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2018.05.22

杉山勝己と聖書(402)聖書はいかにして、信じられるのか(2)いよいよどん詰まり。祖父ネットも、いつか終わらねばならない時

 

 新井白石は、キリスト教を斬って捨てる。あれほど、世界を測れたのに、キリスト教となるとからっきし、荒唐無稽。

 と、シドッチを切り捨てる。ところが、面白い。現代語訳の真髄であろう。

 本書は、とっくの昔に処分(往来座に出す/平凡社東洋文庫)していた。が、仕方なく、もう一度本書をネットで買った。まだ届いていない。残念だ、早く読みたい。ものである。

 
 
 
 
 
 
 
 

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