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2018.01.10

杉山勝己と聖書(219)永井荷風と管野須賀子とトマスアクィナスを書く

 

 期せずして、昨日もいろいろあって後、「管野須賀子」をたどる事になった。

 のは、真冬にしては異常な暖かい日である。

 全く別のことを、いろいろとスケジュールにして、最後は新宿の副都心線で池袋に出、ジュンク堂によって。それも、山本芳久氏の「トマスアクィナス/理性と神秘」を読みながら、であるので。やはりそこに書かれたトマスの「大沈黙」の部分を、途中のベローチェでコーヒーを飲みなら、読んで。ジュンク堂で、その沈黙の最後の巻、第45巻(神学大全/全45巻)目を申し込んで帰ってきた。

 1273年、それは起こったという。突然トマスは、執筆を中止し、大沈黙に入ってしまった。ので、それがその全巻の途中で(未完成で)終わったという、もの。全集とはいえ、いわくのある全集の最後の巻、である。その全訳はジュンク堂の棚にはなく、担当の方が電話で出版社に在庫を確認し、あったので、申し込みをし世界堂(池袋)によって帰って来た。

 ただ、その工程(みちゆき)の中で、これは自然にできた不思議で。新宿の副都心線の地下に降りる時、ふとそうか世界堂(本店)の脇から、この地下鉄に来たのであるから、思えば、これは菅野の遺体が運ばれたルートだ、と気づいたに過ぎない。ある出版社により、フラれて仕方がなく、くたびれ儲けだったので、目についたベローチェに入り。山本氏の本の、その箇所(大沈黙の)を読んで、駅に向かって世界堂本店の脇を通って、地下鉄の駅に向かったに過ぎない。

 で、その駅の地下に降りる時、ふと菅野のルートだとわかったのである。菅野須賀子は死刑にされて遺体となった後、コーヒーを飲んだベローチェの脇から、世界堂に至り、さらに今の新宿駅を越えて、自分の家の前から、文化学園うしろ側の細い、今も寂しいルート(昔の玉川上水)を通って、大谷派正春寺(現在)に埋葬されたのである。死刑の執行場所は、今の富久町(とみひさちょう)児童公園のある場所で。一個の碑があって、誠に寂しい場所。その場所こそ、昔の市ヶ谷刑務所と称された、もので、多くの人がそこで死刑になった。それが、一挙に十二人だかの、大逆事件の犯人たちを死刑にした場所でもある。

 で、彼らを公判中、なんとも暗い気持ちで見ていた、近くに住んでいた永井荷風は、私の特段の愛好書になった。という、筋書きで、少し荷風調都内散策風に書いたのである。トマスアクィナスを書きながら、永井荷風とでは、えらくかけ離れている様で、あるが。実は荷風と言う人も、中途半端な明治日本キリスト教と接触して悩んだ人であると、言って、今日は終わりたい。(注、かんのすがこ、の菅は管であるようだ)

 下の碑がそれ(実写)。

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