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2018.08.11

杉山勝己と聖書(519)聖書はいかにして、信じられるのか(81)永遠の生命論の研究(二十二)強烈な時間経過の前で

 

 老人は、強烈な時間経過を経験する。

 昨日のことは、今日すでに同じではない。とは、若い時にはなかったことである。その中で、古いことだけがまるで、露出した岩盤のように、びくとも動かない。それが「古河力作の生涯」(水上勉著、文春文庫、1978第1刷)を読んでいるとわかる。

 古い話だ。私の壮年青春のさだ中にあった本で、私と言う読み手の中にいまは、一切の錯雑な思いが消えて。純粋な明治41年、そのもの自体を追う水上勉の、勉学ぶりが鮮明に見える。古河力作とは、何者であるか。を、いうなら刑死した人間である、と言っておこう。若狭の出身、極端な短躯、子供だと思われていたほどに劣等感があって、しかしそれがバネになり貧しきものに心が向く。の、ひとが、私の壮年青春地滝野川で、かつて住んで仕事をしていた。そこに、首謀者アナキスト幸徳秋水(大逆事件の首謀者として刑死)が、現れた(飛鳥山近く)というくだり。エキサイトする。

 その跡をたどったのは、私にももう古い話である。いまからそう3、40年前か。が、「過ぎ去ったその時」は今では、一切、微動だにしないから不思議だ。それが明治41年なら、100年前でもあるが、それも動かず水上(みなかみ)小説、に鎮座している。その置物はすぎさる時間に侵されない。が、同じではない。私にとって小説イメージは、展開する。

 小説とは悪魔だ。高い山に登らせ、それ下を見ろ世界はお前のものである、などと誘惑する。小説を、これほどのものとは今まで思ったことはない。今の私のとって、聖書も小説である。  

 

  世界最大の小説、動かず微動だにしない。いつも新鮮で、イエスの言葉は蘇る。有名な言辞「貧しき者は幸いなり、天国はその人のものである」だったか。今聖書を調べてみると。この文章、新約聖書の冒頭にある。マタイ伝(新約聖書初めの福音書)第5章第3節。最近の聖書では「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのもである」と訳す、それをイエスはいきなり言う。で、世界(民主的先進国)の思想、の基礎になった。よく筋が通らない、が、ホッとする言葉だ。この、言辞が神学を生む。革命も生む。

 さらに、時は進み、この言葉が世界を支配してヨーロッパ史となる。同時に、この言葉を見失うと世界は崩壊する。個人も同じ。人の心の基本は、これに尽きる。   

 

老人になって一層身に染む。英語でも書いてみよう。Happy are those who know they are spiritually poor. あまり詩的な表現でない即物的英語だけに、説明的明確性が明確である。特に、spiritually poor などは、その抜群の例。日本語訳の方が、詩的で高い道徳性があって、硬い。この言葉を明治学院中学生である私は、聞いた。

 中学生にもグッときて、いらい自己心理の貧しさを恥じたことは、ない。いかなる権威も、神以外に権威はないと知った。これが、私の基本にある世界観。私と言う一人の弱小存在者は、恥ずかしがらず生きていて良いのである。天国は、私のもであるから。敗戦国家の一若者は、これで勇気を出した。一方、イギリスの有名なビートルズ。同い年のビートルズはイマジンで成功、次のように歌った。

 天国なんてない。僕らの足元には地獄はなく、頭上にただ空があるだけ。殺したり、死んだりする理由もなく、宗教さえもない。いつの日か、君も仲間に加わって、世界は一つに結ばれる。

 と、戦勝国の若者は歌い、世界を席巻した。若い美しい清純な日本の女子は、皆羽田に殺到した。それを、何言ってやんでーと横目で見ていた。実は、イマジンの深刻な意味など、わからなかったのである。それに、あの詩は本当にジョンレノンが創ったのだろうか、甚だ疑問だ。  

 

 レノンはその後殺され、私は歳をとって生きている、と言うわけだが、それもそう長くはない。と、思う。天国は、あると思う今だ。ジョンは天国にいない、信じなかったのだから。で、いいだろうか。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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