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2018.02.04

杉山勝己と聖書(255)ニーチェの基礎工事は、まず根伐り(建築で言えば)から始まる

 

 かなり深い根伐り(ねぎり)、であって、その深さは驚くべきものであり、

 そうとうの大規模改修工事は偉大、ともいえよう。

 この、キリスト教を根こそぎ取り除く作業は、まさに建築でいう大規模工事であり、想像を絶する規模になっている。まず、アリストテレスという岩盤が除去され、これでキリスト教が、そこにあったという痕跡すら残らないようする、ほどである。問題は有神、無神と言った単純な話ではないようだ。

 「偶像の黄昏」は、ソクラテスの問題と題して一項を設け、その中でソクラテスを、散々叩いているが。これは、いかに、西洋キリスト教が、ギリシャ的素養を取り入れたものであるか、ということを言わんとしているようでもある。我々東洋人から見るとニーチェには、一種の東洋的な感覚型宗教の姿が見え、少しホッとするところがある。一方、キリスト教の神学には、高いテキスト癖があり。テキスト的でなければならないような、独特の発達形態が顕著であるが。それは、東洋的宗教とは明らかに異なる、西洋哲学(諸学の基礎)を形成しうる高いテキスト性が存在している。

 イエスの、素朴な言辞も。結局は、ギリシャ哲学(パウロ神学)によって、テキスト的に硬化してしてしまい。本来神と人間の、どう言ったら良いか曖昧な交流の良さが、ほとんど消えてしまっている、とも言える。日本的な、おみくじ的な広さ、例えば大吉中吉小吉凶などの、ニヤニヤしたくなる広い意味の人間の、当然の日日のありようを固定せず。流動させながら、神と人間の動的な交流を表現する情動は、見当たらない。

 この厳密さに、ニーチェは耐えられなかったようで、と書きながら。昨夕の毎日新聞で、「米、新型核兵器導入へ」を、読んだ。

 もちろん、一方、「キリスト教という〈一個の不滅な人類の汚点〉という、ニーチェ全集14(ちくま学芸文庫)の551ページにある、訳者「原 佑(たくす)」さんの解説にある、言葉も読むから。という朝は、まことに、刺激的だ。

 神よ、私は今まさに。我々人類が陥った深い罪の運命を感じます。核兵器が小型化し、結局〈正当に〉使われるとは、思っていましたが。それが実行される日も近いとなれば、その悲惨はなんと表現しても、できるものではありません。私がこの世を去った後に起こる、と、思うところから、祈らざるを得ないのですが。ニーチェさんが徹底的に批判した、暗いキリスト教に、ニーチェさんが期待した、人間的に健康で快活な人類のありようは、結局人間の罪をあらわにする、弁証法のキリスト教の知恵によって発明された核兵器の、矛盾した文明によって。破壊されるのかもしれませんが、ニーチェさんをさらに読んで、解釈しなければ、なりませんでしょうね。

 と、祈らざるを得ない日曜の朝、となった。私の画廊には、右サイドの首振り坊やの上から、入れます。       

 

  厳しい現実を忘れ、絵画の情動をお楽しみください。コローの超有名絵画、「モルトフォンテーヌ(ワーズ)の思い出」(1864年)を鉛筆で模写いたしましたので、そのコピーですが。近々私のネット画廊で、格安で売り出す準備をしています。遠からず、実現するでしょう。お楽しみに、、、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

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