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2018.08.02

杉山勝己と聖書(506)聖書はいかにして、信じられるのか(62)永遠の生命論の研究(九)ブルンナー著「永遠」古書、来たる

 

 炎暑の中、かしら書きの古書が着いた。

 ここのところの炎暑は環境問題を身近に感じさせる。

 精緻なデーターの下で知らされるその情報は、恐怖すら呼ぶ。働いて汗を流しているのではない自分は、家にいて書物を読むばかり。汗まみれで危険極まりない汚い建築現場(それが美しくなっていく)に連らなる仕事をしていた自分は、営業だったから。外回りだった(青壮年期にかけて一生)。冷房の効いたオフィスにいたわけではない。まるでヤクザの親分のような人相の悪いボクシング連盟の会長のような、かつ日大の理事長のように、冷房の効いた豪華な部屋で冷やされた最上のみかんを食っていたわけではない。し、秘書がいたわけでもない。

 役員はしていたが、どこにあるかのわからない仕事(建築設計)を探して、炎暑の下を全国を歩き回っていた。一時は、冷蔵倉庫を造る施主を探しまわり、うちの社長(私の上司)もそれで世界を回っていた時期もあった。彼はイラクに行ったこともあり、イランにも行った、韓国にも、アフリカの小さな島にも、行っていた。ことがあった。韓国では、防熱材に着火してソウルの市内が真っ黒になる(と表現されていた)火災を経験した事務所でもあった。余計を言えば、創業者の祖父など満州にも行っている。ソウルの現場管理者は、その後ノイローゼを発症し、字が書けなくなった。後年癌で死んだ。同い年のいい男だった。

 なか、冷房の効いた部屋で、早速臭い本を処置した。陰干しにして、埃を払い少し読んだ。その本、昭和32年初版、四百円である。副題は「キリスト教の希望の研究」。訳者はお二人、熊沢義宣氏と大木英夫氏。すでにこの世にいないと。と、思う。

 出したのは、今も健在の出版社新教出版社。この新教と言う名前は新教、旧教という、キリスト教専門用語からきている。500年も前のドイツキリスト教新教発祥を受けてネーミングされた、古い古い思想的言葉だ。今は新も旧も言う時代ではない。ブルンナーさんはその、新教の世界的神学者。焦土の日本に来て、日本のキリスト教化の夢を追った人だ。別言すれば、キリスト教の希望を説いた。見開きに、二人の息子にと献辞がある。一人は1942年、もうお一人は1952年に亡くなっている。内村鑑三も19歳の娘ルツ子さんを失う。

 そこから内村は、再臨を書き始める。神は、二人に試練を与え身近な死を経験させ、人生の早い時期に永遠を考えさせたのであろう。永遠は実は簡単で、神を信ずればそれで良いのに、キリスト教の学者は、その大問題を書かされることになる。それがプロであろう。その経験を通して(実践)こそ、真に語りうる永遠を語れるのであろう。私などは偶然に恵まれ、老人になり死も近くなってきたので、それを書く。のだ。

 永遠などは、神を信ずれば簡単に理解できることであるが、神学はそれを許さない。それが、職業というものであろう。私は神学者ではない。信者に過ぎないが、老人になったればこそ、永遠を考えてここで書くのである。読むのである。

 

 それに関連して私がわからないのは、悪人人間(原理的には人間全員)の永遠の選別問題(人間には複雑で選別できない)である。さすが、ブルンナーさんは世界の神学者、第17章で「審判と万民救済の問題」に挑戦している。これこそ、我ら明治学院高校の教科書であるブルンナーさんのやらねばならないこと、と知った。これから、読む。

 実にたのしみ。日大もボクシングも、神の目から見れば、意外ということもありうる世界であるが。今の所、わからない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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