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2017.12.27

杉山勝己と聖書(198)手塚裕子さんを、読み続けることと、世界堂は休まないこと

 (杉山勝己画廊は右サイドから)

 キャサリンマンスフィールドさんを、読み続けている。

 一方で、このパソコンが固まってしまい、始動ボタンを今少し、長押しすれば済むのに昔のパソコンの、強制終了の恐怖を覚えていて、どうしてもソフトタッチになる自分を笑ってしまった。

 PC病院の若いドクター(私はそこの技術者を、そう呼ぶ)に、少し怒りの感情を表したのは、二日に渡った多大な経費と時間を、無駄にされたという感情が、心を支配していたからである。ドクターは今までのカルテを検討し、今の状態は自分たちが行った治療とは、全く別な現象で、と説明しつつ。長押しして自体はあっけなく解決した。怒りを、多少とも表情に表した年寄りに、無駄な経験による怒りであるということは、説明もできないまま、心からドクターに詫びた。

 実は、PC病院に行く前に、最近死んだ老人の友人が、そこに文句を言っていたということを聞いていたから。あの人がきっと間違っている、という予想はあった。なぜなら、彼の邪推は俳句をよくするひとの、直感が働きすぎる普段の彼の言動から推定できる。およそ、テクノロジーに、弱い人だ。彼の性質は、そう言った文学的な直感的なものであることを、普段の付き合いで経験させられていた。で、自分も、老人として経験的に、長押しができなかった。と書く、この文章は、理解されるだろうか。

 治ったパソコンを抱えて、いつもの喫茶店に入り、ワイファイの実験をした。見事に、繋がって。その勢いを駆って池袋に行き、四箇所ぐらい安いいつもの喫茶店を回って、ワイファイの使用が可能かどうか、確認してみた。一番安いところはマックで、コーヒーは百円。これで、とは思ったが、そこは一時間制限があり(当然)、その上画廊飾り付けのようなキザな行為を許すほど、今やノーブルではない。で、やめてベローチェに狙いをつけた。が、さすが長時間滞留を予想して、スマホは別にしても、パソコンは一切受け付けないという、もっともな仕組みに感心した。

 あとは、南池袋公園カフェー、で三百円。なら、で実験。の、結果、さすが豊島区の公共性は見事にそれを可能ならしめ、環境の良い公園内の、ネット画廊構築にはもってこいで、解決した。そこで、いくつか自分のパソコン画廊に絵を貼り付け、手塚裕子さんの本(キャサリンマンスフィールド/荒地を吹き渡る風のように自由に/春風社)を買いに、ジュンク堂に行った。今日がその本の、入荷日の予定だった。

 だが、予定は遅れて夕方になるというので、入荷したら知らせてくれるようお願いし、家に帰った。ときの、帰路の有楽町線は、上板橋で鉄道自殺があって遅れたのであるが、その自殺は。痛ましい、若い高校生であると知ったのは、毎日新聞の夕刊を見てのことである。

 12月もあと数日、であるが世話になっている画材店世界堂(パルコ)は休まないと知り、画廊構築もそれに合わせて休まず続けようと、思い、これを書いた。

 
 
 
     

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