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2018.04.02

杉山勝己と聖書(341)鮮やかな錯誤(その二)日本キリスト教宣教150年、の失敗の、原因

 

 ペルーが、浦賀に来たのは1853年、嘉永6年。

 それに先立つこと数年にしてマルクスの「共産党宣言」、キェルケゴールの「死に至る病」が、書かれる。

 とは、とは、とほほ。全く知らなかったとは、なんと情けないことであろう。まして、本自体の存在は知っていたし読んでいたし、わからなかったが、明治学院10年生活のどこかで、読んでいることは間違いのないことである。問題は、読んでわかった、かどうかではない。のは、いうまでもない。何を持ってわかったというかは、結局難しい問題である。

 高校生は高校生なりに。大学生は大学生なりに、隣の秀才は秀才なりに。私は、私なりに、それで何かがわかったのである。それで、ずーっと、知っていたしわかっていたのである。だだ迂闊だったのは、読んだだけで、それが書かれた年代と、日本史を結びつけなかった。いや、結びつかなかった。と、いうことなのである。これはいかにもまずかった。

 しかし、それも、甘く見れば。歴史時間の認識は、容易でないことも今ではわかっている。76歳。の今なら、少しはわかる。それでも、2000年前の紀元0年の知的歴史はわかっても、時間認識は、正しくないのではないか。それ以前4000年のエジプト史は、正しく認識できるのか。時間軸においてであるが。

 そんなことを言いたくなるのは、あの時。つまり嘉永年間など、それに比べうすぺらな、いたって近い時間に過ぎない、と言いたいのである。それにしても、まずかったのは、「ドクトル・へボン」の記述内容である。今まで書いて来た、キリスト教の、デリケートで危機的な哲学や神学は、一切書かれていない。そればかりか、「偉人」へボンを記述するのみの、護教的一方的記述は、非科学的な歴史認識で、学校の教科書にふさわしくない、と言っておこう。

 一番問題なのは、「それゆえに」ともあれ。キリシタン物語を除いて、日本の明治キリスト教はへボンあたりから始まり今に至り、衰退したのである。

  高谷さんの記述は、日本キリスト教明治史で、神学や哲学と並行記述できなかったは、実は正しかったのだ。それは、なぜか。

  要するに、哲学も神学も皆無のキリスト教だった、わけだ。日本のキリスト教は、哲学的神学的歴史認識のないまま、始まってしまったのである。じつはその時、欧米でキリスト教は、すでに神学的にも哲学的にも苦しんでいる。キリスト教批判文書ニーチェ書物が、世に出る(明治20年ごろ)のも、そう遠くはない。のに、その並行記述がヘボン伝には一切ない。これが、宣教開始時の、日本キリスト教なのである。

 キリスト教を当時から正確に行うには、へボンとマルクスとキェルケゴールを、少しでも並行して書かなければならない。少しで、いいのである。本体もわからないまま、それは書けない。

  しかし、それを書かないと、欧米の社会思想は、すなはち近代社会思想も、肝心のキリスト教信仰も、間違った認識に至る。恐ろしいことに、日本のキリスト教は、そのスタートにとんでもない無軌道を走る路線に、入り込んでいた。

 その最大の欠点を作ったのが、敢えて言うと高谷道男著「ドクトル・へボン」(牧野書店/1954年刊行)と、知った。が、あらためて断っておくが、私が高校生で洗礼を受けたのは、言うまでもなくヘボンの事績に感動してのことではない。純粋に信仰的なそれと、これとは、全く別ものである。

 であるがゆえに、改めてここで、高谷道男著のヘボン伝批判を、行うつもりだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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