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2018.06.07

杉山勝己と聖書(429)聖書はいかにして、信じられるのか(29)もちろん、画家高島野十郎と言う人は、読めば読むほど。要するに、宗教に到達する、のは。つらい、そしてついに新井白石とシドッチに至るか

 

 「花一つを、砂一粒を人間と同物に見ること、神と見ること、それは洋人キリスト教者には不可能」(134頁)

 と言う言葉に出会った。キリスト教徒の私から見ると、「神はなんと素晴らしいものを、お創りになった、ことか」と、なり、モチーフが対象化する。が、野十郎さんのモチーフは、対象そのものが、神である、とは。

 高島さんは、ものを神そのもの、と見るわけである。それは、私にはできない。となると、彼の絵も、私にはわからなくなる。そこにある、絶対的な視覚上の隔絶は、一見。しても、同じものではないが。その描き方の真剣さは、尊敬に値する。要するに、私は、高島野十郎のようには、決して絵が仕上がらない、のである。と、なってしまう。と言わざるを得ないほど、野十郎さんの全人格投入絵画となるが、これはモチーフの神格化なのであろう。つまり、純粋な日本型の清純なモチーフを要求している、ということであろう。

 で、宗教観の違いの絵の話、となると、仕方がないが。そんな中、今朝(6日)の毎日新聞8面は、祖父ネットらしい主題に戻らざるを得ない。それが、「インドネシア自爆テロ一ヶ月、普通の家族の凶行」というのは、深刻である。写真が添付されていて、普通の幸せな家族が、写っている。が、総員6名。が、全員自爆テロを行って死ぬ。それもごく普通の常識的な事業家一家、でもある、という深刻である。テロの対象は、教会。という現象は、説明できない。と、新聞も示唆している。世界は、どうなるので、あるか。

 で、昨日。岩波書店発行日本思想体系35新井白石が、着いた。古書、だがこれは、アマゾンではない。純粋な日本古書ネット、で着いた。

 新井白石、ここで最近よく書く、

 シドッチを今の茗荷谷で尋問した人は新井白石、そこは現在丸ノ内線の操作場である。

 昔のキリシタン屋敷は、瀟洒なマンションに変わり、そこから谷に降りると、操車場を潜るようにして向こうに、要するに自然教育園の方に、今度は登る。そこが庚申坂、今は階段だ。下る坂はキリシタン坂。そのトンネルの中真ん中あたりが、泪橋。浅草の方にある、泪橋と、同じ理由から命名されていた。

 伝馬町の牢が焼け、ここに移転。凶悪犯の死刑は、もっぱらここで行われ、家族は、ここで別れて、泪橋である。そこが、キリシタン尋問所屋敷処置場で、一般牢にも転用された、ようだ。そこで、高官の新井白石が、最後の外人(イタリア人、当時では珍しいローマからの本物)宣教師を尋問したというわけである。いまから、3,400年前のこと。その供述調書が、西洋紀聞である。それをパラパラとめくるうちに、鬼神論、も少し拾い読みした。

 そこには、画家高島野十郎さんの、もの皆神論(みなかみろん)が、書いてある。日本人の神は、なんとも皆素晴らしく自然が神。美しい景色、花々、女。子供、老人皆神である。一方、病、崩壊、地震、雷、親父は、悪魔鬼だ。男は鬼になって、収穫に勤み、子作りの夜を送る、のは、男のさが(性)。妻子を守り、敵から防衛し、殿が行くといえば行き、下がれといえば下がるのが、男の務めだ。

 その人の書いた、鬼神論とシドッチの吐いた供述は、相対的に圧巻である。一方が徹底した自然神、一方は徹底した人口神(哲学)、の対決は茗荷谷対決である。白石(はくせき)は、先方の英知を認める。あまりにも、高い英知に、殺すに忍びずと、三案を殿に提出する。上中下策案である。

 興味のある方は読まれるといいと思う。あえて、ここでは書かない。最後の宣教師キリシタンシドッチは生かされて、くらい土牢で死ぬ。ばんやむをえない、処置となってしまう物語は、シドッチの意地がかかっている。本来なら、茗荷谷の座敷で、人生を全うできたはず。暗い牢の跡、今は、瀟洒なマンションである。  

 

 

 

 

高島野十郎作/ネットから 

 

 

 

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