« 杉山勝己と聖書(180)銀座のフランス料理店のビルに、ひがともり、美なり。と、教会史。 | トップページ |  杉山勝己と聖書(182)旅に出るときは何も持つな、が世界宗教キリスト教の初めの宣教法、である »

2017.12.10

杉山勝己と聖書(181)ヨーロッパ30年宗教戦争と、富岡八幡宮殺人事件

 (私の画廊には、右下にある首ふり坊やの頭の上の、画廊入口から入れます。)
 

 宗教ネット祖父ネットが、やはり注目せざるを得ない。

 のは、門前仲町宮司殺人事件である。元宮司が宮司を殺した、という事件に日本刀が使われたというのも、いかにも神道的である。

 今時だと思うのは、被害者である宮司のブログが存在する。と知り、少し読んで見た。中身は、女性宮司らしく今時のことが、普通に書いてあるに過ぎない。記事は、書いた宮司が女性なので、宮司の集まりに出席するとセクハラに会うので、いやであるという式の文章で。女性ならば今は普通に書き、内容もありうる内容が書かれている。

 特に、宮司であるから謹厳実直で、なければならない建前で特にセクハラのような、昔は男の甲斐性などと言われていたことが、今ではフランクだと言われるアメリカでも、それはご法度になった時代を反映している。いたって、常識的な書き込みに過ぎない。もし、殺人事件で殺されていなければ、この程度で殺されるとなると、命がいくつあっても足りないであろう。が、実際は富岡八幡宮ともなれば、強大な地域的影響力もあり、それが宮司批判ともなると、日本神道に与える影響も、ただならないのであろう、と推察した。

 特に、神道の宮仕えの様は、日本の文化の華であって、その装束や仕草は、雅なものと決まっている。実際その通りであって、長い歴史的積み重ねには、敬服するものがある。数多くある、宗教の中で、儀式を宗教行事の精緻高度尊いものとする、人間の切ない思いは、別に間違っているとは、思えない。何事も、礼儀作法は存在し、特に宗教でなくとも、それは文化なのである。

 基本的に、礼儀は世界中に存在し、そのやり方は様々に見えるけれど、結局人と人の道であって、文化人類学的に見れば、分類可能であるが、本質は同じものである。それを一度外れると、大変を呼ぶのは、戦争が世界中に絶えない人類史の、悲しき記録がそれを証明している。話が大げさに見えるけれど、一応内部告発というものは、よほど気をつけないと、その世界をあっけなく破壊してしまうから、やはり気をつけてブログとはいえ、書かれなければならないという、いい証明となっている、また事件であると、いう気がする。

 いたって、単純であるが、こう行った解釈をするのも、自分が76歳の老人であることと、昨日閲覧してきた国会図書館の、宗教改革者ルターの論文「奴隷意志について 1525年」は、読んで、びっくり。エラスムスに対する、ルターの完膚なきまでに行われる、批判は、世の人文主義者の心胆を寒からしめる、凄まじいものであると、知ったからである。結局、これを生まれたばかりのプロテスタントの、一種の内乱とするのも、あながち間違ってはいない。のではないか、たしかに、それから後ヨーロッパは、30年に渡る凄惨な宗教戦争が行われたと、知るべきであろう。   

 

 

 

 

 

 

|

« 杉山勝己と聖書(180)銀座のフランス料理店のビルに、ひがともり、美なり。と、教会史。 | トップページ |  杉山勝己と聖書(182)旅に出るときは何も持つな、が世界宗教キリスト教の初めの宣教法、である »