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2018.08.13

杉山勝己と聖書(521)聖書はいかにして、信じられるのか(83)永遠の生命論の研究(二十四)武田清子著「天皇観の相克」(岩波書店/1978年刊行)の50年

 

 これも偶然の一致に過ぎないが、1978年は、前回も書いた飛翔する少女、画家筒井友美氏の生まれた年でもある。

 その年に、武田清子さんは表題の本を出版した。

 氏は1917年生まれであるから、当時は61歳、今年をもって亡くなられた、とウィキペディアで知った。実に100歳であるが、いささかさみしい。直接お会いしたことはない。が、何かと縁のある人で、私が明治学院の学生の頃からお名前は存じ上げていた。私が小学校の時に通っていた教会の人で、多分一生をそこに在籍したと思う。私は中学生でその教会を移ってしまったが、今度は今の住居のそばが彼女の終焉の家である。

 生まれが1917年とすると、大正6年で母より少し年下である、とは知らなかった。本だ出たのが1978年だから、彼女が61歳とすでに書いたが、母が91歳でなくなったので、母が亡くなって概ね10年の歳月が流れたということになる。なんだか、もっと前だったような気がしてならないが、なぜかわからない。要するに、母とほぼ同年代の人だと思ったことも今までは、ない。

 が、時の流れを数えながら、彼女が書いた思想の本を読んでいると、なんだか悲しくなるのはなぜだろうか。

 時は残酷である。本の出た年が画家の生まれた時で、幸徳が刑死したのが1911年、であるから、滝野川の古河力作が死んだのも(同時に刑死した)1911年。幸徳の「基督抹殺論」が出版されたのも1911年。その年の6年後、武田清子さんは生まれたのである。だから、母が生まれたあたりの歴史が、実は暗い日本であったのだ、と知った。

 その人たちから生まれた私が1941年であるから、ヨーロッパですでに始まっていた第二次世界大戦を引き受けた日本が、その戦争に本格的に参加した年だ。この年の高揚した雰囲気を書いたのが、内村鑑三の息子内村祐之さん(「わが歩みし精神医学の道」から)である。

 と、無茶苦茶を書くと、妙な気持ちがする。今朝も四時半に起きたが、東の空の様子はすでに違う。立秋がすぎているからである。こう言った顕著な自然界の太陽の厳然たる動きが、人間の生命の源であろう。すなはち、「時」である。人間は、この時を止めることができない。

 明治学院高校の先輩が(4歳ほど上)当時ICU(国際基督教大学)に在学中で、先輩は武田清子先生に研究室に残るよう要請されていた。が、彼はそれをことわり、アメリカに行ってしまった。その経緯を深くは知らない。が、教会が同じで、その教会で青年会誌を発行していたからある程度は知っていた。その雑誌を、図々しくも本屋にまで並べた藤田約先輩は、武田先生の下で思想史を専攻していたようだ。彼こそ、大逆事件で刑死した大石誠之助(1911年)の縁辺で、当時からなかなかの論客であった。牧師であったフェイリ女学院の院長でもあった山永武雄牧師は、その良き論争相手でもあった。その彼が留学経験もある山永牧師の紹介状を持って、アメリカに渡ったのである。が、その後の彼の消息は途絶えたまま今日に至っている。

 で、藤田約氏の影響下にあった私は、武田清子氏を知っていたのである。この話、アメリカにいくのも厄介な時代で、沖縄に行くにもパスポートが必要な時代である。敗戦で沖縄をアメリカに取られた日本は、その返還を悲願とした。その後のことを書くこともないが、最近亡くなられた翁長知事は始め自民党の議員として、自民党県連の幹事長でもある。それは、彼がそう言った沖縄の歴史を背負っているからであろう。平和、平和、平和。平和、沖縄に基地はいらない、と彼は叫んでいたのは、そこの激戦の様をよく知っていたからである。が、私より年下。残念であるが、戦争は彼の年代では、観念でしかない。とは、時の流れをこうやってたどってみて、わかることである。

 我が母とほぼ同年代の武田清子氏が、天皇制について書いた本は、今捨て値で古書ネットにある。彼女の天皇分析はいささか、時の洗礼を受けて、もはや日本人には受け入れらないのであろう。彼女は戦前にアメリカに留学し、戦前にアメリカで語られていた天皇論を日本に紹介したのである。そこには、いかにも日本の現人神はインチキである、とアメリカでは書かれていた、と書いている。

 だが、この問題はいうまでもなく深い問題である。新たに考察してみたいが、できるとは思えない。お盆休みの楽しい時、こんな深刻話を読む人など、いないであろう。と、予想しつつ書いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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