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2018.06.14

杉山勝己と聖書(435)聖書はいかにして、信じられるのか(35)大衆、を。たいしゅう、か、だいしゅうか。と音読みを変えてみると、驚いたことに、新たな意識に達する。つれて英語は、people か、と考えてみると、ぴーぷる、とはふざけた感じのする、音域である。

 

 というより、public (集合的)、massesなどとも和英では出る。

 ヘボンは、それを明治初期どう訳したか。たいしゅう、で大州はでるが、大衆はでない。となると、これは明治以降の日本語の造語である。ヘボンは、和英辞書である。ローマ字で表記し、英語を表した。では、民衆は、どうなるか。要するに、今までのものに、the をつける、らしい。と、書いているのは、現代電子辞書である。大衆は、舐められている。と、感じる。

 英語は、人数を一種、物の化して、多くの人々、と表現し。日本語の大衆は、武家政治の影響を受けて、下々(ほどんどの日本人のこと、げげ、ではなく、しもじも)、的意識が概念にあらわである、と知った。不愉快極まりない。

 なぜこんなことを書くかといえば、朝ドラ半分青い、と佐伯泰英さんのせきれきそうだより(惜櫟荘だより、岩波書店刊)を、読むからである。一方は漫画、一方は一作1000万部作家(17頁)、であるからだ。こういった、多くの人々の共感を得る物語と、最近は付き合っている。絵描きは一点主義、建築設計も似たようなもの。大半の人生を一点主義で過ごした者の、知らない世界と接触している。すげー。未知の世界経験である。私の読むものは、宗教書が主になっている、おおむね非大衆的書物。そこに、宝田映画本(のぶみち編纂)が飛び込んできた。これで、混乱の度合いが、ました。

 で、大衆論を書いたのである。だがしかし、宗教は。究極のだいしゅう(大衆)を、相手にしているのである。神の前に、エリートなし。これが、西洋文化の基幹だ。     

 

 

 

 

 

 

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