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2018.01.12

杉山勝己と聖書(221)挑戦された現代社会の絵画と、国際配送問題

(私のネット画廊へは、右サイドから行けます)

 挑戦された現代社会の絵画、という言葉を急に思いついたのは、

 昔、「小山登美夫ギャラリー」ボランティアになったときのことを、思い出したからである。

 全く個人の、絵を。全く個人の、画家としての画廊をネット上で開くという、ことを実行し。概ねうまくいく、という感触を得るまでに至った。とき、は中国語と英語の表記が、今は難なくできるという、実際上のテクニックの問題も解決した後であった。ときに、CPUに不具合があるというニュースにも接したが。さもあらん、古きパソコン世代の私には、さもあらん、なのである。

 パソコンはすべて、このCPUにかかっているということは。昔からの常識で、そこに欠点もあった。のであるが、あとでプロがもちろん修復するに違いない。が、心臓部を襲った、このパソコン惨劇こそ、未来社会の落とし穴(コンピューターによる世界崩壊)もありうる、ということを予想しもした。要するに、油断するなかれ文明殿、である。

 小山さんのボランティアの、私にとって個人的な成果は、一枚の写真にある。

 それを自分のネット画廊にも、貼り付けているが、あのとき漠然とみていた小山ギャラリーのあった、ある大倉庫の。一階の荷捌き場に置かれた巨大な梱包物こそ、今朝の発想の核となっている。その梱包物を避けながら、殺伐とした、でかい荷物用エレヴェーターに乗って、上階の小山登美夫ギャラリーに、至った。というわけである。ギャラリーに行っても、そういった大倉庫に慣れていたのは、倉庫の設計をする会社(創元設計)に、つい先だってまで勤めていたからである。そこを辞めて、本格的に絵画に挑戦する時が来たと、張り切ったとき。ふと、NHKTVに小山さんが出演し、最先端を行く画商として紹介されていた。それを、偶然みたに過ぎない。それで、興味を持ってボランティアに応募したのである。

 ここで、何をか言わんやといえば、単なる「配送」のことに過ぎない。あのでかい梱包物とは、概ね100号を超える絵画で、小山ギャラリーのものである。かなりの数があり、あの頃から、がっしりと木箱の中に梱包された現代絵画は、当時からそれは抽象的な存在で、さらりと脇をすり抜けた自分には、他人事でしかなかった、ことである。

 それが、自分の絵をネット画廊で、中国や英語圏に売る、という行為を完成させたとき。売れたときに生じる、絵画の配送をどうするかという問題とぶつかった。これが、簡単でないのは、いうまでもない。自分の絵にも80号があるから、これを海外に配送するとなると、コストや方法や確実性をどうやって見いだすのか、という問題は、大問題なのである。

 と、ふと今朝思ったことを書いた。

 
 
 
 
 

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