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2018.04.19

杉山勝己と聖書(366)「霊操」という本が、ある。岩波文庫であるが、日本に宣教に来た(1549年)、フランシスコザビエルの師、である、イグナチオロヨラが書いたものである。それを訳した門脇さんは、禅とそれとが、同様の、高い何者かを表すと、書いている(解説)。が、納得できない。

 

 と、最近は思うようになった。

 のは、「霊操」には、神学がないからである。

 直接神に接する霊操は、直接宇宙に接する、日本の禅と共通している、と主張している。訳者の門脇佳吉氏は、その点はもちろんわきまえていて、宗教行為には霊的なものと、学的なものがあるとする。それに通じる方法としては、日本的に言えば、いや人間的に言えば「行」と「学」である、と言うことは、明確である、と私も思っている。ただ、禅にはキリスト教神学ほどの、ものはない。のは。やはり高い「行」が、中心部そのものを占めるからであろう。もちろん、それは、高い文化の精華、日本の永遠の価値である。

 ただし、今まであまり認識しなかったが、ロヨラのカトリックは、宗教改革(1517年)で毀損したあとの、キリスト教(継続された西側カトリック)である。それゆえにロヨラは、ことさらこの世から離れ。従来からあった、修道院方式によって、カトリックをイエズス会方式で再建しようとしていた。との、ロヨラの意図が、明確である。

 と言うことまでは解説していない、ことに注意すべきであろう。ここで、西側カトリックという言葉を使った、のは。東側カトリック(東ローマ帝国正統キリスト教ともいう)が、1453年、イスラムに滅ぼされ。ロシア正教などに変身している姿は、戦国期の日本史には、出ない。

 出るのは、幕末維新前後、であるが。むしろ、近代の日本の扉を叩いたのは、そのロシア正教であるようだ、ということは、忘れてはならない重要な点であろう。ことも、最近知った。

 その一方、宗教改革により、一段と高く神学的になったプロテスタントは、その後。その学的思考の精度をあげ、そのゆえに無神論唯物論に、毀損される。ただ、そのおかげで、近代合理主義も精緻になり、諸科学の発展、産業の発展(産業革命、人間復興)は、今に至り。同時にさまざまな、人間的歪みも、生み出してしまったことも、また現実の今の社会の事実であろう。

 どちらにしても、人間の合理と非合理は、厄介な問題である、と思える。このごろ、である。いよいよ夏がきたようだ。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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