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2018.09.08

キリスト教的永遠の生命論の研究(1)特に、なぜ一神教になるのであるか(その七)高原の風

 

  ここで、少し鬱陶しい

  長い文章はやめて、今朝は祈りを書いてみよう。

 主よ、高原の清冽なくうきににた、早朝の秋の風を感謝します。

 主よ、我ら小なる家族、今日も温かき家庭を築かせたまえ。

 我らの友人にもこの風は吹いて、清冽な意気を築かせたまえ。

 感謝して収穫の秋の実りを、友人らとともに我らにも与えたまえ。

 主イエスキリストのみ名により、アーメン 

 

 

 下の二枚は、上が軽井沢での実写、下はそれを元に油彩(80号)で描いたものです。

 

 

 

Photo

 

 

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  ネット画廊へは https://uih38411.wixsite.com/sugi か、杉山勝己画廊か、右サイドから入れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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