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2018.01.18

杉山勝己と聖書(228)バベエルの塔は崩壊させられ。ネット多言語でも世界は仲良くなれない

 

 個人のネット絵画販売という、思いもつかなかった現実は、

 多言語世界というネット機能で現実化した。

 が最後に。最大ネックに突き当たった。お金の、「国際決済」である。親友である逸見正之という、中国語の達人に問い合わせると。中国に留学経験のある彼は、かなり微妙なことを知っている様子である。いくら私のネット画廊に、英語が書いてあろうとも、現在の販売ターゲーットが中国人であるということは、明確である。これが、一筋縄ではいかない、はずだ。英語圏の経済決済とは、異質であろうことは、明確である。

 私も過去二回、中国に渡航したことがある。一度は、毛沢東の葬儀に、二度目は冷蔵倉庫設計の営業で。1960年明治学院大学に入学した私は、すぐ中国語研究会という部活に参加し、第二外国語で中国語を選んだ。いずれ、かような時代が来る、と予想しての話である。

 そんな経験から、実は「中国」については、かなり知っている。が、私は「思想」に興味があった。友人は、言語に興味のある人だ。いうまでもなく、この問題は、ただならない。一方で、手塚裕子さんの「キャサリン・マンスフィールド/荒地を吹き渡る風のように自由に」(春風社/2017年12月24日初版発行)の読みは、最終段階に達した。ネット多言語世界を経験して、手塚さんを読むと。

 いかに機械的多言語世界の、乾燥した、瞬時に翻訳される人間感情が、世界に害を及ぼすかが、分かってくる。手塚さんの、素晴らしいしなやかな翻訳に表現される、マンスフィールドの世界観と異質な。    

 

  ネット翻訳というバベルの塔が、高く高く積み重なり、あの神の領域を犯すまでに、至るような錯覚があるとしても、それはやはり、突き崩される運命にある。と、わかる。マンスフィールド文学を通して知る、翻訳という宿命の、ことである。手塚さんという名手を得て、初めて可能なマンスフィールドの、日本語の言葉を魅惑的にするのは、戸塚さん以外にはない。

 1960年、明治学院大学中国語研究部部長は、李木蘭(りむーらん)という美人だった。足の細い、腰の張った日本人との二世美麗。北京大学を出て、明治学院大学の英文科にいた。在日の理由は、聞いたことがない。キャセイ航空のスチューワーデス、として就職したと記憶している。年下の私はまだ学生の身であったが、就職の保証人を頼まれ、実行したことがある。

 そんな人だった。卒業以来会っていないが、いうまでもなく一番懐かしい人である。

 

 

 

 

 

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