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2017.05.08

杉山勝己の日活史/映画とホテルのある断面(5)

 

などと、書きながら。

 連休も明けたので、読む人もいるかなと思い、書こうと思いつつ。書く気がなくなっていきた。

 というのは、この文章が、一銭の利益も生まないからである。本来、このブログは、キリスト教の宣教で、無料を持って誇りとしてきた。が、宗教は、自分にとっての真の慰め、であるが、それを人に伝える虚しさを知る年になった。

 人に、イエスキリストの救い、を伝えても、ネット上で、キリスト教徒の不行跡が次から次へと、知らされると、焼け石に水、で。どう繕っても、どうにもならない。要するに罪なのであるが、そう言って逃げるキリスト教を許すわけにはいかない。のではないか。ネット上の、罪悪イメージは膨大である。

 それに、教会とも、どんな教団とも、どんな宗派とも、なんの関係もないから。何も、ここまで、いい年をして、やることはない、と思うようになった。もちろん、これには、ここに至ったのは、いくつかの理由がある。ともかく、先日来、日活研究をそっちのけにして、難しい本を読んでいる。

 本は「ドイツ三十年戦争」である。

 ウェッジウッドという人が書いた。ただし、この人1997年にすでになくなっている人で。1997年とは、昭和何年であるか、1910年生まれの人だ。で、訳した人は、瀬原義生さんという人で、この人は、私よりずっと年上であるが。この人が、この本を訳したとき、書いた当人が、当時28歳であったということに驚愕した、と書いている。確かに、このような内容の本は、年寄りの仕事ではないかと、思えるのであるが。実際には、絶世の美人の、あの陶器で有名なウィッジウッド家系の人なのだ。

 そして、まさにヨーロッパという本場で、イギリス人の若いお嬢さんが書いた、のであるから、この主題は、日本人などで書ける人はいない、というべきであろう。ということがわかった。で、読んでいても、うっすらとわかる程度で、よくわからないが、ウィーンやジュネーヴ、ヴェネッチアなどに旅をしたので、少しは、わかることもある。で、加えれば、自分はいうまでもないがクリスチャンだもの。少しは、わからないと。

 だが、日本人に一番わからないこと、要するにキリスト教を少しは知っていないと、これでは全くわからないと思える。ただ、封建時代などという名称で、中世史を東西で括るからわからないのであって。ヨーロッパ戦国時代といえば、分かりやすい。日本史の中でも、戦国時代はわかりやすい。のと、同じで、ヨーロッパも戦国時代なのである。キリスト教で解くと、いたって面倒なことも。戦国の領主様たちの争いで、農民であったろう自分とは、実際関係がない世界なのである。

 だから、宗教も実は、その頃も東西を問わず、皆権力者のもので、今の様に庶民のものではない。壮大な教会も寺院も、東西を問わず、深く権力的である。

 それに、もっともらしい宗教を絡ませて、総括的に社会などというが、十把一絡げの我々の問題でない。宗教も、同じだ。ただ、食いっぱぐれると、庶民大衆はうるさい。数パワーで、権力者に迫るからである。生半可な歴史家は、いかにもカトリックとプロテスタントの戦いなどと称するから、「ヨーロッパ50年戦争」理解が遠くなるばかり。これが、わからないと、世界史がわからない。ローマ史がわからないでは、世界史がわからないのと、同義である。

 なのだ。ヨーロッパ戦国時代は、宗教と言う表層を持ちながら、実態は日本の戦国時代と変わるものではない。と言うことが、本でわかる。と、ぐっとヨーロッパも近くなるのである。ハプスブルグだろうとブルボンだろうと、ダルタニャン(三銃士/ヂュマ)だろうと、所詮権力者の戦国時代なのである。

 おシャカ様も、所詮権力者側の人間で。従来から権力者は、宗教と共にあった。

 日本の戦国時代もヨーロッパのそれも、共に16、7世紀の話である。日本はその戦国時代の頂点たる、1600年が関ヶ原だから、ヨーロッパでも、その頂点が30年戦争なのである。決して、宗教戦争などと言う、狭い捉え方をしてはならない、と知った。

 で、ここまでわかると、宗教教義に説得力はない、と知った。確かに、イエスキリストは私にとって、救済者なのであるが、それは「私」にとっての話であって、いいから勧めるよと言っても、それは難しすぎる。年をとればそう言った経験が、いっぱいあって。どうにもならない。と、諦めている。だから、ここらで、無料文学をやめたくなるのである。

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