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2018.09.17

キリスト教的永遠の生命論の研究(1)マルクスを読んだころの話

 

 無神論の華マルクス。

 西洋のあまりにも物質的なキリスト教社会を嘆いて、エンゲルスは当時の賃金労働者の悲惨を書いて、名作を残した。が、それを哲学的に加工したマルクスは、あまりにも高い物質主義を称賛しすぎた。が、それが、世界を席巻する。

 人間の罪は結局、キリスト教的にいえば、ユダヤ教が達していた性とその所有の理解にあることは、旧約聖書創世記のはじめに書かれている。物質の所有こそ、その人の思想である、と見抜いたマルクスを読んだのは明治学院大学の学生の時である。なるほどと思ったが、それに反駁するほどの知識も当時は持っていないが、同時に所有などと言う洒落たものは、一切持っていない親保護時代だから、とんと見当がつかなかった。

 一方の性も本格的に始まったばかりで、Baka友人たちと買春旅行と洒落込んだ四国の旅は、やっと童貞を守り通せた旅となったにしても、東京に戻って悪さを覚え、たちまち失ってしまった。その後の性は、とんだ性の奔馬になって、クリスチャンの自分を悩ませてくれた(アウグスティヌスと同じ経験)。   

 

 これが、しかし。哲学的にもまたキリスト教的にも、自己研鑽の薬にもなって、いまがあると知る。そして76歳、もうすぐ77歳になるから面白い。

 昨日Bakaなことが起こった。

 明治学院時代からの友人と話していて、祖父ネットの最近の記事が、永遠の生命論に及ぶので。クリスチャンのくせに多くの物質に恵まれた彼は、とうとうマルクスのいう物質主義に毒されて、その、天国記事などは興味がないとのたまわった、のにはがっくり来た。わからないのである。物質に恵まれた彼は(教会クリスチャン)は、自分の立ち位置がすでに、物質に侵された中世のヨーロッパの金持クリスチャンのように、なっているということに、気づかないらしい。

 これが、マルクスやエンゲルの哲学を、無神論に導いた最大の理由である。今のアメリカの金持ちの現状も、全く同じで、イエスキリストの言葉など馬耳東風。で全く、近代の清新なプロテスタンティズムなど忘れ去っている。ピューリタンなど、今アメリカにいないのであるが、それは日本の教会クリスチャンとて同じであろう。真面目に、賭博もせず、色事も行わず、コツコツと小金を溜め込んで、マルクスのいう、人間の思想はその持っている物質の量による、と喝破される状況に同じなのである。

 幕末、キリスト教に触れた徳川破れ藩士の息子内村鑑三は、札幌でキリスト教に触れ。理想の国アメリカを見るために、維新後アメリカに行く。しかし、彼がアメリカで貧民の中で共に暮らして見ると、アメリカにキリスト教的理想はなく、今と全く同じの堕落したピューリタンがいる、のみと悟ったのである。それで教会を離れ、無教会思想を独自に立ち上げて、日本でキリスト教的に成功する。

 要するに、内村はピューリタン的理想主義を実行しようとしたのである。日本は、まさに日本型の徳川大和の精神から、このヨーロッパ的物質主義的個人主義に突き進もうとしていた時代、なのである。内村鑑三は、その後アナーキスト幸徳秋水(大逆事件で死刑)と、ある新聞社で同僚となる。

 この絶妙な取り合わせの思想史的難題は、私の頭を、未だ悩ませる。が、すでに77歳、死も本格的に近付いたので、なんのことはない、ただ単純に、キリスト教の言う「永遠の生命」とは、何か、とここで追求しているにすぎない。と、ここではっきり表明しておく。多分この難題、答えは出ない。だろうが、物質主義に犯された、教会クリスチャンも当然の崩壊(死)にあるとしても、やむを得ない仕儀であろう。

 彼に、永遠の生命は、おとづれない、というのが、現実である。

 

 

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 閲覧回数723回(9・17)おめでとうございます。

(祖父ネット)

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

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