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2017.12.31

杉山勝己と聖書(204)いよいよテーマの事態が、深刻になっていきた、ようだ(2017年最終)

 

 理性と神秘/トマスクィナス、山本芳久著(岩波新書/2017年12月20日発刊)、を買った。

 なるほど。山本さんは、やはり東京大学大学院人文社会系研究科(哲学専門分野)博士課程終了で、文学博士、である。

 実際問題としてここで書くことは、ここまで研究の高さが必要な事態であるということを、認めないわけにはいかない。氏は1973年生まれ、だから私よりかなり年下の人である。要するに、私の結婚が1971年、だから「息子」という構造である。だが、息子であろうと、何であろうと、このような問題は、実際時間には関係がない。

 要は、テーマである。理性と神秘というのは、神と人間という置き換えが可能である。この問題は、ギリシャの太古から、今に至るまで。連綿と、人間の知識の高い目標である。今後も継続していくと、思う。私のように明治学院で、そのキリスト教的一般教養教育を受け、信仰者になったものは、この問題に至るのである。ただし、分からないなりに、じっと見つめて目を離さないでいたから、出来たのである。目をそらすと、ここまでは来ない。

 要は、人間存在を問う、この問いは、人間存在の永遠のテーマなのである。で、東京空襲という、アメリカの無慈悲な大量虐殺は、あの時期なぜ行われたのであるか。神は、それを容認したのであるか、と言う問いと同じである、と言っておこう。信仰的に見れば、アメリカはキリスト教国であると、される。のに、その行為は非キリスト教国的である。が、キリスト教の歴史は、一方で、非イエス的、すなはちイエスキリストの聖書の言うことは、一切合切無視される歴史のように見える。ここに、人間存在の問題が存在するという、難しい問題なのである。で、76歳の自分が、最後に挑戦する、ということになり、その明快がトマスアクィナスに、ある、のではないかというのが、その本を読む理由なのである。

 以前にも挑戦はしているが、再度挑戦。これが最後、になるだろう。この人(トマスアクィナス)が、いかにすごい著作の人であるかを。山本氏の「序」の一頁から書くと、「書物を読む、ということに関しても同様だ」と。読み続けることが、必要だと書く。が、実際トマスの書物は、半世紀以上かけて、2012年に邦訳が完成したに過ぎない。それは全45巻(神学大全とよぶが)に及ぶ、とは言え、トマスの全著書の7分の1、程度だというから、とんでもない書物群なのである。神学大全をすら、すべて読んだ人(通読)はいないだろうと、山本氏も言っている。

 では、また来年、読者のみなさまにおかれましては、よいお年をお迎えくださることを、心から神に祈って。下は自分の架かる十字架を負わされて、刑場に向かうイエス。ネットから。

 

 

 

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