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2018.04.27

杉山勝己と聖書(372)軽井沢日記(2)

 着いていた古書は、実は後一冊ある。

 それが、「大石誠之助/大逆事件の犠牲者」である。

 一冊すでに持っているが、書き込みでぐしゃぐしゃになってしまったので、新たに買った。古書にしては、綺麗なまま。実は軽井沢、大石誠之助と関係がある。大石の事件は明治43年ごろ、のこと。今更ながら、大昔である。その、大昔の関係者が、軽井沢に隠棲していた。私の知る限り、みんな死んでしまった。私は関係がないのに、その観客になった。で、かなり軽井沢には、今までも行っている。要は、観光で行く、行ったなど、はなきに等しい。ほとんど、その研究で、通った。

 まー、明治文学史、なのである。今回は、その締め。大締め、である。もう、これで、終わり。今更ながら、面倒になった。ので、書きたいような、止めたいような心境、どうなるやら。ともあれ、コツコツ態勢を立て直して、書いて行くことになる、のかな。

 新幹線は、ますます早くなり、大宮までなんと、一時間。バリバリ働くサラリーマンの体格も外人並になり、女は美人。パソコンをやりながら、隣の人が、パチパチ何かをキーボード中、うるさいと感じながら、自分は「キリスト教の本質」(岩波文庫)、フォイエルバッハを少し読んだら。あっという間に、大宮。とは、恐れ入る、ね。本は、天保12年、の150年前に書かれたもの。嫌に、なるね。

  軽井沢とは、軽い、沢に過ぎない、時代のか。時代だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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