8-153 「我らの信仰」 その4
8−150にあるブルンナーさんの文章、「未来」の続きである。
と、いいながら昨日、面白いことをネットで発見した。「動画」である。
ブルンナーさんと少しテーマがずれるが、「ブログ」自身の動画のことである。ここ祖父ネットは最近ご存知のように、日本語の最大誤訳「神、天主」翻訳問題を書いている。それがいかに深い問題であるかを洞察しているが、穿つこといまいち力不足を感じる。その非力を補う方法があることを発見した、「動画」である。
フトしたことから、動画検索を覚えた。
動画とはもともと金儲け主義のエロ動画、だとばかり思っていた。たしかに世界には驚くべき有害高度な性動画があって、人々の目を楽しませている。それは当然、経済効果が十分見込める商売なのであるが、まともなものではない。度を超していて、年寄りには体によろしくないし、若者には刺激が強すぎて、なにおかいわんや、である。論評困難、とても非才老人の出る幕ではない。
ところが、動画には悪いことばかりも無い。
むしろ素晴らしい利用方法もあった。いま祖父ネットというブログには、動画を貼付けることができると思われる。実験していないので詳しくはわからない。先述のエロネットのことで、自分で動画を利用することは興味が無かった。しかし、確かに説得しようとすることについて書き、さらに動画を簡単に添付できるとするなら、これほど分かりやすいものは無い。もはやそういった時代なのであるか。文章と動画の組み合わせである。文章と写真の時代がさらに進んだ。
で、動画検索「浦上天主堂」と実験してみると、次のような結果があった。
http://www.youtube.com/v/J41G_KsNuiY.swf&autoplay=1
まさか「天主」という言葉が動画でヒットするとは、思ってもみなかった。ところが、見ていただければ分かることであるが、驚くべきことに、いいですね「天主」堂の鐘の音は。
つまり、「天主」という言葉は、まだまだ健在であるということを発見したのである。とすれば、「浦上神堂」と言ってしまうと、おおよそ、そぐわない表現であることが分かる。ということから、いかに神が誤訳であるか分かってもらえると思う。
聖書にある翻訳語「神」を、各自が「天主」に読み替えてこそ、本当のキリスト教に達することができる。祖父ネットもいよいよ動画を利用する時期に来たのか、少し研究してみたい。
(続く)
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