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2018.07.01

杉山勝己と聖書(460)聖書はいかにして、信じられるのか(57)筒井友美展と天使論の展開(12)天使が言葉を持って語る、という困難な哲学を語り始める「稲垣良典」氏の読みは、行き詰まる、が

 

 タイトルの通りであるが。

 その中で突然、再び「本間俊平」を読んで見たくなったのは。今朝目が覚めて、突然思い出したのは、なぜか、わからない。

 ある程度の、自分なりに推定できることを書くと。の、前に、改めて「稲垣良典」氏の経歴を調べた。ともかく、扱いにくく高い、とんでもない、方向に行く恐れ(天使論)があるので、経歴だけはきっちり、再確認しておきたい、と思ったのである。

 調べてみると、東大の文学部ではあるが(私は明治学院大学の文学部)、さらによく知らないアメリカのカトリックの大学に学んだのち、高い学的道を確実に歩んだ人である。し、トマス・アクィナスの、翻訳に関わった人であると、知る。が、そのトマスの超有名な翻訳本は、創文社と言う出版社から出ているもので。その創文社は会社を収束すると、すでに公開した会社である、という。凄まじい、昨今の出版事情の激変の只中にある、と言うことなどを考えつつ、トマスの「神学大全」の初めの巻一を、見ている。

 全部で45巻(数冊しか持っていない)。その中に、確かに翻訳者として稲垣良典氏の名前が、複数はっきりある。ので、その本格的な翻訳者の一人(翻訳者も複数)であることも、間違いのないことである。

 で、人物も、翻訳している大全も、ヨーロッパの至宝であるわけだから、稲垣氏の学的高さについては全く問題がないと、確認して、本間俊平に至ったのである。

 本間俊平の本を書いたのは、明治学院大学の先輩三好明氏であるが、古書を買って読んでいた。本間が、日本の終戦を受けて、ほとんど気落ちし。高いキリスト教宣教の高揚を失った時代が、その本の最後の書きになっている。場所は郷里の新潟柏崎付近で。彼と郷土を同じくする、私の若い時から世話になった実業の人は、もはや本物の肉体収束期で。最近電話で話したが、ほとんど慌てていて、神経を高ぶらせている。

 が、ともに、肉体の強靭なことは、非常によく似ている。が、知り合いの実業家は、結局私が、本間俊平を紹介しても、とんと興味を示さなかったのは。彼も、新潟の米屋の息子で、コメを背負って焦土の新橋駅に降り立ち、大倉商業(現在、東京経済大学、当時はホテルオオクラのあたりにあった)の門を叩き、戦後の成功を勝ち取ったひとである。

 ともあれ、その本間を改めて、稲垣氏の天使論語りの部分を読む前に、読んで見たい、と突然思ったのである。本間は、新潟の大工の倅で、出稼ぎに仙台に出る。ここからが、本間俊平の生涯の始まりであるが、晩年では、なんと。なんの学歴もないのに。戦争中に東京帝国大学(当時、いまは東大)安田講堂で講演をする、ほどの人間、になっていたのである。要するに、戦意高揚のクリスチャンである、ととりあえず言っておこう。

 その伝記を書いたのが、私の明治学院の先輩、三好明氏、なのである。がだから。本間俊平は、一種の無神学の、キリスト教精神一徹主義、の人である。とは、知っているのである。ウィキペディアにはあるので、読むと面白いであろう。こう言う人が、戦前の日本人にはいたのである。が、戦後は平和反省懺悔の時期であった日本は、その本間を忘れていたが。最近の保守化の影響で、再び復活しているのかもしれない、と思える。のは、私ばかりでは、ないのかもしれない。書くとすれば、実に面白い人である。

 

 

 下は古書ネットから、本間周平本。

 

 

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