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2018.06.01

杉山勝己と聖書(420)聖書はいかにして、信じられるのか(20)素人のキリスト教神学史勉強は、これだからだめだ、ねという事態が生じた

 

 というのは、アウグスティヌスの「神の国」(岩波文庫)は、実際には五冊ある、と知った。からである。

 てっきり4冊だと思っていたら、これが5冊あると、は。と、ほほほ。ただし、五冊目は索引と、文献目録だという。それはともあれ、第1冊目にある最後の解説を読んでいて、第5巻第9章に行き着く、それは神学なのであるが。「神の予知と人間の自由意志についてキケロの定義を反駁する」である。ここにある、自由意志が、気になった。

 キリスト教の複雑性を、今更いうのもおかしい。が、神の意思と神の予言(予定)の問題は、昔からあるデリケートな問題である、と知った。ので、がっくりきたのである。キリスト教を信仰すると、わかることであるが。神を信じて生きる時に、では。神の救済に預かるとはいえ、では、自分の意思はあるのか、という問題は、現代の神学問題だとばかり思っていた、が。1500年もまえから、当然の如くある、のである、と知って。神学バカに過ぎない自分の、不勉強を嘆いた。

 で、5冊目(神の国、第5巻目岩波文庫)を、古書ネットで、と、思ったが、在庫は皆無。で、あまり使いたくない、アマゾン(おなじみの古書ネットが、可哀想で)で、数冊ある。やむをえず。アマゾンで。ネット振り込み(コンビニ)で、送料ともで、たったの。557円。驚くべき社会である。古い神学もすごいものであるが、明治キリスト教も、キリシタンも、それを語った様子が、まったくない。もちろん、シドッチにも、ない、と知った。

 あの頃の信仰は、明治キリスト教も含め、はたして正しかったのであるか、と疑問に思った。    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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