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2018.04.06

杉山勝己と聖書(346)パソコンが、ここまで高く(ハイクラス)なると、やはり、これは差別化に至らざるを得ないのか、と絶望する。と、遠ざかる市民社会。

 

 何物も国民のもの、とか庶民のもの、とかを目指した市民社会は、

 いよいよ、差別化の時代に入ったのである。と、思わざるを得ない現象に、絶望する。

 のは、私ばかりではないと思う。実例としていうのであるが、パソコンに昨日はすこし手こずっていた。いつも世話になったいるパソコン病院(pcデポ)は、待ち時間があると踏んで、出かけた。が、治療は意外な方向をたどった。顔馴染みの若い先生が、これはこうではないか、と。一発で示唆し。それで、家に帰って午後実験した。結果、病状はいたって、簡単な自己治療で済んだ。

 要は、電波発信機が過熱して、機能が落ちていた。ので、発信機を、コンセントから外し、一晩休ませなければならなくなった。買ってきたばかりの若い時の発信機は、元気で。いつもニコニコ、なのであるが、ここにきて老化したのである。ただ、老化の味も出て、少しオーソドックスに扱ってやれば、元気は回復し、ニコニコ発信をする、と。実験の結果が出た。

 が、問題は、これにこそある。簡単であるが、複雑であるこの事態は、初心者には無理だ。この辺りの勘働きは、経験が必要である。となると、パソコンから疎外される人も多く出ること、間違いなし、なのだ。病根を一発回答できる人、また理解できる人、はそう多くはない。

 いくら技術が進んでも、この付き合っていてこそ働くこの、カンは簡単ではない。ので、差別化は、ますます明確になる。と絶望し、近代社会から出発した市民社会は、ますます市民から遠ざかっていくと、絶望した。本格的な、本来的な弱肉強食、社会が見える。恐ろしいことである。ここに、キリスト教が、また復興する。と、言っておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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