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2018.01.20

杉山勝己と聖書(230)日本宗教は、ここまで教義を追求したのであるか。明治プロテスタントキリスト教は、この本を知らなかったのではないか。

 

 ヨーロッパ中世を決定したと言われる、

 「神学大全」、トマス・アクィナスの45巻目(創文社/2007年発行)、最終巻をジュンク堂で受け取り、いつものベローチェで、コーヒーを飲んだ。

 大沈黙の経緯は、最後の解説部「おわりに」に書かれている。本文の最後のテーマは「悔悛が洗礼前の悔悛、大罪の悔悛、小罪の悔悛に区分されるのは適切であるか」、である。このテーマを、「適切であるか」と、挑んだ50歳のトマスは、沈黙する。そして、間をおかず死んだようだ。

 この、高い、ギリシャ哲学の伝統を引き受ける、ヨーロッパの、キリスト教の設問は13世紀のもので。論理的で難路たるものと、直感的でアジア的なものとを知る、日本人である絵描きの私の晩節を、直撃する。パリの絵の装丁が出来上がる時間なので、パルコ世界堂に向うため、本を閉じ。て、ベローチェを出た。来週月曜日は、雪かもしれないとの予報がある。

 素晴らしい、雪景色を期待している。下の文章は、トマスに敬服し、上の私の文章を、彼の言語ラテン語で翻訳して書いた。もちろんいうまでもなく、ネット翻訳である。ローマ字読みをすると、なんとなく、わかる部分も、あるでしょう。か。ともあれ、その前に。ネット画廊も、国際金銭決済を諦めたとはいえ、縁 なので中国語も、貼り付けてみたい。

 据说已经决定了中世纪的欧洲,

“神学大全”,Thomas Aquinas第45卷(創文社 / 2007发行)在Junkaido收到最后一卷,在平常的Veloce喝咖啡。

伟大的沉默的情况写在最后的评论部分“关闭”。主要文本的最后一个主题是“在洗礼之前分为遗憾,对重大罪行感到遗憾,对犯罪行为的忏悔感到遗憾吗?挑战这个主题的50岁的托马斯“是不是?”保持沉默。而且他似乎没有中断地死去。

在欧洲,这个承载希腊哲学传统的基督教问题,来自十三世纪。我打了一个日本画家的晚装,谁知道什么是逻辑和困难,什么是直觉和亚洲。现在是准备一幅巴黎绘画的时候了,所以请把书关闭,然后前往Parco 世界堂。我离开了Veloce。下个星期一我们预测可能是下雪。

我期待着一个美妙的雪景。下面的句子赞赏托马斯,我翻译了上面的句子,用他的拉丁文写成。不用说,这是网络翻译。如果你阅读罗马字母,不知何故,会有部分理解。或者。     

 

 

 Dicitur enim est determinari ad European Media Aetate,

"Quaestio", Vol. XLV ab oculis Thomae Aquinatis instauravit (Sobunsha / exitus MMVII), accipit postremo volumine Junku in Aula, super solitum Veloce, bibi capulus.

Historia scriptum est de magno silentio in fine de libro sectionem "VII." Theme ultima in textu: «Poenitentia poenitentiae baptismo, poenitentia peccatum mortale vel parvum peccatum est, oportet quod dividitur in paenitentiali" est. Hoc thema, et "oportet sive," ad L annos Thomam impugnatae sententiae emendationem, in silentio. Quod non videtur inter mortuos.

Hoc princeps, in praeter Graeca philosophia, ex Europa christiana religio dicitur in quaestionem, quod in saeculo 13. Et servientes eis et Nanro ut ex eorum: et cognoscens intuitive Asian ones mi Bansetsu a Iaponica pictorem ad ledo. Ex quo efficitur alligatio Paridis picturam quia in Parco Sekaido claude libro. Te, I sinistram super Veloce. Deinde septimana Lunae, verax est praenuntiativum fuit nix.

Mirum exspectamus nivis.  

 

 

 

 
 
 
 
 
 

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