8-147 人間の罪について その二
「ある日の村野藤吾/建築家の日記と知人への手紙」村野敦子編 六燿社刊(Rikuyoh-sya)の続きである。
この本を知ったのはネットである。いつものようにネットで遊んでいて、フト目に入った。若々しい美しいお嬢さんと、「村野藤吾」の名前が目に入った。それは本の宣伝で、前回書いた関係から早速ジュンク堂に行った。内容から言っても、一般書でもいいと思うのであるが、カテゴリーとしては「建築」。ジュンク堂では技術系の本は7階であったか、要するに上の階である。人があまり入らない階、とでも言った方がよいかもしれない。
それでも棚に五六冊はある。上の階にしてはジュンク堂さんでも力が入っている。その熱の入れようには、多少あたりがついていた。7月11日、ジュンク・連続トークセッションで村野先生を取り上げる予定になっていたのである。勿論、参加をすでに申し込んでいて、楽しみにしていた。それと本とが連続しているとは、そのときまったく予想していない。
本を買って読んだ。読んで懐かしいことや、自分のつたない経験が走馬灯のように頭をよぎった。日本を代表する建築家と、しがない祖父ネットでは繋がりようもないのであるが、そこは業界を同じくすること、「先生」も同じ悩みを持っていた、と知った。そこで、書き始めたのである。書くために本をもう一度よく確認した。書いているここは、しゃれたある喫茶店、英語で意味不明なモダン音楽を聴きながら、マックで書いている。
確認していくと、本の編集に関わった駒見宗信さんが、トークセッションの主役の一人であることが分かった。なんと、うれしいかぎり。年を取って、こういう幸せに会えるのである。会場の片隅で、黙ってコーヒーを飲みながら、今でも通用する建築家の生き様を、聞いてみたいと思っている。
(続く)
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