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2018.08.09

杉山勝己と聖書(516)聖書はいかにして、信じられるのか(78)永遠の生命論の研究(十九)永遠の生命などという、楽しい話から一挙に核兵器よる人類壊滅の、あっけない問題を書いて

 

 すこし、虚無的になった。

 太平洋戦争の時も、確かに東大教授心理学者内村祐之が、少しその心理学的実態を書いたから、少しはわかった。のであるが、彼が書かなければ、このような話が一般の我々に伝わるわけわけもない、のである。まして、私は戦後派にすぎない。

 戦争と心理学、ないし戦争と病理学は、内科外科の病気とは違い考えてみれば、戦争時一番問題にされて良い医療である。人を殺す、人から殺される、戦場の危険、武器の高度化、スピード化。重量化、爆発力の増大、高度の飛行、閉鎖空間である戦闘艦の心理、潜水艦内の人間関係論、など考えてみると、面白そうな問題は山ほどある。

 が、我々が若い時、散々聞かされ見せられ、語られた戦争の現実では単純だったと思う。そのような話は、一切なかった。「勝ってくるぞと、勇ましく」と歌たわれたわけであるが、斥候の心理とか、暗闇前進の心理とか、戦友を失った悲しみをどう乗り越えるのか、とか。上官の命令の心理学的分析とか。と、いうものは、一切語られていない。

 占領地の大衆を過酷に扱った心理学、とか戦友を助けられなかった心の傷なども、もちろん無視されていた。これで、戦争は勝てるのか。今から思うと、戦争映画で、アメリカの映画ではこの手の場面がよく現れた。だが、日本軍の中には、このような話は皆無。やれ精神棒だの、ビンタなど。そういえば、それに耐えることができない、便所で自殺した兵隊が出た映画の場面は。それは、その人が、弱いからであると、若い私なども解釈した無常を反省する。

 ようするに、我々日本人は、野蛮な教育程度の低い野蛮国として、戦っていたのであろう。それを精神論で、というが心理学はその精神論で成り立っているのではないか。この歳になって、平和な日本のなかで満ち足りた生活をして 、気がつかないまま見過ごしていたのである。 

 

  が、内村祐之さんは心理学者として努力していた。南方の特攻隊の隊員に、眠れない攻撃前夜の安眠を与えるため、睡眠薬を調合してやりたいと、思ったのは彼だけである。などと、考えていると、内村祐之の原爆起爆一人実行説(精神病者による) はなんとも説得力があって怖い話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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