい。全然、休まれないよ。

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 筒井友美作品

「帰る場所」

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で、僕の掲載ストックは何もなくなってしまった。ので、適当に。スイスの実写を横使いした。

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2019.08.24

永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(116)

フトした加減で、韓国との破棄された条約は2年程度経過したものらしい、と知った。なんだ、たいした時間を共有したわけではない。と、あっさりと興味の対象から外した。それより何より、古い話。2000年前の聖書の話が、新しいのはなぜか。このあたりの方が、建設的だ。それもフト、バルトがわかったからである。バルトは、明治学院高校の時に読んだ。ブルンナーが教科書の時、自分から自習して読んだ。それは、「ロマ書講解」で、現売している。カールバルトがなくなったのは、1968年(昭和43年)、生まれたのが1886年(明治19年)だから82歳まで生きた。僕が77歳で、あと5年後に僕も、アウトかな。ここらあたりの面白さは。人間時間軸と神的時間軸の、大いなる違いであるが。私は急に、昨日、バルトがわかった。バルトは難解である、と思っていたし。ただ、不思議なことに。この難解本が、今も現売されていると、言うのが前から不思議で。多分実用書として、牧師になる人や、カトリックの司祭などが密かに、読んでいるのであろう。素人が読むとは思えないが、あるポイントを乗り越えてから、読むと。いたって明快な本である。ことに、気づいた。だから、キリスト教を、商売にする人の秘伝の書、だということがわかる。のは。バルトは、全く徹底的に、聖書やその神を信じている人、という位置付けである。欧米では、当然。我々非キリスト教国のクリスチャンと違い、キリスト教の凋落は深刻である。キリスト教というのは、結局人間によって傷つけられ、おとしめらてきた歴史にすぎない。聖書的に言えば、人間史は、全く聖書的ではない。その上、欧米では、キリスト教が主流であるから。その結果その核心たる教会に、人が来ないというのは。欧米文化や社会構造から言っても、危機として、それは捉えられる。ヨーロッパは、何度も危機を迎えている。自分たちの文化は、世界で一番高い文化として、腹の底から信じている、欧米人は。それが、耐えられない。しかし、キリスト教の実態、教会の実情は、明らかに非聖書的である。それを一気に解決したのが、日本人の内村鑑三の、無教会主義であるが。そのあまりのすごさに、欧米人はびっくりして、手もつけないのが実情でる。彼らは、そう言われるのが、怖い。社会が壊れるのではないかと、恐れる(異端主義として)。だが、実態的に人間的に、聖書的でないことを繰り返した欧米文化は、第二次世界大戦で最頂点を迎える。イタリアドイツは、日本と組んで。あらゆる悪を行なった。これは、いたって聖書に反することで。その問題の根は、宗教改革の時に遡ることができる。何と言っても、宗教改革は。世界の近代社会、を生み出したのである。が、実態は、戦乱と虐殺に過ぎない。この非聖書的日常に、呆れ果てた、ドイツ人の改革発端者ルターも、しまいには。宗教改革自体に呆れている。時、今度は、若いフランス人のカルヴァンが、その英才を発揮する。彼が、スイスバーゼルで生み出したのが、「キリスト教綱要」だった。だが、それを基盤にする、バーゼル生まれのバルトは。ドイツヒトラーのファシズムに、明確な反旗を翻した。それは、一方で、ヒトラーに明確に賛成した、ドイツ国家キリスト教があったからで。今もそれは、ドイツキリスト教の、明確な、消せないドイツ汚点史なのである。こういった仕組みのなかで、ロマ書は書かれた、のを知らず。私は、生意気に高校生で、それを読んだから。全くわからないまま、キリスト教の神を受容した。そこから、祖父ネットの旅は、始まった。と、書くと懐古的になるが、懐古しているわけではない。2000年前に戻るバルトの神学を、理解しただけのことで。聖書主義なるものは、そういった。さんざんのキリスト教史を背負った。ヨーロッパの信仰を、立て直すために。バルトが、一生をかけて神学した、ということが分かったと書いて。今日は終わりたい。バルトは、単純に聖書の愛の神を信じ、それを書いたのであって。それは、難しい書物では決してない。むしろ、優しく明確な、信仰の書である。彼は、神は存在はするかなど、と書いたのではない。聖書は、すでに2000年前に、そこにあり今もある世界で最も、信じるにたる神の言葉の書、である、と書いたのである。

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 筒井友美作品

「帰る場所」

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だから、日本的風景。上高地の実写。

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ここが、長野から来ると上高地に行く終点駅、なんとかシマシマ。ここからはバス。

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河童橋すぐの宿の食堂から。

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これが、宿。

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これは、美術館構内。ネットを直接コピー。近代彫刻家荻原碌山(守衛)の個人美術館。碌山は東穂高村(旧穂高町内、現・安曇野市穂高)出身で、「東洋ロダン」として知られる。当館はその作品と資料の蒐集、保存および公開を目的として、1958年4月に開館した。 また碌山と関係の深い芸術家たち、高村光太郎戸張孤雁中原悌二郎らの作品も併せて展示している。

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ついでにバーゼルも貼り付けたくなりました。バーゼルという名称は、374年にバジリア(BasiliaまたはBasilea)としてはじめて史料上に現れたが、現在のバーゼル大聖堂付近には、古代ローマによるライン川流域支配が確立した1世紀以前からケルト人の集落が存在した。740年頃に近隣のアウグスタ・ラウリカドイツ語版英語版ラテン語: Augusta Rauricorum)から移転して司教座となった後、1032年には帝国直属(ReichsfreiheitまたはReichsunmittelbarkeit)の司教領となった。1100年に石の市壁で全周を囲んだ[2]。 13世紀にはライン都市同盟に参加。1356年バーゼル地震で街は壊滅的被害を受けた。1501年にスイスの原初同盟(Alte EidgenossenschaftまたはOld Swiss Confederacy)に加盟し、1528年には宗教改革の流れの中で司教を追放し、プロテスタント勢力の一員となった。1833年、3年間の内戦を経て周辺の農村地域がバーゼル=ラント準州として独立し、現在に至る。

 

 

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2019.08.23

永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(115)

114で、韓国現大統領の批判文を書いた。そこで、初めて氏をWikipediaで読んだ。なるほど、立派な経歴である。立派すぎて、言うこともないが。少々微に渡り、細に渡りすぎて、大局を失いがちな人、と見える。それぞれの局面における、対処は読み応えがあり、素晴らしい、が。そのどれもが、出来すぎていてうまく書いているのではないか。朝鮮半島の悲劇を、彼が代表しているが如く。見えるのは、個人経歴を書きすぎているからであろう。氏が、カトリック教徒である、と言うところが気になる。のは、私ばかりではないであろう。どのようなカトリックであるか、私にはわからない。し、その点は深く書かれていない。のは、片手落ちである。要するに、悲劇的逃走と、カトリック的受容が、都合の良いように内通していると思うのは、私ばかりではないと思う。YMCAの理事だったらしい記事は、なぜ書かれたのか。私にはわからない。が、確かYMCAは、プロテスタント派ではないか。政治的に、宗教を利用するのは、政治家の常套手段であると思う、ものの。少し節度を欠くと思う。その辺りの内面の問題は、WIKIpediaばかりではなく、もっと書籍で書かれるべきであろう。日本の情報機関も、十分その辺りは掌握していると思うものの、この宗教観について。軽く見ているのではないか。私が心配しても仕方がないが、カルヴァンの宗教改革時代を、研究しているところなので、気になる。人間は、経験と思想である。経験は、いかにも同情を誘うところがある。民主化運動で、拘留されたとか。その涙ぐましい行動は、説明されている。が、選挙用であろう。民族的な悲劇としての、徴用工問題や、軍事強制売春の問題は、悲劇である。しかし、日本のミスではあっても、こう言った悲劇は。ヨーロッパ先進諸国では、こんなものではない。ヨーロッパは、悲惨を通り越して、人間性そのものが揺れ動くほどの悲劇を繰り返した地域に過ぎない。そこに、カトリック問題がある。すなはち宗教改革である。このような問題が、韓国や日本にあると言うのなら、アジアはキリスト教社会、でなければならない。しかし、我々は、キリスト教社会ではない。アジア世界なのである。アジアは、もっと穏やかで遅れており。近代化はあくまでも、悲惨なヨーロッパ宗教改革の中から、生まれ出たものだ。ヨーロッパで生まれた、共産主義も同じで。マルクスの思想は今も、研究に値する。が、カトリックはどうか、馴染まないのではないか。それが、大統領の中で、どのような作用をしているのか、私は知りたいのであるが。で、さらに注目する必要がある。ともあれ、個人経験ばかりを言うのではなく、思想的にも高くなってもらはないと。アジアの現代的複雑性は、解決しない、と思う。

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 筒井友美作品

「帰る場所」

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で、日本の風景。上高地、実写。

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永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(114)

永遠の生命論と、人間存在の希望の研究、を書いていて。韓国の実に無謀な、テキスト的不合理破棄を新聞で読むと。人間の、権力の、本当に危うい個人の、非理性の責任者の資質を疑って、いる。と、何か物を書くことが、嫌になるが。今はヘイトもならず。ただひたすら、かような言葉のあり方にのみ、希望を託して。多分韓国の国内事情は、複雑なのであろう。隣国であるからこそ、近代史のアジアの悲劇は、日本人としても分かっているつもりだが、彼らの悲願は。民族統一的政権の樹立、なのであろう。私から見ると、分離はイデオロギーである。冷戦構造が残るのは、朝鮮半島あるのみ。うまくやらないと、せっかくの近代化のアジアの努力と成果を、一気に失うことにならないだろうか。所詮、隣国のことで、といえばそれまでだが。関係論的な問題が生じた以上、庶民としても発言は可能だと思う。日本に、この無策無謀が及ばないように、祈るのみである。自国の平和はもとより、隣国の平和も願っているが。朝鮮半島とはいえ、ユーラシア大陸、なのである。このユーラシア、という名称の意味はわからないが。大陸的歴史は、ヨーロッパ側で、なんとか平和的に分立した、とはいえ。あちら側にはキリスト教社会があり、それはローマ大帝国の国教になって以来、千年近くも宗教的政治的なカトリックが、曲がりなりに平和を維持していた。が、宗教改革を行わざるを得ない、利権腐敗が進んで。若い坊主(カトリック)の中に、覚醒が起こり、いわばテキストとして、暴力でなく。テキスト(プロテスタント神学)として、革命が起こり。次に、ヨーロッパは。今度は暴力として、戦乱の時代を迎えつつ、近代社会が創られていったようだ。と、考えると、社会学も難しいが。アジアは、その点、なぜか日本が、近代化に先行してしまい。近隣諸国に迷惑が及んだとはいえ、眠るアジアを目覚めさせたのは、日本でもある。と、思ってもらえば。少しは、日本憎しの感情も、和らぐのではないか。その証拠が、先進7カ国。という、国際政治上の枠組みである、のだから。少しは、日本のアジアにおける功績も、認めてもらいたいものである。と、昭和16年生まれの私が、こんなブログで言ったとしても、なんの意味もないだろうから。今朝の書きは、この程度にしたい。それにしても、無能な、一人の権力者が独走する姿は、アジア人としては寂しい気がする。アジア全体を考えていない、と思う。アジアは、全体で見れば、すでに貧しいばかりではない、と思う。のであるが。

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 筒井友美作品

「帰る場所」

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で、今日も銀山平か。実写。

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この画家は、私ではなく私の先輩です。

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2019.08.21

永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(109)

古書「権力とたたかう良心」(高杉一郎訳・みすず書房・1973・ツヴァイク全集17)が、来た。先日、国会図書館で、ちらりと閲覧したもの。内容は、要するにカルヴァンを、全面的に批判する書物である。ともあれ徹底的にカルヴァンを、批判している。ツヴァイクという人を、それまで何も知らなかった。カルヴァン研究の検索で、見つけた。何度も書いて、書く方も飽きてしまったが。僕は、カルヴァンを、明治学院高校の時、自分で選んで読んだ。その結果、僕は。カルヴァンの考え方を、ベースに、生きてきたのである。ともあれ、いろいろ考えさせられるものの、要は資本主義に生きる、ということを僕は教わった。資本主義が、カルヴァンの精神によって、醸成されたという説は、マックス・ウェバーによって唱えられていた。日本の、戦後の東大の教授、大塚久雄が、それを訳し。日本の若者の行き方は概ね、その方向を取ったと思う。多くの人が、岩波文庫の、M・ウェバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」を読んだ、に違いない。概ね、そんな感じで、僕は社会に出た。その初めの会社が、映画会社日活。で、そこでホテル部に配属になった。そこには、今の女子ゴルフの隆盛を起こす、二瓶綾子がいた。彼女が、その創設者になるとは、夢想だにしていない。当時、日活ホテルには。日本の実業家や政治家が、多くゴルフ遊びに来た。僕は、そこを、一年でやめた。ともあれ、僕は。そう言った精神を持っていた。で、そのプロテスタンティズムの精神こそ。カルヴァンと、深く関係することなのである、と思っていた。で、ツヴァイク全集の17で。ツヴァイクは、カルヴァンを徹底的に批判している。この本が出版された頃、僕は結婚した。北小金にあった木造アパートで、新婚生活を始めた、が風呂はなく。近くの銭湯に、二人で楽しく通った。そのそばに、今日本一になったマツモトキヨシが、小さな店(昔の単なる薬局)を構えていた。僕は、近くの。今はなき、北小金教会に通いながら、新婚生活を送った。というわけで僕の、実務生活は厳しかったが楽しく。ともかく、資本主義の精神の中で、競争的であるにしても。当時の、日本は、何かと談合時代。僕も、それに乗って、資本主義のやや自制的で、抑制された資本主義を生きていた。そして時過ぎ、年金。今の、本格的な、自由主義の厳しい世界が始まる時に、さっさと卒業させてもらった。この僕が。今初めて、ツヴァイクを読む。カルヴァンを擁護する、マクグラスに頼り、ながら。ともかく、人間社会は困難が絶えない。と、知るのである。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGcで、

で、今日も優しくポピー。僕は妻と二人で、このポピー畑を観に行った。TVニュースで知った。素晴らしいもので、まさに印象派の風景である。実写。カメラはライカデジタル。最高画素を使った。

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2019.08.20

永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(108)

マクグラスを読んでいて、日本の小保方晴子さんが最近、どうなったかを、ふと思った。彼女とマクグラスは、ともに生物学の出身である。小保方さんは事件になって、消え。マクグラスは神学者になって、活躍している。ともに生物としての人間を、考え、それをとりまく状況を考えていたのだと思う。これが、何と言っても、宇宙最大のミステリーだと、僕も思う。特に歳をとって、ここまで生きてきて。マクグラスで、ジュネーヴやカルヴァンを読んでいると。ことは、ますます神秘的である。その神秘を、マクグラスは実証的に解き明かし、16世紀パリの、学問のあり方を明示してくれる。あの頃から、ヨーロッパは、大学と称する学問所で、あそこまで何かとやっていたというのは。結局、ギリシャのアリストテレスの哲学を。キリスト教が加工して考えていたからだと思える。が、これも僕が。明治学院で。早々に、カルヴァンの「キリスト教綱要」という、有名な本を読んでいたから理解できること、なのかもしれない。もちろん生物学もあったが、僕は全く興味がなく。ダイナミックでもない、コツコツやる地味な学問には、全く興味がなかった。それより、ダイナミックな原子記号に興味があったが、僕は宗教に寄って行ってしまった。それでも、明治学院高校の記憶で、それは階段教室で。先生は白いガウンを着ていたように思う。内容は、全く興味がないので。全然、聞いていなかったが、確かに。高校生の頃から、妙に不思議の感じがする「階段教室」は。かなりの印象を僕に残した。それで、明治学院はキリスト教の学校だと、急に思い出したのである。マクグラスによれば、パリの学寮は(分散しているユニバーシティの原型)は、日本で言えば僧坊、とでもいうものであろう。僕が所属して、今もOBとして利用している、熱海のリフレッシュセンターは、その僧坊の跡である。それは伊豆山にあって、今ではMOAの裏の斜面の下、中腹にある。もう少し下がれば海で。今は新幹線が走っている。そこは湯走り、などと言って。かなりの湯が噴出していたようだ。その上に、僧坊ができたが。険しい山に囲まれたそこは、多分当時は、誰も人を寄せ付けず、人間修行の場として。そう言ったことに興味のある、宗教者を集めていたのであろう。推定するに、その僧坊には。パリの大学やロンドンの大学にあるような、いわば学寮があり。そこに、一生を仏法の研究に捧げた、今の私のような歳の坊主が先生として。各僧坊を、仕切っていたのであろう。そこに集まった人のリストは、残っていない。ただ、ゴロゴロと出てくる墓石と、人骨が、それを証明するばかりだと、構内の碑に書いてある。日本の学問の系統は、いつしか消えて、またどこかで起こる、という繰り返しをしていたのであろう。今は鎌倉や京都で、これに近い修行僧もいると思うけれど、一切名前は公表されない。一部の有名な僧侶も、もやはこの世に興味などなく。ただひたすら、仏の無常感のもとで、人生を送って。世間を睥睨している人も多いであろう。確かに、小保方さんのような才媛を、葬った世間は。何がともあれ、無常と言って、これ以上のものはないと思う。科学は、結局。無情を証明しているに過ぎず。過ぎ行く人間の、この世の価値を、科学で確定するということには至っていない。科学は、人間が、そうあるであろうという現実を、研究しているが。僕から見れば、その最も先端的な学問は。今の僕にも、宗教ほど興味はない。と書いて、僕は雨の音を聞きながら、今日もマクグラスに耳を傾けつつ、絵を描きたいと思う。改めて、小保方さんをネットから転写しておく。どうぞ元気で、めげず一層科学の探求や経験した人間学を研究してもらいたい。そして深く、人間探求をしてもらいたいものだと、思っている。小保方晴子(おぼかた はるこ)出身地:千葉県松戸市、誕生日:1983年9月25日、出身校:東邦大学付属東邦高等学校、早稲田大学理工学部、研究分野:生物学、化学、組織工学、研究機関:早稲田大学、東京女子医科大学、ブリガム&ウィメンズ病院(ハーバード大学医学大学院)、理化学研究所CDB

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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今日は美しく、鴻巣のポピー。実写。

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2019.08.19

永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(107)

マクグラスが書いた、「ジャン・カルヴァンの生涯」(キリスト新聞社・2009)を読んでいると。彼が一時期、マルクスやレーニン(マルクス主義)を勉強していて、という人であることがよくわかる。で、その実証主義的な記述には、頭がさがる。マルクスがイギリスの図書館で、その席がわかるというほど、その席を占めて勉強した、という話は読んでいたから。僕も、資本論を少し読んでみた。こういった僕の読書癖は、今も続いているが。明治学院の、10年学生時代からのもの。で、宗教改革をマクグラスが書くと。その実証主義的態度が、実に地味な資料収集から来ているということがわかる。ので、少しカルヴァンがわかり始めた。クリスチャンになると、まずルターを調べたくなる。その著作は、確かに一定の信仰的効果を持っていて。近代社会の曙、のようなものを感じる。これが、近代社会の入り口か、といった感想を持つ。そういった信仰のルートは、僕は。明治学院では逆になっていて、カルヴァンが先でルターが後で。という順番であるから。これが、クリスチャンとしては、一歩ややこしくなるルートだと思う。ともあれ、このややこしさが、僕のややこしさであって、色々と。教会生活やクリスチャン的社会生活や、人生の指針や心情に影響を与えている。振り返ってみると、僕がいう禁欲主義という、ストレスは。やはりカルヴァン的なもの、から来ているような気がする。酒を飲まず、タバコもやめ、女性との対応は色々とそれで失敗を重ね。商売では、とても禁欲主義的に経営し、従業員からは嫌がられ。会社は残ったものの。個人の犠牲は、大きなものになった。僕は建築設計業界にも、その営業面で深く関わっていた経験から。僕の禁欲主義は、その業界運営にも影響を与えていたが。もちろん、そんな自分の、思想信条を表面に出していたわけではない(時々しか)。僕の内心に、それはあったもので。マクグラスを読んでいると、それがカルヴァンのもである、ということがわかる。ルターは義認主義であり、カルヴァンは、予定主義(選び)である。この違いに気がついたのは、マクグラスを読んでいて、明確になった。僕は、カルヴァンが予定説である、ということは知っていて。何かと、それが非難の的になっているということも知っていた。カルヴァンが、ある人を異端として糾弾し、それを火あぶりにした。という事実は、色々あるにしてもそれを、ちゃんと読んでいたが。ゆえに、色々と。長く考えていたのである。が、真剣に考えたのは、今回が初めてで。マクグラスは、カルヴァンの行為を実証的に。その当時の、ジュネーヴ社会のあり方と、その政治軍事国際関係社会構造、などを冷静に分析し。カルヴァンのその行動が。よく言われ、単純に書かれているものとは、別なものであるということを、実証するところが。マクグラスの、過去の唯物論的実証主義勉強の、成果として、僕も認めざるを得ない。現代神学者である、秀才のイギリス人の学問の高さに、頭が下がる思いである。彼のその本を出版した、キリスト新聞社は。実は、明治学院の学長でもあった、武藤富男の創業であり。僕は、武藤が学長の頃の、明治学院大学の学生であったから、僕は。心から、武藤富男に感謝せざるを得ない。という、朝の書きは、一気。そろそろ、東京の温度も下がりはじめ。今の僕のワープロ打ちにも、指先の限界が来て、ミスが多くなってきたので、今日はこれまで。しか書けない。が、Wikipediaを少しだけ。直に。1953年に北アイルランドベルファストで生まれた。キリスト教徒の家庭に生まれ育ったが、マルクス主義に傾倒したため、1971年にオックスフォード大学に入学した時には左翼系の学生寮に入った。である。さらに、Wikipediaの冒頭も転写。アリスター・エドガー・マクグラス(Alister Edgar McGrath、1953年1月23日 - )は、北アイルランド出身の聖公会執事でキリスト教神学者哲学博士名誉神学博士Doctor of Divinity。前オックスフォード大学歴史神学教授。2008年9月からロンドン大学教授。彼は講義と著書で「科学的な神学」(scientific theology)を提唱し、科学的な無神論に反対している。で、いいであろう。

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 筒井友美作品。

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こう書いてくると、やはりスイスか。スイスは、やはりマッターホルンか。僕のうような東洋人には、それは信仰の象徴のように思える。が、それは彼らにとっては、絶対にやってはいけない、偶像崇拝なのである。実写。

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2019.08.15

永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(101)

国会図書館に行き、反カルヴァン主義の本を調べた。少し読んで、やはりすごいことだと、正直思った。この歳になって、「完璧な反カルヴァン主義」(全く知らなかった)は、きついと思った。まだ、本を少し読んだだけで、今度の土曜日。改めてゆっくり検証するために、もう一度国会図書館に行く予定にしている。ただし、昔の。僕らの国会図書館は、もうないとも思った。いたって、クールな。一言では言えないが、時代はまさに変わったのだと、思い知らされた。それでも、蔵書の回転も、昔と全然違い、早い。その素早さは、完璧である。そして、反カルヴァン主義本はともかく。カルヴァンの英文訳も出してもらった。さすが、別室扱いで。カルヴァンが、ラテン語で書いたものを英訳、したものを頼んだ。見事。カルヴァンは、ラテン語で五冊、フランス語で三冊の「キリスト教綱要」を出版している。そのどれかのラテン語から、英訳したものらしい。詳しくはわからない。が、国会図書館をローマ字検索をすると、いろいろ出てくる。その中から、目を皿のようにして、探した。英文は、いたって優しい単語が並べられている。この本は、かなり多くの言語に訳されたようで、その一覧はない。が、いたって広範な影響が、あったようだ。ここから僕の話は、深刻になる。だいたい、1960年代ごろ。まさにヨーロッパ崩壊を受けて、カルヴァンの見直しが、盛んだったようだ。特にアメリカ神学では、戦争を受けて。神学は、一段と深刻の度を加え。人間と宗教不信は頂点となって、まさに神と人間との問題は。あの頃の、神学者を悩ましたようだ。一体この悲惨は、誰の責任なのか、この惨禍は。アジアの戦争とは全く別な、ありえない繰り返される、ヨーロッパの非キリスト教的な戦争と、その結果は。まさに、キリスト教会を、あるいはキリスト教界を、あるいは神学者を、あるいは信者を、悩まし。まさに答えのない状況の中で。近代を決定づけた、と言われるカルヴァンの神学が、再認識されかつ疑られた。その時僕は、なんとカルヴァン派の、明治学院の学生で。今から思うと、とんでもない教育を受けていたのである。が、今更、日本の。現在の文化的状況が、何言うでもなく知らん顔で。僕は、ただ、古い人間として。このブログで書くだけの、しらけ世界になっている。と、言いながら。カルヴァンの研究をしている。幸い雨は降らなかったが、頭の中に降る雨は、土砂降りで。今更ながら、因果を深く感じて、電車に乗った。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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反カルヴァン主義の本には、まさにこんな真っ暗なスイス、が書かれている。書かれたことが、事実かどうかは、問題で。物議があるらしい。が、書かれたことは書かれて。当たらずとも遠からず、ということが、感じられる。ある城の地下牢の窓から、外を実写したもの。

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2019.08.13

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(九十七)

 

老人になって(後期高齢者などの)、ワープロも打てず。複雑なマイクロのフォントも選べず、アメリカマイクロは英語に重点がうつり、日本語などは軽視し始める今。こう言った悪い意味のアメリカ化の中で、置いていかれる日本人は多い。昔は、向こう(マイクロも)遠慮しがちに、こんなサービスもできもしない日本語を無理に使って、サービスをやっていたが、彼らだって世代交代するから。みんなクビになって、経費のかかる日本語フォントなど、選択肢からはねてしまう。ほんの、言い訳程度に選択肢に入れて、いるが、なんともひどい差別である。ローマ字時代ならいいが、英語時代とは、片腹痛いことで。自分たちが独占しているソフトが使いやすいように、しているだけで。親切心など、奴らにあるものではない。この現象は、予想されていた。が、なにせローマ字にすら、とても追いつけない日本人は、ローマ字とは、英語だと思い込んだようだ。ローマ字のその簡便さは、世界のトップで、自国の持つ風格(たとえば漢字など)などと言うものは、マイクロワープロにとって、今や。なんの未練もないである。それでも、いささか優しいのがマックで。僕は、それを認めて、自宅用は20年以上それである。が、それも、ことワープロでは、マイクロにかなわないで。ビジネスワープロの標準を独占した、マイクロは。そこにも乗り込み、マックも。どうしてもそれを使わないと(統合しないと)、日本で売れないので、止むを得ず。それと統合しているが、なんとも使いにくものである。僕も、今のこのマックで、マック独自の昔からある単純なワープロを使っていたが、何かと妨害されるので。少し会社で現役のころ盛んに使った、マイクロワープロ(嫌いだった)を使って、ここのところ書いていたが。まさに。そろそろ、嫌になってきた。今や、日本の文化となったと思われるワープロ文字とは、内実は思想なのであって。では一体、どのような思想であるかといえば、僕が言えば。単に、唯物的な絶望思想に過ぎない。アメリカ的な物質主義は、もはや世界を席巻するが。それに、しぶとく抵抗するのが、アラビア文字である。あの優美な世界でも、もはや買い手(石油)としてのアメリカに、どうあがいても飲み込まれれそうで。時々、テロで抵抗するにしても、もはや。世界の潮流からは、程遠い存在である。今更世界が、アラビア文字や、日本語や、漢字を。なんとかしようとしても、とてもローマ字に及ぶものではない。しかし、ローマ字になれるようで、慣れない日本人は。このような。僕のような、ヘボン式ローマ字の本家本元の明治学院で、勉強してみると。いかにも西洋化した日本の、ブロガーが。ここで、七十七歳にもなって。平然と、鬱陶しく臭いマイクロワープロで、文章を書いているのは。まさに、日本語の悲劇であろう。この悲劇は、いずれ生じると、予想されていたが、一番問題は。そこからスポイルされている老人(周りのご同輩が)皆、認知症になって。自分の思いの「一片」すら、うまく表現できない老人たちの。深い喪失感を、僕は多少とも、理解できるブロガーなのである。が、今更僕が、若い時から高唱し警鐘を鳴らしてきた、日本ローマ字化の問題は、もはや。時遅く。僕らの先覚者たちが、警告したように。日本は世界のなかで。急激に自国文化を失いつつ、異質化する日本文化の進み方は、僕にも先のことはわからない、が。日本文化が、いよいよ失われようとするこの今の時期は。なんと、暑い夏になったことか。僕は今日も、水彩画に挑戦し、銀山平を描く、つもりだ。それに、まさに。驚くべきことに、ここから全てをコピーして、マックのテキストエディトに、持っていこうとすると、なんと。できない。と言う現実が、あるとは。僕は、いよいよ。マイクロを放棄する決心をしている。次回から祖父ネットは、マックテキストエディットを使うので、時間がかかるかもしれない。明らかに、これは、アメリカの表面化しない陰湿な、金儲け主義の陰謀である。日本文化の消滅は、横浜新橋間の鉄道施設の、自然破壊から明確に始まっている。その、日本文化最大の悲劇が、太平洋戦争で、ある。と、言っておこう。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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銀山平、実写。カメラはライカデジタル。最高画素を使用。3枚連続撮影、絞り側固定セット、だったと思う。

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2019.08.09

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(九十二)

エリザベス コストヴァが果たして、実在の人物かどうか。は問題ではない、というのだろうか。第一に彼女なのか、彼氏なのか、も、わからないが。エリザベスという名前は、女なのであろう。前作ヒストリアンは、かなりハードで。ガッツ型の小説で、その展開も男らしかったが、今度の白鳥泥棒は、見事に、一層男らしいところが露出している。例えば、美術館で。自分の患者が強襲した、絵画の確認に、精神科医の彼もそれを見に行く場面。そこにいた美校のアルバイト学生が、ノーパンという表現は、納得できない。これでは、男が立たないが。これは、どう見ても女の作家とは思えない展開である。で、僕は、検索したが、一向に深い、作家の経歴など、どこにも書いていない、とは。驚きである(少しは書いてあるが)。あえて、作家の個人情報は詳しく書かれず、男とか女とか、もわからないと思っていると。本のハードカバー裏に、コストヴァの写真が載っていて、いい女でないか。つまり、僕はすっかり安心して、生の転換をしないで済んで、僕は読み進むことにした。女が書いたとは、とても思えない、精神科医の目線は今まさに。患者である画家の強襲意図が、どこにあって、どう展開するのか。という問題に踏み込んでいる。ごく初めの頃の部分に過ぎない。が、そこに出ている、僕が今書いている、キリスト教史のなかの。宗教改革の精神が、バッチリのぞいている(ノーパンだから)魅力的な構造が見えている。で、アメリカという国の、奥深いヨーロッパとの繋がりが、見えるのである、が。一方、宗教を克服した、アメリカ医学の科学的知見の苦しみも見えて。人間の現代的苦悩は、ここまで来ているのかというのが、僕の感想である。彼の、両親が牧師で、彼は苦しんだ挙句、精神科医の道を選択する、のであるが、それは。あくまでも、苦しめる人を救済したいという、アメリカのキリスト教精神を引き継いだもので。昔から、僕などはわかっていたが、現代の精神科医のところには、殺したい、テロリたい、犯したいという患者が溢れかえっていると、書かれ。それらを未然に防いでいる、精神病理学の最前線と。キリスト教的最前線が、見事に錯綜する様は、僕の。ここでの書きの(祖父ネット)。頭休めには、もってこいの小説である。が、この小説はなんと分厚く二冊。一冊はゆうに400ページはあるから、二倍の800ページ。果たして、祖父ネットの書きと両立などするのかと、思いながら。頭休めに、少し書いてみた。なにせ、読み始めたばかり、で引き込まれた。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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僕の、子供絵画教室。の、あるいちシーン。実写。

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永遠の生命論、人間存在の希望の研究(九十一)

「宗教改革」、近代のこれが全てである。と、思う。そこで、改めて、森田安一さんの「図説・宗教改革」(河出書房新社・ふくろうの本・世界の歴史・2010)を、読み始めた。図説は、昔も読んでいたが、今のようにわかるのは、テキストを十分に読みこなした後(まだまだであるが)だからであろう。読んでいるのが、カルヴァンの「キリスト教綱要・物語」(ゴードン著・教文館・2017)とペアーにすると、頭の中が整理される。実際、舞台である関連する場所も、それなりに踏査してもいるから、このあたりで。人生の終わりの時期で、終末と永遠を考えるときには、持ってこいの参考書である。それにしても、少し読んで思うのは。ヨーロッパのキリスト教、(発展)史、とは。呆れるほど政治的だ。僕は一種の勘で。キリスト教がローマ帝国の、国家宗教となったときに秘密があると、踏んでいた、が。それは、僕が。あまりにも早い時期に、日本人としては、全く特殊なキリスト教教育(明治学院)に触れ過ぎていたからである。日本の、キリスト教は実際には政治的ではない。政治的なのは、神道と仏教である。キリスト教を日本で政治化、しようとしたのは、ザビエルで。ともかく彼のターゲットは、天皇なのだ。要するに、政治化である。カトリックの経験から来ている。マッカーサーも内実は、同じである。人類史では一般に、宗教が先で政治は後である。どの地域でも、地球上は、だいたいこれで。例外はあると思うものの。これで我々の歴史はできている。特にヨーロッパは顕著で、ローマ帝国(帝国の一般宗教形態の含め)が隆盛を極め、そのあとで一神教の、キリスト教が侵入したのである。それを、僕ときたら。何でもかんでも明治学院でキリスト教先行だったから、僕の宗教観は。あくまでもキリスト教優先主義で。そのあとで全ての政治史が、ある。ことになった。って、七十七歳になってしまった。外国の宗教だから、理解することは大変難しいが、理解するとキリスト教は、いたって単純で単一な宗教である、とは、道半ばで気がついた。西洋文明が、近代社会で我々日本人に与えた悪影響は、計り知れない。が、一番は、僕らの封建社会を見事に、ぶっ壊してくれた、と言うことだろう。僕は、西部劇よりチャンバラ好きで、西洋墓参りより、日本の墓参りの方を好む。西洋の建物より、日本の建物が好きだし、女は日本人でなければ、ならない。と、書くと、言うまでもなく、語弊がある。が、今も簡単には無論、定まらない。銀座より谷中が好きだ。と言っても僕の両親は、谷中の墓地で、片方は西洋式(母)、片方は日本式(父)で、その実行犯は長男である僕だ。まことにバカバカしいことで、仲が良くないこともあり、いいこともある両親の宗教観は。生存中は母が、父の方によって、いたことは明確である、が。僕はそれだからこそ、あえて。母の若い時の望みを実現してあげた。と、思っている。要するに。日本は、西洋に見事に壊されたのである。しかし、よく考えてみると、壊されたのはローマ帝国という国家であって。人間的に持ちきれなかった帝国に、キリスト教を導入したのはコンスタンチヌスという皇帝である。ここから。キリスト教は政治的になり、世界の宗教に発展し、日本も世界すらぶっ壊してしまった。ということが、図説を詳細に読んでいると、わかること。で、が僕は、いまだにキリスト教徒で。さらにキリスト教徒であるから、ことはややこしいのであるが。僕はここにこそ、人間救済の光を見ている。のであるが。これが、最後の最後に残った、一層ややこしい問題であることは、問題である。秋になったら、古都鎌倉で、コーヒータイムでも、するか。という、イメージには痺れるね。銀座は、すでに壊れてしまった、と、誰しも日本人なら、密かに思っていること、である。あんなところでの、コーヒータイムなど、高いばかりで、ごめんこうむる。これで、日本文化は、決定的に破壊された、と思う。暑すぎるかな。今日の書きは。

 筒井友美作品。

「帰る場所」

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で、今日は僕の江ノ島。カメラはデジタルライカ、実写。

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この人が、僕が。本文に書いた母。ヴァイオリニストを諦めさせたのは、幼児の僕である。これが、僕の一生の痛恨事。として僕の、マザーコンプレックスになった。このカメラはライカではない。当時、はやった富士フイルムの使い捨てフイルムカメラ、だったと記憶している。横長ワイド版。

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これが僕のアトリエ。後ろが軽井沢80号油彩、手前が江ノ島油彩。

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2019.08.08

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(九十)

千回目標から見れば、九十回などまだほんのわずかの書きすぎない。が、暑いので。軽井沢にでも行って、エリザベス(コストヴァ)を読もうと僕は、新幹線に乗った。僕の軽井沢の家は、仮想の家で。実物などとっくの昔に人の手に渡って、自殺した学者ハーバート(ノーマン)をいう人も、もはや軽井沢で誰も言わない。ので、僕の小説を読むのには、持ってこいの環境なのである。実際は、ここは東京の僕の家で、要するに。僕は、クーラーをつけて、ベットに両足を投げ出し。コストヴァを読む準備をした。軽井沢に別荘を持っていたなどは、書きを面白くする工夫に過ぎないが。僕は、軽井沢には、度々よく出かけている。本の扉を開けると、マネの言葉が掲げられ。僕は人物画を描けないが、マネともなると。なるほど。その心がけは見上げたものだと、感心した。で、日中(ひなか)僕は、昨日。豊洲に行った。久しぶりで、豊洲でとんかつ定食を千円で食べ、目の前にあるバス停で、有明まで行って、その小中前、という停留場で降りて。びっくりした。十分もバスに乗らないのに、僕は。ここは、日本ではない、と思ったのである。コストヴァはベストセラー作家である。あの夢中で読んで感動した、「ヒストリアン」は。世界で売れに売れ、百五十万部にもなった人で。で、キリスト教を書いた彼女は、アメリカ人で。僕は、長老派の宣教医ヘボンを調べに。東京有明医療大学を訪ねて、バスに乗って降りたのである。それは、突然やってきた。本当に突然なのだ。必然ではないだろうなと、、僕は疑ってかかったが。ともかく僕は、バスを降りた。目の前に見える立派な大学は、僕が初めて知る大学である。僕は、軽井沢にいる夢を見て、新幹線に乗って、霧の軽沢駅に着いたのである。僕は、五階にある図書館に行き、すでに電話でお願いしてあった、journal of tokyo ariake university of medical and health sciences(面倒なので大文字を略す)という雑誌を閲覧しに行った。担当者は福田純子さんという人で。いかにも図書館で働く人らしい知的で素敵な人、にお世話になって。僕は、目的の本を閲覧し、コピーし、家に帰ってきたときは、四時過ぎていたが。僕は、この偶然、今日生じた出来事を、僕の必然と書くのは。いささか動揺がある。実を言うと、ここのところ、僕は。すでに何回も書いているように、「キリスト教綱要・物語」(ゴードン著・教文館・2017)ばかり読んでいて、ふと僕の勉強場であった明治学院のヘボンを。なんとなくヘボンが、スイスに行ったことがあるので。スイスとヘボンをネット検索し。それに関する文章を、ネット上で見つけ。その書かれた本が、実は、さっきの英語で書いた本である、と言うことで、僕はその図書館に行った、訳である。まさに、カルヴァンは運命論者で、僕は。それを今研究していて、頭がいたいのである。僕は、コストヴァの「白鳥泥棒」(NHK出版・2012)を真剣に読む、準備を今朝した。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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僕は、コストヴァが書いた「白鳥泥棒」を読む準備に入ったが、彼女は前作でヴァチカンを書いたので。僕も、僕の実写したヴァチカンを載せたい。カメラはコンタックス、フイルムは富士フイルム。

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2019.08.07

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(八十九)

猛暑の中を銀座四丁目についた。すぐそばの教文館四階。そこで、カルヴァン・オンデマンド版・新約聖書注解・ロマ書・新教出版社・2005年を買ったのは、病院の帰路である。最終の診断を受けに、そこに行ったのは、かなり朝早く。治療はこれで終わりです、と若い医者が言ってくれた。後期高齢者の病気らしい。いわば死の始まりの完治を受けて、池袋に行った。そこで、いつものおむすび昼食を食べ、ジュンク堂に行ったのであるが、そこにカルヴァンのロマ書は、なかった。電話して、教文館にあると確認し、銀座に行ったのである。暑いので、どこにも寄らず。そのまま帰宅して、いつものコーヒータイム。アンテンドゥで、コーヒーを飲んでロマ書を読み、帰宅した。要するに、病気は治ったが、ここからが確実な死への旅である。と、心に決めた。カルヴァンが16世紀、世界史に影響する本(キリスト教綱要)をスイスで完成したのが。二十代だったとは知らなかった僕は、高校生だった。どっかのおっさんが書いたものと、ばかり思っていたが、それが間違っていたと最近知った時。僕は、スイスのというより、フランス人の。文化的高さを称賛する自分に気づいた。僕は、パリのカフェーを描いて、二度ほど銀座で個展を開き成功したのは、画家筒井友美の指導があったからである。僕は、あの時。個展のことは右も左もわからず。若い時から知っていた、画家南田昌康に勧められ、無謀な挑戦をしたのである。が、予想に反し、個展は成功したのであるが、皆。この方々のおかげなのである。そんな銀座で、僕は教文館に行き、カウンターに準備してあった、それを買って。家の近くのアンテンドゥでコーヒーを飲みながら、少し読んで。つくづく、僕は、なんたる鈍才であるか。と思ったのである。要するに若きカルヴァンは、宗教改革の狼煙のもとで、16世紀の死にゆくヨーロッパの混乱をなんとかしようと、若き俊才として。世の中を心配し。カトリックの勉強をしたものとして、真面目に。では、宗教改革の福音主義とは何かを。まさに命をかけて、考え抜いた、誠実な人だったとは。高校生の僕には気がつかなかった。のであるが。やっと、七十七歳にもなって、死の旅路の準備に入る時(永遠の生命)、初めて、真剣に。僕は。人間の永遠を噛み締めている、自分に気づいた。僕は、ため息をつきながら、炎天下を家に帰った。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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だから、今日も僕は、マッターホルを載せる。これは、スイス人は絶対言わないが、彼らの信仰の象徴であると、わかる。彼らスイス人は、キリスト教新教(プロテスタント・カルヴァン)であるがゆえに、偶像崇拝ができない。で、も。彼らは、心の中で密かに。我らのマッターホルンは、「神の山」だと、思っている、と、僕は思っている。実写。

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2019.08.05

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(八十八)

宗教改革を研究していると、若い時と違い。あらかたのことは知っているので、細かいことなど、一切知りたくない。が、ヴィジュアルで見ることが、できるはずだと思い。探すと、古書にあった。昔も、見たのであるが。今見ると、何であれ。人間の愚行には、呆れ果てる。日本人は歴史の中で、あんな、酷いことをやったことがあるのか。考えて。聞いていないと思った。スイスだか、ドイツだか、知らないが、実に酷い。もちろん、第二次世界大戦の太平洋戦争も悲惨だった。しかし。物語本の挿絵には、本物の悲惨が描かれている、と思う。しかし、本当だろうとは思えない。おかしなことに、昔もちゃんと見ていたが、今改めて見ると。ジー線上のアリア、を聞きながら書いているので。ヨーロッパ人種は、どうしてこうも残酷なのか。その影響かもしれないが、アメリカは原爆を二発も、負けの決まっている我々に、食らわせた。残酷なヨーロッパ人の、成れの果てなのである、と気づく。銃を乱射して、ヒスパニックを狙った卑怯な白人は。結局、ヨーロッパ人種の成れの果てで、宗教改革の時に、非常な残酷な殺し合いをした人間なのである。と書かざるを得ない。が、僕は火をつけたり、毒ガスを蒔いた日本人も知るが。それは、最近である。僕などは、太平洋戦争の、日本軍の残酷ばかりを聞かされて成長したから、その時点で。見ていた宗教改革の残酷は、なんとなく見過ごしていたのである。しかし、この歳になって、カルヴァンの神学「キリスト教綱要」を、コツコツと読んでいると。あれほど、しっかりと、神学されているがゆえに。結局あの時。1000年以上続いていた、カトリックの政治利権がズタズタにされて、大衆から見放され。それに連携している旧来の政治勢力が、軍隊を投じ。まさに、新勢力を徹底的に駆逐したくなる、凄まじさの表現なのである。憎い、の一言が、あの悲惨に表現されている。また、新勢力も負けず劣らず、プロテスト(プロテスタントの呼称の元)する。悲惨な殺し合いの絵画は、なんとも無様としか、言いようがない。今それを、インテリジェンスの高い書き方で、まとめ上げるゴートンを、悲しく読んでいる。「キリスト教要綱・物語」は、胸躍る読みものでもあるが。が。また、「図説・宗教改革」(森田安一著・河出書房・2010年・古書で申し込み中)も、若い時と違い。そこに表現された悲惨を(物語の挿絵と同じ挿絵がネットで確認できた)、想像しながら。人間の馬鹿さ加減を味わい。暑い夏を過ごしている。と、ため息が出る。であるが、ゆえに。26歳のカルヴァンは、近代の「原罪」を、徹底的に神学したのだと、確信できる。これも、画家筒井友美の描く、「帰る場所」なのかもしれない。と、思いながら。夏は、やはり暑い。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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今回は、西洋人の残酷に嫌気がさして、日本的風景を掲載する。実写。

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2019.08.03

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(八十四)

ジュンク堂で、いよいよ「キリスト教綱要」を検索した。明治学院高校の時に、ちょっと読んだもので。もちろん超有名であるから、プロテスタントキリスト教世界では、出版が切れない本である。その売り物は、要するに。近代社会を形成した神学、というもので。世界史、などを勉強することになると、どうしても避けて通れない、本である。が。それを、読んだもの、などいるわけもないと。一般世界史を勉強する学生が、読めるようなもの、ではないと判断できる。しかし、今、人間がここまで、劣化する現象の前で(核戦争の危機、温暖化など)、僕に言わせれば。いよいよ、読まなければ、ならない、本だと思うのである。単に、一部の大した人数もいない、日本のキリスト教徒などは頼りにもならないが。一般の方も。読まれたらいいのではないか、と思う。この辺りは、日本思想史とも絡んで、ややこしいことになるが。それをあまり、気にせず読めば、なんとなく安心する世界が、あるいは。「ある」かもしないし。僕が、びっくりしたのは、こういったことが。ネットやリンクで、ドイドイ調べられるので。興味のある人がいるとして、それを利用し。さらに、このような面倒な話に、首を突っ込める人もいる、のではないか、という時代の風が。すごいと思ったのである。僕らの古い時代では、僕らがそれを知るためには、本を読む以外に、深くはわからないことで。特別に牧師になりたくて、神学部などにいった人なら、勉強することであると、思うものの。しかし、なんらかの方法で、こういった一般的でない、特殊な本が。今の、人間劣化を受ける現代社会の。いささかの問題解決に、少しは興味を持つ人が、あるとして。昔よりは、少しはテクニカル情報社会で、役にたつ時代になった、と思ったのである。要するに、「教会で信者を教育する時代」は終わった、ということ。を、どのような方法で、新たにキリスト教は解決するのか、が課題で。政治力で教会に大衆を集め、そこで教育をしつつ国づくりをする(礼拝をする)、四百年前の宗教改革が。今の時代でも、どのような力量が、残っているのか。この稀有な本で、検証することは、いうまでもなく絶望的で。無教会の僕が、無力な信仰を提げて。僕だけの薬籠にせず、多くの人とともに。少しは役に立てるものにする、という悲願は、ある。と思いつつ、神を信じるという素晴らしい経験、に達する現代人を、少しでも生み出せれば。僕の目的は達せられるのであるが。で、カルヴァンの第1巻第一設問を、昭和十年の郷司慥爾の訳で書くと、「神に関する知識と我々人間に関する知識との関係およびその性質」という設問を、最新のネット現代訳で書くと。「神に関する知識と我々人間に関する知識とは、相結合している。而して如何に相互に関連しているか」などという、如何にも具体的なことを思わせる翻訳設問には。あるいは、いささかの、反応もあるのではないか。と、思うのであるが。ただし、スピノザのような汎神論ではない、キリスト教の神は。あくまでも、処女マリアから生まれたイエスを、神の子とする宗教であるところが、特徴で。果たして、この高い理解しがたい垣根を、日本人は越えられるものなのか、どうか。まさに、個人的問題と、ならざるを得ないキリスト教信仰は、人間救済の深い問題である。と、思うのである。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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スイス写真も、だいぶ飽きたが、しかし。まだまだ千回には遠く。相変わらずの、掲載となると思う。この人物は、僕です。だいぶ若い時のもので、今はほとんど、老いぼれていますが、書くほうがそれに比べ、すごいことを書いていると、自分でも思っています。

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下のスケッチは、僕のものです。全部スイス。

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永遠の生命論、人間存在の希望の研究(八十三)

で、恐るべきことに。前回の、カルヴァンの神学で。人間は一向に信仰的には行動しない。ということが、わかる。カルヴァンの文章を読めば、ますますわかることである。信仰的に、行動するということ自体が、非近代的な行動(古代社会的行動)で。主体的に行動する近・現代人に、宗教的信仰行動など、起こるわけもない。信仰とは、何か。神を、このように中心にして。私のように、朝はまず神に祈り、世界がどうぞ平和であるように、とか。僕の知る人たちが幸せであるように、などをまず祈り。1日を始める人間は、いったい誰か。その人がその後、顔を合わせる人々は、今朝は、祈ったのか。などのチェックを、誰ができるのだろうか。それが、できるのは、神で。その神が、世界中の人間をチェックしていて、成績表なるものをつけて、いて。それを、ある日突然。僕らに突きつけられる日が、来るのだろうか。それは、考えられない。要するに、不合理に過ぎない。で、日曜日、教会に行く、というチェックが可能な、16世紀の問題意識(宗教改革意識)は、スイスで確立されていく。また、それが可能な、政治的圧力が大衆に覆いかぶさって、スイスの大衆監視状態は、宗教改革以後も、一向に揺るぎないものであったに、違いない。スイスの大衆が、あるいは少なくともジュネーブの大衆が、カルヴァン神学で。日曜日になると教会に集まり。それが粛々と、現代スイスを作ったのではないか。その事情は、まだまだカトリックの強い、フランスとかイタリーとかの、日常も。旧態カトリックとして規制していて(カトリックも近代化していく)。何かとキリスト教的政治世界が、紛糾する、いわゆる西洋文明世界が。近代社会に向かって、進み始める。それでこそ21世紀の僕らは、相変わらず不信仰のままでさまよい。というのは。僕らの、現代的信仰的行動では。教会という政治機構である踏み絵などは、もはや。信仰の純正や、高さ、あるいは低さ、などを図る尺度として。一切、機能などしないのが、実態である。ここまで来るのに、五百年はかかている。が、だからこそ。僕は。人間と神との関係が、カルヴァンが二十七歳で書いた。優れた世界を変えた「インスティチューティオ」(キリスト教綱要)の、驚くべき事項の中に。はっきりと、神学されているのを見る僕は。安心して。世界にはもはや、平和はなく。またぞろ戦争の匂いのする貿易摩擦が生じる。人間欲望の、調整不能を悲しまないで。神に、平和を祈る朝となった、と書くしかないと、思ったのである。朝から、今日もいやに暑い世界、だ。と、思う。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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で、またまた、くどく。カルヴァン教会の実写。コンタックスと、富士フイルムのコラボで写された、数年前のジュネーヴのカルヴァン教会。カルヴァンの家は、この近くにある。右手の坂を登ったところ、あたり。

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これが、カルヴァンの家の記念プレート。

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これは、カルヴァンの家の入り口。この道の向こうが、カルヴァン教会。

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2019.08.02

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(八十一)

残念なことに、「郷司慥爾」のWikipediaは、ない。「郷司慥爾」が、僕の中で完全に蘇ったのは、七十七歳の今であって、二十歳の頃、ではない。僕は、つくづく。古書店から昨日着いた、昭和十年に発行された郷司の本を、少し読んで。カルヴァンという人の聖書理解が、いうまでもなく天才的であり、その早熟は二十五、六歳のことであると、知って驚愕した。僕は、その著書を少しは、同い年の頃読んでいるが、まさか。同い年の人が書いているとは、思えなかった。こういった本は、きっとかなり歳をとった人が書いたので、到底読めるものではない、と早々に諦めた記憶がある。その、彼の名著「キリスト教綱要」を。改めて郷司本から知って。なるほど。世界を動かすほどの人物は、死ぬのも早いけれど(五十代)。僕らとは、格段の違いのあることなのだと。知らされた。で、僕は思いついて。多分、今のことだから。「キリスト教綱要」は、きっとWikipediaに、ある。と確信した。で、僕はその確信があって、今からここに。その全てを貼り付けたいのである。それもWikipediaのリンク機能をそのままに。そのもので。多分、リンクを追えば、凄まじいものであると、僕は確信しながら。まさに、こここそ「帰る場所」と、確信できた。以下、キリスト教綱要、リンク付きWikipedia

 

『キリスト教綱要』(Christianae Religionis Institutio)ジャン・カルヴァンの主著。

プロテスタント神学の最初の組織神学書である。15363バーゼルにおいてラテン語で執筆された。その後5度に渡って改訂増補され、1559に出版された第5版が最終版となった。後世、この版をもって各国語に翻訳されてきたため決定版と呼ばれることもある。なお、初版本を除き、カルヴァンは『綱要』ラテン語版を出版すると必ずその後フランス語版を出版した。最終版のフランス語版は1560に出版されている。

概要[編集]

『綱要』初版の序文にはプロテスタントを迫害したフランソワ1への献呈の辞が長文で現されている。初版本では、最初はロマ書講解の形をとっていたが、やがて、十戒使徒信条主の祈り礼典教会規定などの解説がつけられて、使徒信条の項目、キリスト聖霊教会などの主題にまとめられた。なおこの変化は、ルターの「小教理問答」の枠組みを借りて書き上げられた初版本が、その後カルヴァン独自の神学の形成に伴って次第に変化していったもので、譬えて言えば、ルター主義的な「律法から福音へ」が「福音から律法へ」と変化したことを示しているとされる。

カルヴァンが『綱要』を執筆した目的は聖書に対する神学的な手引きであり、特に、改革派教会の神学的基礎を記している。その中心的な思想は、「神の権威と聖書における唯一の啓示」の主張(一般に「神中心主義」としてまとめられる)である。

アリスター・マクグラスは、この本が「中世の聖書解釈の複雑な枠組みを必要ないものにしてしまった。」としている。[1]

スタンフォード・リードは「クリスチャニティ・トゥディ」宗教改革記念号(1965年)の論文「ペンテコステ以後最大のリバイバル」で、宗教改革以後に宗教改革ほどのリバイバルが起っていないと指摘しており、その理由として宗教改革の中心には教理があり、宗教改革の前進に強く作用したのは『キリスト教綱要』であったとしている[2]

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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写真は、スイスカルヴァン教会。僕の実写。カメラはコンタックス、富士フイルム使用。

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2019.08.01

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(七十六)

しかし。僕は。「郷司慥爾」をさらに読んで。最近意外な感に打たれる。本は、実際、リアリティを急に増して。僕のスイスの現地経験と、カルヴァンが生きたスイスが。あまりにも、普通の人たちの、当然の人間行為として。つまり、何も宗教改革とか、なんとかと言わない。普通の人たちの、あまり宗教的ではない。普通のやり取りや、政治的思惑や、社会制度の未熟さや、腕力が激突する様を、逐一的に読んでいる自分に気づいて見る、と。僕が、社会科学的にのみ解釈、していた学校型宗教改革(明治学院的教育現場の)が。僕にとっては、あまりにも遠い存在として感じ始め。普通の人たちの。16世紀当時の。日常行動としての宗教活動、が心に映り始めた。僕は、これでは、日本に。キリスト教などという宗教が、根付くものではない、と思い。要するに、彼らはいたって、平凡に政治的なのであり。個人の自由な信仰の、選択といった。今では普通の、当然の。日本人なら、全然。選択の余地のない、政治宗教としてのキリスト教は。日本に歴史的には存在してはいない、のであるとわかって。日本文化の中に、政治的に抑圧してくるキリスト教が無い、以上。宗教改革など、日本的ではない、ということが理解できた。だから僕は。不可能なキリスト教の現代的宣教の。ブロガーとして、の自分の意味を感じる。彼らには(ヨーロッパには)、あの時代。あまりにも。カトリック的な社会がかぶさって圧迫し、それは。まさに。政治社会の抑圧構造であり。その中の、下位の宗教社会の二次的圧迫であったとしても(政治的圧迫こそ一次的)。その時の大衆の、宗教選択権などはありえない社会なので。その、土壌のなかで、多少とも。個人の宗教的自由が、芽生えてきた時代、とはいえ。それは、ほんのわずかいささかの、あるかないかの。近代的薄明であるに過ぎず。僕が、学校教育の中で、勝手に。中世の克服として考えた、理想的宗教改革(イデオロギー的解釈)などと、大げさに理解していた宗教改革などは。決して存在しない。と、理解できるようになった。僕は。今ここで。だからこそ、個人の実存をかけて。キリスト教的永遠の生命や。根本にあるイエスの言葉の、本来の意味や。聖書的啓示の、まったく意味における真理の、神の。人間に対する、神学的理解の方に。単なる宗教改革などという問題よりも。はるかに大きな啓示と、また高さ(ブルンナー的)を感じる。そこに宗教的真実が、ある、と思えるようになった、のは。まさに、「郷司慥爾」の。厳しい戦争環境の中で。本を書いた、人間的努力と。ウィリアムティンダルの、勇気ある英訳聖書の、翻訳行為とともに。真の、キリスト教信仰(福音主義)が聖書にこそある。と思えるようになったのは。まさに僕の。ブロガーとしての。神の僕への、本物のプレゼントなのだと。思えて。この暑い夏を、乗り切れるつもりになっている自分。を発見した。と、書いて。今日はやめよう。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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やはり、スイスで。実写。コンタックス、富士フイルム。

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この下の、毎度おなじみのマッターホルンは。単なる観光写真ではありません。スイスの精神性の主張としての、スイスカルヴァン派の、厳し福音主義の象徴として僕が直に撮影したものです。カメラはコンタックス(ドイツ製)、フイルムは富士フイルム(日本製)で。意味深長なのです。

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2019.07.31

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(七十五)

郷司慥爾を読んでいると(カルヴァン年譜)、ウィリアムティンダルが、でる。46ページであるが、ティンダルを郷司は、ティンダール、と書いたので。初めは、わからなかった。が、しばらくして、これが有名なティンダルのことである、とわかった。1526年、この人は聖書(ギリシャ語原典)を英語に訳したばかりに、火刑にあって命を落とす。要するに犯罪者だった、のである。ギリシャ語を英語に訳したばかりに、火あぶりの刑になるのであるから。今のエロブログを書く人間など、地獄の火に投げ入れられるべき、であると。僕が、刑法を変更することもできず。そのままになって、有害ネットが、真面目なユーチューブに、追随しないように、するには。こまめに、ネット履歴を削除するという、ことを覚えたので。僕は、いつも掲載している、画家筒井友美の真面目な芸術を、それらから多少は守ることができて、満足している。他愛ない、話のようで。昔から、表現は深刻な問題を起こしていたのである。ティンダル事件は、宗教改革の、一種の象徴的事件であって。簡単には見逃せないことであるが、それを書いた本は、昔から有名で。今も、銀座教文館の棚で売っているし、僕の本箱では、主役を占めている、ウィリアムティンダル本は、僕の貴重な本なのである。で、それは。勁草書房で2001年に発刊されたもの。で、素晴らしい書籍である、と言っておこう。一般のかたは、それこそ用のない本であるが、実際には。ここまで、近代と現代がこんな大事件まで起こして、継続しているのだと、知ってもらうことは、無意味ではないと思う。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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僕はますます、意地になって。マッターホルンやアイガーを掲載したい。僕は、本当に宗教改革の国、スイスが好きなのである。全て実写だ。

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永遠の生命論、人間存在の希望の研究(七十四)

で、僕の。カルヴァン研究は、まだまだそこが浅く。で、今の研究者たちの活躍ぶりを知りたくて、ジュンク堂検索をして、嬉しかった。それで、カルヴァン研究が依然として、活発なのはわかったが、これは結局。近代社会と現代社会を結びつけ、その将来を考える今の人、たちにとって、当然の帰結であると。と知ることは、僕の心を。大いに勇気付けてくれた。参考図書は、かなり多く健在であるが、僕はそのなかで「カルヴァンとカルビニズム・キリスト教と現代社会」(日本カルヴィニスト協会編・2014年)と言うタイトルを見て、心踊った。もちろんこれらは、現代の学者が、どう思おうと、郷司慥爾の先行研究があって、成立するもので。郷司が、どれほど心血をそそいだ、かは今のところ僕にもわからない。が、僕は。郷司が初代の牧師であった、今もある目黒の。白金教会で受洗したことは(明治学院高校の頃)確かで。あるので。この歳になって、郷司をコツコツ読んで、どこからこのような、面倒な資料を郷司は取り出したのか、郷司は。一つも書いていない郷司の、心持ちを思うと。なんとも、痛ましい戦争の時代(第二次世界大戦)だったのだ、とつくづく思うのである。が、ともあれ、郷司は、その心労がたたり、戦後すぐ他界するのであるが、僕は。郷司という家系が、その後栄えて。戦後になり、大いに社会的に重要な人物を、世に送り出していることも。よく知るから。その人物を直に知る、僕は。さらに書いてみたい、とは思うものの。しかし、それは神のなされる技であり、カルヴァン流にいうならば、神である、というのが。一番正しいと思う。その神専一思想は、現代社会の神学では、大いに批判されたと、書いておく、にとどめたい。が、僕は、振り返って。神なのか、人なのかという。ブルンナーが「聖書の真理の性格」(日本の出版は昭和25年・ブルンナーの執筆は1938年・和暦では昭和13年)で神学する、人間主体と客観主義との対立は。避けて通れない。現代神学の悲しみも。よく知る、クリスチャンなのである。と言っても仕方がないが。ともあれ、僕に。少しは希望も出て、この本をジュンク堂で早速買って、読んでみたいと、思っている。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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これがジュネーヴのカルヴァン教会。実写。

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この苦味ばしったいい男が、ブルンナー。ネットから。

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これは、僕です。アイガーの腹のなかに掘られた氷河の前で。実写。

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2019.07.29

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(六十八)

ブルンナーの「聖書の真理の性格」は、1937年(昭和12年)の。彼自身の講演を、翌年に出版したもの。を、日本語に訳し。1950年(昭和25年)に、出版したものである。13年後の、日本語出版で。言うまでもなく、その13年間に。文明世界は地獄の様だった、と言えるだろう。しかし世界には、戦争に巻き込まれていない、非文明世界がまだまだ、あった。戦争当事者の日本は、二発も原爆を落とされて敗戦し。その凄惨は、言うまでもない。ブルンナーの盛んに書いた時代は、こんな時代と共にあったわけだ。それを、彼は神学した、と今ならわかる。で、僕は、昨日つい、ユーチューブを見て、絶望した。昔なら、戦争に巻き込まれる世界から、完全に除外されていた世界の人々が。今や、こんな罪深いユーチューブに巻き込まれ。自分の無様な姿を、晒す。のが趣味のように、なったようだ。とは驚きである。危険で堕落した、馬鹿げた原初的な人間の姿は。古代社会より恐るべき悪に染まって、世界を覆っているのは当然としても、文明的に少しは、我々も体裁が良くなったのかと、思っている矢先。そうではないよと、悪魔が囁くと、考えざるを得ないのは。聖書が主張した、人間の頭脳から生まれた、実存的利己主義が。きっと世界を破滅させると書いた、聖書を。まるで実証している世界に、グッと近いずいてしまった、と知るのは。気分のいいものではない。時、僕は、戦後一緒に。非戦争を求めて活動した、若者としての。自分たちの知性の先輩や同輩たちの。人文的な絶望感を、理解できるような気がしてきた。彼らの中から、自殺する者もでるが。キリスト教徒の僕は、ブルンナーと共に。永遠の生命論に、自分を賭けて。今日も、行脚する、と言うことを考えている。昨夜は、郷司慥爾の書いた。聖書の、黙示録解説を読んで、久しぶりに。僕の若い時に属した教会の、牧師であった郷司の、言わんとしたことも、少しは理解できるようになったのか、と、思った。郷司がこの本(「現代新約聖書注解全書・ヨハネ黙示録」)を書いたのが、昭和12年(1937年 )であるが。その再版本を。僕は持っていて、それが昭和16年で(死亡したのは昭和23年・1948年)で。当時、牧師たる郷司と、世界の神学者たるブルンナーが、同じ戦争を心配しながら、それらを書いたと知った時。僕は、若い時に世話になった教会に。たまには献金をしに行こうかなと、思うようになったが。無教会の僕が、どうするかは。今のところ、定かならないのは、言うまでもない。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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郷司は、明治20年生まれ、あの時代にしては、かなりの海外経験が豊富で。僕の祖父ぐらいの年齢の人である。僕の祖父も、クリスチャンであるが、全く格違いの信仰者で。僕の祖父(建築家)は、僕と一緒の、俗人一生の人である。僕は、多分に。この祖父の、その俗人性を引き受けていると思う。こんなことで、やはり実写写真は、マッターホルンしかないか。要するに祖父も僕も、容姿端麗の富士、と言うところであろう。

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2019.07.19

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(三十七)

 言うまでもなく。京都火災の因果を説明できるわけでは無い。こう言った局面は、当然厳格な神学の局面でもあるが、神学者でない僕が、答えることはできない。次元が違うと言っても、身辺にある事件である以上。無視はできないクリスチャンの僕は、因果の説明はできないのが、残念である。いい年をこいて、無力である、と言うことほど残念なことはないが。犯人が埼玉県に住んでいた、と言うネット上の報道は、これで、いよいよ新聞時代も終わりを告げる、と言う経験をする。ともあれ、犯人をネット上で、見たので。これ以上は言えないが。その時点に至った人として、彼が精神異常者(精神科医から見て)でなければ当然死刑なのであるが、そのことより。僕は、彼は。あれほど燃えるとは、想像できなかったと、思う。僕は、建築設計にいたから、防火区画の意味を心得ているが、僕が関係していた設計会社も。かつて大火災を発生させ。それで、消防法と散々渡り合って、と言うことは知っているから。やはり、犯人の不幸、と言うものは、因果の涯であると言うことがわかる。犯人が、特定の人を狙い、特定の理由でそれを実行する、と言う比較的単純なものは、犯人の立場も理解できる場合もあるのは当然である。だがしかし、実行した犯罪者と、できてしまった結果との、矮小化された犯人の欲求不満や、思い違いがあったにして。その結果は、犯人の予想をはるかに超えていることと、想像してしまう。そう言う意味では、放火というのは、非常に危険な犯罪で。あり、それを面白がる精神異常の人も、いると聞くが。どうも、今回の犯人は。粗忽者で、そう言った想像力に欠けていて。自分がいかに恵まれていても(些細なことで)、それを理解できない。のだと、思う。で、そう言った人間が、どうして出来上がるのか。要するに、何事も社会化されたモデルが、あって。それに、自分は合致していない、脱落者だと、勝手に思い込む人が増えているのではないか。俺は、あいつよりましな人間で、などと誰が決めたのかどうか、わからないが。それには、確かに。確かな、社会モデルが。存在することも確かである。この、テクノロジー的に向上せざるを得ない、現代社会の進化論的なモデルは、僕のようなキリスト教徒的原始的モデルで生きている人間には、あまり縁がないことなのである。と、いわざるを得ない。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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これは以前にも掲載したかな。これがチューリッヒの地味な駅の実写。しかも、時刻表はいたって簡単。だと、あとでわかる。毎日、大した本数もなく、臨時などという便利なものもない。きっちと毎日、決まって汽車は出て行く、また戻ってくるのが、スイス観光のしびれるところ。要するに、無理がない。日曜日は教会へ。という習慣が、長い間身についている国なのである。

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2019.07.17

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(三十二)

 今朝は、実は気分が爽やかだ。なぜなら。自分の人生の、もやもやが、一切吹き飛んだからである。このもやもや、は僕の一生(七十七歳)に、今までまとわりついて、いて。僕は、自分をある教会の講壇にいると仮定し、聴衆に向かって。僕のもやもやを一気に話した、という白日夢で解決した。それは、いたって僕にとって気分のいいもので、思い切って、自分を吐露した。その教会の講壇とは、僕が洗礼を受けた教会で、その講壇にもちろん現実に立つ気などないが、僕は自分で。想像することは、そこでだけしか話せないもやもや、として。いくら白昼夢としても。舞台として、そこしかないものである。それは、一冊の本で解決した。今朝、郵便ポストに入っていたもので、僕が依頼していたもである。それは、関西学院大学神学研究誌からヒントを得たもので、まさにブルンナーの本だった、のである。題名は「聖書の『真理』の性格」という古書で、少し読んで、たちまち納得した。確かに、この本こそ、戦後の我々教会青年の全てが書いてある、と言っても間違いがない。この本は、ブルンナーが日本に来て、国際基督教大学の講師(身分不明、初め学長を依頼、断られる)として、二度日本に来た大目的の、集約がなされている。少し、ページが破れて、今ボンドで補強する作業をしている。しばらくすれば、一段と読めるようになるだろう。一部、ざっと読みで補強作業をしたのであるが、確かに、これこそ。それなのである。実は、この本に、一番影響されたのは、僕ではない。僕より上の年齢のものである。特に、藤田約(つづむ)という人物がいて、明治学院中高から、できたての国際基督教大学に行った、先輩である。僕はその時、まだ高校生で、彼は大学生。白昼夢の教会で、一緒になった。僕を殊の外可愛がって、僕の今の嫁さんまで世話をしてくれた、人だ。で、僕は、彼に着目したのは、彼が大逆事件で刑死した大石誠之助の血を、引いた人物である、ということから来ている。大石は、首謀者幸徳秋水と違い、思想的に高いアナーキスト、ではない。むしろ、あの頃の高い教養人で、医者であった人だ。和歌山の新宮の、貧しい人からは金を取らない医者で、アメリカ仕込みの医者、であった。その血筋の先輩も、アナーキストとは程遠い、クリスチャンで女好き、どちらかといえばドンファンで、えらく女にモテた。いい男と、いうのではなくて、気さくで要するにキザなのだ。背も高くいわゆる、あの頃のナイスガイ、なのだ。明治学院の後輩の僕を、よく引っ張り出して。本郷東大のキリスト教学生会に、僕を子分として連れて行った。僕は、優秀な大学生の仲間に入れず、廊下で待たされながら、昼飯だから何を食うか。注文は中華、などというから、僕は初めて、そこで。餃子なるものを食って感動したのである。その彼は、アメリカ、ドイツ、スイスを放浪し。ニューヨークで、日本人看護師と子供を作り、世界の闇に消えた。僕は、日本に来た看護師が、彼の母親を慕ってきたとき、会おうと思ったが、お断りした。彼のドンファンぶりなどより、彼の。僕に対する親切が身に染みていて、そのイメージを壊されたくなかったからで、ある。僕は、白昼夢の中で、ブルンナー神学を理解できたと、思った。そこに、藤田の神学的苦衷が書いてあった。彼は、その真実をたづねて、世界を放浪し、消えたのである。と、信じている。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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藤田が消えたスイスの神学的象徴の山。マッターホルン。多分、このどこかで、彼はのたれ死んだのであろう。

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僕は、こんな気楽な服装で、こんなスゲーアルプスを歩いたのだ。つまり、非常に単純なキリスト教と、見事に考え方が一致しているスイスの観光ルートである。と、最近気づく。実写。

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なんども、ここで掲載している、呆れるほどキリスト教的なマッターホルン。鋭い刃状のこの山は、困難な人間の救済を、キリスト教的かつ神学的に表現している。が信仰とは、神と内実の自己との会話に過ぎない。山自体は、日本と違って信仰の山ではない。神との会話は、その人の内実の中にある、と神学は語っている。実写。

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これなども、スイス宗教改革者として有名なカルヴァンの家を表す碑だが、下の方に落書きがある。いくら国の偉い人でも、この程度でスイスは、騒がず、いつの間にか黙ってそれを消す。が、また誰かが、いたずら書きをする。それを刑法であるとか、非道徳的であるとか、そんなことは一切彼らは言わない。ほっておいて、黙って消して、また誰かが書く。という繰り返しは、いかにもキリスト教的で面白いと、僕は思う。実写。

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もちろん、これもスイスのポスターであるが、別に意識して整理し、貼っているようには見えない。が、なんとなく垢抜けしている。もちろんローマ字的デザインの、いいところであるとは思うのであるが。彼らは自然に、宗教的簡素を身につけて、長い歴史を刻んでいる。実写。僕は、それが好きで、好きで。

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これなども、僕ら夫婦がトレッキングした道を振り返って見て、撮影している。今改めて見ているが、信じられない。まるで、今の僕のキリスト教の心象風景のようだ。実写。

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2019.07.16

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(三十一)

 ブルンナーの「弁証法神学序説」は、その序論で。「現状と我らの戦い」と、書いて出発する。実は、この短い文章(五、六ページに過ぎないもの)が、一番難しかった。この本、何度も挑戦しては後退している自分だ。攻めるのみ、と思いつつ、攻め上れないまま。ずるずる、といつも負け戦であった。ナポレオン的に言えば、ワーテルローの運命の決戦のようなものである。相手は、若いブルンナー、秀才神学者だ。いわば闘志。ヨーロッパ神学の騎士道の人だ。一歩も引かない。から、こっちは素手で挑んでいて、全くダメ。死屍累々、の精神史である。それでも、僕らの、おそらくもう死んでしまった(死に絶えた)先輩らは、頑張ったのであろう。そのキリスト教の騎士に向かって、なんとかそれを克服したいと、頑張ったのだと思う。色々、顔は浮ぶ。しかし、日本人で、それをうまくやったものは、いるのだろうか。高校生の僕らには、もちろん。馬耳東風である。読んでもわからないし。その上、バルトというもう一人の騎士と、ペアーなのだ。これには参る。降参であるが、僕は、少しは踏ん張れた。教会のおかげではない。無教会内村鑑三のおかげである。こんなところで、内村を思い出すのは、全くの偶然であるが。彼は、ブルンナーの興味を引いたようだ。当然だろう。おそらく、日本のキリスト教で、それなりの名前のある人で、ブルンナーやバルトの興味を引いたものなど、内村以外に皆無に違いない。ともかく、調子よく西洋の思想や信仰を受け入れる、おっちょこいか、計算高い西洋主義者のやることは。ヨーロッパから見れば、子供の遊びに過ぎない。それでも、日本人の根性のいいのがいて、コツコツ語学から、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語など。恐ろしく面倒なものを克服する、名もなきクリスチャンも少なくないのである。で、少しずづではあるが、ヨーロッパ神学に近ずいていく。とは言え、向こうさまはローマ帝国コンスタンティヌスあたり(西暦三百年付近)の、あの極端なローマ帝国国教化、などという歴史から来ている、のだから。我々がかなうわけもなく。理解もできないまま、僕は高校生で受洗し。たから、全くの迂闊者である。だが、しかし、あの時。山永武雄牧師(フェイリス女学院院長、当時)から、受洗していなかったら、今の僕はないのである。これをカルヴァン流に言えば、神の選び、と言った神学で。スイスの宗教改革者カルヴァンの、神の選びの「絶対運命論」を。考える、神学の面倒な問題が。初めからヨーロッパ近代社会には、横たわっていたのである。この辺りが、若いスイスの現代神学者(当時、わが国では大正時代)の、厳しい問題であった。それが、彼の、序文にある表題。「現状と我らの戦い」の、意味なのであるとは、最近わかったことである、とはとは。とは。情けない。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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スイスのジュネーブにある、カルヴァン教会。カルヴァンはこの近くに住んでいたようだ。記念の家は今でも残っている。僕の実写だ。

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永遠の生命論、人間存在の希望の研究(三十)

 三十回まで来たか。腹を言えば千回を、目指している。あるいは、それを超えるかもしれない。ごく自然に。さらに今朝の天気で、村の長老(おさ)らしく言えば、祟りだ。といっておこう。要するに、今年は凶作である。祟りだ。人間が、テレビで見る限り、美味いだのへったくれだのといって、しょっちゅう食い物の話を、大口を開けて食らいついている姿は、もはや。あさましい限り。人間の屑である。人は、朝。囲炉裏を囲んで、長(おさ)を中心に。今日の穢れを祓い、おさの箸がつくのを待って、みんなが箸をつけて、静かによく噛んで、食事をする。配膳された自分の一汁一菜プラスなどを食って、黙って野良に出て行くのだ。今日は、いい塩梅に雨が来てくれた。午後には、晴れるダンベーといって、父親が牛を引っ張り出す。耕運用の重い嫌な仕事であるとは、牛も知っていて。モー、今朝は調子が悪うござんす、などと父親に甘えている。そこは、大切な牛なので、その調子は見分けられる。とっつぁん、俺は。眠い。トマス秋茄子、いや。トマス・アクイナス「神学大全・その一」は、中世のヨーロッパを席巻した神学書だ。13世紀の人で、呆れるが。その人のその本。訳者は山田晶さん。僕は中公クラッシックスで一冊だけ持っている。それで十分。あとは、その膨大など読む気はしない。その、初めの設問は、「神は存在するか」である。呆れる。これだから、西洋は先進国なのである。いい意味でも、悪い意味でも呆れるばかりに、先進的になる。知力が高いのだ。日本の文化では、これが起こらない。神が、存在するのは、朝の食事風景と全く同じで、疑問などは存在しない。神棚に、まず新鮮な水をあげて、柏手を打って、頭を下げ。るのは、長(おさ)の仕事だ、家族全員がそれに、習う。田の虫が悪さをしないように、雨と太陽が、「適当に」に来てください、と祈るのである。だが、現代は、西洋唯物論が跋扈する時代の日本。いよいよ、本格的な凶作の今年になる。と、僕は、村の長として、ブルンナーの「弁証法神学序説」を、解説する。かつてこの若き秀才(三十歳の頃に書いたもの、大正十年ごろでもある)神学者は、当然ヨーロッパ伝統神学、や哲学はお手の物だ。彼は、第一編「暫定的真理」を書き始める。驚いたことに、22ページに、コンスタンティヌス1世が出る。西暦三百年ぐらいのローマ帝国の皇帝である。これが、キリスト教を公認する。ここから、イエスに政治色が生まれるばかりか、キリスト教は生まれながら大帝国の国教になるという、運命を担う。やはり、ブルンナーはここから出発している。僕が、最近になって、やっと気づいたこと。これが、ヨーロッパ神学の初めであるから、日本人には歯が立たない。でも、それをなお、コツコツと勉強するのも日本人である。アジアの他の民族で、これをできた民族はいない。皆、日本の、この近代的営為に相乗りをしたに過ぎない。のだ、といって始めようか。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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下のこれが。現在のローマにあるコンスタンティヌスの凱旋門と言われているもの。コロシアムの近くにあって、物乞いの人たちが、物乞いしては蹴っ飛ばされて、追い払われる姿も目撃した。が僕はその時、この一連の写真を自分で撮影したが、このように利用するとは、全く想像もしていなかった。以下、少しそのほかの風景も貼り付けておく。カメラはコンタックス、富士フイルムを使用している。

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これは、僕のスケッチ。バチカンの回廊で。鉛筆画。

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この下は、僕の実写したヴァチカン。

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2019.07.15

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(二十九)

 ここで掲げる、なんとも言えない表題の重さに、我ながら呆れている。が、こうなった経緯は、今までの説明でなんとなく、わかってもらえたかもしれない。要するに、ブルンナー神学のような西洋神学の精髄は、我々には簡単にはわからないのである。しかし、「人間の永遠の生命」、のような。人間にとって終末論的な命題から、人は逃げられない以上、仕方がない。僕が挑戦するしかない、のかな。とは言え、ブルンナーを理解するには、一体どうしたら良いのか。時系列のバラバラなまとまりのない論文を、やたら読んでみても分かるものではない。で、僕は、覚悟を決めた。ともかく「弁証法神学序説」という、およそ馴染まない、彼の若い時の論文を読んで、その解説を自分なりにすることしか、方法がないような気がした。自分が、読んで、理解したことを、書くしか方法がない。それが、永遠の生命に、達する、唯一の道だと思うようになった。今更ながら、親に相談することもできず、相談された相手とて、何を答えるやら、答えないやら、どこまで正確で、真面目な回答であるか、見当もつかない。老人には。もはや、「師」は、いない。自分が、今まで勉強したことを、率直に語って、こうではないだろうか。とか、こうだとか、ここがわからないとか、正確に考えて発信し。て、読者の参考にするしか、別段これといった方法は、ないのである。これが、老人の孤独、というもので。今更ながら、ブログを恨んでも仕方のないことである。ブログが、こんなにも発達する、とは思ってもみなかったが、ともかく。最近のココログの制作基地は、なんともインテリジェンスの高いこと、見上げたものである。それで、僕も、毎日、なんとなく、スラスラと書く気が起こる。で、しっかりと、本(弁証法神学序説)を読んで、自分の理解度を深め、書く。という幸せを、経験できるのだ。僕が、適任であるか、ないかなど。全く関係のないデジタル出版は、質の高い情報を作成できるという、ところまで来たのである。誰でもココログに参加して、ぜひ、いい仕事をされることを期待している。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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刻々、変化するマッターホルン。まるで、ブルンナー神学の、読み慣れないヨーロッパ神学の展開のように、行間を追いながら、内容を理解しようとする。が、だが。不動の山は、雲によって、刻々と見えかたを変える。山が動いているのではない。覆う雲が、不動のブルンナー神学に、変化を与える、のだ。全部現場で、根気よく待って撮影した。コンタックス、富士フイルムを使用。

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永遠の生命論、人間存在の希望の研究(二十八)

 二十七で書いたことは、次に紹介するややこしい題の本から説明できる。それは「弁証法神学序説」(福村出版・1973年出版)である。ブルンナーがチューリッヒ大学を卒業する時の、いわば卒論であるらしい。であるにしても、よくわからないが、彼が31歳から二、三歳の間に、序文なるものが二度書かれている。それが、いきなり出るから、わけがわからないのである。初めの序文は、1921年で、もう一つが、23年だから。和暦では大正10年に、ブルンナー自身が書いたものだ。それがなんと、出版されたのが、1973年だから、僕が結婚したばかりの頃だ。というのだから、馬鹿げている。それは、昭和48年。つまり、ブルンナーが実際序文を書いてから、ナニー。50年は経過しているのである。これらの本を、それこそ真面目に現在形で、時系列をあまり考えずに読んでいたので、わけがわからなかった。当然であろう。つまり、戦後のどさくさで、戦前から活躍しているスイスの神学者を、戦後のキリスト教界は引っ張り出して。東大出の秀才が訳したのであろう。と、思って訳者の経歴を読むと、なんとベテランもベテラン、戦前の帝国大学時代の文学部哲学科を卒業した人で、大学教授などもやって現役を引退した人。なのである。生まれは1901年の人、要するに、明治三十四年生まれで、オヤジより年上の人である、とは。要するに本当に、ドイツ語はベテランの本格的なが学者が、精魂込めて訳した本だったのである。それを、深くも確かめもぜず、読んで跳ね返されては、押し戻されていたのだから。思想の勉強ぐらい、面倒なものは、ない。で、ブルンナー神学は、日本語訳がめちゃくちゃ時系列で、わけがわからないのに、僕は子供の純真さ(明治学院高校生)を持って、真面目に読んで。跳ね返されていたのである。で、最近になって。七十七歳も七十八歳にならんとする時、この翻訳時系列の真面目な混乱を整理できた、というわけである。恨みたくもなるが、これが。日本人が、西洋の特に、キリスト教神学を勉強する時の、完全ネック、になっている。つまり、全く非西洋的なのに、わかったような顔をするに過ぎない、のだ。日本の神学事情は、西洋から遅れることほとんど、無限の距離があると言っておく、今の僕の。今朝の書きは。なんと、冴えていることか。と、神に感謝している。つまり、ブルンナーの本格的な伝記の原稿は、日本にあるにも関わらず、それを訳して本にするだけの、スタミナは。今の日本のキリスト教界には、ないのである。と、奇跡を祈る僕なのである。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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全く僕は、不幸極まりない。この時もマッターホルンは、僕から隠れて、あのすどいナイフのように尖った山頂を隠した雲。は、僕をあざ笑っているので、僕はあの時。待って待ってなんとか、何枚かはやっと撮影したのだ。それが、スイスのキリスト教神学を勉強しよとする僕を、悪魔があざ笑っていた、こととは気がつかなかった。ね。今この自分の写真を見ると、僕自身がその気になって、僕は外人に見える。だがね、僕は純粋の大和魂の男で、うちの親父などは信州で、本当に零戦工場を設計していたのである。僕はその信州で、浅間山の爆発を見ながら、成長したのだ。ザマー見やがれ、である。が、マッターホルンは、本当にスイス神学の象徴である。と、今は思う。ブルンナーはいい男だよ。スイスアルプスを黙って登坂した若い時の彼を、想像している。ともかく男らしい、いい神学者だ。

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これがブルンナーです。

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2019.07.13

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(二十三)

 前回の二十二は、会心の作になった。会心などと言う言葉を使ったことはない。ので、辞書。正確。会心。で、ワープロに感心した。クリスチャンではない素人、には分かりにくいと思っているのが、ユダヤ史、と言う表現である。別に難しいことをいっているわけではない。迎合するつもりもない。要は、旧約聖書のことである。あれが、ユダヤ史。ともかく読めないと、思う。読めたら、馬鹿だ。読めない。確かに、仕方なしにやる牧師になる人なら、仕方がなしに、あっちこっちを調べながら、読むことだろう。それは、商売上仕方のない修行だ。物理学者が、単純な原子記号を丸暗記するが、ごとし。である。ところが、この僕ときたら。不幸なことに。明治学院十年教育組だ。いつの間にか、それを読む教育を受けた。その上、聖書を通読すること三回。一度は一章ごとを読むこと約一年。寝る前に必ずやった。で、バカも3回ほど読むと、なんとか全体がつかめる。が、問題はここから始まる。のだ。二十二で書いたこともわかるようになるが、実はこれがここから、がエッセンス。要は、キリスト教が出来上がる瞬間、のような空気を読むことになる。その一瞬、その一回性。恐ろしき限りなのだ。それが、世界を変えていく。日本人に、そう簡単に、わからないのである。その点、心配無用。わかるやつなど、今や世界に、いない、のだ。あの瞬間、キリスト教が生まれる瞬間、あの空気。あの空、あの雲、あの気候。のな中に、キリスト教は、生誕していく。イエスが死んで蘇り、相当の時間が経過しているに違いない。多分正確には、百年か、二百年は経過している。にも関わらず、キリスト教は世界に、生まれる。その空気、瞬間、気候、雲。嵐を呼ぶ瞬間である。で、この書きも会心作と、なった。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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なんども書いているが、これがマッターホルン、スイスを代表する山。代表だからこそ、スイス史の圧巻である、宗教改革の拠点カルヴァン思想の、尖りきった神学の高みを象徴している。実写。フイルムは富士フイルム。カメラはコンタックス、今はなき名機。最小の絞りに固定して撮影した。シャッタースピードはカメラ任せ、で期待に応えてくれた。富士フイルムも最高のフイルムである。日本の誇るべきフイルムだ。以下同じ。

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登山電車から見えたマッターホルン。壮絶な高さが圧倒してくる。実写。

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やはり、これはすごい。実写。うまく雲が切れてくれたが、たちまち雲海が彼を包んでまとわりつく。絶対に映させないが、ごとく。実写。スマホ画面でなく、パソコン全画面で観てもらいたい、ものだ。

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永遠の生命論、人間存在の希望の研究(二十二)

 聖書のヘブライ人への手紙第10章冒頭、にはびっくりした。この手紙は、多分。あまり人に読まれない箇所だと推定する。難しいのは、ユダヤ史を知らないと、とてもまず理解不能で読めない、と言うことである。なにせ、ユダヤ人が、ユダヤ人を説得すると言う、離れ業の部分である。同胞の説得であるから、むしろやりやすい、というかもしれないが。ユダヤ史は、実にくどい長い民族史である。だいたい、ここまでくどい民族史など世界にはないと思う。戦前、日本の大秀才、極東裁判を。内村鑑三の子息、内村祐之さん(ノンクリスチャン)の精神鑑定で、死刑逃れになった大川周明も。日本民族の歴史を二千六百年として、解説したものである。が、とても。ユダヤ史に及ぶものではない。同じ東大でも、ユダヤ史を学問とする人から見れば、日本の民族史はせいぜい精神史にすぎない。にしても、成果はゼロではない。しかし、基礎がまるで非文明的である。学問と言っていいか、どうか。西洋史に及ぶものではない。第一に、条件がまるで違っている。時間の問題ではない。地政学上の問題である。一方は海に囲まれて、いわば敵なしマスターベーション(自慰)の世界、妄想になりかねない。一方は敵だらけの世界。この違いは大きい。絶対的な違いである。これを時間の長さだけで、同一線状(近代史的)で観ようとするのは、全くの愚である。世界の、一流の学者のやることではないのは、言うまでもない。まして、ユダヤ史は敵ばかりであるが、その上ギリシャ哲学という、とんでもないものと近接関係にある。これも、中国思想と近接関係にある日本などを、例にしてもエリアの大きさ、区別性、帝国の巨大など。日本は問題にならない。アジアの大国は、何と言っても中国なのである。この方々から見れば、日本などは、その頃眼中にない。それは大和民族もわかっていて、散々苦労して学問をしに、中国に命がけで出かけている。だが、しかし。ギリシャ思想、ないし哲学は。ユダヤと全く地理的に近接状態で巨大文明の真っ只中。どんと影響がある。要するに、ユダヤ史だからこそ。世界のいわば、近代思想の根っこを形成するものとなる。それを代表する箇所を、今日はご紹介したい。ヘブライ人への手紙第10章第一節前半、が深刻。で、これが古代社会で言われたことか、と目を疑う。ユダヤ人の苦労の涯に出現した、驚くべき思想の実態である。「いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません」で、これを僕は、昨夜読んで愕然とした。ここに律法主義だけでは成立しない、人類の苦しさが全て表現されている。これほど高い、古代社会であるか。今の日本は言うまでもなく、近代的な先回り律法であるが、決して精神的に豊かな世界では、ないと思う。人間の法律は、ざる法が当然と、古代は教えている。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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マッターホルンは、宗教改革以来、スイスのキリスト教神学の象徴と言えるだろう。実写は僕です。

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2019.07.12

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(二十一)

 で、。前に進むために、Wikipediaでブルンナーさんを調べて、びっくりした。もう少しマシな記述が、できないものか。今書いてあるものは小学生の作文のように、まるでなっていない。小学生でも、もう少しマシなものが書ける。などと吠えても仕方がないが、これが現実である。要するに、人間の永遠の生命などを書く人としての、ブルンナーの経歴を書くにしては、なんとお粗末なものであろう。これが念のいったことに、誰が書いたものかわからない無料匿名の辞書だというのだから、これが一番さみしい話だ。それを、こちらはカバーするのが、仕事であろう。やりがいのある、ことである。特に、何かを偉そうに強調するのも問題があるが、なんとなくスカスカ記述になるのは、学歴を無理に書かない今の風潮である。その割には、有名校狙いや点取り虫教育が盛んで、一体何を考えているのであろう。特に専門的な分野が、毀損しているわけではないが、学歴を書くと、学歴のない人が、人権的に文句を言うので書かない、とでも言うのだろうか。その方が、よっぽど人権を無視している。学歴は誇るものではないが、自分がきっちりと勉強をして、それを基礎にしてさらに社会に貢献してなぜ悪いのでしょうか。僕には、全くわかりません。その上、ブルンナーさんの訳のわからない神学的部分は書いてあるが、素人には全くそれは、訳がわからない部分であることは、当然で。そこがミソというのなら、もっとわかりやすやすく書いたら、どうであろう。とかなんとか、いってみたところで、せんないことで僕には関係がない。が僕が頑張れば、済む話である。で、多分若い方が、わけも分からず書いていると、判断し、愚痴はこれまでとする。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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僕の実写のアイガーです。カメラはコンタックス、フイルムは富士フイルム。絞り優先機能を利用。

 

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2019.07.11

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(十七)

 ところで、おかげさまで、病が少し癒え始めると、僕特有の感性が戻り始めたことがわかる。感性とは、個性なのであって、同じ絵を見ても感じ方は違うのではないか。僕は、僕の感性を愛している。などと書いて。表題に素直に戻れるか。コーヒーを一杯飲んで、ブルンナーさんの本「永遠」を、さらに書くためワープロが打ちやすいように、ベットの上に、内村鑑三全集の本を三冊重ね、その上に、秀才高校である近所の、武蔵野高校などの学生がよく使う書見台を立てて、「永遠」をセットしている。なぜ武蔵野高校かと言えば、その近くの文房具店から書見台を買って、勝手にそう予測したに過ぎない。が、ともかく、そう言う格好で書いている。別に、すでに病人ではないつもりでも、こんな格好で書いていても、様になるのは、病人だからであろう。ただ、このベット方式は気に入っていて、多分死ぬまで、こんな格好で書くことになろう。昔の作家ならば、作家気取りで病院のベットまで、わざわざ原稿用紙を持ち込んで、何やら作家らしく、出版社の編集者をはべらせて、先生、お疲れではありませんか、などと肩を揉ませて、すまないネなどと。言うところであろう。なにせ、一枚いくらの先生で、そこへ行くと僕は一打ちごとに、自分の経費がかかるだけで、一銭のぜにも懐には入らない仕組みである。これが、僕を痺らせる(恍惚)のであって、バカヤロウ「永遠の生命」が金で手に入るのなら、こんな気楽な与太話はない、のだから。無料こそ、本物の永遠の生命が、書けると信じている。腹いせに、ブルンナー先生の代わりに、書いてしまったが、結局今日も、こんな話で始まった。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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ブルンナー先生の故郷スイス。トップ オブ ヨーロッパと言われる場所から、僕自身が全部実写したもの。カメラは、今はなきコンタックスと言う名機。デジタルではなく、日本の最高のフイルム、富士フイルムのフイルムを使った。多分絞り側か、シャッター側か忘れたが、どちらかを固定して撮影した記憶がある。ともかく、今更ながら驚くことは。この現物の、撮影された作品の質の高さである。これが、パソコンやスマホで再現されるとは、あの時、想像もできない時代のものだ。ともかくも、スイスの世界的神学者エミール・ブルンナーの、真摯な神に対する愛と信仰が、清純に表されていると思う。この、一番上の写真で説明すると、画面の先が、何おか言わんヨーロッパなのである。具体的に言えば右サイドがオーストリア側、真正面がフランスドイツ側、やや回り込むが左側がイタリアである。もちろん大筋でで、あるが。なんと、厳しく美しい、ことか。これが、ヨーロッパ文明なのである。それが、また世界の惨劇の元にもなる、のであるが。

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2019.07.10

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(十六)

 前回15回目で、えらく面倒なことを書いたので、今後。それはいたって高邁な展開になる、と思っている人もいるかもしれない。まして、英語かなんかの話もでるから、てんで歯が立たない、と思っている人も、これを読んだ人の中にはいるような気がする。さにあらず。それは間違っている。英語で読めば、読むほどそれはばかばかしいほど、簡単な話になって、てんでありがたくない話に、展開する。英語がわからなと、嫌な感じがして、わからないのはどこか奇妙で、うすきみが悪いのであるが、それも間違っている。それは、簡単明瞭、てんで頭から問題にならない。むしろ簡単で、あっけなく。ありがたくなどないのである。聞いてもわからないお経慣れしている日本人は、経は「ありがたいもの」と、思う習慣がある。それは、聞くだけでは非論理で、お線香の中で、じっとして聞いていると悟りを開けるらしく、思うのが、味噌で。実は、そう思っているに過ぎない。そこに行くとキリスト教は、あっけないほど単純で、何もありがたくない。ありがたいと、多少思えるのは、ヨーロッパにある豪華なでかい教会を見るからで、内部の装飾も恐るべき、ものがある。から、そう思っているが。宗教改革以来簡素になった教会は、もっぱら解放された聖書をもとにするので、英語で読んだ場合、あまりにもあっけないので、びっくりするのである。ある意味では、全然、ありがたくない。で、そんな箇所を例にすると。ヘブライ人の手紙第三章第4節・日本語聖書では、「万物を作られたのは神なのです」これを英語でいうと、「He who built all things is God 」だから笑ってしまうのである。ただ、これを信じた場合、いたって明確でよいと思う。これ以上は言うこともない。だから、神にお任せして心安らかに、この世界に生きていくと言う人生観である。果たして、これで君は、満足するのか、聞きたいところである。が、これがすべての前提で、イエスキリストは、その神の御子、なのである。だから、このあたりから内容が、すべて論理的となり、説明的となるのが、キリスト教の特徴である。何も、難しいことを言っているのではなく、単に、信じ難きことを論理的に言っているに過ぎない。で、ブルンナーさんに戻れるようだ。つまり、厳然とした前提のある、話に過ぎない、と言うことを言って永遠の生命論に、戻りたい。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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あるスイスの街、多分モントールかな。実写。

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永遠の生命論、人間存在の希望の研究(十五)

 確かに「永遠の生命」などという、問題を真剣に考えるというのは、人間の滅多にやれる問題ではない。タワムレなら、いくらでもできる。また、宗教的習慣として、葬式的感覚で永遠を信じて、というのなら、人間が1000年も2000年も、いやそれ以上人間がやってきた、平凡なことであろう。だがしかし、そうではなく。ここでは宗教的にはキリスト教で、非葬儀的に、それをやるとなると、ことは言うまでもなく簡単ではない。で、一段と、論理的問題として難しくなってくる。のであるが。そこで、英語和語の表題概念確認問題は、さておいて。肝心要の聖書の中から、「ヘブライ人への手紙」、を選定し、隅から隅までくまなくよく読んで、その意味を今、噛み締め始めた。ヘブライ人への手紙は、新約聖書全27編中の第19編にあるカテゴリーである。それを研究している。結局、ブルンナーさんの言うことは、イエスの復活なくしては成り立たない永遠の生命、なのであり。別に便法などを説いているわけではない。だからイエスの復活の様々な局面を、ユダヤ人(ヘブライ人)の側面から見て、いろいろ検討している、この箇所が面白いのである。今の我々から見れば、いたって奇想天外であるが、さにあらず。僕のように、老人になって、死もまじかに迫ったものが読めば、実によく書かれている。と言うことが、明確にわかるので、書くのである。一番重要な点は、「死」と言うテーマであるが、真正面からそれに挑んでいる。それは、「死」を悪魔と呼び、「生」の代表たる神と対峙させながら書くのであるが。それは基本的には、誰もが持っている、死に対する恐怖を前提にしている。冷厳に言い切れば、死なない人間は一人もいない、と言う現実に聖書は挑戦している。第二章の14節。「死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし」が、聖書を編纂する人たちの絶対的なテーマとして、表出するのである。それは、今も変わる者ではない。要するに、「死に神・悪魔」への宣戦布告といってよいであろう。約2000年前、人類は人類共通のこの大問題に、挑戦していたのである。その記録が、聖書だと思う。そこに、永遠の生命も、書かれる。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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これもスイスの首都ベルン。全て実写。どちらかと言うと、右サイド建物方向にベルン駅がある。初めて行った場所で右も左もわからず、ウロウロしているうちにここにいた。が、わかってしまえば狭い街で単純に真っ直ぐな街なので、もう一度行ってみたいな。

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2019.07.09

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(十三)

 私たちは二種類の希望を区別することにしよう。すなはち、希望というものを、現在と接近しており、それと非常に密接に結びついているために、両者をほとんど区別することができないようになっている将来を意味しているような、誇張のない限界を持った意味での希望と、これに対し、将来における生活全体、あらゆる目標を全部その中に含んでいるような普遍的な生活といったような意味での希望と分けてみよう。(本文11ページ)このような区別は実際にある。「小さな希望」と「大きな希望」、「部分的な希望」と「全体的な」希望、個人の希望と人類の希望といったものがある。しかも、希望というものはもっぱら第一の希望においてのみ、人間が生きていく上にどうしても避けることのできない、欠くことのできない要素であるように思える。全体的・包括的な意味での希望が崩れて把握されたり、すでに跡形もなくなってしまっている(第二次世界大戦後のヨーロッパのこと)私たちの時代(1945年以降のこと)においてすら、それにもかかわらず人間の生きる営みというものが継続してなされているという現象は、このことから説明される。農夫は畑を耕し、工場における労働者、事務所における事務員、お店の店員、額縁店の額装者、デザイナー、主婦、店長、教師、教授、医師などは皆それぞれの仕事をし、文明という「機械」は走りつづけている。各人はそれぞれの生活圏内において忙しく、しかも喜んで働いている。各人はそれぞれの小さな直接的な希望によって動かされており、それは大抵は人類の運命とか自分の生活を包括するような「大きな」希望ではない。そのような大きな希望などというものは、「どうでもいい」ものなのである。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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この窓からの風景は、スイスの厳しい内面がはっきりするもの。実写。

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とても美しいが厳しい、窓。日本の風景とは大いに違っている。ヨーロッパ精神の典型的な表情だと思う。

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2019.07.08

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(十二)

 で、ここらで。あまり読者に過大な期待を抱かせないように、結論を先に書いておきたい。我々キリスト教徒は、普段から心得ているところであるが、普通の人が、この表題を読んで。さらに今までの文章を読んで、世に稀な永遠の生命論があるのかな、などと思われては心外なので。どの宗教も同じであるが、信ずればこそありがたいことなのであり、信ずる内容は意外にみんながよく知る内容なのである、といっておきたい。というのは、文章もやっと11番に来て、今12番なのであるが。原本のページ数としては、まだ10ページに過ぎない。気の遠くなるほどの長さがあるのは、それが400ページ弱もあるということは、すでに書いた。が、つまり一歩一歩読んでいけば、ありがたい永遠の生命に達するなどと、期待されるのは、誠に心外なことで。244ページにある、結論めいたものを先にご紹介して、ともかく真面目な読者に対する、ともかくさらに大真面目な、こちらの良心としたいのである。原始キリスト教(当面1500年前として置いて)では、クリスチャンと称する集団はエクレシアといった。現代的に言えば要するに「教会」と訳されるもので、あるが。当時のそういった集団のありようを、エクレシアといったようだ。それはイエスの復活を信ずるものが集まった集団、というような意味で。そこでは、あたり前のようにイエスの復活を真面目に信じて、そこに自己の復活を重ね合わて永遠の生命、という与太話(世間の評価では)を。キリスト教徒は信じていた、というキリスト教史上の基本が据えられている。ということを確認しているのが、ブルンナーの基本スタンスなのである。その実存のメシア(救済者・イエスのこと)的性格の意識を、はっきりと自覚的に持っていた原始キリスト教、という事実を大切な要素として、どこまでも考えるべきである。というのが、ブルンナー信仰の要点なのである。要するに「キリストの光」とは、「死への存在」という人間存在の一般実存論の、「古い」実存の媒介によって屈折されたもの、という、いたって常識的で、人間的な限界をあらわにしつつ。十字架にかかりながらも、復活を果たしたイエス・キリスト(聖書)の。さらなる再臨によって、復活(永遠の生命)の。完全な啓示に至る新しい生の第一段階が、永遠の生命として「キリストに似る」、ことこそ。今は、死の体の中に覆い隠されている「自分の生命の永遠の姿」として、永遠の生命なのである。という信仰であるということを、ここらで書いておくのも。あながち意味のないことではないと、思った。だから、これは常識的なことで、びっくりするようなことではない。いたって世界史的な常識論なのである、といっておきたい。要するに2000年後の今の常識なのであるが、これが信仰として存在するか、世界史として存在するかは、その人個人の選択肢に入ること。なので、と常識を言っても始まらないが、念を押して言っておきたい。これが、これを書き続ける僕の、良心なのである。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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これも実写です。ヨーロッパで一番長いと言われる、ゴンドラから撮影したもの。このゴンドラ、誰もエスコートしてくれない。勝手に乗ってというような塩梅で、止まらないので、乗る時は実に怖かった。が、慣れれば快適。ルンルン気分で撮影している。この終着地点から歩いてホテルまで帰った。要するに、世界に聞こえたカルヴァン主義の国スイスは、厳しいことでは有名である。この派が、宗教改革後の世界を変えていく。ブルンナーは、カルヴァンを元とした神学者である。し、明治学院は何と言っても、カルヴァン派なのである。

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下の写真は、その一例。崖をやたら崩さないで、土木工事の粋を結集し、自然景観を最小限の毀損にとどめている、自動車道路。船から実写。

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永遠の生命論、人間存在の希望の研究(十一)

 農夫は種を蒔き、母親は子供を養い教え、責任感のある政治家は国民を導き護るーー皆それぞれに希望を持って。あらゆる人間の行為には、まさに自分の行為によって物事が一層良くなるのだといった考え、正しいことを行うのが「割にあう」ことなのだといった考え、頭の中で描き出したことを実行するのは、人間に備わっている消すことのできない性格なのだ、といった考えが、まつわり漂っている。「この行為によって、何かある結果が生じてくるのだ」ということを、信ずることが許されないならば、およそシャベルや縫い針や、ノコギリやノミが、あるいは室内を豊かにする額装の人の手に握られるということはあるまい。室内を、あるいは人間空間を意味あらしめようとする将来像は、現在の力を動かすものだが、そのような将来像はただ希望によってのみこのような動力を持つのである。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

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スイスの湖。僕は、ここを船で渡り、ある港に着き汽車でジュネーブに向かった。実写。日本の風景のような、穏やかで広やかな、という感覚はスイスの自然にはないと思う。どちらかというと、厳しい美しさ、とでもいうようなものか。

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永遠の生命論、人間存在の希望の研究(十)

 実際、将来について多くを考えず、日々なすべきことを遂行している人々が沢山いる。また、将来についてあまり考えないと言うだけでなく、現在の楽しみを考えている人もいる。実際、その日暮らしをして、それによって幸福であるような人もいる。しかし、将来を現在と取り替え瞬間的に幸福であろうとする試みは、刹那主義であろう。人間の自然への復帰という願望は、失敗するだろう。なぜかといえば、このような自然復帰という試みが、人間に成功するような組み立てにはなっていないからである。人間の自然復帰という試みは、自分の人間としての存在を何とかして実現したいと熱望している、私たちのより深い本性との間に、矛盾を引き起こしてくるからである。しかし、憧れとしてであっても、自分の設定した目的としてであっても、ともあれ将来を見るということは、人間としての存在に属している固有な事柄である。幻滅を感じている者として、もう将来のことなどは考えなくてもすませることができるのだと思っている人は、欲すると欲しまいと、あるいは知ろうと知るまいと、文化的性格を持った現代の人間性に委ねられた文化的使命と言ったものから逃亡していることになる。なぜかといえば、真に人間的なものはいつも、与えられるものから与えられないものへ、現在的なものから将来的なものへと向かう「超越化」によって生ずるからである。私たちは「希望」そのものの中に、区別を認めなければならない。人間のすることは、たとえそれがこの上もなく単純極まるものであったとしても、すべて希望なくしては起こらないのであり、成功もおぼつかないのである。

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 筒井友美作品。

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僕の、実写した上高地です。カメラはライカです。さすがですね。

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下は、今僕が書くネタ本になっている、ブルンナーさんの故郷、スイス。実写です。カメラは、コンタックス。フイルム写真です。フイルムは富士フイルム。コンタックスは、デジタルの前に消えました。残念です。堅固抜群のいいカメラでした。戦場カメラとして評価を上げました。

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2019.07.07

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(九)

 唯物論が出たついでに、急に現在の中国の年収を見てみようと思い立った。僕たちが明治学院大学で勉強している時、僕のような変わり者は、中国語を採っていて中国語研究会に属し、その上、小野田中国語研究会にも盛んに出席していた。僕の本当の目的は語学ではない。思想である。だが、思想の方はいたって難しいので、もっぱら研究会は語学の研究で終始し、そのまま卒業した。その後遺症は、僕に残らず。僕のウブな友人を直撃し、彼の人生観を大きく狂わせてしまった。彼は語学には達者になったものの、その背景にある思想には、目を瞑った。僕は逆で、語学などある程度やって、思想に着目したが、もちろんこれこそ難関中の難関である。歯を食いしばって、そのスタンスを変えず、僕は、それでも気になるので中国の見学に出かけた。新婚間もないころで、金もないのに新妻に無理を言って、30万円も、投資して中国に行った。その時、毛沢東が死に、その旅は毛沢東の葬式旅になった。僕のように昭和16年生まれは、自分でも特殊であると思っている。すでに大陸進出をした大日本帝国は、満州国を事実上支配し、西洋の真似をして後進国を搾取していた。そのことを知る僕らは、なんとも中国が気の毒で。気になって、中国語を勉強しよと健気に思ったのである。で、時代が変わったのであるが、あの人民戦線の毛沢思想はトウ小平によって、骨抜きにされ。現在の擬似資本主義体制の精華へと、突き進んだ。その結果、中国共産党の理想は消えて、それは名ばかりの資本主義的成長路線、すなはち金持ち優先主義へと変わり。その視点で、今の中国の年収リストを見れば、一層明確で、僕は。別にいうこともないが、僕の中国旅行も、これが結論であった。特に、先見の明でもなく、浅見の真っ暗闇で。そこに、社会主義的理想は地球上から抹消された、のである。ただその良し悪しを言うのではない。僕が一番心配しているのは、その基礎にある唯物論なのである。この論では、人間の冷酷と悲惨を救えない。人間が、現世的利得だけを言うようになると、もはや人類は終わらなければ、ならない。物質は、いたって大切なものである。が、その主義となると、これは話が別だ。この辺りは、思想史をやらないとなかなか理解できない、と思う。ブルンナーはこの点を、さらに追求する。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」

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これはベルンだろう、と思う。実写。

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ベルンの路地、この辺りで若きアインシュタインも勉強していた。らしい。実写。

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2019.07.05

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(三)

 人間は、不安と希望を受動的に持って、将来を考えています。 しかし人間は将来に対し受動的な態度を取る代わりに、能動的な態度も取ることができます。人間は自分の将来を作り上げるため、将来に向かって計画を立て、将来を描き出すことができます。人間は、このように積極的な態度をとって、自分で自分の将来を作り上げていると思っています。このように人間が考えますと、将来が人間に向かってやってくるのではなく、人間が将来に先回りし、将来の中に入り込んでそれを支配してしまうのです。近代の我々の(ブルンナーは原文で西洋人に限っています。が、僕は今の時代は全ての人類が、の方がわかりやすい、と思う)生活と思想は、将来を形作ろうとするこのような能動的な態度が圧倒的に前面に出ていると言って良いでしょう。それが、我々の時代以前の時代と、今とが、大きく異なっている点です。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」

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ジュネーヴの時計博物館で、内部から実写したものです。

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2019.07.04

永遠の生命、と言うキリスト教信仰を信じること

 ブルンナーさんの深刻な、神学問題が書かれた雑誌があるようだ。その本は、関西学院大学神学研究会が発行したもの。で、「神学研究」という。その、2019年66号に、載った。英語の表題がついて。Emil Brunner′s 「Mensch-von-Gott-her」in the Context of Nazi Germany 、となっている。真ん中あたりは、どうもドイツ語らしい。the context of Nazi Germany が、ブルンナーさんに、あった、ととれる。僕は病院から出て、死の問題を考えざるを得ず、その時、ブルンナーの「永遠の生命」で、祖父ネットを書くつもりでいた。が、その書物が、ある、ことに気づいた。最新の神学書であるし、どう書かれているか急に気になった。電話で、関西学院大学にその雑誌を、送ってくださるようお願いし。もし、ブルンナーにナチとの関係が、あるとしても、今更気にする歳ではない。それより、何より。彼の書くキリスト教的永遠の生命の方が、気になる。僕は、ここ健康を取り戻しつつある。本はもとより楽しみであるが、永遠の生命を考える方が、年金受給者の義務である、と思っている。稼いでいる時、こんな馬鹿なことを、考えることは、できない、と思う。参考にしてくれれば、年金受給者冥利(義務)に尽きる、と言うものである。ちなみに、ブルンナーさんに関する副題は、「ナチスドイツの文脈におけるエミール・ブルンナーの「Mensch -von- Gott-her」、著者は Triebel Christian J と言う人、電話で聞くと四十歳弱の准教授、だと言うことである。が、詳しくは、本が着いてからまた書くかもしれない。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」

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僕の抽象画、水彩。

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2019.07.01

永遠の生命と、郷司浩平とああ、レ・ミレザブル(その一)

 郷司が「武蔵野」を彷徨うのは大正九年。目黒の自然教育園(現存)の前から大崎に出る。原っぱから、煤煙の立ち上る京浜工業地帯が、見渡せ、そこで「工場の夕景」を描いた。と。郷司の日記にはある、と作家田口 英爾氏(清水次郎長と明治維新・郷司浩平伝)は書いた。それは月曜日で、日曜日には牧師である叔父の説教を、目黒の「白金教会」で聞き、その翌日スケッチに出る。その場面だ。この場面、私と重なる。僕が盛んに白金教会に通っていたのも、明治学院大学の頃だ。つまり同じ場面だ。自然植物園は現在も都立美術館の横にあって、「武蔵野」(国木田独歩の小説にある)の面影を保存している公園だ。国立である。僕も何度も行っているが、まさか郷司浩平がハタチの頃、この辺りをさまよい歩いたとは、想像もしていなかった。よく考えれば当たり前のことであるが、彼は九州の出身で、自然に恵まれた環境で育っている。だから、当然まだ自然の残る大正九年の武蔵野を、歩いたという訳である。だいぶ話がくどくなりそうで、心配している。要するに、私の書きのフットワークが、悪い。実のことをいうと、僕は、だいぶ混乱している。それというのも昨日、「決戦経済体制論」という本が古本でついたばかり。僕が病院に入る前に注文していた本である。この本は、昭和19年五千部で発行された。もちろん、いうまでもなく戦中である。だから少し様子が、分かっているから、緊張するのだ。本で郷司浩平の経歴が少し書かれているので、ご紹介しよう。著者略歴、前、国策研究会調査部長、現在、重要産業協議会調査部長。となっている。から、神経質になっているのだ。この本は、昔から貴重本で滅多に世に出ない。それをネットのない時代に、なんとか探し出し。貸し出し不能の先方の資料室から、わざわざ図書館同士のネットワークを利用して、練馬の図書館で読ませてもらった。貴重本というので、緊張して読めず、肝心のところだけを引き写し、そのまま返していたのである。で、今回ひょっとしたことで、ネット古書で発見し、買った、というわけである。で、疲れる。ので、詳しくは、少し落ち着いて書きたい。で、僕の先輩(明治学院)たる郷司浩平であり、僕と同じ教会の郷司浩平であり、僕の時代の明治学院の理事長たる郷司浩平を、次回に書く。で、くどいが。僕は昨日、本を少し読んだ。で僕の、「戦後平和精神」が、がっくときて、折れた、わけである。

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 筒井友美作品。

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フランスの19世紀末の写真家、アジェの写真を元に僕が描いたパリの裏町。油彩。

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2019.06.30

永遠の生命と、キリスト教とローマ皇帝

(お知らせ・WIXネット画廊は閉鎖しました。画廊は祖父ネットに集約されます)

 永遠の生命という表題を追っていると、やはり。ここに至る。キリスト教とローマ皇帝である。イエスという宗教者は、世界で最も有名な宗教者である。人類史でこれほど有名な宗教者は、いない。今後も続くだろう。人類が、このまま、大参事(第三次)世界大戦を戦っても、第三次世界大戦を記録する人間が残ったとして、イエスは歴史からは消えない。人類が、一式。消えれば。あとは、宇宙の闇に漂う。人類史は、殊の外短い宇宙のほんの些細な、出来事であるが。それを記録するものは、いない。誰が、それを話し、誰がそれを聞くのか、という話も存在しない。と、いうことになるのかも、しれないが。僕には関係がない。「キリスト教とローマ皇帝」(教育社歴史新書・西洋史A11・1980年第1刷・新田一郎著)という本は、ほんの地味な本である。小さな冊子のような本で、こういった主題を書く本は、世界に枚挙がいとまないほど、多いと思う。し、この手の本で立派な本なら、本場の西洋には、ごっそりとあるに違いない。日本にもそれはあるだろうと、思う。テーマがキリなくおもしろいのは、それは世界の古代史の面白さで、今日の歴史に深く関係していると、信じられているからである。そんな真摯な歴史的テーマであるが、それを読むことは日本人に、できるものではない。だいたいキリスト教の素養のあるクリスチャンでも、ここまでくる素人は、そういるものではない。で、僕は偶然、この素人の恵まれた一人なのである。が、僕のような、ここまで書く人間が、素人だというと、いささかそれはないよ、という人の声も聞こえる。祖父ネットは専門家顔負けの玄人である、というであろう。確かに僕は、明治学院で神学を10年もやり、教会には五十代まで真面目に関わったから、そうかもしれないが、決して玄人ではない。つまり、単なる本読みの素人である。だが、今僕の眼の前にあって、にっこりと微笑んでいる、この本は。いうまでもなく、立派な玄人の歴史学者が書いたものである。この本は、病院を出て思いつき、すでに何度も読んでいるが、完読本では無い。所々に僕特有の線引きがあり、確かに読んだ痕跡はある。が、扉を開いてびっくりしたのは、僕の字で「レイテ戦」(太平洋戦争)の参考図書のリストが、書いてある、ではないか。僕は、この意味を知ってはいるが、どうも。今思うと、この本を軽視している、ように感じる。今の僕なら、太平洋戦争のレイテ戦より、このローマ帝国とキリスト教の戦いの方が、何倍何十倍も大切である、にも関わらず。こんなことで、やっとここに到達したに過ぎない。で、この本は偶然、僕のマンションの親しい隣人が、ある日、島根の方に葬式に行くので、留守を頼む。ということから僕の手元に来たものである。隣人は、その葬式から帰ってきて僕に、それが自分の兄であり、そういった方面の学者で、その兄が死んだので、葬式に行った、と話したのである。僕は、亡くなった兄上の名前を聞き出し、ネットで見つけて、古本で何冊か買った。それを、今朝、楽しみに読むつもりだ。病気の方は順調に回復し、しばらくすれば池袋にも出られるし、画家の筒井友美とコーヒーを飲む約束もできているから。僕は、今朝は、この本を読んで、もう少し家でおとなしくしていたい。と、思っている。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

下は、僕の絵画と実写した現場の写真。

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下はみんな僕の絵画

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これは画商小山登美夫ギャラリーのイベントに参加した時の僕。左側に座っているのが、僕。まだサラリーマンの雰囲気が残る写真。

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コンピューター絵画、マックで作成。

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出始めの頃のコンピューター絵画の実験。マックで描いていた。

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2019.06.29

永遠の生命と、完全空調の病院、と第三次世界大戦

 昔、昔。1970年5月、僕の論文がある雑誌に載った。建築雑誌でタイトルが「建築」。そのものの、題名を持った当時優れた建築雑誌だった、と思う。ある日、一人のインテリ(編集者)が僕をたづねてきた。正確には、事務所をたづねてきたのだと思う。応対は、私だったらしいが、ターゲットも私だったようだ。全然全く、詳しく覚えていないのは残念であるが、なんとなくおぼろに。どうも原稿依頼である。始めに言っておくが、この雑誌、すでに廃刊している。詳しくネットで調べてみるつもりであるが、発行は中外出版株式会社、である。定価500円、当時としては高い本である。建築雑誌は写真をふんだんに使う。ともかくコストのかかる雑誌だ。体裁が必要なこのての出版物は、相当の読者を持たないと、保たない。それを生きるこの雑誌は、当時は花形だった、のであろう。戦後、建築はこのように華やかな時代を持てたのである。僕の記憶では、この手の雑誌は枚挙にいとまがない、ように当時の僕には思えたが、所長の父はこの手の本が格段に好きなのである。彼(所長・先生)の建築家としての目は、鋭く。その意匠(デザイン)に対する感性は抜群である。だが、息子は明治学院大学文学部の出身、やや左翼だ。勤務しながら絵画の勉強などを、さらにして、今の示現会にせっせと応募もし。3回ほど入選を果たしていた。同じ1970年の。美術年鑑には、現代洋画家などとひとまとめになった現役画家として記載されている。いわばランキングであるが、僕は、ほとんどびっけの画家で、一番最後のページに引っかかっている。号単価は5000円、自由美術に一回、示現会に二回、と実績が書いてある。僕の実家が現住所で。などと。ちなみにトップの画家は梅原龍三郎、小糸源太郎、林武、辻永、有島生馬、となっていて。この人たちは全て文化勲章、同功労者というカテゴリーである。ちなみにその単価、梅原を見ると、号80万となっている。号とはハガキ大、だと思えばいい。つまりこんな状態の画壇だった。で、僕は画家だったのである、が。そう簡単にはいかなかった。で、そんな僕に原稿が依頼された。その雑誌を退院後読み返したのは、ベットで寝ていてふと。あまりにも、病院空調が完全である、ということに気づいたからである。そこは、要するにガン病棟である。僕以外は純粋なガン患者ばかりで、その入出の激しいこと、びっくりする。まさに修羅場、なのだ。と気がついた時、僕は病院空調に着目した。完全な空調というものがある、というのなら、そこにあった。しかし、いわばビル空調というものは、僕が論文を書いた、あの時期に始まったようなものである。空調の詳細は書きたくない。だが、僕は建築素人ですよ、と編集者に言った。大丈夫です、こちらがカバーしますから書いてください、で書いた。題名。「冷凍・冷蔵庫及び工場の建築設備」杉山勝己・140頁。なのである。この雑誌の最大の目玉は「万国博施設」、これに空調が大活躍する。日本のビル空調の本格的な曙に、なった時代だったと、知った。当然、万博のスターは太陽の塔(岡本太郎)。同じ雑誌の中で、バッチリと僕を見て微笑んでいる。僕の論文と、岡本の作品。僕は病院で偶然読んだ「武蔵野樹林・土と水と生きる道しるべ」も読み比べた。その中に書いてある、岡本が。縄文土器に触れて、感動のあまり「日本人」を見直す作業に入った人である、とはそんな事情で、すでに知っていたのである。が僕は、やたら感動した。で、サミット。大惨事(第三次)世界大戦がいよいよ近づいたか、と盛んに報道される。僕は、神に祈ってイエスにすがった。病院でも、よく祈った。が、隣人には何もしてやれなかった。隣のベッドの彼は、ベットから出て消え、ふと病院の食堂であった。コーヒーを飲みに言った時、彼と私は顔を見合わせ。いろいろその節は(といっても昨日今日の話)お世話になりました、と挨拶を交わした。僕は、退院します私は、ここで働いていますと。目と目を見つめて感無量。僕は、彼が、真剣に、闘病しているところで祈ったに過ぎない。僕は、何もできない。と、思う。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

全部、僕の絵画です。

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2019.06.28

永遠の生命と、リストバンドにハサミを入れて、ああミレザブル

 病院を出る時看護師さんが、リストバンドを切ってくれた。僕は、それが惜しくて、記念に残しておけないか聞いたが当然、駄目である。病院の患者管理システムは完全で、それも大いなる管理上の証拠に残す、に違いない。当然であろう。惜しかったが、一応口に出してみた。僕は、優しい妻とともに、荷物をまとめ、黒い最近出来立ての介護タクシーに乗って、家に帰った。今の我が家は、最高の質の良い邸宅風のマンションである。僕が中古でこれを買ったのは、約20年前だったか。僕は、新築マンションなど買える身分ではなかった。そこで、というよりそれまで妻とともに賃貸を主にして、もし買うなら中古、とターゲットを絞ったのは、頭が良いからではない。金銭的理由に過ぎない。一方、建築現場の実務的勉強もしながら、凄まじい素人経験をしてみると、まさに修羅場。人間が、ともに共同でする作業で、これほど精緻粗雑齟齬誠実、力量無様なものはない。それにミスが加わる。僕は建築家でも技術者でもない。しかし、日活から帰って親父に拾ってもらい、親父の経営する設計事務所に入って、びっくりした。いきなり、静寂。もちろん「先生」(昔も今も、設計事務所の所長は先生)と呼ばれる。僕の父は、十五、六人はいる所員の頂点立って、建築設計事務所を仕切っていた。だから、そのご子息が、入ってきたというのは非日常で、みんなが緊張していたのであろう。それも、明治学院というおぼっちゃま学校に10年もいて、映画の日活でホテルマンをやっていた、「人」(僕のこと)だ。要するに宇宙人である。あの頃は、創元設計(旧石川建築事務所・祖父の創業)は、従業員はほとんど早稲田大学と芝浦工業大学の卒業生が多く。学生時代には芥川龍之介と同級生だった木本先生、という人が役員だったので。戦前の大学出の優秀な出身者が、いっぱいいたのである。その中に、戦後の我々年代がいて、それは地方の高校などをでて修行を積みながら、夜学の大学を目指す人も多く。一級建築士になる夢を持って励んでいた。もちろん同年代には大卒もいて、女だてらに芝浦工業大学(新制)を卒業し、一級建築士を目指す人もいた。美人ではないが、なかなかだが、僕はちょっと気が動かなかった。高校卒業生は、まず二級の試験を受けて、一級を目指すのである。そんな真面目な、しっかりした目標を持った人ばかりのところに。僕のような変わったご子息が、入ってきたのだから、ことは簡単ではない、と今なら「わかる」。僕は、そんなことに一向構うクリスチャンではなく、どんどん。と、言いたいところだが、そうはいかなかった。唯一の救い(逃避)が、絵画勉強で、僕は近くの示現会にせっせと絵の勉強に通った。気を紛らわすのが主なことで、あったが、いつか僕はのめり込み、僕らしい青春を獲得できた。僕は、言いようのない広い世界で、建築にも触れ、絵画を勉強していたのである。ちなみに父は、工手学校(現在の工学院大学の前身)を出て、まず宮内省匠寮に勤めていた人で。母は、祖父が住友本店(旧財閥)の臨時建築部に勤務した人(今の日建設計)。母と父が結婚する頃は、大阪天王寺に事務所を持っていた。この人は、大(おお)先生と呼ばれていた。だから、大阪が本店で、僕の叔父が仕切っていた。いよいよ日本の敗戦を跳ね返すべく、戦後の再建活動が始まっていたのである。もちろん若い僕は、そんなことを深くは知らなかった。のは、当然である。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

全部僕の実写です。全てスイスです。

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2019.06.27

永遠の生命と、レミレザブルで入院となるの記

 入院中に読んだ本は四冊。全部を、読みきったというのではない。中心はエミールブルンナー「ロマ書」、次が「レミゼラブル」、その中。病院の中で買ったものが「オレたちバブル入行組」、「武蔵野樹林・縄文の武蔵野」。で、読み切ったのが、入行と武蔵野である。ユゴーは、未だ完読していない。もちろんロマ書も、まだまだ先が長いに違いない。レミゼラブルの長さは有名で、まるで聖書である。ロマ書は、すらすら読めない。書いてあることは、クリスチャンにとってそんなに難解ではない。難解を避けるブルンナーは、質の高い素晴らしい神学者である。だが、内容にいちいち感心する。から、前に進むことができない。そこまででいいよ、と言ってしまえば、それでいいのである。神を信じるということは、何も深く論理することではない。結局、静かに観想する他にはないのである。そこに行くとユゴーは、ともかく複雑極まりない。物語はヨーロッパ史に渡っているし、そのテーマは複雑である。人間的な結論も、様々で。もちろん神は出るが、ブルンナーに出る神学的な、純金のような、純度の高い神ではない。むしろ、ドロドロとした塊で、流動的でその中の金は、どこにあるのやら、訳が分からなくなる。それでも、ユゴーは書き続ける。こちらは読み続ける。疲れる、やめたくなる。なにせ病人である。で、ブルンナーに戻る、またユゴーへ、と繰り返し、たのだ。そんな中、ほとほと疲れ果て、売店で買ったものが、後の二冊。入行組の作家は池井戸潤さん、素晴らしい人だ。こういった本を買ったのは、タイトルの「バブル」という言葉に惹かれたからである。まさに、僕はその時を生きた人間なのだ。知っていて関わった銀行、なども出るは出るはで、自分の体験と見事に一致してくる。僕は、もちろんバンカーのようなものではない。主人公は慶応大学で、僕は明治学院。そんな大銀行を狙う僕ではない。就職の時、てんで、鼻から問題にしていない(向こうも問題にしていない)。が、社会に出てから巻き込まれた。その中で、絵画もバブルの影の主役だったのである。僕の勉強は明治学院の神学が10年(文学部)、夜学の駒美、の油絵科が約5年。だ。その僕が、建築設計事務所の営業などをやっていたことが、このバブル小説の中で、まさに「踊った」。一気に読んだ。こういったものをあまり、最近読んだことが、ない。のに、僕は一気に読んだ。手術のあとベットで予後を養っていた時で。その間、約一週間強。今、家にいて書いている。そんな中、ホッとしたのが武蔵野樹林、素晴らしい雑誌だ。素晴らしい若者たち(僕の年齢七十七歳から見て)が、見事なインテリジェンスを発揮。して、日本の高い教養を明示してくれた。僕は久しぶりにその本で、武蔵野樹林をさまよい歩いた。で、なんとか、退院。なにせ切った切った病気なので、下血が治るのは一ヶ月と、覚悟している。日常生活には、なんの心配もない。覚悟が決まったので、これを書いた。画家の筒井が、メールをくれて。術後の心配をしてくれたので、メールを返し。収穫の多い入院でした、と返信した。武蔵野樹林には、「美術館とは何か・金沢21世紀美術館を訪ねて」という記事があった、僕はこれをネタに筒井と大いに話してみたい。偶然である。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

再び、ウィーン。ただし、ハプスブルグ家から発する、市民革命の目線は明らかに変わった。ユゴーのレミゼラブル、その「ワーテルロー」を読んだからである。ナポレオン最後の、敗戦記、は凄まじかった。あの雄叫び、殺し合いはヨーロッパの優雅を生み出す、のか。と思うと、ウィーンがいささか、しらけ気味になった。単なる、馬鹿どもに過ぎないキリスト教のヨーロッパ人。近代史の思想の流れは、高いものと思っていたが。日本の思想の方が、明らかに質的に高い。ただし、非論理的だ。突き詰めれば、一汁一菜。空(くう)。なんとも情けない次第。下の写真はヴィデオからスマホでショートカット。全て自分の撮影したウィーン。

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2019.06.17

永遠の生命と、レミレザブルからブルンナーまで

 レミレザブルを読みながら僕は。簡単な日本史西洋史対応表を作ってみた。要するに、レミゼラブルの頃と、日本のその頃を対照したのである。フランス革命、ナポレオン、レミゼラブルなどの時代と、日本の歴史呼称としての日本史の出来事を考えてみたのである。すると。一番面白かったのは、やはり日本では同時期に、渡辺華山や、大塩平八郎などの事件が出てくる。ので、急に面白くなり(一層)、さらに僕は結局ブルンナーさんに一足飛びに、至った自分を見出したのには、自分ながらびっくりした。僕が、明治学院大学のころ、思想系の本はそれこそ読み漁ったが、その中で今朝、まざまざと思い出したのが、「正義」という本である。言うまでもないが、レミゼラブルの主題は正義である。砕いて言えば「義」である。誰も、義、が好きなのだ。しかし、義は傷つきやすいのもその性格で、呆れるばかりに利用されもすれ嘘も付かれ、その上捨てられたり、するから。厄介な概念と言えるだろう。僕は、かなり真剣に読んだが、結局放棄してしまった。のは、自国日本の大日本帝国の正義には、あの頃の若者が辟易していた時代だったからである。要するに、教条主義というもので、それが。どう見ても、悪さをしたと僕ら若者は受け取っていたが。それが戦争の原因である、と思っていた。のである。この傾向は、あの頃世界的に通用する嫌悪感で、「怒れる若者たち」という名称を、それに与えたのは。大人たちであったと思う。この現象は、今でも明瞭で、何に不満なのかわからないが、ともかく。若者は新品の体を使って、穢れなきわがままをするに決まっているのが、人間というものであろう。無邪気に育っているのに、いつの間にか義の規制が入り、その規制がいつか僕たちを怒らせるのであるが。それに戦争などという、ものが加われば。気違いじみた殺人が平然と実行される「戦争」の、実態が明らかにされること、なのである。一番まずかったのは、第一次世界大戦で、火器や航空機が登場し。昔の武士や騎士の格好いい戦いは、消え。てしまい。卑怯な、だまし討ちを作戦などと称して、自己の利益ばかりを優先させる勝利だけをを目指す人類殺戮作戦。になる大戦が、まさに第二次世界大戦であった、と言えるだろう。だからそのあとの、思想の構築は容易ではなかったと、思う。それをブルンナー神学を使って構築しようとした、西側の思想構築は、一方で。唯物論国家の共産主義と、もろにぶつかって。要するに冷戦構造が。世界の、第三次世界大戦的危機に発展したのであろう。そのような背景の中で、西側の思想家たちは、ブルンナー思想を頼りにし、「世界正義」を構築し始めた。頃、僕らキリスト教神学校である明治学院の秀才たちは、この思想の洗礼を受けざるを得なかったのである。それが今でも本になって、ブルンナー著作集第6巻、として銀座教文館の、売り場の隅の方で売られているのである。と、僕は知るのである。で、僕は、この本を。あの時も。真剣に読んだのであるが、全くわからず。今朝、七十七歳になって、改めて読んでみようと、思いついたのである。今朝の朝焼けは、綺麗だった。レミレザブルと、同時読みで。やってみるかな。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

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僕がトレッキングした時に撮影。神学者ブルンナーさんの故郷です。

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これは僕の宿泊したホテル(左がわ大きな建物)、絵葉書から転写。

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これもトレッキングの実写。

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これも実写。

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ホテルベランダから実写した、アイガー北壁。

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僕のスイススケッチ。

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僕の実写。

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実写。トップオブヨーロッパ。ヨーロッパで一番高い展望台で。

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実写。

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実写。

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実写。

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僕のスケッチ。スイスの宗教改革者カルヴァンの記念教会。カルヴァンは、ブルンナー神学の背景にある16世紀の思想家、神学者。

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スイスジュネーブ美術史美術館、実写。

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スイス、壁のポスター、実写。

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スイスジュネーブ、実写。

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スイスジュネーブ、実写。

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スイスジュネーブ、美術史美術館、実写。カメラはコンタックスフイルムカメラ。

 

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2019.06.16

永遠の生命と、小説レミゼラブル(ユゴー)の100年前

 僕が生まれたのは1941年である。その時、ペリー開国以来の怨念を晴らさんばかりに、大日本帝国はアメリカを奇襲する。その時僕は生まれたが、その時からちょうど100年前ほどが、大塩平八郎の乱である。なんだ、たったの100年前とは、知らなかったが。その時、ジャンバルジャンは黄色い通行証を持って、刑務所から出たての自分に旅をさせる(目的地はあるようだ)。刑務所(徒刑場と訳されている)に19年。の生活であった。もともと、頑健であったのであろう。なんとか命を永らえてのことであるが、その罪の原因が、有名なパン一切れだというが、まだ僕が読んでいるページには、出てこない。で、楽しみに読んでいるが、僕が1960年明治学院で、中学校からやっと大学に入れた時に、から見れば120年ぐらい、の時で、今の七十七歳から見ると、170年前の出来事なのである。が、はじめに若い時に読んでもいたので、つまりせいぜい200年は経過していないのだ。つまり、この歳になると、100年などは年数ではない。いや2000年前の聖書をしょっちゅう読んでいるから、2000年前も、そんな昔と思えない。で、ミレザブルにも聖書がのっけから出る。のは、初めの一章は司祭の話だからである。彼は真面目な司祭で、ヒューマニストである。聖書で「義務」の研究をして、本でも出版したいというような人であるが。若い時は、よくわからなかったが、今はよくわかる僕なのである。大塩平八郎は僕の好きな革命家で、徳川時代には珍しいクーデターを起こす。本格的なもので、どうも年貢米を先輩がごまかしていて、賄賂などという幕府官僚の腐敗の実態に、本格的に武器をとったようだ。つまり、フランス革命期と同じことが、小規模ながら官憲の良心から発した騒乱を日本に引き起こしたのは、日本史では本当に珍しいことだったらしい。それが、226事件などという近代史後半の世界戦の序曲は、日本でも激しさを増し。様々の思想の錯綜の中で、人々は苦しんだようだ。と、知っていると思ってはいるが、もはや僕の問題は「永遠の生命」でしかない。のは、ブルンナー神学に達した僕の明治学院的幸せと、いうのであろう。これで「一通」したのであるが、僕はああ無情を、さらに、読みたい。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

全部僕のヴィデオショートカット。絵にするために実験的モチーフ。

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車椅子のおばあさん。

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城の森の中のリス。よくわかんねーな。可愛いですよ。

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車椅子のおばあさん、森の中に向かっている。

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正面中間は宮殿、その向こうにシュテファン教会が見える。やや右。とんがり帽子。

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場内の観光馬車。リスの森のそばで。

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永遠の生命と、小説レミゼラブル(ユゴー)からわかること

 永遠の生命と、小説レミゼラブル(ユゴー)からわかることは多い。のには、実際びっくりする。僕が、明治学院の高三の時に発行された、今も現売(岩波文庫)のレミゼラブルは260円が正確である。その時は平凡社。立派な装丁であると前回書いたと思う。その感想は変わらないが、その紙質は悲しいかな、戦後を感じさせる(紙資源からいえば良いことであるが)。が、今の郵便ポストの、塵(ごみ)となるチラシ紙の立派なこと、呆れるばかりである。僕のマンションの古い(30年前の)郵便ポストには、毎朝チラシが決められた廃棄物ポストに集まる。住民がそれを、一定の廃棄物郵便物受けに入れるからだ。それが、いつも一晩でいっぱいになる。年金者の僕が、それを。我がマンションの資源置き場(僕がそう勝手読みするごみ置き場に)に、僕が持っていく。のが、僕の毎朝のお勤めである。そうしないと、ポストから溢れ出たチラシは、そのやわな口元から玄関ホールに溢れ出て、まさに散乱するのだ。から、たまったものではない。で、僕が毎朝、必ずそれをまとめて、溢れないうちに塵(ごみ)置き場(僕はこの表現が気に入らない)に持っていくのが、僕の毎朝の義務となっている。のだ。とは、このマンションの住民の知るところであるが、誰も僕を褒めてはくれない、のがとても気に入っている。僕が、自分の母親が車椅子になった時、近所を散歩して、いる時。そこらの見知らぬ年寄りが、大変ですね。などと、声をかけたのに、かみついたことがある。うるせー。オレは好きでやっている、親孝行ではねーや。いやいやだと、悪態をついたが。今はその母も、いない。ははは(母は、と読む)、今僕の部屋で死んだが、僕は死んだ母のベットが、今の僕の寝台である。レミレザブル、はその一章、2章、三章冒頭まで読んだに過ぎないが、そこに驚くべきことが書いてある。実にこれが、わかりにくかったヨーロッパ近代史の圧巻が、書いてあるとは若い時に読んでもわからなかった。ヨーロッパ30年戦争(宗教改革史の一局面)、ワーテルローの戦い、すなわちナポレン戦争とその推移、フランス革命政治史、キリスト教の関わりが、あまりにも簡潔明瞭に書かれていた。司祭は、ジャンバルジャンを宿泊させるが、その優しい妹さんは、反対のようだ。中世の城壁で囲まれたさびれたその寒村は、ナポレオンが自己の革命のために。印刷物を大量に刷った印刷屋もある、のはいかにもナポレオンという英雄の。市民皇帝の若い熱情が、読んで取れる。が、皇帝とならざるを得ない天才の、フランス革命が複雑になって乱れるその結果の実態は、なるほど。この小説が、もともとユーゴー(ユゴーとも発音するようだ)の実体験であった。と、知ったときは、目からウロコが落ちた。朝となった。この本は、ドキュメンタリー、と知った。貴重な人間記録で、あるようだ。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

これは、僕のウィーンヴィデオ(20年前)の水彩画制作のためのモチーフとして、カットしたものです。僕の実写です。きっといい絵ができると信じています。売れるとも思っています。僕のネット画廊でいずれ売りますから、楽しみにしていてください。

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2019.06.13

永遠の生命と、ブリューゲルという宗教画の凋落と日本文化と西洋文化

 僕のブリューゲル美術書で、西村書店のアートライブラリーが再版されていない、ということはショックだった。僕は、だからウィーンを自分の動画で描かねばならない。あの魅力的な街は、今も我々を引きつける。ヴェートヴェンもモーツアルトも、もちろん古典だが、演奏会はある。で、ブリューゲルの。バベルの塔が、日本に来るとなると大騒ぎになる。のが、日本人の密かなる思いである。が、西村書店では売れなくなった、ということである。これは、西洋絵画の古典で、大衆の支持を得る時代が去ったことを意味している。しかしその本当の理由は、キリスト教の日本文化での後退を、意味するのではないか。と思う。もちろんブリューゲルはスマホで見ることができる。ので、出版一般状況の中で、美術本も買われないのかもしれない。があの味を味わうには、スマホでは無理だ。が、概して今は、皆。本を読まないというが、昔も同じだ。だが、出版事情が全く異なった時代のことである。パソコンでは味わえない、ブリューゲル絵画の美術書は、結局思想なのだから。ブリューゲルに限り、特段だと僕は主張したいのだが。つまり、人間の永遠の生命の問題(神学)だが。今更。で今日は(明日はわからないが)、これ以上書くこともない。のは、昨日はもっぱら一日中ウィーンを描いていたからである。今日も描く。それで、言葉が消えたのだ。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

下のショートカットは僕のビデオから。

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2019.06.12

永遠の生命と、水彩画の構築とブリューゲルの絵画

 もちろんウィーン旅行の僕の絵画的成果は、ヴィデオではない。僕のもっとも大切にしているのは、ブリューゲル絵画の鑑賞である。僕は、意図したわけではない。妻と二人で、地図を片手になれないヴィデオ(水彩画に利用するとは思わず)を片手に美術史美術館に行った。それは昔の宮殿の中にあるらしいのは、周囲が城壁で囲まれている空間から推定した。その一角に、美術館はあった。深いことは分からず、ともかく入ったのであるが、一室目がブリューゲルの部屋なのだ。有名なバベルの塔がある。で、僕はその部屋から動かず、いろいろ、飽かず眺めることになったのは、予期せぬ出来事に過ぎない。帰ってきてから真剣に何度も読んでいる西村書店のアートライブラリー「ブリューゲル」は、実に難しいものである。ブルーゲルの絵画も難しいが、その書かれた内容は、さらに難解で、いかにも西洋絵画史は、日本人離れをした西洋絵画史である。わかるわけもない。が、ブリューゲルの背中合わせの二室目はレンブラント。ちらりと観て、すぐ一室に戻った。そこで穴のあくほど見て動かない僕に、妻が怒ってしまった。ともかく僕は、それだけを観て、妻と一緒に美術館を出た。妻には申し訳ないが、でその美術館がいかに多くの優れた収蔵品を持っているか、見当もつかないまま外に出たのである。僕は妻にお願いして、地下でアダムとエバのレプリカを買って、今僕の家のトイレに置いてある。アダムが天を見つめ、その腕にエバがしがみついている十五センチほどの像で。僕はいつもアダムを見て、僕を考えているのだ。ところで、BRUEGELブリューゲルを観ていると、本当に宗教改革の悲惨が見える。のは、当然のこと。ハプスブルグ家が評価したブリューゲルは。世界で一番収集数があるようである。し、その美術館の目玉でもあるようだけれど。では、ハプスブルグ家はどの様な意識で、その絵画を収集した。かと、考えると。そこに揣摩憶測が浮かび上がる。のも、テキスト的に宗教改革を、他の日本人よりは、少し深く知るくどい日本人プロテスタントにとって。その揣摩憶測は、実に絶妙な神学なのである。あの時(宗教改革の時)、大衆は、がっくりきたのである、と思う。領主様が信じていた宗教に改革が起こる、とは信じられない事態だ。で、人々は、あのようなブリューゲルが描いた狂態を演じざるを得ない自体になったのだ。と、思う。で、ハプスブルク家は、それ見ろ、僕の揺るぎない支配があったからこそ社会は、安定していたものを。馬鹿どもが、改革をするからこのザマだ、という意味で収集したのだと、老人の僕は気がつくのだ。これも、人生の経験のなせる技である、と思いつつ。疲れたのでコーヒーを飲んで、一休みしたい。場所は馴染みのアンテンドゥ、である。今まで、アンデンドゥ、と発音していたが、スペルから気がついた次第。何語か知らないが、ローマ字も結構、粋だね。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

これも全部ウィーンのヴィデオから

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永遠の生命と、水彩画の構築と京大名誉教授飛鳥井雅道氏の死

 パソコントラブルは、あっけなく解決した。爆進的に直進するパソコン技術と逆走する歴史研究の、渦の中で。僕に昨日、古書「中江兆民」(吉川弘文館・人物叢書・飛鳥井雅道著・平成11年・1999年)が着いた。飛鳥井先生は、僕よりか概ね十歳上だ。その先生が、その本を書き終えたのは、なくなる一年前である。1999年四月に先生は「はしがき」をその本の冒頭に書いて、僕はパソコンを叩きながら、酸素吸入をしている。と、書いているから、亡くなられたのはその後一年も経過しない頃だ。僕は、この本で、僕の大逆事件研究(その関わりとしての)を終えることができる。身辺にいた、僕の知る事件関係者も、全部冥界に行ったので、僕もそう遠からずそうなるのは、必定である。僕は、だから絵を描く。昨日も、不調のDVDディスクを、なんとか正常に戻して、やれやれとウィーンを観た。ウィーンのカトリック伝統をまざまざと観て、僕はオペラハウスの前に、再びキャンバスを建てた自分を想像した。のだ。で、中江兆民。を、読んだ。すごい本である。要は中江兆民は幸徳秋水の先生なので、あるが。この人物、僕らの年代にとって実にややこしい人で、理解不能だった。この人を理解できないということは、日本の近代が正確にわからない、ということなのだ、と知った。のだ。で、僕は苦労していたのであるが、飛鳥井先生のおかげで一気に解決した。坂本龍馬も出るから、わかってしまうと、スッキリする。わからなかったのは、僕が明治学院でイギリスアメリカのキリスト教を勉強していて、フランス系のそれは全く勉強していなかったからである。言うまでもなく、中江兆民はフランスに留学した人だ。つまり、どちらかというと、絵画派なのだ。で、引き込まれて読んでいるのだ。まさか、フランスの絵画派が大逆事件と関連してくるとは、思っても見ないことである。今日はこれまで。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

下のウィーンショートカットは全部僕のヴィデオからだから、全部僕のものだ。で、どれも、絵になり、きっと売れる。と、確信できる。

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2019.06.10

画廊・第一室

  

 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

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2019.06.09

永遠の生命と、水彩画の構築とウィーンの地図とホテルモントレ銀座

 銀座にホテル「モントレ銀座」がオープンしたのは、2000年6月だから、僕がウィーンのホテルインペリアルに宿泊した時とほぼ同じ時期である。まさかあのホテルが、アコムであるとは、思っても見ないことである。あの時に発行された「銀座WALKING」という雑誌にそれが載っている。VOL・4 2000・5・6月号 という古い雑誌であるが。これが、無料。という雑誌で、僕の本棚にあったものだ。美しいお嬢さんがにっこりと微笑んでいるが、この人の名前が中村綾子さん。全く知らない人である。が、この雑誌では触れ込みとしては素人のOLである。考えてみると、おかしな話で、ふとしたことから夫婦でヨーロッパ旅行をしようということになった。確かそれが、スイスだっと思う。あの頃はスイスエアー(倒産)という有名な航空会社もあって、僕が勤めていた日比谷日活本社に、長い間ショールームがあった。で、なんとも奇妙なのであるが、その時期、盛んにスイスツアーを宣伝していて、今はないがスイスルームなどという特別宣伝隊までが、銀座に店開きしていた。そこに行って、つい行ってしまったスイスを、ここで盛んに書いているのである。その勢いが、今度はウィーンに行くか、ということになったのは、全くの偶然である。若く勢いがあった僕たちはなぜか、またヨーロッパに行きたくなって、プライベートが許される旅行プランに興味があって、そこにまず申し込んだ。が、そのグループは集まらず、不成立となった時。ここからが話で。不成立なので、隣の旅行会社ならあるいはということになって、行ったら目的的に。まさに、それではウィーンでいいものがあり、全く個人旅行ですから、お任せください、ということになった。その宿泊ホテルがなんと、全く知らないホテルインペリアル、だったのである。別に頼んだわけもなく、安いツアーの代わで費用も予算内で、個人でぶらぶらできるウィーン、ということになった、にすぎない。これが、今僕が利用しているヴィデオなのである。僕は帰りぎわに、「HOTEL IMPERIAL VIENNA」という本を買って、今でも大切に持っている。のだ。その副題は嘘か本当か、僕にはわからないが、なんと「THE MOST FAMOUS HOTELS IN THE WORLD」となっているが、今改めてみると、そうなのかもしれない。と、思っている。実際、あきれた話で、全くの偶然で。スイス旅行は、ある程度自分の意思(プロテスタント発祥地の一つ)もあって、世間の景気や旅行商売と僕の懐具合との一致、があったのであるが、ウィーンだけは本当に偶然の偶然である。実はキリスト教徒の僕にしてみると、確かにオーストリアという国は、興味の対象であることは止むを得ない。のだ。なぜならハプスブルグという家は、カトリックの政治的象徴のようなもので。中世キリスト教の実態を考えると、これだけは外せない家系と国なのである。ヒトラーさえ、ここで生まれ、あの世界大戦を創造したのであるから、誠に馬鹿げた話で。僕らがキリスト教の歴史をやればやるほど、本当に情けなるほどの事態なのである。その実態を解釈しようとしても、それは東洋人で日本人の僕にはできない相談で、まるで歯が立たない。それでもやはり、偶然ではあるが、行ってみるとハプスブルグという不思議な家系は、所詮スイスあたりの貧乏貴族の偶然が重なったもので、偶然の力量を知る、ということにもなるのである。ほとほとわからない、世界の動きを知ることは。所詮スイスの神学者ブルンナーが構築した、キリスト教神学の基礎の基礎に、寄らざるを得ないという、話で。それ以外では、全く訳が分からなくなるので。僕の、銀座雑誌からウィーン、さらにスイスまでの僕の軌跡がわかるだろうか。で、僕はウィーンの絵を水彩で描くつもりだ。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

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写真はだいたい僕のヴィデオからショートカット。ここはウィーン郊外のベートベンの家、に行くための市電の終点あたり。

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これはシューベルト像。ウィーン市内。

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これはバロック式の教会で、カトリック。ウィーン市内。

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これは宗教改革でカルヴァンたちが乗っ取って、プロテスタント教会にした元カトリック教会。これはスイスのジュネーヴの写真撮影。ヴィデオショートカットではない。

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これは、宮殿(名前は忘れた)の庭、ウィーン市内。有名な宮殿は二箇所ある。そのどちらか、あとでゆっくりと地図で調べたい。

 

 

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2019.06.08

画廊第二室

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

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永遠の生命と、絵画への欲求のために

 

 

 明治学院から古い本を出してもらい、期限に縛られるのが嫌で昨日返しに行った。8時半ごろ家を出て働き人の中に混じり、その凄まじいスピードとエネルギーに辟易しながら、揉まれて白金高輪に着いた頃は、混み合っておらず。そこで降りて、ふといつもの出口とは別の、反対側(明治学院と)の出口から出てみようと、思った。のが、異世界への入口となった、とは。びっくりである。自分は明治学院に学生時代は10年も通い最近では、懲りずに図書館通いもするから、家からのこのルートは最近では白金台から、白金高輪なのである。それこそ、通い慣れた卒業生であって、なんの貢献もしていないで利用だけしていて同窓会費なども払っていない。卒業生なのであるが、キリスト教の研究をすると、どうしても明治学院の図書館は馴染みの図書館になる。もちろんその使用には頻度のばらつきがあるが、だいたい考えてみると、かなり利用している卒業生であろう。学食のラーメンを食いたくて、コーヒーも飲みたくてずウーズうーしく利用しているのである。で、昨日はそうもいかず。とりあえず大切で貴重な、蔵書以来僕だけが借りた古い本を馴染みのカウンターに返して、駅に戻った。のは、戻り方に意図があったからである。図書館に行くときに、反対側に出たのであるが、実は心の中でびっくりしていた。いつもの出口付近は、だいたい知っているが、近くに有名な江戸時代の四十七士ハラキリ現場があり、その先は泉岳寺で今盛んに新駅を作っている場所に出る。ことは、わかっている。ので、そのルートは実は昔はしけた雰囲気があって、その後今のように再開発された広尾方面に抜けていく、昔の僕の高校時代の旋盤工アルバイトの工場のあった場所なのである。僕のネジ屋のTも、家に、同級生なので遊びに行ったことがあり。僕がでかい工場でアルバイトをしていることを彼は知っていた。臭い(当時)安いラーメンを食って、今よりも痩せていて神経質な僕は、目ばかりギョロつかせて、せっせとアルバイトをしたのは、学校に求人広告が出ていたからである。僕が働く(労働者になる)という経験を自らに課して、働いたのは。結構それをやって、勉強などはしていない家は。建築設計業で、職住が一緒の由緒ある設計会社で、それなり戦後のブームに乗っていたから、深いことは当時わからなかったが、貧しいという家ではなかった。でも僕は、労働者になりたかった。で、内山という今は全く連絡もない同級生と、絡んで働いていたのである。その工場跡地を再開発し立派な道路を貫通したのが、今の大通り白金高輪駅周辺のことなのである。で、僕は当時を知っているから、当然その工場がどうなったか、とか。Tはどうなったかなどは昔から気になっていたのである。が、その方向は、明治学院と反対側なので、どうせしけた場所に違いない。いくら立派に道路ができたとしても、と。長い間思っていたのである。だから僕が初めにそこにいく時には、全く違っているな、異世界だと軽く思って初めに書いた。が戻りぎわに、実際驚いてしまった。そこは道路はともかく、再開発ビルが厳然とあって、その駅に通じているその場所は、まさに六本木と変わらないデザインと街に様変わりしていた、ので。僕はそこのスターバックスでコーヒーを飲むのもやめて、早々に池袋の世界堂に行き、自分の水彩画を描くために準備した葉書大の最高級画用紙を買って、家に帰った。帰り際、僕の馴染みの駅前のアンデンドゥで、馴染みの店員さんに挨拶をしてコーヒーを頼み、岩波文庫の「フランス・プロテスタントの反乱」を読んで家に帰った。なんとも、不思議な気がして、僕は全くなんとなく、嬉しい久しぶりの雨で、サラリーマンではない僕の特段の待望雨、になった。と、思った。のである。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

以下の絵画は全て私が実写したものです。ジュネーヴの美術館です。

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2019.06.07

永遠の生命と、フランス革命前夜

 昔読んだフランス革命ではマリーアントワネットの死刑が出る。興奮した人民がバスチュールの牢獄を解放する。多分政治犯を入れていたのであろう。今日本には、こう言ったことを起こす前の政治犯の牢獄者はいない。江戸時代には、いたようだ。明治になって近代化された日本は、この政治犯の収容に手こずる。今もおんなじで、体制側にすればなんとか事前に犯人を抑えて、社会を維持したいと思ってはいるが、そんなことは日本ではできない。が、中国は平気で今もこれをやる。人権の国のアメリカは、これを秘密にやる組織がしっかりしている。様子がある。イギリスなどもドラマ刑事フォイルは終わったが、その最後の場面は大戦中の秘密組織の二人の責任者が、ともに自爆とその巻き添えで社会から抹殺される場面でそのドラマは終わった。見事なもので、名作であろう。ポワロさんも好きだった、がフォイルドラマも傑作だった。などと思いながら、昨日、明治学院図書館地下二階からえらく昔の本を出してもらった。書かれたのはブルンナー四十八歳の作品。古いと言っても私の生まれる少し前1939年の作品である。英語。訳したのは英国人か米国人かわからないが、ブルンナードイツ語を英語に翻訳したもの、である。その本を所有していたのは秦庄吉。明治学院に秦さんの蔵書が寄贈されて、その文庫が一式残っている。その文庫の中にこの本はあった。今まで誰も借りていない。もちろん秦氏をWikipediaで確認したが、予想通りなかったので。少し書くと、私の知るフェイリス女学院の院長であった山永武雄夫妻の父上である。旧制の明治学院で教授をしてアメリカに渡り牧師をしていた。で、ものすごく古い話であるが、フランス革命より新しい。この日本語訳「人間」を読んでいるから、英語で読みたくなったのである。今もアメリカでは売っていて、約2万円はする。とても買えないので、明治学院図書館に行ったというわけである。池袋のキンコーズで一式コピーをとればなんということもないので、行ったら一式コピーはできない規則だという、以前であれば、できたと思う、が。今はダメだ。で、自分で少し取って製本をして帰って来た。コピー会社キンコーズも、過日の面影はない。で、フランス革命。ともかく街を歩いていると、すごい不満が街に溢れ散る。どう説明して良いかわからない。今稼ぐ人たちに、昨日の暑さはこたえる。真夏でもないのに、たいした温暖化だ。環境破壊であろう。皆不満不快だが、どうにもならない。フランス革命前夜の雰囲気が池袋の街を覆う。表面は華やかに見える街の中に滞留して渦巻く欲求不満は、老人に向けられる、自分より貧しいものに向けられる、弱い子供に向けられる、のは世間にフランス革命前夜の雰囲気があるということである。これを解決するのは、一体何か。何か世界に大大事件が起こる予兆であると、僕は感じて家に帰って来たが、その前にコンビニで百円コーヒーを飲んてアイスクリームを食って、地下鉄で帰った。自分でコピーする製本はせいぜい100ページぐらい、キンコーズの製本だけは、短時間で見事にできた。僕はこれを日本語の本と突き合わせて、「人間」を考えたいと思っている。著者ブルンナーはスイスの神学者である。彼が、思想としてのソビエトを破壊した人だ。と、最近知った。

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 筒井友美作品。

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上の写真はブルンナー、若い時は一層鋭いいい男ぶりだった。が、大戦を経験し、自分の神学を再構成しなければならなかった。が、基本的にはキリスト教的原罪をしっかり所有するキリスト教神学の神学者。その歴史理解に間違いはなかった。で、新たな戦後世界に思想的指針を与えて死んでいった。その人の本が、僕の明治学院高校の教科書だった、のだ。その英訳が下の写真のもの。アマゾンで今も二万円もする本である。

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この写真は、内村鑑三の不肖の弟子、有島武郎の心中をした軽井沢の家。移築されて写真のこの場所に来て、現存していると思う。僕が行った時は、コーヒーショップだったが、今はどうかな。

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遥か前に日本に来たザビエル。ウィーン・シュテファン教会に祭壇のある人。僕はそこにお参りをしたことが。が、僕だけであろう。僕はその時、いわゆる観光客ではない、という意識だった。

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これはシュテファン教会の祭壇。僕の撮った写真。ザビエルの記念祭壇は写真の左端に見えるものだと思う。正面が中心祭壇。写真はヴィデオからのショートカットです。

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これはブルンナー縁のスイスの首都ベルン。チューリッヒからは近い。若きアインシュタインなどにも縁がある場所は、この撮影現場からも遠くはない。

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ウィーンのマイヨール作品、だと思う。僕の撮影したもの、いいですね、最高の作品です。ヴィデオからショートカット。

 

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2019.06.05

永遠の生命と、ブルンナーの人間論の、自然主義神学の中の非自然主義

 熊沢英昭が自分の息子を殺したのは、自分の息子が他人の子供たちを襲うと言う、横浜の例に倣った行動をするのを恐れての凶行であると、報道された時、僕はブルンナーのような。西洋の神学者が言う自然主義神学がわかった、ような気がした。西洋では自然と神は、実は対立する概念である、か、それとも親和性のある概念であるかは、西洋思想の論争の真髄である。誰も簡単には、論理化できなかったのだと、七十七歳になってやっと理解できた。今まで若い時からキリスト教の神学らしきものに触れてきた明治学院の、僕と言う秀才は。やっと自然主義神学が読めた。のである。昔から自然主義神学とは、何かと思っていた。まさか、こうも明確に対立するものだと、は思ってもいなかったのは。僕が純粋なアジア人で、日本人であるからであろう。日本人の文化的伝統に従えば、自然は人間と対立する概念ではない。言うまでもなく日本の伝統的な宗教は、自然的である。それを自然の中で、自然に会得する我々には、わからないことと言って自然と神が不一致で、まさか対立するものなどとは、思っても見ない夢物語である。神は自然を創造したとは、聖書にある通りだが、まさかその深いところで絶対対立がある、と言う概念を神学が生み出していたとは、まさかもまさか、である。これは、日本人がキリスト教をやって一番わからないことであろう。要するに伝統である。その例として、フランスなどの整然とした都市計画では。日本などよりも自然を大切にする。それは一定の区画や確然とした差別的地域の隔離された部分(絶対対立)、として、いわば自然を「飼っている」ような感覚である、と言うことがわかった。僕は、スイスの自然が好きであるが、その圧倒的な自然の力量を制御するのが、スイスの神学者ブルンナーたちの、スイス人らしい人間意識、概念のもたらすところだとは、知らなかった。彼らは自然と対立しつつ、それを制御したのである。それが、今のスイスの観光資源となっている。それに比べ、日本のそれは、人間といつも一体的で、制御というより親和的でつましく、決して制御しない、されないものなのだ。僕は、西洋の技術文明が明らかに明確な意識のもとで、横浜から新橋に鉄道を引いた時、非難した日本人の一人と言って良いと思う。日本の広重のモチーフをぶっ壊す親和性のない鉄道は、今は言うまでもなくますますその技術パワーを発揮して、広重をぶっ壊し続けているのであるが。僕はこれが西洋文明の特に、キリスト教の自然神学の真髄であるとは、気がつかなかった。明らかに、キリスト教では、人間意識と神の意識の対立や、もっとも自然的な人間の意識を自然と対立させて、明確にして。神と人間を裂く。で、神の創造になる人間の現実を見事に書き出し。神の絶対性を基礎に、人間の原罪性を明確にするのがブルンナー神学なのだ、と知った。まさに、僕は熊沢英昭が日本人として行った、そこに人間的な行為を自然的人間と解釈する、日本人の矛盾を見た思いがした。のは、昭和31年に出版された、ブルンナーが1937年にすでに書いていた「人間」を読んで。僕はスイス人の彼の。キリスト教の考え方が、わかったと思った。のは、明治学院で、僕もカルヴァンという宗教改革者の書物「カルヴァンの人間論」(トーランス著・昭和32年・教文館)も、高校の時に読んでいたからだと、自分を知った。話が難しくなったのは、いわば自然と人間人格との唯物論的対立が、日本の今の世の中で。一段と深くなった、日本の現状を憂うからである、と言っておこう。今日も僕は、絵を描く。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

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上の写真は全部僕が現場で撮影した。カルヴァンの家やその教会正面、とスイスの湖に突き出た城。それこそ山のようにあるが、さらにその一部も掲載したい。

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2019.06.04

永遠の生命とブルンナーの人間論の終焉と絶望、について

 

 

 熊沢英昭が自分の子供を殺した時、僕は家の近くに起こったこの事件が横浜カリタス小学校事件の影響であったと、知った時。書かざるを得ない、自分を悲しんだのは。犯人の熊沢が僕と歳がほぼ同じで、その気持ちが多少とも伝わるからである。第一に横浜小学生殺傷事件についてもここで書いているし、自分の息子があろうことか同じ事件を起こす可能性を遮断した父親の決断だったと、知った時には。全く書くことの無意味を思い知らされた。ブルンナーの「人間・その現実と真実」(昭和31年・1956年新教出版社)を読む無意味を感じた。読む、と言うより何か三島由紀夫を思い出した。要するに行動論である。僕のような人間が、この行動論に思い至るのは、一種の人間絶望論で、あって。キリスト教徒の僕が、絶望論で進むことなどできるものではない。し、僕には、三島ほどの行動が起こるとも考えられない軟弱であるから。僕は人間論(ブルンナー)を読むことにした。三島由紀夫の事件を経験した同じ年代としての僕に、殺人を犯した熊沢英昭と三島との繋がりを、想起させた。が、殺人はカインの末裔(有島武郎著)の主要テーマとも通じる人間論なのである。だから内村鑑三は、有島の離反をいたく悲しんで、再び会いたくないと言ったようだと、知るのである。熊沢が多分農林水産省の役人になった時(推定・内村鑑三の最初の勤務先)、僕は三島事件のあの時に、その脇を通って内幸町のあるビルを目指してタクシーに乗っていた。タクシーの中で、三島が事件を起こしたと知った。タクシーはちょうど皇居前あたりで(事件を聞いた瞬間、その時は)農林省の前を過ぎれば目指すビルだったので。熊沢はその時、農林省のでかいビルのどこかで仕事をしていて、二ユースはかなり後で聞いたのであろう、と推定している。ただ時代の風であった三島は、同じ東大だから、いくら三島が旧制の帝大時代の人間とはいえ、その精神論は繋がらざるを得ないのではないか。僕などは明治学院だから、聖書的精神論であるが、それがイエスキリストの磔刑の精神となっているのは、本来僕も磔刑組でなければ治らないものであろう。だが、僕はローマ帝国の迫害を受けるイエス以後のクリスチャンではないので。現代のクリスチャンとして多分他人は不満であろう。クリスチャンならそれぐらいはなんでもないだろう、と言われることのない時代でも、茗荷谷のキリシタン屋敷で新井白石の尋問を受けて処刑された、最後の宣教師シドチのことは、僕はよく知るのである。僕は、その地を度々訪れて、江戸時代のその辺りのキリシタン屋敷の佇まいを、しのぶのであるが。僕は自分が十字架につくとは、正直思ってもいないクリスチャンなのである。で、そんな軟弱なクリスチャンで世のため人のために、何もできないではないかと、言われるのは目に見えている。僕は三島があの事件を起こした悲惨を現場で新聞撮影をしたのが、僕の明治学院時代の同窓生であるとは、知ってはいるが。その人の顔も名前も、あったこともないので深くは知らない(高校時代で組みが違うので)。し、三島の盾の会には、明治学院のものもいて、三島の介錯をしたと言う人もいるぐらいであるから、僕の心境は複雑にはならない。ほど、冷めたものになっている。のは、僕が祈るからである。もう遠くの話であるが、僕の牧師のフェイリス女学院の院長だった山永武雄は、これからは犠牲的社会事業は、キリスト教から一般社会事業へと変身していくと、予想していた。もっぱら、古い犠牲的社会事業はキリスト教(あるいは他の宗教)の専管事業であったが、きっと社会がそれを担っていく時になるだろうと、山永は予想していたのである。それは、見事、その通りになって。個人的犠牲的精神は、失われてしまったような表面的現象の社会になって。若い人は、きっと物足りないであろうと、思うものの。これが社会の発展であると言うのは、確かに弁証法でしか書けないブルンナー的人間論ではないかと、思ったのである。僕も現在は社会福祉非実行型のクリスチャンとして、ただただ残念であるが、僕はもっとしっかりとブルンナーの人間論を読むつもりになった、今朝であった。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

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2019.06.03

永遠の生命と発行部数と実売部数、という記事

 毎日新聞今朝のニュース(六月三日月曜日)でかしら書きの問題を読んだ。実にデリケートな問題で、商売としての売文の「凄さ」「真剣さ」にびっくりした。僕などのように全くの素人のブロガーが、どしどし書くこの祖父ネットは、要するに宗教ネットという意識であるが。全く売れるとは思えないものである。もし、言論の自由というものが今も生きているのであれば、これこそ自由というものであろう。ただし、この自由。罵詈雑言であれ、高邁な信仰であれ、大して違いはない。のかもしれない。要するに、ただなのだ。僕などは、明治学院大学文学部を卒業したとき、出版社などという高邁な会社に就職を希望しなかったのは、漢字に弱く思想に興味があるので、とても僕には無理だと鼻から決めてかかっていた。で、そう言った売文系には行かないで、体を使うサービス系のホテルマンになったときには、同級生に笑われた。が、笑った人たちは一体、今。どこに生きたのであろう。当時の大学では大学が、ほぼ15%にもならない時の新制大学のエリートだと言われた理由など、その時知る由もなかった。戦後の1964年あたりのことで、高度成長が始まったばかりの就職で、就職を特に。今のように考えたことはなく。ともかく社会に出て、なんとかしようという程度の意識でTBSも受験したが、深い意味があったわけではない。そんな僕でも生き残って今幸せに、祖父ネットなどで基督教の宣教をしているが。僕は神は全ての人間を救ってくださると思っているし、それも無料でお救いくださる、と本気に思っている。ただこう言った想いは、成功した老人の妄想で、僕にはなんの参考にもならないと、いうのであれば。さもあらん、説得のしようはないのである。で、有料のキリスト教の分厚い神学書を買ったとして、教会に行ったとして、果たしてわかるものなのであろうか。と、ブロガーの僕は言いたいのである。どうも本の出版会社が、作家に払う印税は発行部数なのであって、要するに一冊売れたから幾ら払うということではないようだ、と出版業界の商売の秘密を知った、ので。新潮社に金お受け取りに行く、僕の先輩の天才小説家島田清次郎のベストセラーぶりと、彼に入った金の関係が、やっと読めるようになったのは。僕の今朝の収穫である、と言える。要するに、出版の自由とは、なんら関係のない、デリケートな経済問題なのである。で、一品一作の絵画から見れば、いたって他愛ない問題であると、言っておこう。

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 筒井友美作品。

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この上の本の島田清次郎は、僕の誇る明治学院の先輩である。当時、新潮社から小説が出て、彼は一躍時代のスターになった。極貧の彼が、新潮社に自分の売り上げを取りに行く場面が、僕にはイマイチ不明だったのである。

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2019.06.01

杉山勝己画廊66

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 筒井友美作品。

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下は筒井個展の入口。

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下は、佐伯祐三の超有名な作品。旧ブリジストン美術館で、最近開館したアーティゾン美術館、にある。

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2019.05.30

永遠の生命と小学生徒襲撃事件とキリスト教(その二)

 カトリックキリスト教の金持ち相手の学校経営が、何かの絶望的な差別主義をもたらしたのか、どうかを測る図式など与えられていない。多分、に過ぎないが。明治学院あたりのプロテスタント学校の金持ちの子弟の生徒や、ICU(東京国際キリスト教大学)などのエリートぶりや、は皆キリスト教的枠組みとして考えられている。中で、僕は明治学院的人生を送ったのであるが、それがどうアメリカと関わったのかなどと考えるのも、あながち無駄ではないのではないか。と、考えたのは。昨日である。久しぶりで神は僕を、労働者飯の食い方に、僕を導いたのも、全く久しぶりである。その上に、友人と飲んだ珈琲店で示現会の歴史に触れたのも、偶然ではないような気がした。示現会は労働者の絵画界の代表である。労働者飯はまずく高いだけで、労働者が食いに来る食堂で夜は飲み屋である、ようだ。僕はそんなパリの場末の酒場の雰囲気を知らないが、昼間の今の労働者が、こう言った贅沢なとろろ丼を高い金を払って、無理して食っているのかと思うと気の毒になった。食い物こそ人間の原動力であるから、僕が今のように絵を描いている自分ではない、サラリーマンの時代だったら、別に驚きもしないのだろうが、それを卒業している自分になって、すでにかなり長い時間が経過して、いかにも画家などと称する自分を水彩画家としてやっと見出している時で。なんとか、いい絵を描けるのではないかと、ヨーロッパで撮り貯めた写真を眺めながら、よしこれなら。ヨーロッパがいよいよ描けるなどと思っている時。貧しい食堂の一角で労働者飯を食っていると、今働く正真の労働者が入ってくる。僕は次の約束のコーヒー店まで歩きながら、そこでブルンナーの例の本を出して、「基督教のつまずき」を読んで彼を待った。そこには、驚くべき記事があって、この本の真正の資本主義的真髄が、まさに「書いてあることを」発見した。戦後、アメリカがあそこまで明確に、自己の資本主義的社会に自信を持った思想は、まさにここに。ブルンナーに代表される神学者の神学の中に、マルクスやエンゲルスを破壊して、唯物論を克服して、戦後の本格的な資本主義に突進する思想が、ここに書かれている、ということを。発見した時。僕は、これがソビエトを崩壊させた考え方、すなはち思想であるかと、びっくりしたのである。そこに持ち込むブルンナーの力量は凄まじく高いもので、僕などが全く理解できていなかったキリスト教神学であり。日本の代表的な知的な基督教徒の内村鑑三とて、とても及ぶものではないと、思った。で、僕は、それを英語で読む必要が出て、英語の古書を買うつもりで検索したところ。驚いたことに、それはアメリカアマゾンにあったが、僕はアマゾン嫌いで。それで方向を転換し、国会図書館や、明治学院や、ICU を調べたら、なんとICU図書館一箇所にあるのみで。明治学院の図書館から紹介されて、そこに行って、それを見ようと思っている。時に、アマゾンの創業者の離婚話から二兆円を社会に寄付をする、と言った。いかにもアメリカらしい話も、突然舞い込んできたからアメリカのキリスト教的力量には、今も日本はかなわないのであるとも、知った。実は、自己言語はドイツ語なのにスイス人のブルンナーは、それを英語でアメリカの神学校で教えた時に書いたもので、明治学院にもなく国会図書館にもなく。日本の古書ネットにもなく、たった一箇所ICU図書館にあると知った時は、さすが。戦後すぐアメリカの肝いりで日本文化改造を狙って作られた、ICUの図書館であるな、とそう思ったのである。その箇所を遅まきながら読む自分であるが、友人と話した示現会の会員を目指す、僕の友人の友人に。僕の持っている貴重な示現会史を渡して、それをよく読んで是非僕をたづねてくれないかとお願いした。時、僕もその本を久しぶりに読んで、示現会には、学歴として一番高い人は芸大(昔の美校)出は、たった一人で、あとは絵画的無学歴の人が創業したのだと改めて知って、僕も。絵画的には示現会で当時経営していた夜学校での絵画修業で。あるから、ほとんど無学歴であるが、その示現会絵画思想こそ。まさに示現会は、労働者的リアリズムを主調とする絵画グループだったのだと、今知った時は。ことのほか嬉しかった。と書いても、この深い意味などこれでは伝わらないと、思っている。コーヒーを一緒に飲んだ彼は、今もって素晴らしい働き人であるが、彼の父は日本の軍隊で高級軍人として諜報の業を専らとした人で、彼のスタミナもタダならないと思っての話なのである、と書いて今日は終わりたい。

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 筒井友美作品。

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33この写真は昔、僕がヴァチカンに行った時に撮影したもので。僕はこの手の写真をいっぱいもっているから。これを水彩画で描いて、ネットで販売する予定にしている。

 

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2019.05.29

永遠の生命と小学生徒襲撃事件とキリスト教

 もちろん邪推に過ぎないが。僕は今、なぜかこだわってブルンナーの「基督教のつまずき」を読んでいる。僕などのように、明治学院高校の時ブルンナーの教科書(我らの信仰)を習ったから、結局人生の最後まで影響を受けたということになる僕が。昨日の事件を推察すると、どうもキリスト教に対する反感のような匂いを感じる。今朝新聞を読んでも、昨日と変わらないが、ただ反感らしきことは書かれているが、推定に過ぎない。本格的な調査は、いうまでもなくこれからである。僕が、その反感に興味があるのは、止むを得ない。これは一種の西洋史の教養、常識的であるが、確かにその匂いがする。ブルンナーは「つまずき」本の中で、マルクスとニーチェに書きおよび、ソ連の崩壊の過程を明確に思想史的に書いている。それは見事なもので、無教会とはいえ僕のように長いキリスト教徒生活では、度々直面した政治的出来事と連動してやまない、ことである。ソビエットが潰れて、元に戻りロシアになったのであるが、ロシア革命という世界史の現実はどう隠しても隠しきれない。から、それは度々思想史的表情を伴って表面化する歴史の事実であると、思う。それが思想史となると、もっとややこしいから、ややこしく書けるが、僕では力量不足である。昨日の事件とで、僕の頭の中には連想が起こるのだ。で、高校の時にブルンナーだった僕は、明治学院大学に行きそこで当然マルクスとニーチェに出会う。これは当然起こることで、カントなどとも出会うから話はややこしい限りである。僕は、かなり真剣に読んだのでるが、もちろんすでに洗礼を受けていたので、マルクス社会主義や共産主義には寄らななかった。が、僕はこれでもかなり社会主義的になり、それなりにそこに自分のポジッションを置いた。そうして僕は明治学院大学文学部を卒業するのであるが、僕が置いたポジッションは要するに左寄りで。僕は映画会社日活のホテルマンになった。あるとき、遅く。遅番でフロントにいると。あるお客が僕に車を駐車場に入れておいてくれと言って、僕にキーを渡した。僕はその最後の客を部屋に案内し。フロントを整理して玄関にあった車を駐車場に置きに行った。なんと、その車はフェアーレディで、当時最先端のスポーツカーである。僕は、エンジンをかけた。ググとくる力量のある深いエンジン音は僕の若い肉体を刺激した。アクセルを踏む。グーグーと体がシートに押し付けられた時僕は、性的な興奮を覚えた。それが、トヨタの有名な車であるとは、思想史をやる僕は知らなかったが、トヨタは、僕が明治学院を卒業する時。僕らに就職を盛んに勧誘していた会社である。で、僕は。それを振って潰れていく労働者の会社日活でホテルマンとして働いたのは、いかにも僕が、労働者を気取ったがためであった。が、自体はそう簡単には動かなかった。のは、いうまでもない。僕は、カトリックのあの小学校がターゲットにされたという、推定新聞記事を読んで。さもあらんと思うのは、キリスト教思想史的結論として、ブルンナーが指摘している、マルクスとニーチェの高い思想の政治的崩壊を書いて、それを読んで感心するからであるが。この話、分かるだろうか。少し難しくなったが、もちろんあのような殺傷事件を起こす犯人は、確信犯か精神病者のどちらかなのであろう、と推定は常識的でしかないが。確信犯が、警察が最も嫌う犯罪を引き起こすのは、世界の常識で。ブルンナーは本の中で、世界の運命を次のように書いた、と書いておこう。(75ページ)「こうして悪の現象は、人間が自分自身の神であろうとすることであります。近代においては、この悪の本性が前世紀の二人の偉大な思想家~~カールマルクスおよびフリードリッヒニーチェの教説において以前よりもより明確に表されました。」と、逆説的に結論を、していたとは、全く知らなかった。キリスト教カトリックが金持ちの愛玩物になって、再び独裁的に世界のアイドルになった時、犯罪は生じたのである、と言えるのかもしれない。と、思う朝となった。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

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2019.05.28

永遠の生命とEUの崩壊

 僕がウィーンに「遊んだ時」。今はこれを「観光した時」と表現するが、僕には気に食わない。いかにも即物的な感じがする「観光」では、ようするに格好がつかない。ウィーンのような「芸術の都」で、観光をする、という遊興を感じさせ表現はふさわしくない。芸術はいわゆる「観光」とは言い難いからだ。観光とは光を見るのであるが、僕ら日本人の中にある遊興精神が、刺激を受ける言葉である。遊興であるか、鑑賞であるか、は人によるが、クリスチャンの僕は、何かにつけて当然ヨーロッパ的だから、観光ではない。かなりくどく知っている面が多いから、僕は芸術の味わいという意味で、「遊んだ時」と、表現したいのだ。こう表現をしたのは島崎藤村である。自分がパリに遊んだ時、と彼が書いたのは、彼は明治学院時代洗礼を受けていて、何かと基督教を味わっていたからで。藤村が明治学院にこないで、なんとか一高、帝大コースを通っていたら、成功してパリなどに行った時、それは観光という次元になる。パリなどに遊んだ時、などとキザな表現はしないに違いない。この表現はキザだが、僕はクリスチャンとして元々キザを身につけているから、同じようにウィーンに遊んだ時、というのである。多分この言葉、女性には使えないと思う。だから、この言葉自体が、すでに死語である。しかし、僕がウィーンに遊んだ時、と書いてその時こそEUの出来立て、ないし出来上がりが実行される時で、面白かった。ヨーロッパが一つになる、という理想はヨーロッパ人の長い理想で、さすがヨーロッパキリスト教文化は素晴らしい、と思ったものだ(キリスト教文化の実態は全く逆であるが)。その喜びは、概ね争いの多い世界と特にいつも大戦の震源地である広大なヨーロッパ地域が、曲がりなりにも経済的な効果を狙って、その交通を自由にするという理想は、高らかに思えたのである。実際僕の明治学院時代の友人Nなどは、それに悪乗りし、車で自分らをポンコツなどと称して、見下すようにしながら諧謔し。実際はその理想を実行する人間として、お高くとまってなんと車でヨーロッパを自由に旅行したものである。これなどは、その典型で。しかし誰しも世界の平和をベースに自由に各地に旅行ができ、かわいいネーちゃんと仲良くできるというのは、もっとも嬉しい理想なのであった。が、いうまでもなくそれが見事に暗転したのである。今更ながら、それは、なかった。日本の僕の友人が理想に燃えてヨーロッパで、自分のキャンピングカーで走り回った時に、ヨーロッパに狙いをつけた貧しい過去に搾取され尽くしたアフリカの人たちは、膨大な数であった、とはつゆ知らず。好い気にヨーロッパを旅行して本まで出版し、それをあろうことか国会図書館にも納本し、さらに池袋のジュンク堂でも売り立てたのである。という、ことの影の働き手は、実は僕なのである。だか、諸君、ここで言っておきたいのは、本にしたのは僕の友人で、その本を売り立てたプランは、僕。だと整理しておきたいが、事実なのである。で、記録は残ったのであるが、それは「まさに」EUの墓碑銘になるとは、思っても見ない貴重本となった。歴史とは、かようなものであり、イギリスは首相が交代することになり、EU会議は右派の台頭によって、いよいよ分解過程に入ったが。のは、人間のどこにでもある人間性の至る所である。と、あの時アジアの後進性を嘆き「自由化」できない後進アジアを、嘆いた自分を懐かしんでいる。と、見通しが甘かった自分を悲しんでいる。これらをひっくるめれば、僕はウィーンを、芸術の街として楽しんだ自分が、芸術自体を大切にする自分であったことに、我ながら絵描きでよかったと思った朝であった。人間とは、実に難しいものであるな。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

Photo_92 これが僕が宿泊したウィーンの超高級ホテル、ホテルインペリアルの部屋にかけてあった絵画です。当時流行りのヴィデオで撮って、スクリーンカットしたものです。ホテルインペリアルはWikipediaにあると思います。びっくりしますよ、きっと。

 

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2019.05.24

永遠の生命と「基督教のつまずき」という本の不思議について

 一時戦後有名であった神学者ブルンナーという人が、日本を去る時に書いたというこの本の序文には、年月日の記録がない。その中でブルンナーは日本を去る数日前にこの一文を草し、と書いている。彼は二度日本に来ているはずで、いったいどの時期のことかも定かではない。だいたいこの本、原文でscandal of chiristianity なのに、訳された日本語は「基督教のつまづき」、という奇妙な名前であるのが、納得できない。田中理夫という人が訳したものであるが。が、Wikipediaで今調べてみると。、、、が、ウィキにはないが、記録は別にあって、当時は基督教の道では有名人であったようだ。詳しくはわからないまま時間が経過して、闇の中であるが。しかしブルンナーがなぜ、スキャンダルという言葉で、クリスチャニティを書こうとしたのかも定かでなはい。要するに、ブルンナーはこれを書いた時、えらく精神的にまいっていたような雰囲気がある。第二次世界大戦が終わり、ヨーロッパの基督教は傷ついていたのであろう。ともかく、基督教のマイナーな面を強調し、所詮人気のない宗教が、基督教なのだ、と書いている。この言葉はしかし、僕は好きで。基督教が世間で高い地位を保っている割には、一向に人気がないのは事実なのだ。アニメの漫画に比べれば、人気度は最低で。この最低感がキリスト教にはある。要するにお高くとまって、木から降りず、酒も飲まず遊ばず、悪さには付き合わない。その上、日曜日になれば、金を持って(献金)せっせと教会に通うのだから、常人が辟易するのである。とても付き合えない人種だと、見なされても仕方がないものだ。これは、アメリカなどでもおんなじで、西部劇などを観ても。聖書売りのおばさんを軽蔑するカーボーイの、悪人側のセリフは、いつも決まって「うるせーな」で、ある。もっともなことで、酒場で機嫌よく酒を飲んでいる、荒くれ男(映画ではそう描かれる)にしてみれば、興ざめである。という、場面など。僕が若い時から観ている西部劇の定番である。僕は複雑な気持ちで、観ていたが。当然、西部劇の方が面白く、僕とて教会に通いながら、西部劇を見ているから、その心中は複雑である。にしても、場面は、いたって短く聖書売りの場面など数秒にすぎないのはいうまでもない。で、感傷などに浸る暇もなく、バンバンという拳銃の打ち合いになるから、影響は軽微なものである。僕は、西部劇を楽しんで、恋人もいないし、一人でトイレでションベンをして家に帰る、というパターンの繰り返しであった。でも田中理夫さんは、真面目にブルンナーを訳しているが、しかし今この時読むと、どうもブルンナー本の題名に必然性を感じないのは、僕の信仰研究が進んだ証拠であろう。進んだついでに、彼が聖書の引用箇所(躓きの石)という出典をした箇所、を英語で読むと。スキャンダルなどという言葉は一言も出てこないから不思議だ。つまづきの石を問題にするブルンナーにしては、どうしたことであろう。ちなみに、この箇所の英文は、rock of fense とa stumbling stone である。ところから、このstumblingという言葉を知らないので、辞書で調べると、まさに「妨げ」と出るし、ご丁寧に熟語まで示して石 block となっていて、stone ではないが、似たようなものである、ことがわかる。のに、なぜスキャンダルなのであるか、とますます疑問に思っている。第一に、ブルンナーという人は、ドイツ語圏のスイス人で、もちろん英語も堪能だったと思うものの、この本をなぜ英語で書いて英文で出版したのか、僕にはさっぱりわからないことである、ということがわかった。が、アメリカの古書をアマゾンで買うのはもうこりごりなので、ジュンク堂丸善で買ってみるつもりだ。ともかく、何であれ、僕の明治学院高校の時の教科書はブルンナーだった、のである。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

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2019.05.23

永遠の生命とクリスチャニティ・スキャンダル(その三)

 さらに書くと、僕が。ブルンナーの永遠の生命論の中で。一番気になることは、人類の分離問題である。どういうことかというと簡単で。要するに救われるものと、救われないものが、基督教原理には存在するという大問題なのである。いうまでもないことであるが、信ずるものは、救われ。信じないものは救われない、というこの基督教の大原理は。本当に正しいのであるか。と、問いたくなるのは僕ばかりではない。ブルンナーの神学は見事に西洋の神学者らしく、その組織神学的(あらゆる基督教論理を整合する神学)英才論理は見事なものである。それは、戦後に精神的にも物質的にも疲弊した世界の再構築にとって、どうしても必要な論理であったと言えるだろう。もちろん、この論理は完全な西側基督教的世界観であるが、それをすがめにみるソビエト的唯物政治にとっては目の敵であったろうと、思う。が、時は過ぎ、今や。ブルンナーのキリスト教の本音論すら、顧みられない。のは、キリスト教徒に保守主義か自分だけが良ければそれで良い式の、誠に狭隘な思想として生き残っているにすぎない、日本キリスト教なのであろう。僕は、キリスト教徒というものが、気の小さな善意集団であることを認めるが、ただそれだけで良いというわけにはいかないのは。どうしてもイエスキリストの人類救済論は、全人間に及ばなければ、決して真の救いではないと、思うからである。僕は若い時、いや子供の時からキリスト教に付き合って、見て。経験したことから考えても、その大言壮語(永遠の生命などの)には意味があると思っている。アジア的日本文化とて、何もおかしなものではないが、あまりにも近代社会的ではない現実は、明治維新で改革されたとはいえ。基本的には、今も世界の古典的観光資源として、日本的和は尊ばれているのは、わかることであるが、どうも論理的弱さがあると思う。一方キリスト教は非常に分離的であり、よくいえば論理的である。が。論理とは、分ける、分かることであるという、意味を基本とするから、当然論理的キリスト教も分けることを平然と行う。しかし、救済において分けられる人間は、最終的には人間に不明のこととはいえ、神の絶対権の元で、人間が天国組と救われない組に分けられ。るのは、あまりにも、キリストを信じないものにとって、冷酷となり、本当に論理的と言えるだろうかと。日本人の私などはその文化的背景から言って、とても納得がいかない。そこが内村鑑三の高い能力が追求した点で、もちろんそれを明確に示せるわけではないが、内村の聖書理解を読むと。僕は、どうも最終的には彼にも日本人独特の、非論理性があるような気がしてならない。のは、実際僕ばかりではないであろう。近代社会は論理的でなければならず、人間性はいたって小説的であるというのが、現実であろう。いわば、気持ちの持って行きようであって、論理の持って行きようではないのではないか。それにしてもどちらも必要で、片一方だけで人間性が説明できるわけもない。僕はそれを絵画という平面の表現方法で、今は水彩という道具を使って満足している。何しろブルンナーの達した永遠の生命論は、神の振り分けに会うので、どうも日本人にはおいそれと素直には、信じられないということが現実であろう。要は、文化の違いなのであろうけれど。ところで、自分は永遠の生命に至る側に今はいるのであるが、多くの友人が取り残されるのは(多分あの世であろうと勝手に思っている)、いうまでもなく納得ができない。それに、ブルンナーは、どう答えるのであろう。などと、いうことは、いくらブルンナーが有能な神学者でも、答えられないはずである。が、本の中では、本当に真剣に考察している。同じスイスの神学者のバルトは、ややそれよりも高く論理的に応えられるのではないか、などと希望を持ってはいるが、ともかく難しすぎて、僕には手に負えない。ともかく「帰る場所」ほど、難しいものは、ないと思う。ともあれそれを、芸術作品とした筒井友美の真剣さには関心する。作品は下記から観られるが、静止している現場を鑑賞することはすでにできない。つまり、videoが、自己鑑賞の起点となっている。もし作品が残っていれば、自己鑑賞の動揺は個人差があると思う。このヴィデオは画廊が撮影したものである。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

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永遠の生命とクリスチャニティ・スキャンダル(その二)

 スイスの神学者ブルンナーが「キリスト教のつまづき」の中その146ページで、いみじくも語った言葉はキリスト教の本質は「決して人受けのよい仕事ではない」と、語ったことで僕は、さらにブルンナーを好きになった。明治学院高校の時の教科書であるブルンナーを、このことが僕が。この神学者を一生離さなかったということになる、このことは私にとって実に大きなことである。僕は、子供の時から教会に行って50代ぐらいまで教会に日曜ごとに通った、真面目なクリスチャンだったから、僕は一気に教会を離れたが、それは内村鑑三の影響である。が、それでも僕はブルンナーを離さなかった。僕の短い一生の中で、離さないと若い時決めたのはキリスト教、絵画、私のエヴァである。そんな僕の一生の目標は、もはや達成したも同然であるが、僕は。このブロガーとして大きな声を出したいのは、やっと僕なりの永遠の生命に至ったのだと、思っているからである。それは、ブルンナーのまさに「キリスト教のつまずき」(日本基督教団出版部・昭和30年)という本のそのキリスト教に、本当のことが書かれていると、知ったからである。日本基督教団は戦後、戦争協力で傷ついた自分を癒すべく焦っていたに違いない。僕ら若いものに、その再生をかけてブルンナーにICU(国際基督教大学)の学長になるよう希望したのは、湯浅八郎である。彼は「湯浅治郎」の第10子で、二郎には何と14人の子供がいたのである。治郎は徳富家とも遠戚になるのは、治郎の二番目の妻の初子の子供だからである。初子は徳富家の長女であり、蘇峰は長男、蘆花は次男なのである。何で僕が、こんなことに詳しいのかといえば、僕の明治学院大学の同級生に湯浅〇子がいて、その時は全く知らなかったが。その子がそれら一党の親戚だったことによる。湯浅の家は治郎を中心にして一郎を筆頭とするが、一郎は芸大(美校)の大先輩として、今も尊敬されている。彼が、湯浅家を継がなかったのは、実は彼の絵画の才能を惜しんだ治郎が、君は芸術で生きたまえ、家は次男の三郎(姉がいたので三郎とつけた、実際は次男)が実質的についだのであるが、その三男につながったのが、◯子だった、と僕はその時全く知らなかった。よく僕も、誘われて安中の家に遊びに行ったことがあるが、○子はとても綺麗なお嬢さんだった。ところで、湯浅治郎は何者であるか、はWikipediaに詳しく書いてあるので、それを読めばいいことである。ところで、戦中興亜讃美歌などを通して戦争に全面的に協力した、明治学院はほんとうに心からあの戦争を反省したのかと、問われれば。僕が高校の時に学んだブルンナーが、世界的神学で、いわば西側思想を代表する神学者だったところから、湯浅はそれを日本に招聘し、戦後すぐ焼けなかった(米軍は意図的に爆撃を避けた)YMCAに、彼を宿泊させ。ある時、武藤富男がそれをたづねた、という事実がある。武藤は、その後明治学院の院長を僕らの時代に引き受けるのであるが、彼はブルンナーに自分が満州国の高官だったと告白した時、怒鳴られた、と本に書いている。僕は、彼が再軍備に反対して政治運動をした、ことを知ってはいるが。彼の政治運動は大きなうねりにはならなかったのであるが、それはキリスト教徒が戦後の選挙では、物の数ではなく、見事落選してしまったという事実もあったのである。

  僕は、ブルンナーが本の中で指し示した永遠の命について書くつもりであったが、いつものようにダラダラとあらぬ方向に行ってしまった、朝と、なったな。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

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2019.05.20

永遠の生命と進歩の概念、内村鑑三のアメリカ下品発言

 内村が、アメリカのキリスト教を批判して。書いたのが大正九年の「東京朝日新聞」広告欄に載っている。全集では第25巻、591ページである。彼はその中で、「我が日本に於いて本当のレリジョン(英単語書かれている、以下同じ)とサイエンスとの調和を計りたいと思います。何れにしろヴァルガー アメリカン クリスチャニテイ ー は真平御免であります。そうそう(匆々)敬具 」とある。朝日新聞の広告、とあるのは理解しがたいが、そう書いている。それより、アメリカの下品(vulgar)を嫌った内村らしい、広告である。アメリカを嫌ったのは、彼ばかりではない。歴史の長いヨーロッパなどは、それをきらうことこの上もなかった。が、第二次世界大戦で是非参戦してもらいたい、の一心でイギリスなどは、だんだんアメリカびいきが出てくるのである。が、基本は変わらず。歴史の長い日本なども、実際はアメリカ嫌いである。僕も、実はアメリカ嫌いで、明治学院のようなアメリカ人の優秀な人(ヘボン)が神学校として作った学校に10年も行ったものでも、実際アメリカ嫌いなのである。しかし、当時はアメリカ好きも、いっぱいいて、戦勝国アメリカの空気を吸いたい人は、日本人の中に山ほどいた。が、僕は体が小さいので、でかいアメリカ人にえらく劣等感を持っているから、それで嫌いなのであろう。が、内村は日本人としても偉丈夫で、ヒケなど取るものか、といった武士の子孫で。堂々と、アメリカ嫌いなのである。彼が、色々あってアメリカに行くのは、札幌農学校で結局洗礼を受けてしまったことを受け、それならその本場を(当時はそう思われていた時期)見てやろうと、思ったのであろう。もともと、早々離婚する羽目になり、その不満解消をアメリカ留学にかけたのであろう。だが。ともかく、彼が死んで、まさか愛する日本が太平洋戦争まで、やるとは予想してはいないはずだ。ともあれ、下品なアメリカのキリスト教は、あの勧誘の、よく見かけるあの手の、アメリカ的勧誘には。僕もほとほと下品なものを感じている。そのアメリカこそ、それこそ科学発展の本場で、原爆を開発し、広島に落っことしたのだから。戦後に、罪深いアメリカの行動は、世界の軽蔑を受けてしまったのが現実である。その反面、高い科学の現実がまた今の世界騒動の問題と、なっている。何しろ、コンピューターにしても、アメリカはともあれすごすぎる。という、アメリカの不幸は、今も世界の不幸なのである。弁証法的であるキリスト教の発展形態たるアメリカは、矛盾の塊であることは、言うまでもない。それをヨーロッパの神学者ブルンナーは分析している。この人が、僕の高校の時の教科書である。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

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永遠の生命と進歩の概念、奪われる未来(毎日新聞から)

スウェーデンのグレタさんという若者(十六歳)が、学校ストライキを呼びかけた、という記事。が、今朝のトップ一面の、毎日新聞である。スウェーデン語で書くと、SKOLSTREJK FOR KLIMATET らしいが。トップの写真が、彼女が掲げるスローガン、と彼女だろう。いうまでもなく、地球環境情報にもとずく世界の意識は、ここまできている。要するに、発展思想(俗的進化論)の行き詰まりであろう。で、有島武郎の北海道漁業と、絵画の関係をさらに読むことにした。北海道の厳しい冬と、スェーデンは、当時同じ質量を持っていたに違いない。厳寒の冬に耐える、漁業者のたくましさ。山のような波を乗り切りながら、漁を続ける労働者の群れ。

 は、今どこにいったのか。

 これを発展としないで、なんと表現するのか。さて、問題はこれから、ということであろう。有島は、もう一編の小説「カインの末裔」で、同じテーマにぶつかっていく。スェーデンの若者の標語は、「奪われる未来、若者よ怒れ」と書かれているようだ。で、彼女は、学校ストライキを訴える。僕は。戦後直後日本から帰る時に出版したブルンナー、が考えていた、進歩思想とキリスト思想の相克矛盾も読む(基督教のつまづき・1955年)。弁証法的な地球は、太古からすべて生命と死との、戦いである。だから僕は、絵画、なのである。僕は、昨日も近所の公園の、大木の下で絵を描いた。 

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

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2019.05.19

永遠の生命と進歩の概念

かしら書きの、思いに至ったのは、殺人クリスチャン好地由太郎さんのおかげである。結局それが、神学者ブルンナーさんに至ったからである。それに「進歩の概念」と書いたのは、ブルンナー神学の中に文明の「進歩」が説明されているからである。日本の基督教の教会的働きが限界にきているのは、僕の目から見ても明らかである。なぜなら、教会ばかりではなく、人間の進歩そのものに疑問が呈される時代が来ている。教会も、その一環である。「進歩」が、限界にきているというのは、何も私ばかりの実感ではないと思う。これから生きる人がいるのに、こういうことを言う老人になりたくないのであるが。事実的全体的地球的問題だと思うので。死も近い老人がこう書くのは、よろしくないと知っている。甚だ迷惑だと思う。し、何にも面白くもないことであろう。考えてみれば、なんで。私がごときがこのような余計を書くのか、第一に書く資格などあるのか、と問われれば、では一体。誰が、このような大それたことを書く資格があるのか、と問いたいのであるから。僕は、こうやって、ブロガーとして、勝手に書いているのである。出版隆盛時代では考えられないことだ。こういった書きが可能なのも、出版の発展あってのことで。これを「進化」というのであろう。こう言えば、進化思想、進化概念は生きてはいる。が、しかし地球規模の資源の枯渇や人口問題や、核兵器、原発やプラ汚染などのことを考えると。本当に、これでいいのか。ということを自然とみんなが考えてしまうのが現代社会の実態であろう。それを引き受ける、若い人は、たまったものではないが。これから何十年も生きていかねばならない人々にとって、頭の痛い問題であるということに変わりはない。若いから、できるのである。が、この問題、実は。戦後に若い時を生きた僕たちにも厳然と、突きつけられた同じ問題なのである。あの時、世界は馬鹿げた大戦で多くの人命を死傷させ、剰えその殺しかたの凄惨なことは、これで人間であるか。と、問われた実態が次々と明らかになって、いく時代だった。それを引き受けた僕ら若いものに、訴えかけた神学者が、ブルンナーさんだった。スイスの人である。彼の本は、今は誰も読まないが、「基督教のつまづき」という本である。英語版では、「スキャンダル オブ クリスチャニテイ」という。僕が持っているものは、昭和30年に日本基督教団出版部から発行されたもので。図々しいことに、日本基督教団は、ここでも書いているように。戦中は「興亜讃美歌」なるものを堂々と出版し、それに少年版までこしらえて、戦争に協力を惜しまなかった今もある教団である。その、教団が、今度は終戦で。ブルンナーさんに頼り、基督教団の生き残りをかけたというのだから、恐れ入った話なのである。この興亜讃美歌は少年版とも明治学院図書館が今も保存している。是非見せてもらいたいものだ。で、一方、好地由太郎さんは慶応元年生まれの、十七歳の若い時に、女盛りの女主人を殺し放火した(日本橋で)クリスチャン(もちろん後での話)で(「恩寵の生涯」という自伝がある)、基督教的ヒュマニズムの実践者になった人である。この二人を書くことになるとは、思いも及ばないことであるが。説明などできるものではないほど、面倒なことなのである。と今日は書いて、やめたい。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

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2019.05.18

永遠の生命と殺人罪受刑者好地由太郎さんの宣教活動(その1)

「好地由太郎」という人を書く、Wikipediaの書きは最悪である。全く、彼の人となりを表さない。のは、残念である。と、まず書くのは、ここのところのキリスト教界の教会的ていたらくに嫌気がさすからである。そこで、昔から研究している好地由太郎さんを書きたくなった。のは、彼の素朴で徹底的な信仰の中に(歴史に残った)、キリスト教の真の姿を見る思いがあるからである。と、書いて、その予告を短く書いてその1とする。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

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2019.05.14

永遠の生命と武藤富男の「キリスト教入門」の解説(7)興亜賛美歌という奇怪

ネット社会の尊さは、人間社会の愚と賢が、一段と精緻になることである。と、ネットで昨日、奇怪中の奇怪に出会った。ことから再認識させられた。僕らが、明治学院の戦後教育(十年間)を受けている頃。戦前にそんなことがあったとは、今もって思ってもみなかったことが、一気に明らかになった昨日だった。のは、呆れるばかりの「騙された」というはじめのショックから、少しは立ち直った。今朝である。かつて教会クリスチャンだった僕は、それが教会やミッションの学校を守る仕方のない、「方法」でもあった、と冷静になったものの。今朝これを書いているときは、またいささか感じ方も変わってきている。呆れたから、軽蔑的になってはいけないと思いつつ、もっと大人になって、やむを得ない処置。いや、積極的にそれほど。圧迫は強烈を極めていて、国家総動員の戦争の怖さと、国家権力の暴虐の深さと闇を、思わずにはいられなかった。七十七歳の僕である、とはなんと、情けない非力であろう。だから、ローマ帝国は、増殖するクリスチャンを処刑していくのであると、思いつつ。現代クリスチャンの自分を責めている。

 などと、散々ん気を持たせているが。表題の「興亜賛美歌」などというものをご存知の方はまれびとであろうと、思うのである。僕は無教会のクリスチャンであるが、本当に内村鑑三には、心から感謝している。無教会で、良かったのである、と。つくづく思っている。ただ最近無教会では、宣教の実はあげられないとも、自分を責めることもあるが、たまたま偶然に、友人の画家から昨日電話もあって(僕のブログを読む気の毒な人でもあるが)、少しは僕のキリスト教を理解していくれるところもあって、どうかしてこんなことでイエスキリストという神への信仰を、阻害しないように、僕も頑張ってみる、というのが、今朝の書きの意味するところである。が。

 戦中(第二次世界大戦・太平洋戦争)で、真面目に、本当に真面目に。かしら書きのような賛美歌が作られて、真面目に礼拝で歌われたような記録がある。大の大人が大真面目に、日本の侵略戦争を正当化して、なんと恐るべきこと。に、その正当性を賛美歌に表現して、教会で日本の勝利を歌った、という事実は、知らなかった。勝利を祈願したことは、知っていた。が、賛美歌まで、ご丁寧に作っていたとは、あきれたことである。戦争の首謀者たるキリスト教国ドイツなども、ナチズムにすり寄った教会のことは、知っていて。あきれ果ててはいたが、散々明治維新以来関係の深かったアメリカに世話になってできた学校(明治学院)も、それを賛美歌で実行していたとは。いろいろあるにしても、あきれた話である。卒業生として、組織としてのキリスト教のばかばかしさを、今更ながら、哀れんでも仕方がないが。やってしまったことは、先回の東洋英和院長と言うミッションスクールの論文捏造解任事件、なども思うと、悪魔の仕業は。やはり、さすがであると、思う。人間の弱さを言うイエスキリストの高さも、神にしてできる、ものであると、思いながら。礼拝堂で、心持ちいい気持ちになって賛美歌などを、さんざん歌っていたあの頃の若い自分を、思い出していた。無教会となってすでに20年30年も経過したから、この頃は、とんと賛美歌を歌っていない。

 もっぱら、聖書を読んで、簡単なイエスキリストの誕生の、処女生誕記事を読んで確かに、神でなければできないことであると、思うこの頃である。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

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2019.05.12

永遠の生命と武藤富男の「キリスト教入門」の解説(6)と東洋英和女学院・院長解任事件その2

で、聖書のマタイ伝第一章を掲げる。マタイ伝(マタイによる福音書)で、十八節には次のように書かれている。「イエスキリストの誕生の次第は次のようであった。」これが、キリスト教のすべてである。神学などではありえない箇所。教会でもないのである。この言葉なくして、キリスト教はない。のである。どういうことかといえば、これが「神」が人になって出現したという唯一の証である、ということである。つまり日本語でいえば「如来」の出現に過ぎない。昔、明治学院を創りあげた宣教師たち、その代表はいろいろあるにしても私にとってはヘボンという人が、和英語林集成というローマ字和英辞書を作った時に、神と訳さず如来と、訳せば済んだ話で。如来をいろいろ東洋的漢字的日本語的に考えてみれば、神とは如来、すなはち出現したき時に、思うが如く出現自由に、出現する存在は、すでに日本文化の中にもあったのである。だから、特に深くは考えず素直に「如来するもの」が神と訳されたのである。で、ヘボン以来キリスト教の神は如来と訳さず、「神」と訳されることになった。

 中国語では神は「天帝」などとも訳されるから、その訳語そのものは、大した問題ではない。問題は、その概念であって、人間にとってともあれ如来していただきたい、救世主の問題である。人間は、有史以来知恵が増し、そのような存在をいつも希求せざるを得なかった。で、如来にとどまらずイエスキリストの優れているところは、如来だろうが神だろうが、その存在が人間としてわかりやすく、目に明らかな身近な存在として、神ないし如来が出現した、というストーリーにあるのである。ここに神学などあるわけはない。もちろん、科学もない。だからニーチェの肯定も否定も無意味であると思うのが、僕の立場である。

 このイエスキリストを神学化するのも人間で、素晴らしい人智であるが。その始めが聖書のもう一人の中心人物パウロ、の考え方の中に実在したのである。どちらにしても人間は、死の淵より救われたいのは、いうまでもなく。古代人とて、それに飛びついたのであるが、それで。ただそれだけで、人間社会の代表であったローマ大帝国は、それを国教としたのである。そこから、全ての人間らしい虚偽の歴史は始まる。いわば、西洋では如来をイエスキリストとして人間化したのであり、人間化したからこそ、そこに虚偽が生じたのであるが、その虚偽の宣教者が昨日の新聞の神学大学を卒業した人の、東洋英和の院長さんであると、いうことになる人間的、ああ人間的フライイング現象なのである、と言えるだろう。僕も若い時、東洋英和の女学生と仲間だったこともあり、残念であるが。今は普通の主婦ばあーさんとして、平穏に生きているに違いないと思っているが。多分彼女も、今更ながら、神(如来)が人になった、ということを信じているかどうか、疑っている。もちろん、いうまでもなく僕は今朝も聖書のその箇所を読んで、つくづくありがたいことであると思う自分をありがたいと、と思っている。ありがたい、とは漢字で書くと「有難い」、と書くが、本来ありがたい、こと。すなはちあることが、難しいこと、奇跡、が起こったので、ありがとうございます。と、人は答えるのであると、子供の僕に教えてくれたのは、クリスチャンの母なのだ。今更ながらえらい母だと思う。

 多分フライングした東洋英和の彼は、頭脳的にのみ神(如来)を考えたのであろう、それが神学なのかもしれないが。絵描きの僕なぞは、一本の草の中にも如来(神)を見るぐらいな歳であるから、何をか言わんや、であるが、今日も晴れているので、原っぱで絵を描きにいくつもりにしている。

 痩せがえる 負けるな 一茶 ここにあり と奥信濃の俳人は詠んだと思う。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

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2019.05.11

永遠の生命と武藤富男の「キリスト教入門」の解説(5)と東洋英和女学院・院長解任事件(緊急)

事件の首謀者は深井智朗(54歳)、とされる。院長だからややこしい。どうも普通の学校のように、よくある理事長と院長の内部闘争ではないかとも思える。が、この際。毎日新聞によると懲戒解雇だという。キリスト教文系では珍しい論文捏造盗用事件だから、祖父ネットにはもってこいの話題である。が、 これ以上は書きたく無い。がここで、日本のキリスト教劣化問題を取り上げていて、僕は無教会で教会派の人々の闘争にはもともと加担しない。加担しないから、無教会なのである。内容は、お粗末なドイツ哲学や神学の盗用らしいが、もともと日本教会などには神学は存在しない。存在しないものを無理に学校で論文化すると、こういう捏造となる。要するに借り物である。

 2000年前、のイエスさえ欧米では捏造に過ぎない(無神論、ニーチェ)。日本の宗教も、元を正せば権力者の捏造である。あらゆる宗教は、捏造といえば捏造。科学のように、法則があるわけでは無い。これ以上は言いたく無い。それにしても無様。捏造したという院長は、東京神学大学の出身である。東京神学大学は僕が10年通った明治学院から独立している。そこの出身者のやることだから、事件性のある問題は今までにもいっぱいあることは知っている。が、それはいうまい。もう本当に言いたく無い。で、Wikipediaから転載しておく。普通の人は、全くわからないものだ。科学の捏造とは趣が違うだろう。

 Wikipediaから

 不正行為・北海学園大学准教授の小柳敦史が、深井が2012年に発表した著書「ヴァイマールの聖なる政治的精神 ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム」で論考を行った論文の書誌情報が公開されていなかったことに疑問を持ち、日本基督教学会を経由し、深井の研究不正の疑いに関する公開質問状を送り、これが2018年9月25日付の学会誌に掲載された。小柳は論文の著者とされる人物や論文について調査した結果、「単なる『間違い』ではなく、深井氏による創作であると疑われる内容が含まれることが判明」したと指摘した。2018年11月に「研究活動上の不正行為の疑いがある」として、東洋英和女学院が学内調査委員会を設置した。2019年5月10日、東洋英和女学院の学内調査委員会は研究活動上の不正行為(盗用および捏造)があったと認定し、同学院はこれを受けて開催した臨時理事会で深井を懲戒解雇処分とすることを決定した[9]。調査では、深井が「ヴァイマール」で紹介した「神学者カール・レーフラー」は存在せず、その論文も捏造であるなどと認定した。

 研究活動上の特定不正行為に関する公表概要によると、深井教授は「実在しない人物と論文を基に本件著書を書き、その著書の一部にて他者の文献より適切な表示をせず引用を行なった。また、実在しない架空の証拠を基に本件論考を著した。これらについて、本調査委員会は、研究者としてわきまえるべき基本的な注意義務の著しい懈怠があったとして、特定不正行為(捏造・盗用)が行なわれたものと認定する。」とした。

 本人は一部に関して「想像で書いた」などと説明をし、意図的な研究不正を認めていない。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

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2019.05.08

永遠の生命と武藤富男の「キリスト教入門」の解説(1)

武藤富男をWikipediaで調べ、私なりに編集した。それをまず掲げたい。武藤 富男氏は1904年(明治37年) ~ 1998年(平成10年)を生きた人である。簡潔に書けば、戦前の満州国や日本の高級官僚で。戦後は教育者、キリスト教牧師(伝道師)。明治学院院長、恵泉女学園理事長、東京神学大学理事長などを歴任している。主な略歴は下記の通りであるが、かなり複雑な人生行路とはいえ資料は意外に多い。祖父ネットは武藤氏が明治学院院長に就任した1962年の時、文学部社会学科の学生であった。安保闘争終了後の、一種の虚脱状態が学院の学生の間にあったように思う。その時、忽然と現れた人で。帝大卒業の何やら鬱陶しい人、という印象であった。特に、関わってはいないのであるが、ともあれ学院長なので時々見かけていた程度であるが。なぜか、今でも深い印象がある。その後、私も社会に出て世間を知り。少しは物がわかりかけた頃、要するに第二次世界大戦の歴史に興味を持った。そんな中で、武藤富男氏を知ると、誠に複雑で。実は戦中史そのものであることを知った。由来、興味は尽きず調べた結果、結局。氏の書いた「キリスト教入門」に、七十七歳で行き着いたのである。氏の書いた文章は、さすが秀才の文章で、かなり硬いものである。が、うまくまとめてあり、キリスト教の入門書としては抜群である。そこでブロガーとして、これを解説してみたいと思ったのである。うまくはいかないとは思うけれど、少しは難しいキリスト教を解説できるだろうと思う。それが、結局人間の「永遠の生命」の解説になるとも思うのである。ところで氏の略歴は下記の通り。 弁護士の家で書生をしながら開成夜学校学で学び、受験資格を得て一高に合格、卒業。 東京帝国大学法学部卒業、裁判官。東京地方裁判所判事。 1934年(昭和9年) 満州国司法制度構築のため、請われて渡満。満州国司法部刑事科長、国務院総務庁弘報処長、満州国協和会宣伝科長を歴任。 1943年(昭和18年) 帰国。大日本帝国政府情報局第一部長に就任。終戦直前に辞し、日米会話学院を創立。 1946年(昭和21年) 賀川豊彦とともにキリスト新聞を創刊。 1947年(昭和22年) 日本基督教団補教師となる。 1962年(昭和37年) 第7代明治学院院長に就任。 1963年(昭和38年) 明治学院東村山高等学校を設立、校長。 1977年(昭和52年) 日本キリスト党結成。第11回参議院議員選挙、全国区に立候補。戦争放棄を訴えて落選。 1988年(昭和63年) 『私と満州国』(文藝春秋)出版。一高時代より大森教会会員。満州国時代、大杉事件甘粕正彦と親交があった。甘粕を満州映画の理事長に推薦し、満州国のメディア統括のトップに立った。帰国後は、日本の戦争遂行宣伝の責任者だった。しかし、敗戦を確認し任期半ばにして退官。キリスト教徒として、再軍備反対を貫いた。安保推進の首相岸信介とは満州時代親交が深かった。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

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2019.05.05

永遠の生命とエジプトの至宝、「ツタンカーメン」のディテールの愚

前回を引きずって、ツタンカーメンのWikipediaを読んでがっくりきた。要するに、説明ディテールのバカバカしさだ。誰それの姉妹だの、兄弟だの。病気がどうのこうの、と言った本当の考古学の学者が書いているのであろう。けれど、ツタンカーメンもあそこまで書かれると、全くの無意味である。年代の測定も精密で、それが考古学の真髄であろう、とは思うものの。素人が読むようなものではない。僕らに必要なものは、エジプトの古代ロマンである。あの広大な砂漠を支配した、大帝国(エジプト)の思想史(生きた本当の人間史)こそ、我々と直結することであるのに。三千年前の物体(ミイラ)が、精細に写されていても、それは単なる一人の人間の「死」の様に過ぎない。我々は、今。死ねば燃やされる運命にあるが(法律によって)、骨だけ残りあとは跡形も無くなるのは、誰も同じである。その同じ人間の運命を、ただ単に、虚無的に捉えては、生きている意味は全くない。と、思う人もいるのではないか。

 要するに、紀元前の、1000年2000年であれ、人は皆死ぬのである。その死を如何に捉えて、現在を生きるかが問題である、とすれば思想史しかない、のではないか。物質的な詳細な考古学が細分化され、その精緻な探求が如何に明細になったとしても。人間の死の意味は、一向に明確になるものではない。故にWikipediaも程々にすべし、である。のが、Wikipedia現状だ。で、僕は。小さな「新約聖書」を持って、近くの公園んで寝転がりながら昨日。その冒頭の、マタイ伝一章と二章を読んだ。

 見事なものである。イエスの両親は、夢のお告げでエジプトに逃げる。自分たちが属する国の王に恐怖心が生じ、もう一人の王(イエス)が生まれたという学者の説をもろに信じる王が慌てる様を書く。当時の現実が。権力者が同時期の子供を皆殺しにする、記事は如何にも人間的現実である、と思う。エジプトに難を避けた、イエス一家は。唯物論的宗教論者(ツタンカーメン的)でしかないエジプトに逃げ、そこから観念論的唯心論の神論が発祥する一瞬を、聖書は捉えているのである。イエスは、神の一人子、という想定である。実に見事な、転換と言えよう。その観念論的神論の永遠の生命論(これは今も変わらないが)こそ。西暦元年から今まで、世界を支配した大きな思想なのである、と僕は思っている。それが、実は激しく毀損する時代が(唯物論の復興期)が、ポストモダンと言われる時代の思想の潮流なのである。

 僕は、その潮目に生きたキリスト教の若者で、あるが。それを代表するキリスト教の書物こそ、「H・コックス」というアメリカの神学者が書いた「世俗都市の宗教」Religion in the Secular City なのである、と知ったのは、最近である。

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2019.05.04

永遠の生命とエジプトの至宝ツタンカーメン

 

 偶然ではあるが、昨日。

 かしらがきのテーマが放映された。4Kか8Kなのか。見事な映像だった。

 実物も、かなり前に見たことがある。昔日本に確か来た時、のぞいた程度で見ていた。しかし、映像が接近するので、それはそれは詳細である。

 

 あまりに詳細すぎて恐ろしい思いをした。で、発想があった。あれは三千年前の作品である、とすれば。で、想は唯物論に至った。あれが、真の唯物論である。金(きん)は残り宝石も残った、人間業(わざ)も残った。が、まさにそれは、唯物論的表現の最大の作品である。すでに三千年前に創造ざれていた、と知った。

 僕は、今朝起きて、早速「聖書」を手にし、イエスキリスト生誕の記事を読んだ。率直に読んだ。

 

 こうである。

 マタイによる福音書、これは新約聖書冒頭の巻。二章11節、「家に入ってみると、幼子が母マリヤと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。」

 である。

 

 これが、その後の世界に救い主がお生まれになった、という記事で。その救い主がお生まれになった時のはじめのシーンである。そこで僕もイエスに祈りを捧げて、我等をお救いください、と祈った。ツタンカーメンを作ったエジプトは、キリスト教の発祥を助けた、すなはち唯物論から唯心論という高いデリケートな発想に人類を導いた原点となった、と今日は言って終わりたい。

 

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2019.05.03

永遠の生命と島田清次郎と吉倉汪聖

 

 昨日、世界堂で額装が完成したというので出かけた。

 額装をしてくださったのは世界堂に勤める画家で、武蔵野美術大学出の才媛である。

 その念入りな仕事ぶりから、僕は10年ほど、この方の額装に頼っている。死ぬまで、変わらないだろう。いつも祖父ネットの最後に紹介している「帰る場所」の作家である。

 

 で、いつもながら念入りに素晴らしいものに仕上がったのであるが、その中身は古いマッチ箱である。

 昔、僕が池袋の骨董品屋さんから買ったものを、今はなき中国画材という画材屋さんで額装してもらった。透明なアクリルに、箱状にして額装してくれたのは上野さんという人で、今は神田の文房堂(ぶんぽうどう)で働いている。その上野さんのアクリル額装に、さらに世界堂の額装をしたのは、訳があるのは当然である。

 一つはそのマッチ、売っていただけあって、今では貴重品である。

 僕が買ったわけは簡単で。そのマッチを作った大会社は、僕らの会社(建築設計)のお得意様で、僕の祖父の代からのお得意様なのである。僕も現役の頃は、父と一緒に、丸の内にあったその会社を頻繁に訪問した。し、僕の結婚式にも、その会社の施設部長が出席してくれている。ともかく、足を向けては寝られないほど、世話になった。実は、世話になったのは、私たちのような狭い範囲の問題ばかりではない。大げさに言えば、戦後の日本国民全体が、実は世話になっているのである。つまり、日本の最大の漁業会社で、戦後直近の日本の食糧難を、この会社の水産物が支えた。世界が戦争をしている時期に、漁業は衰退したのは当然である。

 僕などは、父が零戦を作る工場を信州中込で担当していたので、中込の小学校に三年まで在学して、東京に移動した。その時(戦中)、大洋漁業は兵士の食料を支えるため危険な海上で、少ない漁船で。食料を確保すべく、頑張っていたのである。あの当時は、漁船そのものが戦闘に参加もしていて、これは戦争秘話として伝わっている。

 が、ともあれ、当時の漁獲高は国民の食料や、外地で戦う兵士の食料で慢性的に不足していた。

 で、その分、特に太平洋では魚が繁茂し、戦後の日本の食料を支えたことは論を待たない。その会社のマッチを、僕が池袋の骨董品屋さんで見つけたのである。実は、額装にさらに額装をしたのは、この作品を、ある人にプレゼントするためである。

 

 プレゼント先は山口新聞のコラムニストだった吉倉揠(よしくら・あつむ)さんだ。

 僕より10歳も上で、そこの新聞記者をしていて、コラムニストに抜擢された人だ。この話は、不思議極まる話で、書くのも嫌になるほど深い。書けば書くほど奇跡的で複雑で書きたくない。ほどだ。

 で、世界堂から戻ってみると、頼んでいた古書「思想の科学・1980年五月」版が、届いていた。そこに、吉倉さんの祖父の「吉倉汪聖論」が、書いてあるので頼んでいたのである。で、早速読んでびっくりした。吉倉さんから聞いていたことはごく一部で、その一層の深層が書かれていた。

 それは、僕のキリスト教的深層と重なる。北村透谷、島崎藤村、宣教師ドクター・ウィン、さらに梅花女学院、松ノ井久子(同じ教会の先輩)、などが書かれている。僕は一気に読みながら。僕のキリスト教の知識の深みを刺激してきたのには、びっくりした。現在、吉倉氏は車椅子で、僕は彼を見舞うために。額装マッチを持って、彼を見舞うつもりだった。が、金沢出身の島田清次郎のことを、もしかしたら吉倉さんは知っているかもしれないと、思って電話したに過ぎない。10年以上も電話していない。

 

 その電話を入れた結果が、これなのである。

 が。これ以上書くのは嫌になった。これは厄介な思想の問題、となったと思った。のは、「吉倉汪聖」という人が有名な「黒龍会」の人である、ということと深い関係がある、とのみ今日は書く。

 

 黒龍会をWikipediaがどう書いているかは、わからないが。戦前に存在した大変な団体であるということ、それ自体が大変であるが。

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 筒井友美作品。

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2019.05.02

永遠の生命と上州安中有田屋と島田清次郎(2)とフルベッキの秘密と売春防止法

 

 売春防止法などという、ものが施行されたのは、1956年である。

 だから、昭和で言えば31年である。

 風の便りで、明治学院高校の頃、そんな法律が通ったということを知った。国会の審議も見ていたと思う。昔は国会中継などはない。大体の所の、見せ場を放映していたのであろう。見た覚えがある。

 

 で、僕は性に目覚める頃で(とっくに覚醒していたか)、なんとなくわかってはいたが、ただそれだけで。一向に深くはわからなかった。その後、明治学院大学に進んでみると、今は消えてしまった銀座のおボッチャマ(親友)と淡路島の金持ちの息子が四国旅行をしようと言うので、面白がってついていった。いったら、結局それは悪い遊びの旅行の誘いで、僕は辟易したが、それでも性への覚醒は一段と進んだ。 

 その辺りで、大学生なのだから真面目にフルベッキを研究すべきであった、と思う。

 

 高校の頃は。思えば神学読書で、大学は概ねマルクス読書である。神学書を、もちろん、卒業していたわけではない。しかし、唯物論はその当時の流行で、キリスト教とニーチェはいい勝負だったのである。これらを神学的に高めたのは、ニーバーという神学者であるが、僕はそこまで行かずに、マルクスのようなわかりやすいものに引っかかっていた。この唯物論と唯心論こそ、欧米の思想的高みなのであるが、僕にはとてもとてもついてはいけなかった。

 ついていったのは、僕の先輩でICUに行っていたFぐらいのものであるが、実際は彼も手こずっていて、結局彼は欧米文化に飲み込まれて消滅してしまった。未だ、行方不明である。

 その、彼のような秀才でも手こずっていたものが、僕程度でわかるわけもないのに。まー大筋でそんな事に興味を持ったまま、教会には真面目に通っていた。別に僕の経歴を言っているわけではない。が、明治学院の中学校では、高谷道男さんの書いた「ヘボン」を、学校で渡されているから、それもなんとかをコツコツと読んでいた。が、実は、高谷さんはむしろ、フルベッキを研究したかったのではないか(フルベッキ書簡集を出版した)、と今ならわかる。

 

 フルベッキこそ、明治維新あたりのあの激動期を、維新の日本政治と深く絡みながら。最後には明治学院の創立に関わり、理事にもなった人なのである。この人を本当にわからないでは、明治維新の日本の歴史的姿は明確にはならない、と老人の僕は思っている。だが、明治学院にも、この人を徹底的に研究した人はあまりなく、創業者と言われるヘボンの研究に力が注がれている。要するに、ヘボンは明治文化で表の顔、フルベッキは裏の顔、なのである。この裏の顔こそ、日本史のある意味では恥部であるが、あまり教科書的に表には出ないとしても。これなくしては、人間が生まれないの同じように、日本近代史も完結しないと、この頃思っている。

 で、売春禁止法は、キリスト教のおかげで、僕が明治学院高校の時に成立したのでるが。大学に進んで四国旅行をしても、まだ売春的社会状況に変わりはなく、卒業して日活の経営になる、天城日活ホテルでも、その現実をフロントにいて経験させられた。この問題は、いうまでもなく、人間の不条理の最大問題であることに、今頃気付くのであるが。もはや、遅し。

 

 できたての明治政府は、フルベッキに世話になり、欧米の視察(岩倉具視団長)をし、近代の先進的人権社会に目覚めていく。その段取りは、フルベッキがしたのである。が、今や不条理の時代、この問題は哲学の問題となっているのは、言うまでもない。

 

 

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 筒井友美作品。

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永遠の生命と上州安中有田屋と島田清次郎(1)売春防止法とキリスト教

僕の中では、このタイトルは(頭書き・かしらがき、ともいう)ともに、キリスト教の関連である。それも、みんな明治学院のキリスト教の話である。が、どれも今や有名でもなければ、話題にもならない。そこが僕の、老人としてのいいところで、別にツイートするような話でもないし、SNSとかで連絡し合うことでもない。だから現代的話題性など、全くない。ましてユーチューブで動画を入れるには、明治維新は遠すぎるのである。徳川時代やその前の時代も、動画にするにはエレー金がかかるし。せいぜい映画がそれを実現できるにしても、そんな映画を作れる度胸の良い組織は、もはや存在しない。「レ・ミレザブル」などは、ミュージカル仕立てで。素晴らしい映画を作ったが。僕は、彼女が売春をする場面で、映画の先が見られず、全編を見たいのであるが、そのごくさわりだけで、全く見ていないと同じだ。本では、読んでいる。どの国の男も、男のだらしなさには、ほとほと呆れて。

 

 それが結局重なる世界の罪深い世界(歴史)を、今更ながら経験するのは、僕の趣味ではない。要するに、歳なのであるが、もっと若ければ、もっとセクシーであるのだが、どうもそうもいかない。にしても、これは嘆き節である。で、なぜこんな話に「例話、0話、0羽」になってまで、書くのかといえば。それは、「売春防止法」を書きたいからである。僕の頭の中には、この法律が思い浮かぶにしても、一度も真面目にこの法律を読んだことはない。で、多分ネットにあると思うので、この後でゆっくりと、その冒頭でも読むつもりであるが、それを読もうと思ったのは、頭ガキの人々を今まさに、読書しているからである。主要な本は、三冊。まず「島田清次郎」の小説類、次が「湯浅初子」久布白さんという珍しい名前の人が書いた伝記、次が、「上州安中有田屋・湯浅治郎とその時代」(明治キリスト教文化の創出者、などと書かれているが)である。湯浅初子と湯浅治郎は夫婦である。この三冊は、「島田清次郎」を研究していて、思いついていったもので。島田の小説「地上」は、だいぶ読み進んだ。その中で、あとの二冊が自然に僕の頭の中で読むべき本として、現れ出でたのである。すでに読んでいるからである。

 もちろん、そんなことを言ってみても、祖父ネットの読者が(いるとも思えないが)わかるわけもない。が、この三冊の本は、キリスト教とはいえ「売春防止法」で結びついていくのである。と、書くと、少しは興味が出るのではないか。と、思う。と意地悪に書いて今日はやめたい。なぜなら、これから、まだこれらの本を読んで(再読もして)、このテーマを構築したいからである。では、次回。人間の最も興味のある「性」は、売春防止法によって、国家から疎外されたのであり。その疎外物語であり、その法律のデリケートな構築過程の人間的な不条理の物語を、次回から書くことにする。もちろん、書けるわけもないが。挑戦だけはしてみるつもりだ。 

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2019.04.30

永遠の生命と異端児秋元久雄・平成建設とバブルの精算

 

 

 頭書の会社を訪ねた。

 前日、毎日新聞の記事で拝見したからである。

 本をいただいて帰ってきた。平成は今日で終わる。人さまざまの思いがあるに違いない。私にもある。

 

 それを人にむやみと押し付ける性格が抜けない。これはきっと、キリスト教的宣教の精神だと、心得ている。過去の、世界史の中に、くどく刻印された宣教精神ほど、明治学院教育のどず黒い効果として、私を苦しめるものは、他にない。それは、ヨーロッパを中心とする世界史の人間罪の集積である。

 キリスト教の神は、人間を創った神であると、される。その人間を創った以上「製造責任」が、神にはあるのではないか。日本の神や仏、にはその反論は起こらない。なぜなら神や仏が人間を創ったという、確たる文献はないからである。しかし、ユダヤ教にはある。それが、聖書だ。

 それを引き継いだキリスト教は、それを旧約聖書とし、神の子たるイエスの新たな救済史を、新約聖書として編纂したのである。この一連の書物は、世界史に大きな影響を与え、今でも私はその神を神として、こうやって書いて宣教している。全くの個人宣教であるが。

 

 そんな日本の歴史を背負いながら、も私は建築設計の営業マンとして一生を送った。その間、キリスト教は離さず、若い時はよくわからなかったものの、今ではかなりもの、になっている。明治学院大学を卒業し映画会社日活に努めたのは、前のオリンピックの年である。勤務地はまずリゾートから、つまり天城日活ホテルが振り出しである。修善寺駅前には、修善寺教会があり(今はない)、勤務の傍らよく通った。その修善寺に生まれていたのが、平成建設を創設した「異端児」と言われる、秋元久雄氏である。私より少し年下、といただいた本に書いてある。

 僕は、まさか氏が修善寺生まれだとは知らなかった。ただ、新聞には沼津で開業したと書いてあった。沼津は、ホテルの勤務で車でよく買い出しに行った懐かしい土地である。ぐらいの認識に過ぎなかった。それが、なんと修善寺生まれだったと知って、本が一層面白くなった。だいぶ読んだので、今日中に読みきりたいと思う。

 が、実は彼をすごいと思ったのは、そんなことではない。

 

 僕が勤務していた設計業界は、僕で三代目の家族の職業である。実は秋元氏も元を正せば三代目。祖父、父ともに大工、自分は工務店を再興したのである。で、彼の全くユニークなところが僕の興味の的だ。本の出版は、PHP。かの有名な松下幸之助を記念して作られた出版社、今でも健在である。現に、秋元氏の本の最後には松下幸之助本の広告が載っている。実は僕の母方の祖父は松下電器(当時)の建築顧問だった人だ。

 で、こんなことでいいかしら。

 僕が平成建設をお尋ねした理由は。だから最後にまとめると。秋元氏は、建築職人の組合ではなく、職人会社を創った人なのである。この辺りが、異端児と言われる所以である。普通職人は、下請けである。建築会社はそう言った職人を「組」としてまとめ、仕事の流動性に耐えてきたのである。ある現場が完成し、全く意地悪く、次の現場が遠ければ、一式。前の現場の職人を移動させると言うことは、「できない」相談である。

 大阪の仕事から、同じ施主で今度は埼玉だ、と言うのにである。結局、転々とする建築現場に耐えるのは、職人制しかありえない。その時代が平成に激変する。今、東京は一点豪華主義で、人が集まり過ぎている。これは言うまでもなく一極集中、なのである。その原因は、経済学が説明するだろう。その上交通手段は一段と高度化。割合に経費をかけずに移動が、可能になった。

 

 それを読み切ったのが、三十年前の秋元氏である。

 彼の会社の職人は、これで一式、会社員が本支店を移動する。会社に属して長く在籍し、腕を磨き、先輩の技術を継承する大工課、鉄筋課、杭課(以上僕が勝手に命名している)などの中にいて、それぞれが切磋琢磨している。細かく言うことはないと思う。すべてこれで、平成建設は年号が変わっても、今建築に必要な「信用」を構築し終わった。だから、新年号時代も確実に、生き残る。

 昔のバブル崩壊は社会的悲劇である。

 僕もその渦中の人間の建築設計事務所の人間として、悔しい思いをした。建設業界の「信用」崩壊を横目に、なんとか小さな会社を若い若者(現社長)に託して会社から去ることにした。そして、今は絵描きと自称している。平成建設には、ギャラリーもある。僕は、ゆっくりとそれらの、解放された空間を楽しみながら。手職の高い人たちの安心した顔(職人会社員)を想像していた。

 

 満足して渋谷に出、コーヒーを飲んで帰ってきた。

 僕のような暇人の対応を、一級建築士の資格を持つ美しい女性が当たってくれた。絵を描く僕は、美しい知的な人を観察しながら、神に感謝し、とっても幸せだった、のである。

 

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 筒井友美作品。

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2019.04.25

「永遠の生命」と「島田清次郎からの卒業」とは言え

 

 そう簡単には、卒業証書は渡してくれない、ようだ。

 小説「地上」は、まだまだ読んだとは言えないから、読まなければならない。今朝も読んでいた。

 其の中で、島田の初恋の人吉倉和歌子の手紙がある。

 

 和歌子の母親は、彼女の幼い時、当時朝鮮で官僚だった父親の関係で、今の韓国にいた。しかし、其の母は、和歌子を守って虎に食われて死んだ、という話がすでに書かれている。で、今の母は継母(僕はけいぼ、と読む)なのであるが、色気ずいた娘の動向が気になって、色々ちょっかいを出す。それが気にいらないという、内容の文面で。大正期の、燃え上がる女性の若々しい気持ちが書かれた貴重な手紙である。で、少し引用してみよう。美しい、昔のおんなが匂い立つ文章である。

 今日はわたしは学校から帰って庭に出てあなたのことを考えていました。今日はどうしてか学校からの帰り道でお会いしなかったのが気が悪くて仕方がございませんでした。すると隣の深井のお坊ちゃんがわたしをよびなさったのです。

 わたしは何もかも存じておりました。ほんとうにわたしはすみません。でもわたしにはどうしてよいか分からなかったのでございますもの。ほんとにわたしはあなたのあれ(本では、あれ、にわざわざ点がふってある)でございます。わたしは今、うれしくてじっとしておれないのです。わたしは仲よくしていただきたいのです。でもわたしはそんなに仲よくしていただけるのかしら。

 気がせいて思うことが書けません。

 

 と、続いていく。興味のある方はいないとは思うけれど、本文は青空文庫にあるはずです。で、最後の署名、なつかしき大河平一郎様吉倉和歌子、となる。で、さらに。ある芸者の話がでる。そこを書くと、こうだ。

 しかし彼女にも、たとえそれは極めてエロチックであるにせよ、熱烈な恋愛はなかったわけでもない。彼女がまだ十八の正月、三郎さんというこの街一の呉服屋の息子で、高等学校の学生が彼女にしきりに打ち込んで来た。若々しい力に充ちた三郎さんの坊ちゃんじみたところが、、無性に彼女には恋しくなった。彼女は三郎さんに会うときだけは一切の手管(彼女は売られた芸者だった)を脱去して一筋な情熱に奮い立った。恋愛の力が妖艶な彼女をどれほど美しく輝かしたかは三郎さんのみが知ろう。お幸にとって肉欲の錯雑が深いだけに一日中三郎さんを離されなくなってしまった。三郎さんは学校(旧制四校・今の金沢大学)を休む、お幸にとって肉欲の錯混が深いだけに一日中三郎さんを離されなくなってしまった。三郎さんは学校を休む、お幸は座敷に出ないで、毎日毎夜二人は熱病人のように一室に籠もったきりだった。しかし三郎さんの家の番頭が三郎さんを連れてゆき、電話で一日中話し合うので電話を一時取りはずしたりしているうちにお幸の情熱も沈潜してしまったのである。「三郎さんのことだけはいつまで経ったって忘れることじゃない!」と彼女は言ったが、それが最初のそして最後の「我を忘れた」恋愛であり快楽であった。

 

 と、書いたのである。これは部分を引き出して其のごく一部を書いたに過ぎないので、本当の色街の、大正時代の金沢の恋愛情感は伝わらないだろう。しかし、島田清次郎は、エロチックという素晴らし言葉を用いて、最近ではすっかり色あせた男女の性的感覚を復活させてくれる。西洋で言えば、クリムトの絵画のように、妖艶で純粋な男女愛を伝えていたのだ、とわかる。

 わたしのように、同じような歳で、明治学院ですっかりキリスト教的禁欲を会得したものは、かなりの神学的インテリには成長したが、その性はいささかひねくれていたと思う秋の風である。と、わかるのである。

 

 そこで、金沢と長野と東京を結ぶ俳人一茶の句を一句、書いておこう。

 

 いつ逢(あは)ん 身はしらぬひの 遠がすみ (一茶三十歳寛政年間作詞の句・岩波文庫から)

 

 

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

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2019.04.23

「永遠の生命」と「島田清次郎からの卒業」

やっと、島田清次郎の呪縛が解けた。ようだ。中退しているとはいえ、明治学院の先輩である島田を読んでいると。これが、二十歳の青年の文章であるか、とやはり思う。天才と謳われたことは、間違いのないことで。確かに、当時女性問題で、あれほどの非難を受ける理由は、今ならどうであろう。女性が、解放されていない大正時代。無理矢理に女性を世間に晒してしまうと、家族や社会の怒りは、信じられないほど強烈である。それによって、流石の島田も精神病を発症したようだ。あそこまで晒し者にされると、天才島田も人を信じることが、できなくなる。当時は、それが、貧困をも意味した。合理的判断ができなくなるのであろう。

 それにしても、短い期間に明治学院で、キリスト教に触れたのは彼が17歳、の時。私も其の年齢で洗礼を受けたので、他人事とは思えないところがある。で、こだわったのであるが、私の時は日本がもろに敗戦した時代だった。またそれは、あの時代は時代で、キリスト教は問題を抱えていたのである。あの戦争は、世界史上最大の戦争で、死者数、負傷者数、参加国、被害国、加害国など。ともかく戦禍の一部は、いまだ未解決である。そんな時、活躍した神学者たちは、キリスト教会ばかりでなく、一般の耳目をも騒がせていたようだ。

 

 僕は、要するに高校生で子供だったから、よくわからなかった、が。天才の島田をもってして、僕らのあの時代を、小説や思想として、あの歳で何かを創作できたかどうか。もちろん彼は、天才と言われたのであるかあら、私などが云々することではない。が、ともあれ。島田の陥った自由の呪縛と、戦後の自由の解放には、なんらかの共通点が見出される。と、思うのである。反対もまた、真なり、なのではないか。自由、という概念は。戦後本格化するが、いうまでもなく戦前から文化として存在していた西洋思想、であることは、正しいことであろう。日本には、掛け声はあっても、戦後に実現した民主的なものを基盤にした本格的自由は、まさに戦後に実現したものに過ぎない。この辺りの、思想史的問題は、ともかく。面倒である。

 其のころに、キリスト教思想家で、ブルンナーかバルトかニーバーという人に、私は今でも、救いを求めざるを得ない。其の中で、前者二人は、何かと高校生の時から読んでいる。が、最後のニーバーは、まだ全然読んだことがない。島田をボツボツ卒業し、本格的なキリスト教的「永遠」問題に入らないと、いけない時期がきた、と思っていたので。途端、ニーバーを読む必要が出た。ニーバーこそ、現代神学の、なんともいえない高い神学者であるからである。で、僕は今日、国会図書館に行き、ニーバーを読もうとしたら、それはすでにデジタル化されていた。

 今日は本当は、佐倉の川村記念館美術館に行き、ロスコの絵画を研究し、島田の時代をそぎ落としてみようと思っていたのである。で、色々迷っているうちに、ニーバーに出会い、その日は国会図書館でニーバーを読むことにした。同じ、人間の苦しみなのであるが、島田の日本人的な苦悩とは別に、キリスト教的に純粋なキリスト教的苦しみが、今の私にはある。で、島田を卒業し、ニーバーを読んで。自分が洗礼を受けた高校生の頃の、世界のキリスト教的思想と状況と、今の自分を感応させることにした。それは、ニーバーの著書「アメリカ史の皮肉」(オーテス・ケーリー和訳、英語原書1951年、国会図書館デジタルあり、古書約現在七千円前後現売)という、素晴らしい翻訳本に、それは書かれていることなのである。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

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2019.04.18

永遠の生命と国際ペンクラブと島田清次郎

 

 

 島田が、日本で初めての国際ペンクラブ会員である、と杉森久英は書いた。

 しかし、現在のWikipediaがペンクラブを書くのに、そのことは一言も触れない。

 初代の会長はゴールズ・ワージーである、と書いてある。その会長から、会員として島田は推挙されたのだから、正式の会員である。日本にはその頃、国際的に通用するないしは国内的にも通用する、日本ペンクラブは存在していない。国際ペンクラブとて、島田が出席した時が初めての会合で、まだまだヨチヨチ歩きに過ぎない。ワージーはノーベル文学賞を取っている。

 このような時、紛れもなく正式の会員だと、言われた島田清次郎は、ともかく高揚したようだ。

 当然であろう。

 

 自分が日本の文学界をリードするのだ、と志を持ったとして。いったいそれは、彼の罪だろうか。ともかく、自分をプリンスシマダと言ったのは。大日本帝国の本物のプリンスが、大英帝国皇室を訪問していた時期と一致したかららしい。時を同じくしていたので、文学的な諧謔を込めて、彼は自分を。プリンスシマダ、と言ったに過ぎないのでは、ないか。この辺りは、誰にもわからない。

 しかし、なぜそれが悪いのか。ウィキには一切、島田清次郎が。日本の文学界の初めの会員である、と書かないのか。僕はわからないのだ。それは、彼が、単に生意気であるに過ぎないし。若いから、有頂天になっていることが、日本人には許せなかったようだ。このあたりの分析によれば、彼の傲慢と世間の嫉妬とが、見事に絡み合って。彼を狂わせていく。

 が、彼が小説に書いた「明治学院」を読んでいると、彼の明治学院(あるいは西洋文明)に対する清新で綺麗な、澄み切った気持ちは書かれていても、とても狂う人とは思えない素晴らしい物書きでると、知る。

 

 こんなところから、島田清次郎研究の切り口は、まだまだ奥が深そうである。

 が、彼のベストセラー「地上」には、M学院として明治学院が登場する。それは其の巻の最後の部分に書かれている。いわば四部作の第一部であるが、其の副題として島田は、「地に潜むもの」とした。彼の小説は社会小説だと分かれば分かるほど、彼は社会から抹殺されていく、のだ。ということが明確になっていく。

 実は、明治学院の文学部で勉強した僕は、どうして明治学院にもっとまともな文学者が出ないのか。前から不思議であった。それなら自分でやったらどうだ、という声が聞こえるが。それは、キリスト教と絡む(関係する)ゆえに、そう簡単にはいかないということが、本音だ。キリスト教で、小説家として飯が食えたのは遠藤周作一人ではなかろうか。遠藤は明治学院ではない、上智大学に絡む慶応大学出のカトリック教徒だ。Wikipediaから書くと。

 父親の仕事の都合で、幼少時代を満洲で過ごした。帰国後の12歳の時に伯母の影響でカトリックの洗礼を受けた。1941年上智大学予科入学、在学中同人雑誌「上智」第1号に評論「形而上的神、宗教的神」を発表した(1942年同学中退)。

慶應義塾大学文学部仏文科を卒業後、1950年にフランスのリヨンへ留学。帰国後は批評家として活動するが、1955年半ばに発表した小説「白い人」が芥川賞を受賞し、小説家として脚光を浴びた。

 

 ところで、

 明治学院の島崎藤村は、大正三年、1914年。四十二歳の時「桜の実の熟する時」の連載を始める。

 僕は、この桜の実、こそ島田が真似を(参考にした)したものと観測していた。しかし、それらをよく読むと、もちろん明治学院の当時のたたずまいの記述は、よく似ている、が。それは、実際を見て書いているからである。島田清次郎は、小説「地上」を刊行すると、それは一種の模倣ではないか、と悪意として最終的には指摘され、文壇から抹消されたのではないか。などと、僕も考えもした。

 しかし、それを内容から見れば、藤村のキリスト教と、島田の其の態度には明らかな相違がある。藤村作品を盗作し、島田がベストセラー「地上」を書いたとするには、いささか無理がある、と思うようになった。抹殺された理由を探るのは、実際日本文学界から抹殺されたからである。

 

 などと書いて、DVDを見ると。

 要するに、工場にストライキが起こり、それを指導するのは友愛会、という有名な労働団体、となる。其の対策をするために、東京本社からお偉いさんが現れ、まだ手つかずのうぶな役を背負う香川京子を、いわば芸妓が、その夜の接待役になる、という、見慣れた。今見ると、だらしない、いやらしいくくさい男の、よく知る貫禄のある俳優佐分利信、などであるから。と、急に見る気がしなくなる。ので、あまりにも露骨だ。

 嫌になりDVDをやめて、この文章を書き始める。一体、どうしてこうも陰湿が濃厚なのか。これがまさに本当の、島田新次郎の環境なのである、か。其の中から、ともかく東京に行き明治学院に入る。

 青年らしく、初々しく。全てが貧しいものへの目線として、書かれていく。それで聖書を読む環境ができるのであるが、この落差も実に辛い。が、あの時の、日本の紛れもないリアリティなのである。か。

 確かに、自分の中にも戦前は残っているし、本当に、嫌な日本の陰湿な原風景なのである。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

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2019.04.17

永遠の生命と明治学院と島田清次郎と、さらなる永遠

 

 展開があまりに複雑化して、全然雲を掴むような話になる。

 

 だいたい、島田のことが。明治学院図書館の奥の奥から、長く眠っている島田の本を引き出し。脈絡も意味もなく、一人の老人が。

 

 なんで、そんな本を今更研究しているのか。

 

 興味を持っている私自身が、自分に問いかけるのだが。それが、僕の永遠の生命の探求、につながると思うからである。と、言うことは簡単であるが、内容はいたって面倒な問題である。

 

 この気宇壮大なテーマは、まさにキリスト教の真髄なのであると知る、ことだけはできる。

 

 老人になって、いざ永遠の生命へ、などと目標を定めた途端、それは見事に目前から消え。人にとても説明できるテーマにはならないのが、実情である。その関連で、明治学院が出、島田が、出る。要するに、永遠の生命を考える中で、島田清次郎を考えている。島田も十五歳で明治学院に入ったが、島崎藤村も十五歳、なのではないか。僕も、十五歳なのか。島田はごく短い一年半の間に、聖書を読み、他の神学書などもこなして、その読書量は相当のものになったと推定できる。僕と比べてもしょうがないが、下手をすると、藤村より勉強したのではないか。

 

 結局、私にすれば、明治学院高校の時の教科書。神学者ブルンナーの、「永遠」を、まだ何度も読まなければ、ならなくなる。のではないか。

 

 島田清次郎が、聖書から人類救済という観念に取り憑かれて、小説を書いたのか。今のところわからない。

 

 が、図書館で昼になり、放送で。自由参加の礼拝が始まります、とアナウンスがあっても。僕は、自由参加の礼拝堂に行ったわけではない。久しぶりなので、礼拝は今どうなっているのか、と図書館に入る前には考えてはいたが。出席する気持ちは、なかった。そんなことで。もっぱら図書館で研究していたのであるが、それは島田のキリスト教との関係を探っていたのである。

 

 彼は巣鴨の養護院で、その一角にある現在の松沢病院の前身となる。特別に作られた病室から退院した、ようであるが。長年の結核のため、若い命を終わるようだ。その終焉の地に立って、彼の小説「地上」を読んでいると。なんとも、当時の人の心の動きの。過ぎ去ったときに対する、作法のようなものが、どのようなものか戸惑う。とても、今の私などが、想像も及ばないことである。

 

 結局、短い人生を送る人の、小説の中の永遠の生命は、そもそもあるのであるか。

 

 あの社会主義が表面化する大正時代の、島田清次郎の高い社会的志は。結局、誇大妄想として精神科の医師に認定されても。彼から発する、キリスト教的真実は、しかし、決して狂ってはいないのだと、言っておきたいのである。

 

 で、僕も、このブログで、これからもさらに永遠の生命を求めて、島田清次郎を書いていきたい、と思っている。

 

 

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 筒井友美作品。

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永遠の生命と明治学院と島田清次郎と、さらなる永遠

 

 展開があまりに複雑化して、全然雲を掴むような話になる。

 

 だいたい、島田のことが。明治学院図書館の奥の奥から、長く眠っている島田の本を引き出し。脈絡も意味もなく、一人の老人が。

 

 なんで、そんな本を今更研究しているのか。

 

 興味を持っている私自身が、自分に問いかけるのだが。それが、僕の永遠の生命の探求、につながると思うからである。と、言うことは簡単であるが、内容はいたって面倒な問題である。

 

 この気宇壮大なテーマは、まさにキリスト教の真髄なのであると知る、ことだけはできる。

 

 老人になって、いざ永遠の生命へ、などと目標を定めた途端、それは見事に目前から消え。人にとても説明できるテーマにはならないのが、実情である。その関連で、明治学院が出、島田が、出たのである。要するに、永遠の生命を考える中で、島田清次郎を考えているのである。島田も十五歳で明治学院に入ったのであるが、島崎藤村も十五歳、なのではないか。僕も、十五歳なのか。島田はごく短い一年の間に、聖書を読み、他の神学書などもこなして、その読書量は相当のものになったと推定できる。僕と比べてもしょうがないが、下手をすると、藤村より勉強したのではないか。

 

 結局、私にすれば、明治学院高校の時の教科書。神学者ブルンナーの、「永遠」をまだ何度も読まなければ、ならなくなる。のではないか。

 

 島田清次郎が、聖書から人類救済という観念に取り憑かれて、小説を書いたのか。今のところわからない。

 

 が、図書館で昼になり、放送で。自由参加の礼拝が始まります、とアナウンスがあっても。僕は、自由参加の礼拝堂に行ったわけではない。久しぶりなので、礼拝は今どうなっているのか、と図書館に入る前には考えてはいたが。出席する気持ちは、なかった。そんなことで。もっぱら図書館で研究していたのであるが、それは島田のキリスト教との関係を探っていたのである。

 

 彼は巣鴨の養護院で、その一角にある現在の松沢病院の前身となる。特別に作られた病室から退院した、ようであるが。長年の結核のため、若い命を終わるようだ。その終焉の地に立って、彼の小説「地上」を読んでいると。なんとも、当時の人の心の動きの。過ぎ去ったときに対する、作法のようなものが、どのようなものか戸惑う。とても、今の私などが、想像も及ばないことである。

 

 結局、短い人生を送る人の、小説の中の永遠の生命は、そもそもあるのであるか。

 

 あの社会主義が表面化する大正時代の、島田清次郎の高い社会的志は。結局、誇大妄想として精神科の医師に認定されても。彼から発する、キリスト教的真実は、しかし、決して狂ってはいないのだと、言っておきたいのである。

 

 で、僕も、このブログで、これからもさらに永遠の生命を求めて、島田清次郎を書いていきたい、と思っている。

 

 

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2019.04.16

永遠の生命と明治学院と島田清次郎と

永遠の生命を教えてくれたのは、明治学院である。島田は、たった一年、高輪の豪邸から明治学院に通った。僕は、十年も通って、その僕が七十七歳になって明治三十二年生まれの島田を調べに、明治学院にいく、というのだから。呆れたものである。季節社という出版社が2002年に出した、島田清次郎「地上」の解説によれば。可哀想に、「この本は、貧しく学歴もないまったく無名の二十歳の青年の作品である。」と、なっている。なんと、無情で、一方的な断定であるか。それなら、なんで僕が、明治学院まで行って。島田の資料を観ているのであるか。と、憤りを感じた。明治学院は、学校ではないということか。

 新入生で混んでいる明治学院大学の図書館で、僕は。まず、島田が二十歳の頃に新潮社から出した、本。「地上」四部作四冊を出した。それは丁寧にビニール袋に保存されていて、係りの人が僕に本を渡す時、壊れていますから大切にと注意をしてくれた。僕は、その本を大切に持って、道路ぎわの明るい場所を選び、おもむろに読み始めた。深くはまだわからない。が、第一部は270版定価1円30銭、郵送料八銭、第二部は二百五十刷、第3部は二百三十一刷などと第四刷まで記録したが、それらは昭和2年の250版もので、大正9年に印刷され、発行されたもののようだ。詳しくは、まだまだ調べねばわからないことだらけだ。それらの、関連本として佐藤春夫の小説「更正記」が、あると知り、それも出してもらった。昭和29年筑摩書房が、現代日本文学全集30、として出したものの中に入っていた。で、島田清次郎の創作の本質を極める、という意味で。それぞれの巻に必ず掲げられた、巻頭言を書いておきたい。それは、すべて聖書から引用している。第1巻のものは、すでに書いたが、わかりやすくするために、もう一度書いておこう。

第1部虐げられたる者の涙流る 之を慰むる者あらざるなりーー伝道の書、第2部こは速やかに来るべし。されどその時と日は神の子といへども知る能はずーー1927、第3部神、「人もし全世界を得ると雖も その生命を失はば何かあらんや。」人、(涙含みながら)「神様、私は生命のために全世界が欲しいのでございます。」ーー1921、第4部光は暗きに照り、暗きはそれを暁(て)らさざりきーー1922 ヨハネ伝第十一章

 なにせ、久しぶりの図書館で(昔はよく利用していた)せっかくあったカードも破棄してしまっている。ので、新たにそれも作ってもらうことにし。帰ってきた。地下鉄南北線に乗るために、明治学院の正面ゲートを出ようとすると。時の大衆小説家長谷川伸の、大きな日本家屋が今も厳然と慄然と、少し高い崖の上に建っているのが見える。その建物は、僕が十年間通っていた時から、あまり変わらない姿だ。が、今や。その経緯を知る人もいないと、思いながら。坂を下り。その建物の主、長谷川伸は。昔の、第一高等学校教授、第二次世界大戦の最中に死んだ三谷隆正の腹違いの兄、であると知る。のは、僕が明治学院を卒業して、かなり後のことである。長谷川は弟の、帝大を卒業した三谷と違い、造船少年工から身を起こした人だ。などと、思い出しながら、八芳園の方向に向かった。三谷は、明治学院の中学校から、一校、帝大を卒業し。母校の教授になり、無教会派の勉強会を開いていた人と知るのも。かなり後の話なのである。と、島田が、明治学院に通ったという痕跡は。まさに小説「地上」の冒頭から、聖書が引用されている事実から明らかであると、思う。が、彼の明治学院は、彼の学歴を飾らなかった、ということなのだ。本の一番後ろに書いてある、島田の短い経歴の中にも一切書かれていない。そこに書かれた学歴は、県立第二中学校中退、と一つあるだけ。明治学院も中退なのだから、書いても良いではないかと、ムッとして。帰ってきたのである。

 本を売るために、精神病者としてピエロ化にされた、真面目な島田先輩のために。まだまだ図書館通いを、しなければならないとあらためて決心した。僕は学生に戻り、一番安いラーメン三百十円を昼飯に食って、帰ってきた。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.04.15

永遠の生命と島田清次郎原作、映画「地上」のDVD

 

 直木賞を受賞した杉森久英の、

 「天才と狂人の間」(島田清次郎伝)を読みながら。島田の小説「地上」も併読し、少しづつDVDも観ている。

 前回も書いたが、ほとんどの俳優を覚えている。

 

 映画の設定年代は大正中期の金沢。物語は島田清次郎の物語。島田の、「地上」という小説は、国会図書館デジタルで少し読んだに過ぎない。が近々、明治学院大学で閲覧するつもりでいる。で、島田終焉の病院、巣鴨保養院の跡地を見学した。そこは現在、巣鴨北中学校で、有名建築家が設計改築中である。

 小説のスケールは非常に巨大。で、二十歳で天才と言われ、世にでる。新潮社が出した。

 その伝記である杉森久英の、直木賞作品も巨大なら、映画ももちろん巨大だろう、ポツポツ観ている段階だ。

 DVDの箱に書かれているのは。ひたむきな十七歳の初恋、という。その舞台の始めの頃は、芸者置屋の実景と人間関係。凄まじい。今では考えられない強烈な人間臭さ。今の世の中には、全く「ない」ものだ。

 

 僕は、その映画をかつて見ていたのではないか、とふと思ったのだ。要するに、出演者全員に記憶がある。

 この辺りに、ゾッとするが。それら俳優の動作や台詞は、手に取るように覚えている。もちろん全体の流れとして、であるが。まさに覚えているのである。田中絹代、のお母さんの表情は、あれだ。若い娘を買って、まず自分で犯そうとする下宿先の置屋の亭主。のあの所作、まさに彼の顔と服装と、歩き方と声と、女房の動きを見定めて行動する、彼の夜の行動の全てが。自分の脳裏に残っている。

 一方、工場見学をする川口浩(主人公)の表情とその意味も、実に男らしい美男子ぶり。野添ひとみのお嬢様ぶりも、板について魅力的だ。あんなに、いい男と女、だったのか。しかし、なぜかこの二人の記憶だけは、曖昧である。

 私たちのような、あの時の青年の純情を見事に表している。が、記憶というより自分そのものである。

 

 嫌な、すけべーオヤジをその時は、嫌悪の気持ちを持って。狙われる、香川京子が演じる処女のウブな瞳に、僕は同情していたに違いない。が、今はどうだろう。人生経験を通してみると。あの時代の大人の、あの律動に意味を感じる。無道は、なぜ生じたのか、本当にあったのか。それを、悪として書いた脚本の名人進藤兼人は、見事というべきか。しかし、あれが、実態か。単なる、お芝居か。

 ひどいと思って見ていた若い自分が、なんとも懐かしく思い出される。僕は、DVDを途中で止めて。一息つかないわけにはいかなかった。

 巣鴨は、見事な見学となった。今、巣鴨北中学校は改築中だ。工事用の仮囲いが周辺一帯にあり、その規模の大きさがわかる。かつてホームレス用の養護院(精神病室のある・だから巣鴨病院ともいう)のあった、いわゆる近所の僕(駒込にいた)などが、お地蔵様通りと言った西巣鴨寄りの。大正大学の隣である。

 庚申塚で都電を降り、私がよく知る明治女学校碑をまず久しぶりで拝見し。回り込んで北中学校を目指した。

 むかし、東大の学生寮があったところは。規模のでかい瀟洒な海外留学生寮に建て替えられている。が、その周りは昔のまま。人一人通れる路地が入り組んで、このあたりの雰囲気に、「しびれて」しまう僕だ。なんだか、恋人と一緒に怪しげな路地をうろうろしている、若い僕を想像してしまう。

 ところで、小説「地上」の書き出しとなる、下の言葉。それは旧約聖書から島田清次郎が引用したものだ。彼が、明治学院の学生だった時、間違いなく聖書に読みふけった彼の痕跡が、冒頭である。

 

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 虐げらるゝ者の涙流る

 之を慰むる者あらざるなり  

 

 傳道之書

 

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 この伝道の書は、現代聖書では(コレヘトの言葉)に表題が変わり果てている。昔は、僕が明治学院の中学生で習った時は、まさに伝道の書。であり、それは同じ文語体の聖書なのだ。島田が、間違いなく読んだものも文語体の聖書なのである。その、四章1節の中に、この言葉がある。なぜ、彼は、この言葉を拾い出したのか。

 僕は、小学校側の庚申塚通りからオープンの構内に入り、大正大学構内を正面ゲートから抜けて、明治通りに出た。近くのコーヒーショップで、「天才と狂人の間」(昭和三十七年初版)を読み上げ、西巣鴨交差点の都バスで池袋に。世界堂でブックカバーを買い家に。

 読み上げた本に、丁寧に透明カバーをかけた。

 あの場所で精神病は完治したのに、すぐ結核で死んだと言われる島田清次郎の影を追った1日だった。

 

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

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永遠の生命と島田清次郎原作、映画「地上」のDVD

 

 直木賞を受賞した杉森久英の、

 「天才と狂人の間」(島田清次郎伝)を読みながら。島田の小説「地上」を、少しづつDVDで観ている。

 前回も書いたが、ほとんどの俳優を覚えている。

 

 映画の設定年代は大正中期の金沢。物語は島田清次郎の物語。島田の、「地上」という小説は、国会図書館デジタルで少し読んだに過ぎない。が近々、明治学院大学で閲覧するつもりでいる。で、島田終焉の病院、巣鴨保養院の跡地を見学した。そこは現在、巣鴨北中学校で、有名建築家が設計改築中である。

 小説のスケールは非常に巨大。で、二十歳で天才と言われ、世にでる。新潮社が出した。

 その伝記である杉森久英の、直木賞作品も巨大なら、映画ももちろん巨大だろう、ポツポツ観ている段階だ。

 DVDの箱に書かれているのは。ひたむきな十七歳の初恋、という。その舞台の始めの頃は、芸者置屋の実景と人間関係。凄まじい。今では考えられない強烈な人間臭さ。今の世の中には、全く「ない」ものだ。

 

 僕は、その映画をかつて見ていたのではないか、とふと思ったのだ。要するに、出演者全員に記憶がある。

 この辺りに、ゾッとするが。それら俳優の動作や台詞は、手に取るように覚えている。もちろん全体の流れとして、であるが。まさに覚えているのである。田中絹代、のお母さんの表情は、あれだ。若い娘を買って、まず自分で犯そうとする亭主。のあの所作、まさに彼の顔と服装と、歩き方と声と、女房の動きを見定めて行動する、彼の夜の行動の全てが。自分の脳裏に残っている。

 一方、工場見学をする川口浩の表情とその意味も、実に男らしい美男子ぶり。野添ひとみのお嬢様ぶりも、板について魅力的だ。あんなに、いい男と女、だったのか。しかし、なぜかこの二人の記憶だけは、曖昧である。

 私たちのような、あの時の青年の純情を見事に表している。が、記憶というより自分そのものである。

 

 嫌な、すけべーオヤジをその時は、嫌悪の気持ちを持って。狙われる、香川京子が演じる処女のウブな瞳に、僕は同情していたに違いない。が、今はどうだろう。人生経験を通してみると。あの時代の大人の、あの律動に意味を感じる。無道は、なぜ生じたのか、本当にあったのか。それを、悪として書いた脚本の名人進藤兼人は、見事というべきか。しかし、あれが、実態か。単なる、お芝居か。

 ひどいと思って見ていた若い自分が、なんとも懐かしく思い出される。僕は、DVDを途中で止めて。一息つかないわけにはいかなかった。

 巣鴨は、見事な見学となった。今、巣鴨北中学校は改築中だ。工事用の仮囲いが周辺一帯にあり、その規模の大きさがわかる。かつてホームレス用の養護院(精神病室のある・だから巣鴨病院ともいう)あった、いわゆる近所の僕(駒込にいた)などが、お地蔵様通りと言った西巣鴨寄りの。大正大学の隣である。

 庚申塚で都電を降り、私がよく知る明治女学校碑をまず久しぶりで拝見し。回り込んで北中学校を目指した。

 むかし、東大の学生寮があったところは。規模のでかい瀟洒な海外留学生寮に建て替えられている。が、その周りは昔のまま。人一人通れる路地が入り組んで、このあたりの雰囲気に、「しびれて」しまう僕だ。なんだか、恋人と一緒に怪しげな路地をうろうろしている、若い僕を想像してしまう。

 ところで、小説「地上」の書き出しとなる、下の言葉。それは旧約聖書から島田清次郎が引用したものだ。彼が、明治学院の学生だった時、間違いなく聖書に読みふけった彼の痕跡が、冒頭である。

 

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 虐げらるゝ者の涙流る

 之を慰むる者あらざるなり  

 

 傳道之書

 

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 この伝道の書は、現代聖書では(コレヘトの言葉)に表題が変わり果てている。昔は、僕が明治学院の中学生で習った時は、まさに伝道の書。であり、それは同じ文語体の聖書なのだ。島田が、間違いなく読んだものも文語体の聖書なのである。その、四章1節の中に、この言葉がある。なぜ、彼は、この言葉を拾い出したのか。

 僕は、小学校側の庚申塚通りからオープンの構内に入り、大正大学構内を正面ゲートから抜けて、明治通りに出た。近くのコーヒーショップで、「天才と狂人の間」(昭和三十七年初版)を読み上げ、西巣鴨交差点の都バスで池袋に。世界堂でブックカバーを買い家に。

 読み上げた本に、丁寧に透明カバーをかけた。

 あの場所で精神病は完治したのに、すぐ結核で死んだと言われる島田清次郎の影を追った1日だった。

 

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

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2019.04.13

永遠の生命と島田清次郎原作、「地上」の大映DVDから

 

 アマゾンからあっけなく、表記のものが着いたから。

 早速開封し早速少しみた。

 が、私の中に長い間眠っていた、昔の人の私の若い時の「映画」が現れた。のは、感覚を超えている。

 

 なぜなら、この人たちは今、この地上から、全員がいない。少なくとも主要部を構成する俳優たちは、もうとっくにいない、のは当然である。この映画が、ネットによれば、

 

 大正初期のベストセラー作家、明治学院に在籍したことのある「島田清次郎」を原作に。

 新藤兼人が脚色、吉村公三郎が監督。撮影は中川芳久。主演は川口浩と野添ひとみ、田中絹代、佐分利信、香川京子。川崎敬三、小沢栄太郎と。自分の知る俳優さんだけを列記しておくが、誰も生きてはいない、のだ。だが、ここで書いている「島田清次郎」が、明治学院と関係していることこそが。ここ一連の、書きの深さとして目指すところである。

 

 ストーリーは。金沢中学五年(旧制)の大河平一郎は、針仕事で生計をたてている母のお光と(多分おみつ、と読む・田中絹代が演じている)、遊廓裏の置屋(売春婦がスタンバイする場所)の二階で、貧しい暮しを送っていた。

 ある晩、自分の借りている部屋に。冬子という若い女(香川京子が演じている)が飛びこんで来る。

 彼女は、明日。売春宿春風楼に売られることになっていたが、階下の主人に性行為を要求され部屋に逃げてきたのだ。中学生の平一郎は、泣いて嫌だと泣く冬子を見守る。この辺りの不条理描写は、今の人には絶対に書けない、わからない、意味不明であろうと推察するが。学校の授業料にも事欠くような、主人公の生活では何もできないのだ。が。諦めた冬子が、春風楼の下働き(実際は売春婦予備軍)に行こうとするところを、平一郎は反対する。

 

 ということらしいが、先に展開する島田小説の主題は、実際にはかなり明治学院的キリスト教的哲学的に展開するようである。で、あり、この映画が意図するものとは、島田小説の原文の意図とは、かなり違っていると思う。

 などとウィキ原文をかなり、訂正して書いた。

 のは、その事情を、私があの映画が作られた時代(昭和初期後半部)の人間で、だいたい隅々まで理解できるからである。で、少し観て、本当に僕はあのような映画を見て成長したのだ、とつくずく思った。

 

 便所の臭いがプンプンする、その時は。どこにでもあった近所の映画館で見たに違いない。

 幕間には、せんべいなどを売りに来るし。なんとなく幕間の倦怠をごまかしてつなぎ。結構売り上げはコツコツあったのではないか。で、映画の方は見事なもので。古い金沢の風景、もちろんそこに生きる人間の凄さ、生命力は抜群で。いうまでもなく、今に比べれば大いに貧しかった大正時代の金沢が、再現されている。

 こんなにも緻密に現場を再現し、昔の荒っぽい男っぽい、女の女っぽい。酸っぱい人間たちの、心と体の動きを再現している。見事な芸術作品と言えるだろう。

 

 改めて映画の表現能力の高みを見たと思う。

 演じた野添ひとみの墓を、僕が雑司が谷の墓地で偶然発見したのは、かなり昔で。彼女はあっけなくこの世を去ったという印象がある。深いことはウィキにあるだろうが、読む前にまず。このDVDを、羊羹を切りながら味わうような見方で、お茶でも飲みながら味わってみたいと思っている。

 

 その鑑賞の印象から。作家島田清次郎の精神を病んだとのみ強調される、彼の荒っぽい男の性と、対応する当時の女の受動的性、との。あまりに倫理的な現代的評価に対して、島田作品の底を流れる自分の知るキリスト教的判断をしてみたい。

 

 として、極端な島田狂人説を覆してみたい、と思ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

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2019.04.12

永遠の生命と島田清次郎の狂と凶

 

 「島田清次郎」が狂に向かうのは、

 杉森久英の小説で、137ページあたりからである。

 「彼は次第に常人の域を逸脱して、病者の心理へ近づいていくかのようであった。」と、杉森は書いている。

 

 この辺りまで来るのに、読む方も容易ではなかったが。この小説は、全部で238ページであるから、概ね半分読んだに過ぎない。あと、100ページ残っているので、頭が痛い。

 

 ともあれ、明治学院的聖書読みの自分は、ここまで度々出現する島田の小説的スケールの大きさは。やはり人並みでない、とは思うものの。それを、新潮社の販売面で見れば、若いながら大物の小説家として扱われる発行部数(一般にベストセラー)、であることは間違いのないようだ。そのあたりは「彼はやはりこれまでの日本の作家にはなかったような、スケールの大きいところがあり、」と続いていくが、自分としてはどうも、扱いかねる。

 それが、キリスト教的世界観のスケールの大きさとリンクする、ように私には見えて。僕も明治学院時代から影響され、いまだ手こずっている、思想上の問題として同情をしてしまうのも、仕方がないと思うものの。

 そのために、心を狂わす島田という若者を思うと。もう少し、明治学院にいて。少なくとも、高い神学の一部なりとも勉強していれば。あるいは、その狂気も起こらなかったのか、などとも、思っていがら、読む箇所なのである。

 ところで、杉森の小説はますます深刻になるが。島田が、強姦によって妻を迎える方法も、尋常ではない。通常、合歓となるべき問題が、島田の狂気を一層促進する、場面は、悲惨の上の悲惨だ。暴力も伴っている。

 

 とても読めないが、ここまできて読まないわけにもいかず、一体どうなるのやら。不安だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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2019.04.11

永遠の生命と島田清次郎の驚き

 

  僕が、今盛んに研究しかかった、島田清次郎は、

  意外な発展を僕の中に起こした。

  怖いことに、この人の研究が今は、俳人「一茶」に及ぶとは、考えもしなかった。

 

 どうして、こうなるのかもはっきりしないほど、いつの間にか一茶に及んだ。先の旅で、小布施に行き、一茶が発想したと言われる例のカエルの池を見たのが原因であろう。句の方は「やせがえる 負けるな一茶 ここにあり」が、急に島田清次郎を読んでいて、浮かんできた。

 

 自分があたかも。

 一茶になった気分がしたのであろう。七十七歳の今の僕の。

 

  昔知った一茶の句が、浮かぶのは、要するに。二十歳で世に出る(小説が新潮社から出版される)天才の苦悩が。杉森久英の小説(直木賞を取った)に、出るからである。それは、一種の狂気のきっかけになるのであるが、島田が死ぬのは、なんと三十一歳だから。つまり、狂気を持って死ぬのに、あと。たったの十年、というのも悲しいことではないか。

 

 僕が、最近まで全く知らなかった、明治学院に学んだ人が。

 

 このような天才とも狂人とも評価のしかねる年齢で死んだ、人であるということを知るのは。なんとも辛いのである。さらに、昔松竹で映画にもなり、その主演者が野添ひとみで、僕の青春時代(明治学院時代)の憧れの人だった、というのも。なんとも、切ない。で、親しくしている古書店の瀬戸さんに聞いてみたら、今でもアマゾンなら DVD で売っている、と教えられて。

 みてしまったところ、なんとある。

 これは、観なければとなって、安くもないその映画を買ってしまった。

 僕も、いよいよ狂ったのだと、思う自分を発見した。

 

   なぜなら、杉森さんの小説によれば、島田清次郎(通称、島清)の中に、僕が終生こだわった大逆事件も出る、からである。あの社会主義者の「堺利彦」の娘さんに恋をする、若い島田の恋心となると、は。悶々とする若き日の肉体の欲望と、の書き込みが、なんとも凄まじしい。自分の青春時代を回想する自分を、発見するからである。島田清次郎は、キリスト教的禁欲を、学んだのではないか。それをベースに小説ができた、ようなことは杉森久英も書いている。

 

 この辺りは、詳しく書かないと読者には、さっぱりわからないところであるが。

 

 やはり悶々とした青春の血を沸かした江戸期の一茶の性を、昔、研究したから僕には、わかっていた。しかし、それは若いクリスチャンの僕には鬱陶しくて、あまり深く進まなかった記憶がある。要するに、文化十三年1816年、一茶五十六歳が。七番日記に書いた。「菊婦女、夜五交」という単純にして明快な。いかにも有名になる俳諧師の性描写は、僕を悩ませたのだ。

 金沢出身の島田と北信濃出身の一茶と、小諸あたりで成長した自分、とがなんとなく重なってきて。なんともやるせない。が、信濃の豊穣な自然が育む豊かな生命力は、老年の僕を未だに魅了するのである。

 それで、名句「やせがえる 負けるな 一茶 ここにあり」という句を、えらく重要だと思い出した。

 

 時代を隔てているものの。キリスト教的苦悩と日本的苦悩は当然、違って表現される。のだから、これを考える自分も、実は大変だと、思うのである。が、情報化時代の、精緻なそれは。老年の僕を少しは正気に戻してくれる、と言っておきたい。

 

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.04.09

永遠の生命と黒い福音と筒井の抽象画

 

 今朝の毎日新聞朝刊。

 クリスチャンにとって不愉快なことが載った。「聖職者性虐待・日本も調査」である。

 

 この問題は、ほとんど僕のようにキリスト教をよく知るものには、中世の宗教改革のキリスト教を思い出させる。し、ネットができて、その手の画像には事欠かないことは、よく知っている。で、人ごとではないが、信仰者にとっては辛い話である。そんな時の性虐待であるが、黒い福音はもっと残酷である。事件の起きた時の社会の反応は凄まじいもので、小説家松本清張がそれを。「黒い福音」として小説にした。

 当時は、僕も読んでいるが、ほとほと辛い事件だ。

 

 性に対する、宗教家の対応ほど悲惨なものはない。僕も若い時は、熱心に教会に行っていたから、キリスト教的な性に対する二重性格を身につけたと、すでに書いた。

 そこからの脱却は、大変である。どう大変かは、やっていただかないと、わからない話で。だから、それには小説表現が一番適している。虚実取り混ぜて、性が人間性に対し、どのような発動と影響を与えるか。小説なら、多少は追求できるかもしれない。僕も明治学院高校の時に、小説を書いたから、この辺りを書いていたら、今頃左うちわの小説家として、通っていたかもしれない。が。

 だが前に書いた「島田清次郎」などから見れば、月とスッポンで、話にならない。しかし、テーマを丁寧に書いていけば、僕程度でも、性の問題は意外に書けるものではないか。今更、この歳で、性でもないが興味ある問題である。にしても、相変わらずの人間問題として、性を割り切ってしまえる歳も歳であるから、所詮内容として物足りないのではないか。要するに、平凡なことで。とてもとても、今の体力の及ばないことなのである。

 

 で今は、「永遠の生命」「天国」などに興味があるので、性は影が薄い。のは、自分の性が、まさにそれが薄いからである。

 で、どうせ明治学院なら。古い古い明治学院を書いて、そこから新生命を引き出したほうが有益であろう、と思う。ので。中嶋久万吉著「政界財界五十年」(昭和二十六年・大日本雄弁会講談社刊行)から、明治学院の部分を引き出して。現代文でご紹介した方が、自分も面白いし。多少は、世の中のためになるのではなかと、考えた。中嶋久万吉はWikipediaに立派にあるはずだから、今更書くこともない。

 ただ、多分予想するにあまり多彩な人生なので、Wikipediaでは、この明治学院時代までは紹介していないと思う。そこが、私のねらいで。ブログを、面白くしたいと思っている。が、一晩明けて、やめることにした。古書で、その本をもう一冊買って、昨日前払いの料金を振り込んできたのは。以前今持っている、その本は偶然に入手したもので。夢中で、研究してみた時期。もちろん大きな成果があって、満足しているが、今度は意識的にその本を買って見ることにした。

 ともかく、明治学院史は、単なる学校史ばかりではなく、日本の近代と深く絡んでいる。だから書きたいのであるが、それよりやはり明治学院高校の時の教科書であるブルンナーで「我らの信仰」を追求したい。と、思い、ブルンナーを棚から引っ張り出し、その「永遠・ETARNAL HOPE」を、研究し書くつもりだ。

 

 と、思う朝である。僕の部屋の壁に。画家筒井友美の描いた、「永遠」と題してもおかしくない抽象絵画がかけられたので。僕は若い筒井の生命力に依存しながら、人間生命の永遠問題に挑戦したいと思った。のである。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

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2019.04.08

永遠の生命と僕の宝物の絵画

 

 昨日は、おふたりのお客様が我が家に見えた。

 ちょうど桜も満開で。居間から、今は盛りと咲き誇ってよく見える。桜の花をよそに、どうも僕の悪い癖が始まって、色々と喋ってしまった。きっと、お聞き苦しいことであったろう。お一人は、人生の偉大なベテラン、もう少しで九十歳。もうおひと方は、妙齢のご夫人で画家だ。

 その画家は、一枚の絵を私にお貸しくださった。30センチ四方の、正方形の透明なアクリルに額装されたもので。有名な画材店文房堂で作ったものである。僕は昔から、その画家の絵が欲しくてお願いしていたのだが、なかなか実現しなかった。

 

 僕は、さっそっく壁にかけた。なんとも、嬉しい。

 

 で、昨日の話に、僕のイエス論が出た。ベテランの方の質問だ。イエスの誕生の経緯は信じられない、というごもっともなご質問である。妙齢なご婦人の方は、神妙に聞いていた。つまり、イエスの処女生誕が、信じられない、という問いである。ごもっとも。

 で、僕は。かねてから僕もそれを調べていたので、大して役にも立たないが、申し上げることにした。いたって常識的な、人文的に無理のない解釈を紹介した。

 

 イエスの、処女生誕の人文的説明はいたって簡単である。

 

 つまり神殿の巫女であったイエスの母マリヤは、なぜか妊娠する。もちろん、このスキャンダルは、ユダヤ教の神殿では長い歴史の中で、多分度々起こっていたことであろう。それを、いつものように、神官の上層部は慣れていて。マリヤを密かに、そこから去らせる算段をする。それは。ユダヤ教保守派にとっては、歴史的に慣れていて特に騒ぐことではない。

 が、今度ばかりはそうはいかなかった。というのは、結果的に、キリスト教という新興宗教が、世界歴史に出現するきっかけになるからである。

 高位の神官はいつものことで、習慣に従い。部下に、いつものようによきように処置せよと命じる。ことは、一種の慣習法である。部下は心得ていて、大工のヨセフを選ぶ。ヨセフの評判は抜群で、真面目な大工のヨセフは。神官の言葉に従ってマリヤと結婚することを容認する。もちろん、適度な養育費も準備されている。

 

 これは、常識的近代的な、実証的歴史主義の推定解釈である、が。概ね間違ってはいないと思う。また、これ以外にはない。

 

 あとは、聖書にある通りであるが、それから約三十年が過ぎる。高位の高官も、それを担当した神官も神殿を去り、すでに故人である(推定)。が、いつもと違うことが起こってしまう。成長したイエスの働きは、尋常の域を超えて天才的である。とても常人の及ぶところではない。それは保守派にとって、黙視できない革命的なこととなっていく。それも聖書にある。

 壮年のイエスの働き、青年また少年のそれは、常識の人ではない高い才能を発揮する。

 

 「あいつはヨセフの子、大工の息子ではないか」

 「それなのに、なんだれは、あの言葉には力がある」などと、噂が広まっていく。

 あとは、聖書にある通り。

 

 これ以上は書く必要はないと思う。

 

 こんなに精細に、話した訳ではない。が、これが現代人の僕の、人文的な常識を総動員して語れる話だ。妙齢の画家は、黙って聞いていがその心中は測りがたい。僕は、今朝、画家の絵を壁にかけて鑑賞しながら、その美しい絵画の真髄が何であるかを言葉で言い表せない。結局、神の子イエスと同じ、聖書の内容は説明しがたい事柄に彩られている、のはいうまでもない。その膨大な事実の集積、なのである。

 結局、やはり、言い表せないので。それは、壮大な奇跡の物語なのだ。いくら、人文的な常識を総動員しても、神の人類救済を表現する、という世界最大の宗教行為は、説明できない。

 

 絵画も同じだ。僕の部屋に、それは飾られた、という事実だけが真実なのである。

 

 

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.04.07

永遠の生命の中の、小説家島田清次郎(1)

 

 

 小説家島田清次郎を、知る人などいない、

 ということもないが。

 明治学院の文学部にいたものが、知らないというのは問題だと思う。

 

 ここのところ、「西村伊作」を勉強していた。

 文化学院が閉鎖され、長い一つの時代に区切りがついたと思っていた矢先。今度は、突然「島田清次郎」、である。か。全く知らなかった人で、なんで繋がったのかも、はっきりしないほど明治学院的である。が、Wikipediaを読んで、ガックリした。明治学院に十年もいた僕が、知らないというのは情けない話なのだ。ジュンク堂では、今でもこの人の小説「地上・・地に潜むもの」を売っている。のに。

 

 それを、青空文庫で読むことすらできる。

 それを、今読んでいるが、読みにくいので、本も買う予定。今、古書店からメールが入り、「天才と狂人の間」(島田清次郎伝)杉本久美著を送ったと、連絡があった。島田が、その小説を書いたのは二十一歳、青空文庫を少し読んだだけで天才と、頷ける。自分も、藤村ばりの私小説を書くつもりで、少し書いた。面白そうに書けるので、いい気になっていたが、これが、バカだったと知った。島田の天才ぶりを示す小説と、比較するのも愚かだが、天と地ほどの差がある。

 

 だが、彼は精神を患っている。

 

 小説でなく、その実人生の生き様の凄まじさ(Wikipedia)に、それが表現されたようだ。だからこそ失われた大正の、あの時間の、昭和に至る虚構の豊穣を余すところなく書いているのではないか。昭和の暴力と狂気に至る時代の不安、が予言されている。芥川が言ったっと記憶する、「漠然とした不安」の明治学院版である。で、百年史(明治学院)で、小説家島田清次郎を書いたのは、僕の師の工藤英一である。その中で、彼は。深いことは書けない、と書く。だが、特に、326ページから数ページを使い。わざわざ「文学者、特に島田清次郎」とタイトルまでつけているから、かなり気にしているに違いない。工藤は、慶應大学の学徒出陣組である。その彼が、僕の家庭教師なのだ。

 が、工藤も書いているが、そこでなかなか工藤の筆が進まない、のは。島田が複雑な人生を送ったからであろう。彼の「地上」には(青空文庫を少し読むと)、キリスト教的熱狂が書かれている、と工藤は書いている。が、その箇所は確かに、高い信仰的熱さに満ちているものの、やや過剰な狂気の感覚があり、それを紹介しかねる工藤の気持ちがよく出ている。

 

 が、私は七十七歳。

 にして島田清次郎を知った。

 

 今後、天国の鍵(永遠の生命)にかこつけて深掘りをするつもりでいる。文化学院終焉とともに「西村伊作」を卒業できるとは、ありがたいと思いつつ。僕は、彼に明治学院への入学を推薦されたのだ。だから僕は、ここで踏ん張って、西村伊作を大逆事件がらみで、一気に書き込みたい、と思って張り切っていたのである。が。

 その明治学院に、島崎藤村をうわまわりかねない小説家が、いる。ような気もして、西村から卒業した、と思うのである。

 

 

 

 

 

 

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