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2018.03.05

杉山勝己と聖書(301)ニーチェの「反キリスト」が世にでるのは、1888年あたり。同年は、明治21年、私の祖父が、生まれた年である。が、1960年代(昭和35年)の作と知る、「神の死」は、神学としてアメリカに現れ。英語では、「RADICAL THEOLOGY AND THE DEATH OF GOD」である以上、それはまさに神学である。

 

 この日本語で言う「神の死の神学」、は

 アルタイザー/ハミルトン共著/新教出版社/小原信訳。であるが、出版されたのは、1969年(昭和44年)で。その原文がアメリカで出版されたのは1966年(昭和41年)で、ある。

 一方、日本基督教団白金教会青年会誌である雑誌「透明」の創刊は、1959年(昭和34年)9月のことで、一号。私がコピーして持っているものは、一号を含め二号、四号、五号、七号、八号で、それは1961年(昭和36年)、であるから、神の死の神学がアメリカで出る約10年ど前になる。ただ雑誌が、いつまで継続したのかは確認していない。主筆の藤田約(つづむ)は、雑誌をたたみ何も言わず、アメリカに行ってしまった。

 実際彼に何が起こったのか、は詳しく知らない。

 神の死の神学とは、クリスチャンにとって驚くべきテーマであって。普通、ニーチェは。世界的な哲学者であるから、それは哲学であると我々も解釈していた。ニーチェの神の死の哲学が、まさか神学になるとは、予想もしていなかった。その驚きは、訳者の小原信さんが、その本のあとがきに書いている(292ページ)。神奈川大学の信太正三教授が、それを指摘したとも書いてあり、大問題であると確信した。

 ともあれ、藤田は国際基督教大学にいて、ないし卒業して。英語は得意であったから、何くれとなくアメリカ神学書なども見ていて、早くから、これらの深刻な神学に出会ったものと、推定している。アメリカの原文が出版されたのは、1966年だとすれば、藤田の出版行為と、かなり微妙に重なってくる。

 が、この深刻問題に至る、前哨戦の書籍や神学者は、アメリカにはかなり早くから存在したのではないか。が、日本は、ほっかむりしてというより、とてもそれを本にして出せるクリスチャンなど、当時も今も皆無なのである。と、想像できる。が、これは日本キリスト教界の責任放棄であることは、明確である。

 神の死の神学を読み切っていないので、なんとも言えないが。今後、苦しい戦いになるようだと、自覚している。     

 

 

 

 

 

 

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