« 杉山勝己と聖書(523)聖書はいかにして、信じられるのか(85)永遠の生命論の研究(二十六)幸徳秋水「基督抹殺論」の研究、その二 | トップページ | 杉山勝己と聖書(525)聖書はいかにして、信じられるのか(87)永遠の生命論の研究(二十八)幸徳秋水「基督抹殺論」の研究、その四 »

2018.08.16

杉山勝己と聖書(524)聖書はいかにして、信じられるのか(86)永遠の生命論の研究(二十七)幸徳秋水「基督抹殺論」の研究、その三

 

 私が明治学院高校の時に使用した教科書のブルンナーは、

 1889年(明治22年)に生まれ、1966年(昭和41年)に亡くなっている。一方、幸徳秋水は1871年(明治4年)に生まれ、1911年(明治44年)に刑死している、40歳だった。ついでに書くと内村鑑三は1861年(文久元年/万延元年)に生まれ、1930年(昭和5年)69歳で死亡している。

 

 と、和暦西暦を面倒であるが、丹念に書いて見ると意外と勉強になる。

 西暦は単純であるが、和暦は複雑だ。その中で最も複雑なのが内村鑑三の生まれた年の、文久と万延である。調べるのは面倒なのでやりたくないが、一年のうちに簡単に和暦は変更されている。この並列併記は面倒な作業。本になると編集がそれこそ面倒で、今までも等閑に付された感がある。読む方も面倒きわまりなく、書く方も面倒極まりない、日本の質の高い歴史記述の不快な作業というところであろう。

 で、記憶力のよくない自分も、未だ覚えられず曖昧になり、西洋暦的思考や記憶と和暦的それとが、うまく噛み合わないままいまに至っていた。で、この際ほんとうに面倒極まりないが、3人のそれを記録したのである。そこへ、自分の父や母、祖父などの生まれと、自分のそれとを思い整理して見ると、それらが意外に接近していると言うことを発見する。

 この西洋史と日本史の切ない出会いは、もっと早くやれれば私なども、真の歴史好きとして成功していたかもしれない。要するに社会で稼げたかもしれないと思うと、少し悔しくなるのは。老人小遣いも手元が薄くなり、心細くなってきたから言うのである。もっと、本を買いたいのであるが、二十二円のキリスト抹殺論を狙い撃ちにしたくなるとは、情けない次第と反省し。三百円程度のものにしたという経緯はすでに書いた。本はまだ着かない。

 そんな中、昨日(8月15日終戦記念日)外国便でエミールブルンナーが着いた。船便のアメリカ古書で、体裁はいたって綺麗であるが、少し書き込みがあるので古書と知れる、程度の新品まがいであった。英語でタイトルは Eternal  Hope であり、Emil Brunner と単純明確に表紙に書かれている。日本語の方は1957年(昭和32年)「永遠/キリスト教的希望の研究」となっており、新教出版社から出されている。

 さて、これで私の永遠の生命探求の基礎資料は揃ったと言うとことであろう。と、思う。

 永遠の生命、と言うものが何かと毀損している現代社会では、その再構築を図ることは容易ではない。が、自分がその永遠を、現代日本に生きる数少ないキリスト教徒として、真剣に考えなければならない老人の義務として、このクソ暑いのに頑張っている。と、言わしてもらいたい。マー絵も描いているからなんとか切り抜けているが、永遠の生命だけを考えていたのでは、とてもそこへ論理的に行き着くことは不可であろう。その中、幸徳秋水の「基督抹殺論」は超優れた反対意見本であるから、考える上でこれに勝る参考書はないと、思っている。氏の鋭いキリスト教批判は、当時のヨーロッパキリスト教批判のエッセンスであって、キリスト教徒の誰しもが真剣に検討しなければならないもの、であることは言をまたない。

 日本のキリスト教徒諸君、自分だけの曖昧な救いのことばかりに逃げ込まず、経済に満足せず世界の人々のために。ひと肌もふた肌も脱ぐ気持ちで応援してもらいたい、ものであるな。と、歌舞伎並みの大見得を切って、暑さをしのぎ今日は終わりたい。ガンバペーと言って気を取り直し、頑張ったのは東日本大地震被害者の人たちであるが、見習っているのである。

 日本崩壊も間近である今日、などと書くことは差し控えたい。冗談です。

 
 
  下はネットにあったブルンナーの本
 
 
 
 
  

Photo

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

|

« 杉山勝己と聖書(523)聖書はいかにして、信じられるのか(85)永遠の生命論の研究(二十六)幸徳秋水「基督抹殺論」の研究、その二 | トップページ | 杉山勝己と聖書(525)聖書はいかにして、信じられるのか(87)永遠の生命論の研究(二十八)幸徳秋水「基督抹殺論」の研究、その四 »