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2018.07.08

杉山勝己と聖書(470)聖書はいかにして、信じられるのか(57)天使論は、如何に展開するのであるか(六)本間俊平と国会図書館のデジタルシステムは、見事だった

 

 世界堂によって「トロギルの港」(油彩F80号)の、

 額縁の打ち合わせをし、いつものように画家筒井友美氏のアドバイスを受けて、プランを決定し国会図書館に。

 本間俊平の講演が、昭和5年12月20日発行の、土木業協会会報第34号に掲載された、とネットで知ったからである。最近の国会図書館は、昔のカード検索式から見ると激変している、のは言うまでもない。激変は、図書館全体に及び。が最近は、その変化に落ち着きが出て、いよいよ自宅のパソコンでも。自分の家でコピーを取ることもできる時代も、そう遠くはない。のではないか。

 そんなことで、ここ20年ぐらい、国会図書館にはお世話になっていて。

 館内のコーヒーショップ(本来は食事)も複数あっても昔は、雰囲気が統一されていた。が、変化の中で、その個々の性格とサービスがバラバラになった。それらのばらばら経営は。多分経営者が入札で決まり内容も不統一。で、苦しんでいる時代が長く続いた。

 そのバラバラ経営が気に入らなくて、図書館を離れた人も多くいたと思う。が、要は、それら一群のファンも死に絶えた、のであろう。かろうじて、生き残っている私であるが、その私から言えば。最近はなかなか落ちついてきて、ほぼ100点。が、言うまでもなく、昔はもう、ない。昔の国会図書館の、何かにつけてあった、あの古典的雰囲気は無いのである。

 で、ところで。デジタルの本間は家で見つけた。無駄な時間を避けるため。ただ、その打ち出しができないので、直に行くことにした。何度かすでに実行しているデジタルで、ほぼ目的は半ばに達しているが、現場でないとダメなようだ。だが実際にやってみる最後の展開、コピー採りとなると、これがまたできない。ので、係の方にお願いせざるを得なかった。打ち出しは、自分の図書館カードに入力されてから、カードを打ち出し場所まで持って行けば。安く、早く綺麗にできるようで、その通りにできた。

 私は、まさかカードが媒体であるとは思っていなかったが。ほっとした気持ちになり、気にいっているコーヒー店に行き、ケーキセットをいただく気持ちになった。で、国会図書館もやっと、現代型の完成に近づいたと思った。ともあれ、あれだけの膨大な情報を処理する努力は、並ではない。

 と、帰路の電車で、昭和五年の本間のデジタルコピーを読む、幸運を噛みしめた。のである。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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