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2018.07.29

杉山勝己と聖書(501)聖書はいかにして、信じられるのか(61)永遠の生命論の研究(四)

 

 こう言ったデリケートな、最終的な宗教的テーマは、

 連続する書き物としては、狂気にならず、正常で真剣な理性の下で、正確に書ければ人類に苦労はないと思う。

 だがしかし、いうまでもないことであるが。

 永遠の生命論は、観念の世界論目的論人間論宇宙論であり、可能な限りの空想論ともいえる。立証可能な物質の世界観ではないと、言ってみたところで、何の役にも立たない。が、人間理性という、この宇宙で一番高いと今の所思われている(宇宙に今のところ他に生命が見つかっていない以上)人間存在(理性)の方向性を正すためには、自ら誰しも経験しているものであって、いくら観念とはいえ。人間にとって、神とか永遠の生命とかは、外せない大問題であることも明確である。

 人は皆死ぬのであるが、それをブルンナーさんも冷静に書いている。その書きを、ドイツ語の原語でここで書ければいいのであるが、残念ながら書けないことを悲しんでも仕方がない。ので、英国人が訳したブルンナーさん、で満足する。では、英語で書かれたその部分を書いてみよう。

 Of ourselves we know only that all things die. であるが、馴染まない単語としては、ourselves であるが辞書(電子)で引くと、私たち自身を、と出る。要するに、私たち自身の、が、我々を、ただ知っている、とかなんとか。要するに、日本語で言えば豊沢さんが訳すと、「私たちが自分から知っていることは、すべてのものは死ななければならないということである。」と、訳したところである。

 なのであるが、このブルンナーの書いたこの箇所には、問題が多いと思う。と祖父ネットは、表明したい。

 じつは、この all things という言葉は、ドイツ語原文でも、そうであるのか気になり始めたが。この all things  の thing が複数になっているのは、いうまでもなく all をうけている。といっても、これは中学生英語でも今ならわかる。が、明治学院高校の私は、この部分の英語を読んではいない。し。文章としては、いたって単純であるものの、内容はいたって複雑なことを。高校生では理解できない、と今ならわかることである。

 果たして、all  things は、〈すべて〉(宇宙の)が死ぬ(消滅する)のであるか、と問いたい。つまり、宇宙は終わる、という意味に取れる。第一に、all 事象が死ぬのであると、これは言葉の書きすぎではないか。地球上の生物(生命)は、今の所寿命があると思われている。だから生物全体が死ぬ(地球上の生命の)ということはわかる。一斉であろうが、個々に、であろうが。がしかし、書かれていることが、all  things となると、宇宙の全て(物質的世界までallに)が死ぬ運命にある(あるいは元々物質には生命がないので、死ぬという表現はおかしいか、消滅なのか)、と解釈もできるので。これには、あるいはここには問題があると思う。

 で、ここに関連する、我らの内村の説明を書いてみよう。次回。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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