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2018.08.10

杉山勝己と聖書(517)聖書はいかにして、信じられるのか(79)永遠の生命論の研究(二十)一人原爆と絶望の人類

 

 という概念は「絶望」の概念である。

 それは、あまりにも素早く厚みを持って、内村祐之という高名な精神科医によって私の概念として構成された。

 一人の核兵器権を握る精神病(隠れた深い)者の、戯れの一瞬が世界を終焉させるとは、昔のチャーリチャップリンのヒトラー映画に描かれたことである。当時は、若かったからさほど感動も危機感もなく、ふわふわした丸いいびつな浮き上がる地球儀を両手で掴み、楽しげな独裁者ヒトラーとは、かような人物であるか、と思った程度。意味深い深刻な、世界性などは全く深く読めなていなかった。地球儀を見ている割には、浅薄な理解だった自分を反省している。が、すでに76歳。遅い。

 ニヤニヤニコニコしてはいるが、精神科医から見れば残酷なその男(チャップリンが演じた人物)は、精神科医によって次のように表現されている。

 「分裂病質でヒステリー症。残酷で無残。顕揚欲と名誉欲と権勢欲とに憑かれた者。中途半端な教養で、自己抑制を欠き、欺瞞的。善意なく、責任感なく、あらゆる同義心を欠く。」これはブムケという人が書いたもので、ブムケは歴史上の人物レーニンの脳も検証している人。精神科医である。守秘義務の壁の中にある人であるが、かなり詳しくヒトラーを書いたようだ。

 と、内村氏は本の中で書いている。が、今日はこれまで。昨日来もしない13号に、腹がたつやらほっとするやら複雑怪奇の心理の中で、長崎原爆記念日のセレモニーを見ていると。あまりにも多くの誠実な健康人が寄っているので、この悲劇概念にはリアリティーが、ある。と、これ以上は書けなくなったのである。 

 

 

  以上は結局、下記の映像に帰結するのか。も、しれない。これは上田にある戦没画学生慰霊美術館の入り口。小説「古河力作の生涯」水上勉も読んでいるから、水上の遺児である窪島誠一郎さん(館の創設者)にも思いを馳せた結果かもしれない。読書の多面的帰結なのであろう。 

 

 

 

 

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