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2018.05.30

杉山勝己と聖書(414)聖書はいかにして、信じられるのか(14)苦節10年強、アクセス十万回。を越えたようだ。

 

 小なるブログにも、一片のお祝いメールはくる。

 小なる、宣教にも、春風は吹く。日本社会で、勝手宣教をすることは、危険極まりない。ばかりか、何の成果もない。と、時々絶望する。が、内村鑑三は、武士的宣教を自分の宣教方針として、果てることのない。人類の神との関わりを研究する。内村に神学はなかったが、日本精神はある。日本精神は、日本の国土には当然ある。その日本精神と神との関わりを考える日本キリスト教は、辛い立場に立つ。当然である。

 今日は、シドッチのDNA本(岩波書店)を買いに(予約してある)、ジュンク堂に行く。帰りに画材店世界堂により、画家の友人と話して帰る予定。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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