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2018.06.16

杉山勝己と聖書(439)聖書はいかにして、信じられるのか(39)映画作りは、当然5億か10億か。の世界で。かつて映画会社の日活にいたが、その時の制作費の上限は500万、とか。ポルノは300万にしなさい、と堀社長は言ったようだ。しかし、甘粕正彦主題の満州映画となれば、そうはいくまい。で、もちろんそれは、架空のヨタ話であるが。武藤富男読みには、成果があった

 

 で、武藤富男著「人間像修復」を、読んでいる。

 この本は、時事新書で、昭和45年に発行された。昭和45年は、1970年。我が生涯の運命の年。絵を継続するか、結婚するか。で、迷っている時。見合いをする。わけだ。

 私の結婚は、ともあれ。武藤さんはまだ、この時明治学院の院長であるらしい。本に書いてある経歴によれば、明治学院の院長になったのは昭和37年現職、となっているから。昭和37年は、要するに1962年、一学生の私には関係のないことで。学長が、変わったのである。私は60年度生で、安保闘争の年に一年生。いろいろ新経験の後、安保闘争に参加していた。

 結婚したてのあの時、この本を素直に読めるようであったら、多分もう少しまともなブログが書けるブローガーに、なったのであるが。この程度で、済まさざるを得ない。ああ読めていたら、と思うのは間違いで、当時多分読んでも理解できず。読む暇もないほど、現実生活に邁進していた。ころ、武藤富男氏は、70年安保の予感があったのではないか。70年安保は、60年のものと、ちがい。かなり悲劇的な展開をする。

 代表的なものは、浅間山荘事件。その悲惨は、映画にもなっていたが、観ていられなかった記憶が残っている。武藤さん(私も年をとったので、遠慮なく敢えてそう呼ぶ)が、偉いと思ったのは、202ページである。神話と教育と題する箇所で、副題は古事記における文学と歴史、となっている。この箇所は、当時社会問題そのものであり、日本の戦争に利用された、皇国史観上の天皇は神であるという戦争遂行論に、加担していた古事記の時代を。文化的に正常な状態に戻すため。に、教育者たる武藤富男氏が書いたものになっている。

 その論理は明確に、民主主義的であり、正常な戦後の民主制社会を正確に書き出したものになっている。その戦後の民主制を、なんとか定着させるための努力が、古事記の見直し論であり、当然今でも通用する。のは、さすが、と言うべきであろう。

 ただ、それを、世間はおいそれとは許さなかった。武藤氏は、徹底的に戦争責任者として糾弾され、満州国の呪縛からは自由ではなかったのである。ただ、その中で渡満前にすでに、帝大の学生時代からクリスチャンであった氏は、戦後いち早く情報部長の職を辞して、本格的に再クリスチャン化していく。その営為は、凄まじいもので、自己の精神を神の前に鍛えなおしつつ、その信仰を検証し。明治人のプライドを、持ち続けたのであろう。

 しかし、私を含めて。それを、今のように正確に理解できる人は、ほとんど我々世代にはいないに違いない。そのなかで、色々教えられるのであるが、当時既に高度化している、西洋の哲学や神学を語りつつ。日本哲学界の弱さと、神学の弱小を書きながら。非神話化した西洋神学のように、古事記を非神話化し、唯物史観にも目配りし、一層のキリスト教の進む道を備えなければ、ならないと警告しているようである。

 で、祖父ネットは、その警告を受けて。いよいよキリスト教における「天使論」に、至らざるを得ない。天使概念は、一神教であっても遭遇する、聖書的真実であり。下手をすると、キリスト教が多神教化せざるを得ない、恐ろしい論理である。で、適書としては、ネットから教えられるのであるが。講談社学術文庫「天使論序説」稲垣良典著、1996をアマゾンで購入した、次第。

 すでに先ほど、ATMから振り込んできた。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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