8-142 キリスト教の神は天主と直すべし その21
こともあろうに、「神、天帝、天主」問題を扱った人が、「大日本帝国の本質と使命」を書いた人であることが分かった。
国会図書館から戻り、コピーを読んだ。途中で吐き気がした。赦せない文章である。それでも表題が書かれている聖書の一句に、救われた思いがした。昭和12年の聖書引用は文語文、「これ皆一つとならん為なり」となっている。
しかし、このヨハネによる福音書第17章21節はこんなに短くはない。かなり長い節である。その節の全文や17章の全体、またこの福音書をすべて読めば、そこに引用された問題とはまったく関係のないことであることが分かる。ただ自分に都合の良い部分を、勝手に引用しただけである。自分に都合の良いこととは、「大東亜共栄圏」を持ち上げることであるばかりではない、全世界を「家族主義」という理想で貫くという、馬鹿げたことを言う為に利用したのである。
彼の理屈は誠に単純で、日本で生まれた古代の大和政権を理想化して書く。戦前よく利用された説である。日本の古代社会で、ある一家を率いた長(今の天皇家)が、複数の家族を吸収しつつ次第に大きくなり政権を樹立。その政権は一度も簒奪されず、今に一系として継続している。このような国は世界にはない。このような家族の典型が残る国の理想を世界に広めたい、と言う論法である。
その上でキリスト教では、創造者がまず家族として一対の男女を創り家庭を営ませたのであるから、家族主義は世界の理想であり、神の意志であるともいう。世界の他の国の歴史といえば、政体を簒奪し、常にその家族的結合を破壊する罪の存在であり、世界は日本に学ぶべきである。満州への侵略も、乱れた中国の政権を整理し、家族主義を実現する為であって、云々と延々と続くのであるが、これでは読んでいられない。
こういった積極的で幼稚な侵略思想を、当時のクリスチャンが公言していたということが、あまりにもショックであった。このことをもはや書き続ける気持ちを失ってしまったが、残念なのは「神、天主、天帝」問題もやめざるを得ない、と思い始めたことである。
日本の聖書で翻訳語「神」選択の理由を、前島さんも探求した。彼はその歴史的経過を詳述したのであるが、それはそれで優れている。しかし、それがこのような思想の持ち主では、彼を参考にする気持ちが失せる。日本語聖書の翻訳語である「神」選択は、所詮英米の宣教師等がやったこと、と言わしめる「意図」が別にある。
「神」という語が、いかに日本のキリスト教に悪影響を与えたかと言う、起点において祖父ネットと同じように見える問題意識も、内容はまったく道を異にする。祖父ネットはそのこと自体を考えることをやめようかとさえ思っている。
ともあれ少し考えてから、気持ちを立て直す必要を感じる。
(一応はまだ続ける、と書いておきたい)
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