« 杉山勝己と聖書(386)ローマ帝国の国教になったことが、キリスト教の失敗である(14)トランプさんのエルサレム発言 | トップページ | 杉山勝己と聖書(388)ローマ帝国の国教になったことが、キリスト教の失敗である(16)という意識は、ヨーロッパ旅行へ飛ぶ »

2018.05.15

杉山勝己と聖書(387)ローマ帝国の国教になったことが、キリスト教の失敗である(15)最後のキリシタンと新井白石

 

 と、「ひとすじの道」(丸岡秀子著/偕成社文庫/1976年初版/2004年21刷)を、

 併読している。併読中の本は、かなりあるが、今朝は。この二冊が、柱になっている。

 のは、丸岡さんと私の経験が、同じ郷里で重なるからで、読みかけて引き込まれる。三部作からなるこの本の、まず第一部を読んでいるのであるが。この副題は、「ある少女の日々」である。その日々が、私の幼児経験と重なってくる。本は、かなり前から知っていて、三部作とも読んでいるが、特に歳のせいか第一部が気になり、要するにあの部落の匂いを。自分の幼い日と重ね合わせるという、感傷に過ぎない。のであるが、その匂いを嗅ぐのが嬉しくて。ので、かなりゆっくりと、味わっている。

 と、なかなか前に進まない。

 が、「最後のキリシタン」ないし新井白石、と書いたその本は、「殉教者シドッティ/新井白石と江戸キリシタン屋敷」(ドンボスコ社刊/1941年/2012年改訂)という本で、これも私には、懐かしい本である。明治学院大学の頃、下手な小説でキリシタンを取り上げ。継続できず、一回書いただけで挫折した経験が生きて、長じて江戸キリシタン屋敷に至っていた。で、これも、かなり詳しく知っているが。初版が1941年であるが、この年が自分の生まれた年で。その上、この年に丸岡さんが育った、その部落に、大阪から移動した(私にしてみればいつの間にか)のであるから。あながち二つの本に繋がりはない、とは自分としては言えない。

 キリシタン屋敷本、これも一つのきっかけがあって。友人が放送大学にいるので、学園祭に一度たづねたことがある。そこが、茗荷谷であったので、放送大学で思想史に興味のある友人に。近くのキリシタン屋敷の話をいろいろしゃべっているうちに再読していると、いう事情である。が、これも、キリスト教がローマ帝国の国教になって、結局成功したのか失敗したのかという、大テーマを得たので、何ともはや、難しい話なって、しまったのである。が。

 が、丸岡さんは、明治末年の生まれ、自分の父親より少し上の人で。あるが、信州中込の権現堂に家族が移動したのは(大阪天王寺から)、昭和16年だったのではないか。なにせ、秘密移動だったので、息子にもそれを詳しくはついに言ってくれなかった。のは、その隠密行動は、よほどのものであったのではないかと、想像できるのであるが、それは今は書かない。今では、かなり詳しく知っている、WW2の、戦争秘話に近い話であるが。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

|

« 杉山勝己と聖書(386)ローマ帝国の国教になったことが、キリスト教の失敗である(14)トランプさんのエルサレム発言 | トップページ | 杉山勝己と聖書(388)ローマ帝国の国教になったことが、キリスト教の失敗である(16)という意識は、ヨーロッパ旅行へ飛ぶ »