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2018.06.24

杉山勝己と聖書(450)聖書はいかにして、信じられるのか(50)筒井友美展と天使論の展開(2)

 

 筒井友美個展は、

 2017年9月4日~9月9日まで、Omotesando  Gallery and  MUSEE  F  で開催された。

 実に、モダン系の画廊であって、100年も経過した抽象絵画の伝統を発展させ。かつ画廊の入る建築そのものも、その系譜上にあって魅力に満ちている。表参道の喧騒を逃れ、閑静な佇まいの一角に、その画廊はある。二十代の時、私などが知るそこは、純粋な住宅街であった。よく、目黒にあった教会の帰り、青年会の面々と表参道で、コーヒーを飲み、何を語っていたのやら。忘れてしまったが、原宿は当時から若者を引きつけていた。

 で、その原宿駅辺りが、鬱陶しいスチューワーデス殺人事件の、現場でもある。殺したのは、神父だと言われているが、うやむやのまま逃してしまう。外交官特権が利用され、海外に逃亡したと、当時の警視庁は悔しがった。小説にもなったが、若い血の沸くクリスチャンの性感を刺激し、それを惑わす怪奇事件としては、いまだに忘れられない。

 明治学院でクリスチャンになった、とは言え。まだまだ、その信仰は途上の途上、ものになっていない。76歳の今に至り、やっと天使にたどり着いた。表参道は、実は複雑な環境である。というのは、いうまでもない。研究すれば、事件も価値も、埋蔵している。ことが、わかるだろう。一日で、できたのではない。

 そこにある画廊だから、ただの画廊ではない。ことも、いうまでもない。Omotesando  Gallery and  MUSEE  F のHPをご覧になれば、明らかで。最先端芸術画廊。銀座の権威的伝統画廊とは、一線を画している。

 そこが、筒井友美展の開催場所だ。今更ながら、画廊の持つ、絵に対するパワーには敬服する。画家は、そのパワーが頼りだ。で、個展のテーマ「帰る場所」。帰る場所、を初めに見た時、その題名にショックを受けた。「帰る場所」は、宗教的な自分から見ると、かなりの具象表現に観える。宗教は、見えない神を想念するのが習慣、それが、究極の帰る場所なのだ。と、思っているからだろう。

 それが、一芸術家によって、そこに。帰る場所が、設営されるとは、驚きとしか言いようが、ない。と、なる。以後このテーマで、筒井友美さんと天使を書くが、できるだろうか。     

 

 

 

 

 

 

 

 

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