« 杉山勝己と聖書(313)1960年代に、神は死んだ。を解説する、古屋安雄さんの「キリスト教国アメリカ」(新教出版社/1967年)は、名作である。 | トップページ | 杉山勝己と聖書(315)さらに、古屋安雄さんを読み進むと。これからの、アマゾンが創る未来都市を、誰も予想できない、と同じで。それは古屋さんの時代も、当時「今」を予想したわけではない。が、当時のかなりの実情がわかる。たとえば、インドネシアに実際にあった虐殺史である。それは、50万から300万の、古屋本では100万となっている虐殺で。戦後の最大虐殺史である。とは、知らなかった。 »

2018.03.14

杉山勝己と聖書(314)50年前の古屋アメリカ宗教レポートは、神の死の神学を語っている。これは、アメリカの60年代の時代構造、から生まれたようだ。で、読み続けると、意外。に、凄まじく高い、神学になるが、さらに、読むと、、、、

 

 古屋さんの本(キリスト教国アメリカ)では、提唱者のハミルトンという人の、思想が書いてある。

 アメリカが、深く神学的である、ないし、神学が通用する国である、ということは納得できる。多分、今もそうなのであろう。が、アメリカに、今神学などあるのだろうか。いったいどのような、神学なのであるか。全然わからない。

 アメリカは、我々が考えるほど非宗教的な合理国家、ではない。と、私などは、思うのであるが今の問題とは、経済、であって。いかに飯を食うかという、いたって原始的な古いテーマが優先している世界、なのではないか。西洋の高い技術に見習った先進日本は、いよいよ後進アジア諸国に追い越されよとしている。宗教どころでは、ないのではないか。それは、意外にアメリカも同じなのではないか。アメリカの技術的相対性の低下が、始まっている、のではないか。その始めが、50年前の、神が死んだ神学、なのかもしれない。

 その意味は、古屋さんの本でわかる。古屋さんは、267ページで。ハミルトンのアメリカ評論を掲げる。一般的に言って、神の死の神学は、後(ポスト)ケネディ時代の、アメリカンムードに適合している、という。行動主義と社会変革を叫ぶムード(過激学生運動)。にのったものである、と書かれている。で、当時の社会変革、とはなにか。変革されるべき社会とは、何だったのか。

 60年代後半、いよいよ日本も過激学生運動時代、となる。そこに今のアメリカ時代の終焉が、予言されている。それに追随した日本も、終わる。時代。に、入ったのではないか。原本書き換えという、異常な出来事は、何を意味するのであるか。日本道徳は、地に落ちている。世界の信用、を失う現象が連続して発生している。技術崩壊、今度は人間崩壊。

 秘められていた嘘が先日、世界に晒されたのである。と、思う。あれは自分をないがしろにした、総理夫人ゆきえ氏の、カトリックに対する恨みの現象である(神道重視政策)。これは、日本国憲法の、宗教の自由に抵触する。しかし、一方アメリカは、ケネディコイン(半ドル銀製硬貨)に、次のように書く。IN GOD WE TRUST 、と刻印するのは宗教の自由を、犯してはいないのか。で、その神(GOD)、が死んだのであるから、ことは簡単ではない。

 神の死の神学が、アメリカで発祥したのは。二次戦の実質的戦勝国であるアメリカの国家的自信から。世界の貧困の撲滅、ないし社会改革は、できると思ったことが背景にあるようだ。要するに、アメリカの自信は、世界戦略の対共産主義構造なのである。その根本的な思想構造の中で、宗教的に表現された神は死んだ、という切実な意識があったという。ではそれは。なにか。

 第一定義としては。我々の生きている現代世界は、成人した世界であって。神なしで生きる、ことを学ばなければいけない世界、であること。従来のキリスト教文化では、神は世界の問題解決者、人間の願望達成者であった。が、もはや。現代人の経験できる神ではない。という認識。

 

 第二定義は、であるがゆえに、神の死の世界では人間の倫理が問題になる、とする。要するに、社会正義に責任を持つべきである、という意識である。が、それは、神の絶対性の崩壊により、そこに。危機神学ないし弁証法神学が発生し、神の義に問題が向かう。という意識。

 

 さらに第三定義では、その義によって強調されたのが、イエス。であり、イエスの愛の行動であると定義される。神の人イエスではなく、人としてのイエス、らしい。

 神は死に、クリスチャンは教会にとどまらず世に出て、というテーマが若者の心を掴んでいく。ようだ。が要するに、愛の国アメリカキリスト教国観の、初めの崩壊現象だったのではないか。

 

 ただ、アメリカで発祥した神の死の神学は、キリスト教の神ばかりではなく、宗教一般のあり方が。これに習い、アメリカに追随した日本でも、ますます無宗教化が進み、今や徹底した無神無仏に動揺している、のではないか。この姿を、今見るのはしのびない。が、それを心配をする老人と成り果てた自分を、もう春だな。梅が咲いたかなどと、うそぶく自分としてひややかに見ている、しかないのであるか。

 うぐいすの なきて 垣根のはるとなり

 この歌は、実際に我が家の近くで、ウグイスがまだ、うまく鳴けないとしても 鳴いたことによるうた です。で、安倍 昭恵(旧姓:松崎(まつざき)、1962年(昭和37年)610 - )は、第90969798代内閣総理大臣安倍晋三夫人。教育者。「アッキー」の愛称で呼ばれることもある。聖心女子専門学校卒業。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程修了、修士号(比較組織ネットワーク学)で、思想の問題に手を染める能力の人ではない、とウィキペディで見ればわかる。

 

 下の写真は、今問題の麻生さんネットから。であるが、彼はカトリックだと言われる。ずいぶん仲が良いようだ。で、宗教問題ではなく、政治問題なのであろう。

 

  

Thumb12136004621domestic_l

 

 

 

 

 

 

 

|

« 杉山勝己と聖書(313)1960年代に、神は死んだ。を解説する、古屋安雄さんの「キリスト教国アメリカ」(新教出版社/1967年)は、名作である。 | トップページ | 杉山勝己と聖書(315)さらに、古屋安雄さんを読み進むと。これからの、アマゾンが創る未来都市を、誰も予想できない、と同じで。それは古屋さんの時代も、当時「今」を予想したわけではない。が、当時のかなりの実情がわかる。たとえば、インドネシアに実際にあった虐殺史である。それは、50万から300万の、古屋本では100万となっている虐殺で。戦後の最大虐殺史である。とは、知らなかった。 »