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2018.09.23

「日本ブロックゲージ生誕史」精密工業史の一部としての通読篇 (その二)  

 

 これは実は、実話である。

 であるから、その友人の名前を出しても良いのであるが。明治学院高校の時からの友人(一級建築士)であるところから、名前を出したいのであるが。

 電話を掛けてきた方も、結局のところ、日本の戦前戦中軍需産業史に関わるので、実名を書くわけにはいかない。と、いう事情がある。で、歴史的人物のみを実名で書いて、現在も生存している方々を、書くわけにはいかない。

 が、「ツガミのミシン」とは、戦後すぐ。当時、軍需工場だったツガミが、企業として生き残るために、平和産業の証として生産したものである。ここが、戦前と戦後の人々の運命を翻弄する、ことなど今更言っても仕方のない時間、が経過している。書いている私も、昭和16年生まれ、太平洋戦争が始まった一ヶ月前に生まれたばかりなのである。から、誠に切ない。では、なぜ書くのであるか、といえば私が、、いや読んでいけばわかるように書いて行きたい。

 それにしても「もの作り日本」の原点は、工作機械にある。

 それが、明治維新以後、軍需産業を起点として発展したのである。が、突き詰めて言わせもらうと、近代日本が学ばざるを得なかった西洋文明の二大スターは、キリスト教と機械文明である。が、そのキリスト教には、裏側に社会主義共産主義という唯物論が貼り付いていた。一方の機械文明には、日本では戦艦大和を生み出す軍需産業が貼り付いている。この二つのスターが、世界を席巻することなど、今さらいうまでもないことであろう。

 戦艦大和の、巨大な砲口を見事にくりぬいたのは精密工作機械である、ということを考えざるを得ないことに、なった電話であった、と書くと大げさに聞こえる。が、本当であるから仕方がない。あの夜の電話、そして話題のぎっくり腰ミシンが、このドキュメントのきっかけである。

 今の上場会社である、株式会社ツガミを興した津上退助氏(今後敬称を略す)は、ブロックゲージの国産化に成功した人である。ちなみに、最近のツガミのHPを見ると、冒頭に次のようなキャッチフレーズが掲げられている。

 「ツガミは、常に世界NO.1の『高精度』『高速』『高剛性』の工作機械を提供し続けます」

 であり、株式会社ツガミは創業者津上退助が創り出した、ブロックゲージが元になって大会社になり、今も隆盛である。しかし私は、その時(電話の件を聞いた時)ブロックゲージが工作機械にとって、どれほど大切なものであるかを知らなかった。しかし、氏はそれで戦中の経営を、乗り切ったのである。

 まず長岡に、大規模な本社工場(原爆投下対象工場になる)を造り、その余勢で戦中長野県中込(現在の佐久市)に新秘密工場を増築していた。そして、その途中で終戦になる。その工場は、実際は海軍の工場で、零戦を製造することが目的である(今でこそ分かっているが)。しかし、それは長い間の、軍事機密であったことは言うまでもない。

 戦後、軍需品は、たちまちミシンに変わり、というお話をこれから書いていくことになる。事件と表現し、書いたのはそれが、これを書く重要なきっかけになったからにほかならない。それなくしては、このドキュメントは、生まれていない。

 

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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