« 8-151 「我らの信仰」 その2 | トップページ | 8-153 「我らの信仰」 その4 »

2009.07.05

8-152 「我らの信仰」 その3


8−150にあるブルンナーさんの文章、「未来」の続きである。

○ エミールブルンナー「我らの信仰」/32編「未来」(212ページ)から

すなわちいったいどうして、こうしたことが起こるのであるか、またどこからこの知識を得るのであるか、という疑問です。この二つの疑問にはただ一つの答えだけがあるだけです。

それはイエス キリストです。これは聖書において知り得ることです。ヨハネの手紙1/1章2節に書いていることは次のようなことです。「この命は現れました。御父と共にあったが、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのですーーーー」。私たちはこの聖書によって、イエス キリストを知ることになりました。わたしたちは、イエス キリストを知り、それが真実であると信じました。私たちは、それが実際に起こったことであると信じました。

それは、すでに天主が来られておられるということを意味します。ヨハネ福音書1章14節は「言は肉となって、私たちの間に宿られた。私たちはその栄光を見た。」( The Word became a human being . and , full of grace and truth , lived among us . )

イエス キリストは現実の歴史です。

この新しい歴史によって、この世界が失っていた天主の生命、愛が、私どもの罪の赦しとともに新たに取り戻されました。このイエスによって、人は再び天主と相見え、一切を超越した天主の平安を得、天主と人間の新しい生活が生まれたと、聖書は語ります。

救い主であるキリストを首(かしら)とし、人類を枝とするキリストの団体、キリストによって聖められた人々の愛の交わりが、歴史の中に現れたのです。この天主から生まれた新しい生は限りなく、かつ偉大なもの、貴いものであります。この歓喜、力、意志、相互関係、確実な信仰は、キリストによって刷新され創造されました。古い世と自己はことごとく過ぎ去り、すべてが新しくなった、ということを意味しているのです。
(続く)

|

« 8-151 「我らの信仰」 その2 | トップページ | 8-153 「我らの信仰」 その4 »

キリスト教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 8-151 「我らの信仰」 その2 | トップページ | 8-153 「我らの信仰」 その4 »