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2018.08.14

杉山勝己と聖書(522)聖書はいかにして、信じられるのか(84)永遠の生命論の研究(二十五)幸徳秋水「基督抹殺論」の研究、その一

 

 かなり詳細に、秋水の「基督抹殺論」(明治44年発行)を読むと、

 当然のごとく、面白いことがいっぱい出現する。

 私がこの本の本格的な研究に入ったのは、最近で。何かと資料は集めていたが。私の持っている幸徳本は三冊、その一冊は明治44年の初版、二冊目は大正九年の10刷版である。

 この明治大正の二刷は、若干体裁や広告が違っていて面白い。最後の三冊目は、岩波文庫で昭和29年第一刷である。もちろんこれが一番読みやすいし、ありがたいことに、明治大正本にはない獄中消息が載っているのは、誠に興味をそそる。ここから若干、死刑前の純情青年、滝野川「愛人社」の会員、飛鳥山の花作り人、文豪水上勉と郷里を同じくするために彼が書いた古河力作の消息も、少しは感じることがでいるのではないかと、期待している。

 はじめにはっきりと最近認識したことは、大逆事件が起こった明治末年であるが要するに。41年ぐらいから45年ぐらいにかけて、すでにヨーロッパ無神論は、日本でも大きな力を持っていたと言うことである。と言うことは、社会主義政府成立の熱情や理論が、かなり整備された時期ではないか、と言う認識である。

 マルクスの「資本論」が、幕末書籍だとすればその成立から概略で4から50年は経過している。から、ヨーロッパの無神論的政治体制への関心も、言うまでもなくかなり高いものであったと想像できる。だから処女的にそれを勉強していた日本の叡智は、その影響を強く受けたのであろう。新聞社で同僚だったキリスト者内村鑑三と幸徳は、まさに机を並べていた仲であるのは、この二人の日本人の知力の高さを伺わせて余りあるものである。

 日本は、その頃。明治維新から一気に、面倒な世界思想を引き受けた時期でもあり。近代天皇制にしても、もちろん色々呻吟を免れなかったことであったと思う。この辺りが、日本も最後に、第二次世界大戦に巻き込まれ、結局ヨーロッパ的有神無神の政治的決着を突きつけられた、と言えると思う。二戦の太平洋戦争の性格や推移から、日本がソビエト(無神論国家)に占領されると言うシナリオは、ありえなかったと思う。まず戦前の満州的解決が、日ソ不可侵条約や三国同盟を生み出した上で、太平洋で雌雄を決した日本とアメリカは。その結果の日本の敗戦で、米国によって占領されると言うのが、はじめから予定された戦略的シナリオであったとも思える(開戦時敗戦シナリオとして/証拠は今の所ないが)。それは、米国人ペルーが日本の開国に深く関わった、という歴史経験が強く影響している。余計をいうと、はじめに日本に開国刺激を与えたのは、実はロシア(まだソビエトではない)である。

 このシナリオは、開戦時や満州国建国によるソビエトの出方を窺いながら、やはり隣国米国との対決こそ。日本の植民地政策の終点であるとは、戦略的に考えられていたことではないか。敗戦の結果、資本主義自由主義有宗教主義が勝利を得たわけであるが、その有神論的勝利者のアメリカが、従来から日本に踏襲されていた伝統的天皇を、非神格化でクリーニングした上。容認したというのが、最も大きな戦後社会のポイントであったと思える。

 私がここで度々取り上げるブルンナー神学であるが。彼は徹底的に反無神論者であり、その神学者が戦後の日本に現れたと言うことは大きな意味を持っていたと思う。私にもやっと、この理屈が最近になって分かり始めたが。その上で、秋水の「基督抹殺論」を読むと。氏の無神論的唯物論の勉強ぶりのすごさに、誠に頭がさがる。

 正邪は置くとして、ともあれ。日本人のヨーロッパ先進近代を学ぶ姿は、幸徳において清々しく、痛ましくまた尊いと思えるのである。この暑い中、幸徳と少し付き合ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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