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2018.04.27

杉山勝己と聖書(371)軽井沢日記(1)

 

 帰宅して、案の定。

 古書が届いていた。

 「ロヨラのイグナチオ/その自伝と日記」である。書いた人は東京大学名誉教授金子武蔵氏、1966年の出版でロヨラを「知られない人」、我が国にはほとんど知られない人、と書いている。

 1966年は、私が明治学院を卒業して、映画会社日活でホテルマンをしているとき。始めての、本格的な金稼ぎの社会経験を始めた時。である。あの時の社会情勢を語るのは、すでに億劫。語りたくもない。が、一言言うと、あの時の日活は上場会社。映画は斜陽産業。その斜陽産業を、好んで選んだわけじゃない。が、縁あって就職した。

 面接したのは、副社長の堀英彦氏(後社長)。場所は有楽町の日活国際会館専務室。面接者は、我一人のみ。

 堀氏の一言。「映画ダメだが、ホテルでいいですか」。別に、意味もなく、ともあれ、承知した。すでに亡き、堀氏のこの言葉には、二つの意味がある。一つは、映画はダメだが(先がない)から、ホテルで、いいですか。二つめは、映画は日活の主柱で、自分の一存ではいかないので、ホテルならなんとかなるので、いいですか。

 今更ながら、どちらとも言えない。日活は、ご存知のようにその後倒産する。残っているのは、あの大日活の作品集と有名なのはポルノ作品。か。そのポルノ作品、倒産寸前の日活を救済するための荒手で。結局は、うまくいかなかったのは、歴史が証明している。その推進者が、堀氏である。

 私はホテルだったから、倒産には関係はないし、その前に退社したからさらに、関係がない。が、ようは、一年で退社した。勤務場所は修善寺で、建物とゴルフ場はすでに人手に渡り。有楽町本社は取り壊され、本格的なホテルが立っている。で、この程度にしよう。修善寺では、もっぱら修善寺教会に通った、駅前の高台にあった、が今は活動をしていない。

 軽井沢とキリスト教は不即不離。と、いっても、もはやそれを言う人は皆無に近い。と、思う。ので、このシリーズは長くなる感じがする。久しぶりの、文章作り、疲れる。まだ、木立の中の霧のように、頭は、冴えない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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