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2017.12.19

杉山勝己と聖書(190)そして、スターリン粛清について

 

(私の画廊は右サイドから)

 神を否定して生まれた共産主義は、反対者ばかりか賛成者をも粛清している。

 その数は、数えきれないらしいが、2000万を超えると言われる。要するに、スターリン粛清である。

 明治学院で大学に進み、初めに出会った60年安保闘争のとき。その学生運動の主導者は、明治学院高校の一年先輩である、と知った。ある日、彼が、私の耳元で「共産主義は世界の半分である。」と、囁いたことを忘れない。が、すでに洗礼を受けていた自分は、マルクスを読んで分かった神否定思想の聖地には、行かなかった。それで、共産主義や社会主義には、行かなかったのであるが。共に労働し、財を共有するという考えは、イエスの考えの中にあることも知っていた。

 要するに迷うのであるが、それで、読書をした。それが、今の私である。その、年をとった今の私という老人が到達したのは、キリスト教の自由意志論と奴隷意思論である。それは500年前に行われた、ルターとエラスムスの有名な論争のようであるが、これを今から考えることになる。もう一つは、新約聖書の、ギリシャ語の写本誤写の、近代的研究である。ギリシャ語による写本には(活版ではない)、人間の手になるが故に、多くの誤写しがあるのは、当然で。その整理に、近代の学問は挑戦したようだ。それは、神の言葉と言われるイエスの言葉の、より純粋な言葉を、探るためである。

 私は、50年をかけ、この二つの命題に達した。ときの今、いうまでもないが、無神論国家ソビエトは崩壊し跡形もない。という、歴史である。その粛清の実態は、ユーチューブで見ることができる。下の写真は、その一部。

 

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