« 杉山勝己と聖書(450)聖書はいかにして、信じられるのか(50)筒井友美展と天使論の展開(2) | トップページ | 杉山勝己と聖書(452)聖書はいかにして、信じられるのか(52)筒井友美展と天使論の展開(4)AERA2018.7.2/NO30と週刊ポスト7.6のそれを、を買いに行った日 »

2018.06.25

杉山勝己と聖書(451)聖書はいかにして、信じられるのか(51)筒井友美展と天使論の展開(3)

 

 稲垣良典氏の「天使論序説」を読みながら、

 書いている。読めば読むほど、天使論は面白い。

 今朝73ページで。「人間が営む知性的認識の範囲はこの目に見える物質的世界にかぎられてはいない、という重要な事実ーー現代においてはともすれば無視されがちであるがーーを見失ってはならないであろう。」を読む。

 このテーマは。稲垣さんがわざわざ、棒線を文章の前後につけるから。氏のテーマとして。これが、大きな問題意識になっていることがわかる。要するに、目に見えない神を信じる、我々現代の、クリスチャンの昔ながらの主張が後退している現実を。天使論で再興しよう、としているのである、と、思える。が、別に無理をしているわけではなく、氏のような本物の学者が、その西洋哲学史上の結論から、言っていることである、ということは認めなければならないだろう。

 天使論は、だから、オカルトでも怪奇でもない。

 現実的な神の働きの一つと見、長い2000年の西洋史の結果である、と言っているのであろう。そういう意味で、読んで。いて、ますます面白いし。私のように、壮年期に内村鑑三に触れ、無教会になった日本人にとっても。その内村が、あっけなく天使を認めているという現実に触れて。なんとも、言いようのない信仰的完成に至った、と勝手に思ったと言っておきたい。完成という言葉は、少し傲慢にすぎる、のであるとすれば、やや天国に近づくことができた、とでも言ってよい年齢ではあると、言っておこう。

 先日、全くの偶然であるが。近所に住む、友人のピアニストが我が家を訪れ。大阪地震の話をした。彼女は親の介護で実家を訪れたとき、その地震にあって心配した、私の電話を受け。帰京して、挨拶におとづれたのである。その中で、私が、ふと。西洋音楽の芸術家である彼女に、その偶然の遭遇と、親孝行の話にいたり。さらに、それが発展し。稲垣氏の本にある、「受胎告知」フラアンジェリコの写真を見せた。

 ところ。なんと、彼女はそれをイタリーで実際観たと、いう話になって。親孝行であるあなたが、不思議に。地震という偶然の、あの様な災害の最中に。親の家にいる、という不思議と引っ掛け。私がクリスチャンらしくこの天使論を、話した次第。偶然が、フラアジェリコに、至り、早速。この書きで利用する、西洋美術史要説、嘉門安雄著、吉川弘文館を開いてフラアンジェリコを観る。と。

 その分厚いフラアンジェリコ周辺の美術史には。呆れるばかり、中世ヨーロッパの天使があふれ。ていた、という他はない。

 この本は、江古田の日大芸術学部の前の古書店で、見つけたが。多分、芸術学科の誰かが。このネット時代に無用になったと解釈し売った。に、違いないと考えるのも、あながちストーリとしては悪くはない。しかし、ネットなどよりはるかに、書籍のインパクトは強大なものである、と知った。

 被害にあわなかった友人のピアニストの実家は、実に震源地の真上にあった、ともその時に知った。家は瓦一つ落ちるでもなく、大切な親も無事で何事もなくよかった、親孝行の話になって、よかったのである。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

|

« 杉山勝己と聖書(450)聖書はいかにして、信じられるのか(50)筒井友美展と天使論の展開(2) | トップページ | 杉山勝己と聖書(452)聖書はいかにして、信じられるのか(52)筒井友美展と天使論の展開(4)AERA2018.7.2/NO30と週刊ポスト7.6のそれを、を買いに行った日 »