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2018.04.03

杉山勝己と聖書(342)鮮やかな錯誤(その三)「ドクトル・へボン」高谷道男批判、は意外なことに展開した

 

 キェルケゴールというワープロローマ字打ちは、実に厄介だ。

 友人はキルケゴール、と打って、比較的楽に打てるようだ。が、岩波文庫はキェルケゴールであるが、最近やっと慣れた。ブラインドタッチだと、左指が多用され、特に薬指は動くものではない。

 私は岩波文庫を読んでいるので、キェルケゴールと打ちながら書いてみたい。なか、表題にある高谷道男批判は、一気に意外な方向に展開した。と、言いたかった。ことは、ヘボンが、明治キリスト教が入るきっかけの、嘉永年間に来日した時のへボンの年齢は、44歳。同時期の著書を、キェルケゴールが書いたからと言って、いきなり英文訳が出来、アメリカに伝わり、へボンが読んだ、ないしは知っていた、ということは想像できない。

 にしても、ヘボンの在日年限は長いので(明治学院や教会を創設する)、キェルケゴールやマルクスエンゲルスの同時期著書(嘉永年間)が。じんわりとアメリカ社会に伝わり、在日中のヘボンが、それを知ったと想定することには無理がない、ような気がする。      

 

  それらを(キェルケゴールやマルクスを)、ヘボンから伝えられなかった日本の、全くの幼児期の、プロテスタントになっていく面々は。キリスト教というものが、かくも複雑な状況になっているものだとはつゆ知らず。キリスト教に全くの初心であった日本人は、喜んで、その複雑性を知らないまま、甘い部分だけを受け入れてしまった、と言うに尽きる。きっと、容貌が超イケメンの甘いマスクであったのであろう、と私は、理解した。

 簡単に言えば、イエスが生まれ聖書が書かれ、と言う順番から2000年が経過していた、わけで。それが、複雑な性格でないわけがない。そのイケメン青年(キリスト教)の複雑な性格は、外面から想像できなかったのである。欧米のキリスト教の実態は、複雑怪奇。いかに「それが」、長い年月にわたり。錯雑極まりない神学や哲学、騒乱と歴史を持っているかと言うことを、一切ヘボンは伝えなかった、と言って良いと思う。    

 

  隠したとしか思えないが、それは医者であるヘボンが、神学やキリスト教史に、疎かったと言うことでもある。で、来日中に勉強した、ということが、実態であると推定できる。しかし、それを知った後も、ヘボンは日本人に、それをどう伝えて良いか。迷っていたと、想像できる。

 「ドクトル・ヘボン」の著者高谷氏にしても、内村鑑三のキリスト教研究会に、一橋大学の学生の頃に関わっている年代に過ぎない。その人が、およそ内村の嫌いな、宣教師の代表であるへボンを持ち上げ。間違った歴史認識を書いた、のではないかと。明治学院出身の、私が書いている(読まされたから)、というのが、この文章である。

 内村は、いたって不思議な縁でアメリカに渡り。札幌で印象された、キリスト教ではないアメリカに、おおいに失望。して帰国。と言う話は、有名な話なのである。で、ムッとした天才の内村は、神経症になって帰国し、その生涯を。キリスト教研究に捧げてしまった。が、私に言わせれば、返す刀で自分も切られてしまった、と表現しても良い、と最近では思っている。

 この経緯がわかる本を、偶然入手した。それが、日本の教科書である「倫理」(東京書籍/高等学校公民科用/文部科学省検定済教科書/平成27年刊行)、であることは、次回に書きたい。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

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