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2018.06.14

杉山勝己と聖書(434)聖書はいかにして、信じられるのか(34)忽然と武藤富男さんが浮上してきたのは、佐伯泰英さん本(惜櫟荘だより、岩波書店)をさらに買い増したからである

 

 さらに、武藤さんの本として浮上したのは「人間像修復」、である。

 実際には昨日、「私と満州国」と言う本を。往来座の宝田本の編纂者野村さんに渡して、宝田本の満洲映画研究を、一層進めてもらいたい、と思ったことによる。

 武藤本は、時事新書、昭和45年、1970年。発行、初版8000部とある。と知るのは、今朝これを書くために、本棚から出して、読み出したからである。読み出して、この本にこそ、「武藤富男」の、「本当の経歴」が書いてあると、知った。かなりデリケートなもので、このあたりが特に、1970年代の学生運動で、大いに批判された部分なのであろう。その時、世界的に過激な学生運動が起こった、のは有名である。武藤氏の経歴は、下記に転記、一部修正。

 明治37年 御殿場市に生まれる。

 昭和2年 東京帝国大学(実際には東京大学と書いてある、迷ったのだろう)法学部法律学科卒業。

 

 大正15年 高等試験司法科合格

 昭和4年 東京地方裁判所判事

 昭和9年 満州国司法部刑事科長

 昭和10年 満州国国務院法制局参事官

 昭和13年 遣欧使節団員(団長甘粕正彦)イタリアドイツスペインを訪問、ムッソリーニ、ヒットラーなどに会う

 昭和14年 国務院総務処長(情報局長)

 昭和18年 日本政府情報局第一部長(終戦情報をいち早く入手)

 昭和20年 退官(一切の官職を辞し)、以後日本キリスト教界で活躍、のち明治学院院長その他

 こんなところでいいか。

 満洲時代を書く、名優宝田明氏を動かし、怪人甘粕正彦満洲映画社長映画を、製作監督してもらうために。昨日は、往来座に行ったと言うことは詳しくは書かない。疲れる。ことがらが、大きすぎるので。夕方、のむみちさん(ペンネーム/実名野村さん)から電話。近々、たづねたい、とのこと。この話をするためである。きょうは、ここまで。   

 

 

 

 

 

 

 

 

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