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2018.06.16

杉山勝己と聖書(441)聖書はいかにして、信じられるのか(41)武藤富男さんには、「キリスト教入門」という立派な本がある。出版は昭和49年70歳1974年の時である

 

 この時は、すでに明治学院院長はやめて、名誉院長になって、統治をやめている。創業したキリスト新聞社も会長、銀座教文館も会長である。

 で、世間から一歩身を引いていた、ということになる。

 では、そこに。その本(キリスト教入門)に、天使の項目があるかといえば、ない。つまり、氏も天使論を書いてはいない。天使論というのは、現代キリスト教の鬼門なのではないか。天使というものが、神の存在と一体になり、存在するとするなら。神学がなくてはなるまいに。どうしてないのであるか。昔から、それは、幻想であるか。となる。

 では、聖書にある天使は、なんであるか。と、問うていいのではないか。と、思うのであるが。それは、先日アマゾンで購入している(講談社学術文庫「天使論序説」稲垣良典著、1996、未着)を、待つしかない。  

 

 

 

 

 

 

 

 

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