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2018.06.13

杉山勝己と聖書(433)聖書はいかにして、信じられるのか(33)熱海の旅は、実に、様々な結晶があった。惜礫荘(佐伯泰英邸)は観なかったが

 

 いつまでも、惜礫荘を岩波茂雄邸と呼ぶこともあるまい、

 と思う。旅だった。

 旅で、宝田明本(銀幕に愛をこめて/僕はゴジラの同期生、宝田明著/のむみち構成/筑摩書房)を読み切った。

 最近は、本を読み切ると言うことがない。私の読む本は、概ねキリスト教の本。大体のことはわかっているので、どれを読んでも同じ。で、言わんとすることは一緒。全て読む必要は全くない。聖書を読むごとく、いわば虫食い読み、である。

 子供の頃から、この虫食い読みが通常で、本の読み切りなどと言う芸当は、大人になってからで。ある。ただし、聖書でも同じであるが、何度でも読む。何度でも繰り返す。大体宗教書などは、世界中どれも一緒。都度、解釈も違ってくることがある。年齢、場所、季節、体調など。どれも異質な解釈となる。ことが多い。

 なのに、この本だけは、隅から隅まで。びっちり読んだ。まことに稀有なこと、と言える。読み切ったのは旅、熱海である。熱海のその定宿には、読書室がある。かつて私が寄付をしていた本(惜礫荘だより/佐伯泰英著、岩波書店)がある。それも、久しぶりで読んだ。驚いたことに、そのほんと宝田本が一致する箇所がある。という、発見にまで行き着いた。

 帰路、池袋で降りて往来座に行き、宝田本を構成したのぶみちさんをたづねた。いささかの熱海土産と、私が散々書き込んだ「銀幕に愛をこめて」を、のぶみちさんに差し上げるためである。私の書き込み本は、のぶさんに渡し、それ以外に5冊買いまして、いるから、その本に宝田さんとのぶさんさん、のサインを入れてくれるようにお願いしておいた、ので。で、彼女は不在だったが、往来座のご主人に用件を依頼して、ジュンク堂によって、「惜礫荘だより」(岩波現代文庫)を買い、少し読んで帰宅した。

 コーヒーを飲みながら読むと、驚いたことにその本が。嬉しいことに2014年、「日本建築学会文化賞」を受賞している、ことが書いてあった。すでに、その時は、宝田本は往来座に渡していたし、五冊の準備は。いまいちだったので、そのままジュンク堂に寄り、コーヒーだったので。そこで、読んで、感は無量の状態になったとき、雨が再び降ってきた。涙雨である。

 と言うのは、結局宝田本から。宝田さんに「甘粕正彦」映画を製作していただき、その原作を佐伯泰英さんにお願いし、のむみちがさんが、再度構成すると言う夢を、描いていたからである。なぜなら、宝田さんは、その本の本当の最後に、「最後に自分の映画を作って観たい」と、しみじみ書いていたからである。で、満洲映画は、甘粕さんの自殺を持って終わっているから。だれも、今まで、正確にかけず。それをおおむね正確に書いた武藤冨男氏は、明治学院の院長で。有名になり損なった人のままであったからである。で、これで、できる、と思った。のである。武藤さんこそ、甘粕さんの、最後を知りそれを記録した人なのである、と私は知るからである。

 一気に雨が強くなって、近くの我が家に帰ったとき、不思議に雨は上がってしまった。自体が、複雑で、まとまらないが、おいおい祖父ネットに書いて行く。つもり。です。    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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