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2018.07.22

杉山勝己と聖書(489)聖書はいかにして、信じられるのか(57)天使論は、如何に展開するのであるか(二十五)山永武雄の教会説教を解説する(その六)永遠の生命の探し方は、簡単である

 

 永遠の生命、の探し方を

 ズーと書いてきたのである。が、それを探すことは意外に簡単だった。

 山永牧師記念の小冊子の。キリスト教の永遠思想ないし聖書解説は、説教部分と語録部分を一対にすればわかりやすい。一方は死の直前の説教。一方の語録時期は不明。であるが、亡くなったあの日。降段した山永は、突然心臓麻痺で他界する。その日、説教をメモしていた私も、蘇生マッサージをした。が、もちろん及ばなかった。死の直前の様子は、「白金教会七十年史」(1988年発行)に、後任の浅原進牧師によって書かれている。

 あまり書きたくないが。私は、蘇生に少し関わった後、横臥する師から離れていたので最後の瞬間はしらない。最後息をひきとる時、少々天に向かい絶叫したようだ。この書きは、宗教的である。浅原氏の書きにはリアリティーがありすぎて、このように描かれていない。もっと悲惨だ。カトリックなら、聖人の死を、私が書いたように書くに違いない。

 で、永遠の生命であるが、答えは簡単である。が、すでに書いたような気もする。が、もう一度書きたい。「人は死を免れない。だから、生きている間に永遠の命を信じるべきで、信じて生きるべきで、死んでからでは遅い。」そして、その永遠の命を書いた部分は、聖書ではいたって少ない。とあり、ともかくそれは、最後の説教のかなり始めの頃に出てくる。

 あまり注目しないまま、普通は読まれる。が。そこが深刻であると、後で気づく。

 「ここに書かれたヨハネ(の福音書)の中に『永遠の生命』について特に意味深く教えられている。聖書の中には、ヨハネという名がついている文書と、パウロの書簡以外には『とこしえの生命』というのはでてこない。ヨハネの方は神は生命であり、救われるとは神と一つにされることである。パウロの方は神にある義(ただ)しさによって、生命にあづかることができる。神と人とをへだてている罪を除くこと、正しい神、義なる神というのがパウロであり、パウロのように義の性質ではなく、永遠の生命を強調するのがヨハネである。」と、なっている。

 この箇所こそ、キリスト教の永遠の命の解釈、である。と、やっとわかったのは、この特に暑い、2018年7月22日の、今日朝5時33分のことで。要するに、日本の宗教思想の根本、輪廻転生とは全く違う観念であるということである。だからこそ、森井氏の記録に残った山永師の言葉(語録)で捕捉され、または、補足されて完結するのである。

 それは、バルトの言葉と関連して語られ、次のようになっている。

 「聖書にはいいことが書いてあるから読むというのは間違いで、聖書に書いてあるからいいことだ、というところまで信仰を持ちたいですね」と、言ったと森井さんは記録した。この、「ですね」というのは、実に山永らしい。生前の山永の、背の高い、いかにもその人格を表現する、魅力的な人柄を思い出さざるを得ない。

 この人が、フェイリス女学院の院長でもあった。ある日、教会の近くの食堂で(かなり習慣化していた)。杉山くん横浜(フェイリス構内にある自宅のこと)にこないか、とよく誘われて。仲間(青年会)と一緒に、TKKに乗って行った。今のように、横浜駅(桜木町駅)から、簡単にはフェイリスには行けなかった。どこか途中で電車を確か乗り換え、国鉄石川町で乗り降りしたという、記憶がある。

 ともあれ、永遠の生命問題は、これでスッキリした。しこれで、キリスト教の問題の大きさがわかる。実に、クールで、簡潔。2000年の長い神学的成果なのである。これ以外ではない。が、複雑な現代社会は、これにどう答えるのであるか。まだ、問題の先は見えていない。 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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