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2018.08.15

杉山勝己と聖書(523)聖書はいかにして、信じられるのか(85)永遠の生命論の研究(二十六)幸徳秋水「基督抹殺論」の研究、その二

 

 言うまでもないが、有神論無神論は果てない議論の末、今日でも結論は出ていない。

 私のような現代クリスチャンから見ると、問題はますます深まるばかり。

 であるが、結論など出る話ではない。ただ、人間道徳にとってまたは人倫にとって、必要な有神論は無視できない。全世界のこの世界にとって、神無くして何の花が咲くものかと思う、と私は思う立場である。そんな中昨日は、もう一冊意識して岩波文庫の「基督抹殺論」をアマゾン古書で買った。

 表示されている価格のスタートは二十二円。それではとその面白さも手伝い、幸徳さんに失礼でないように三百円ぐらいのものを買った。コンビニ振込の連絡がすぐ来たのは、夏休みで暇な古書店の素早い反応であろう。この本を意識して、買ったのは。今持って盛んに読んでいるものは、意識したと言うより、まー買っておくか式で古本屋に並んでいるのを昔買ったに過ぎない。ので、それではあまりにも、幸徳秋水さんにすまないから、改めたのである。

 岩波文庫版には、「獄中消息」が添付されている。幸徳が死刑になってから、彼の意思に従って素早く出版された元本には、これは添付されていない。止むを得ず削除した、と書かれている。さっと読んでいるが、まことにこの極悪非道人物は、なんとも平凡な普通人である。人の情を思う人で、やさしき常識人である、に過ぎない。むしろ心根の温かき人で、素晴らしい人格者である。

 搾取されていたと経済理論、ないし思想理論上構造化されていた彼の世界的「思想」は、搾取の根本原因をヨーロッパではキリスト教に、日本では天皇制に書き上げた勉強家である。と言う単純明確なことが、わかる。獄中記第九冒頭「先日は久し振でこまごまのお手紙ありがたく拝見。」で始まって、万事この調子である。から、むしろ飽きてくる。悲壮感がもっと、漂ってもらいたいと、誰しも期待するのであるが、それはむしろないのである。要は武士だな。崩壊した武士の気性を残した人であると言うことがわかる。

 のは、暑い夏の読み物として、涼やかで爽快である。暑中お見舞い申し上げます。万事ご無理のないようにお過ごしくださいませ。人生はながいのですから。

 
 
 
 
 
 下の本の写真は、アマゾン古書ネットから転載した。
 
 
  

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